そこそこ長いこと管理職をやっていて、「叱られて伸びる人」を見たことがありません。
いや、これは勿論私の観測範囲の問題であって、この世に「叱られて伸びる人」が存在しない、と言っている訳ではないんです。
もしかすると、「叱責されたことや叱責された内容を糧として、大きく自分の能力を伸ばす人」というのが、世の中には数多存在するのかも知れません。
それを否定する気はありません。
ただそれでも、「叱られてもそれ程気にしない人」こそいるものの、大多数は「叱られたら単に委縮してしまうだけであって、立ち直るまでしばらくパフォーマンスが低下する人」であるように感じています。
そういった人は、立ち直った後でも別段能力が上がったりはせず、総合的なステータスは叱られる前と比して大差ないように見えます。
そもそも、「叱る意義」ってどの辺にあるんでしょうか?
勿論、何かしらミスや失敗があった場合、もうそれを繰り返して欲しくない、再発させたくないというのは、上司、管理職として当然のことです。
同じ間違いを二度しないこと、大事。とっても大事です。
ただ、その為に必要なのは恐らく
「失敗した原因の明確化」だったり
「再発防止策の策定」であったり、もっといっちゃうと
「人的ミスが発生する余地をなくす為に、当該部分をシステム化・自動化する」であったりしまして、「失敗した人を大声で怒鳴る」ことではないんじゃないかなあ、と、どうも私には感じられるんです。
実際のところ、ミスをした当人って、大抵の場合「自分がやってしまったこと」については自覚しているんですよね。
普通に仕事が出来る人であれば、自分のミスについて普通に「やっちゃったなー」と思う。
失敗を自覚している人に対して、それ以上上司が「お前は失敗したんだ!!」と言い募る必要ってあるのかなーと。
一方、そもそも失敗を自覚しない程度に自己評価能力や共感力が低い人が存在するとして、その人を怒鳴り散らして改善させようとする行為に、どの程度の効果や効能があるのかなーと。
仮に叱るにしても、舌鋒激しく怒声を挙げて、「俺は怒ってるんだぞーー」とアピールする必要性なんてホントに存在するのかな、と。
相手は幼児じゃなくて大人やぞ、と。
そもそも、「叱られて伸びた」って物語、一種の生存バイアスによる神話なんじゃねえかなあ、と疑ってる面があるんですよ。
つまり、結果的に企業内で生き残った人たちが、自分の苦労話として、あるいは上司との人間関係の誇示の一種として、「昔は散々叱られた俺」という話をしたがる。
「叱られて、それを糧にして伸びる」という物語は、確かに一見美しいです。「偉い人にたくさん叱られて自分も偉くなった」というのは実に口当たりの良い美談です。
実際に「叱責が具体的にはどう自分の糧になったのか」という話は置いておいて、単に「俺は叱られたことによって伸びた」という結論だけを提示している場面、そこそこの数観測したことがあるんです。
これは大抵の場合「だから叱られても我慢しろ」ないし「最近の若いヤツはちょっと叱られたくらいですぐ辞めちまう」という言説とワンセットになって、「叱られて伸びる」という物語の再生産に寄与するわけです。
強く感じるのは、「叱られて、それを糧にして成長する」という一種の物語が、「叱る為の口実」として使われるケースの方が圧倒的に多い、ということです。
もう少し言ってしまうと、日常的にパワハラを行っている人の大多数は、「今叱責しているのは相手を伸ばす為なんだ」と自認して、周囲にもそれを主張しているように思える、ということでもあります。
私自身、
「お前はもうちょっと叱らないといけない」
「叱り方を覚えろ」
と叱られたことがありますが、その人は他の部署ではパワハラ上司として有名な人だったりしました。
となると、「部下を伸ばす為に叱る」という行為の必要性、行為の意味を、もうちょっと考えてみてもいいんじゃないかなあ、と。そんな風に思うわけです。
***
一方、「褒められて伸びる人」がいるかというと、これも観測範囲内の話で恐縮なんですが、私が観測する限りでは割といます。
というか、
「きちんと考えて褒めることによって、上手いこと仕事を回すことが出来るようになった部下」
「上手な褒め方をすることによって、部署を上手く回している管理職」、両方います。
重要なのは「きちんと褒める」ということで、何でもかんでも褒めればいいという話ではありません。
上司に褒められることは、強い成功体験になり得ます。成功体験はモチベーションに直結します。だから、「この動きを繰り返して欲しい」「こういう働きを普段から出来るようになって欲しい」というポイントを適切に褒めることが出来れば、それはパフォーマンス向上に直結します。
一方、以前下記の記事でも書かせて頂きましたが、人間には「褒められ許容ポイント」とでもいうべき要素もあり、自分が褒め言葉に納得出来ない場合、素直にそれを受け入れることが出来ません。
手前味噌ですが、一部引用します。
自己肯定感が低いと、褒められても、それを素直に受け入れることができない。
「褒め言葉を受け入れる」ためには、
・何を褒められているのか、ということに対する理解
・褒められている内容に対する納得
・自己評価とのある程度の一致
が必要です。つまり、褒め言葉が嘘くさいと褒められても嬉しくないし、自分が「全然ダメ」と思っている点について褒められても嬉しくない。当然、褒め言葉が具体的に理解出来なくても全然嬉しくない。
つまり、「褒めるべきポイント」を、相手の自己評価と大きく乖離しない範囲で適切に褒めなくてはいけないということで、これ結構難しいです。
個人的には、「叱る」より「褒める」方が遥かに難易度高いんじゃないかと思っています。
パフォーマンスが高い管理職の人って、なにより「褒めるボキャブラリー」が物凄く豊富なんですよね。
よくそんなポイントを、そんなぴったりの言葉で褒められるなあ、って感心する機会が凄く多い。別に大げさに褒めるわけでもなく、評価に一言付け加えただけなのに受け取った側にはちゃんと貴重な褒め言葉になってるっていうケース、たまに観測するとホントものすげえって思います。
身に着けたいですし、身に着けようと試みてもいますし、けどなかなかたどり着けない境地でもあります。
***
上記のような話を、私の経験の範囲内からざっくりまとめますと、
「叱られて伸びる」という物語は案外疑わしいし、
一方で「褒められて伸びる」というのは実際に観測出来ているし、
ただし「適切に褒める」というのはとても難しい。
だからこそ、「叱り方」を考えるよりも、もっと「褒め方」を考えて、「褒め方」を磨いた方が、恐らく上司としては有益なのではないかなあ、と。
勿論言うのは簡単で、適切な褒め方の選択も、褒めるタイミングの取り方もまだ全然未熟な私ですが、少しずつでも「褒められる上司」を目指していきたいなあ、と。
今の私はそんな風に考えているわけなんです。
今日書きたいことはそれくらいです。
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【プロフィール】
著者名:しんざき
SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。
ブログ:不倒城
(Photo:lukexmartin)