競泳選手のホープで、東京オリンピックのメダル候補、池江璃花子さんが白血病を公表した。すると、それに対して多くの人がコメントを発表したが、そのうちのいくつかが「不謹慎」として炎上した。

特に桜田五輪担当大臣の「がっかり」発言や、橋本議員の「体を使って」発言は非難の的となった。また、不謹慎な人を探す「不謹慎狩り」も活発に展開され、さまざまな人の発言が不謹慎としてやり玉に挙がった。

 

しかしぼくは、そうした「不謹慎狩り」をすることの方が、良くないと思った。

むしろ、そうした不謹慎発言を許容するような世の中でないと、問題が大きくなると思った。今日は、そのことについて書きたい。

 

まず、そうした不謹慎発言に憤慨したり、それを炎上させたりする人々は、一体どういった心理に基づいて行動しているのだろうか?

それは、彼らも本心(深層心理)では、不謹慎なことを言いたいのである。しかしそれができないから、している人を見るとムカッとくるのだ。

それで炎上させるのである。

 

それは、芸能人の不倫にムカッとくる心理と一緒だ。

多くの人は、不倫をしたくてもできない。相手がいない場合もあるだろうし、自分の中のモラルがそれを許さない場合もあるだろう。いずれにしろ、不倫をできないことに欲求不満を抱いている。

そうしたときに芸能人が不倫をしていると、「自分がしたくてもできない不倫をいけしゃあしゃあとしている!」と憤慨して、炎上させるわけである。

 

池江璃花子さんの場合も、本当はみんな不謹慎な発言をしたいのである。

特に、多くの人がしたいのは「神様はいて、みんな平等なのだ」という考え方の表明だ。

多くの人は、「人間は平等である」と考えている。また、それが当たり前とする考え方を持っている。しかも、単に人権的にというだけではなく、「幸せについても平等であるべきだ」と無意識のうちに考えている。

 

そうした心理から、飛び抜けて幸せそうに見える人には、ナチュラルな「不平等感」を覚える。

特に池江璃花子さんのような人に対しては、「あまりにも恵まれすぎている」と思う。若く、美人で、スタイルも良く、健康で、しかも類い希な運動能力を持っている。人気があって、結果も残した。

彼女は、人が欲しいと望むあらゆるものを持っているように見えた。だから、そこに心理学でいうところの「認知的不協和」を覚えないわけにはいかなかった。

 

そういう人が、若くして白血病にかかった。これは、多くの人にとって「ああ、やっぱり神様はいて、みんな平等なのだ」という考えを抱かせ、深く納得させるには十分なできごとだった。

「池江璃花子さんは幸せすぎて、世の中は不平等に思えたけど、やっぱり神様は平等だから、それと同じ分だけの不幸を彼女に与えたのだ」と、多くの人がナチュラル無意識のうちにも感じてしまった。

このできごとは、そういう認知的不協和をこれ以上なく解消させるできごとだったのだ。

 

一方では、多くの人も「神様や『平等な幸せ』などというのは非論理的で、受け入れられない。それに、そう考えることは不謹慎だ」と思っている。だから、それを発言しないよう気をつけていた。

しかし、そうしたときに不謹慎な発言をしている人がいると――ましてやそれが有名人だと、自分がしたくてもできないことをしているように見え、腹が立った。だから炎上させたのだ。

 

そんなふうに、不謹慎な発言が炎上したのは、実はその根底に、多くの人の心の中に不謹慎な思いがあったからなのだ。

池江璃花子さんのことを心から思って不謹慎狩りをしている人など、ほとんどいないのである。

 

ただ、こういう指摘をしても、多くの人はそれを認められない。

多くの人は、自分を強く戒めすぎているため、自分の心の奥底にある不謹慎な気持ちから目を背けているため、そのことに気づけない。

だから、こういう指摘をしても、全く通じないことが多い。

 

むしろ、「おかしなことを言うやつだ」と敵視され、なんならぼくが炎上してしまう。

だからぼくは、こういう発言を公の場ではしないようにしてきた。してもいいことがないからだ。

それでもここに書いたのは、こういう事実は、やはり多くの人が知っておいた方がいいと思ったからだ。多くの人にとって、それを知っておいた方が、よりよく生きられると思ったからである。

 

人間の「神様はいて、みんな平等なのだ」とつい考えてしまう性質は、実はきわめて本質的なものだ。

それは自然なことである。多くの人は、そういう考えを一方では非論理的と思いつつも、もう一方では深く納得してしまう。そういう「幸せエネルギー保存の法則」とでもいうべき神話を、つい信じてしまうのだ。

 

特に池江璃花子さんの事例は、その幸せと不幸せのコントラストがあまりにも強烈だったからこそ、かえって神話化したくなる気持ちが強くなった。

みんな、幸せな人がその分だけ不幸になるわけではないと分かってはいながらも、池江璃花子さんの事例に何らかの物語性を求めないわけにはいかなかったのだ。

 

それは、ほとんどの人間が当たり前のように持つ性質の一つで、問題視するようなものではない。

むしろ、それを否定することの方が問題が大きいといえる。それを否定したのでは、人間そのものへの理解が覚束なくなり、人間関係や社会が破綻するからだ。

ぎすぎすとして、心が荒む。過度な理想を前提としてしまうと、世の中はかえってうまくいかなくなる。むしろ、そうした不謹慎な気持ちがあるということを前提にした方がいい。

 

実際、今回の不謹慎狩りで世の中が良くなかったかといえば、そんなことは全くない。

ぎすぎすとした気持ちになり、心が荒んだ人の方が多かったのではないだろうか。

 

おそらく、多くの人は「ぎすぎすとした気持ちを抱いたのは、不謹慎な発言をした人がいて、その発言が池江璃花子さんを傷つけたからだ」と考えている。

しかし、そうではない。本質的には、多く人が「自分の中にある不謹慎な気持ちを認められず、それが不謹慎狩りといういびつな行動となって現れたこと」に、ぎすぎすとした気持ちを抱いたのだ。

 

だから、自分の中の不謹慎な気持ちを認め、不謹慎な発言をする人のことをも容認できるようになれば、ほとんどの人はぎすぎすとした気持ちが収まる。そうして、心が荒むこともなくなるのだ。

 

ぼくは今回、ぼく自身も炎上するかもしれないと思いながら、このことをあえて書いた。

なぜなら、前述したように不謹慎な発言を狩るような世の中は、かえって災いが大きくなると危惧するからだ。

 

また、もう一つには、こういうことを書く人がとても少ないということもある。なぜなら、こうした炎上するかもしれない発言はきわめて危険で、多くの人が避けるからだ。

しかし、だからこそそれは、ぼくの役割かとも思った。そういうことを言う人が少ないのなら、なおさらそれを発言しないと、世の中が良くならない。

 

そして、ぼくが世の中に貢献できるとしたら、こういう「他の人が言えないようなことを言うところではないか」とも考えた。

これも非論理的な神話の一つかも知れないが。

 

 

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【著者プロフィール】

岩崎夏海

作家。

1968年生まれ。東京都日野市出身。東京芸術大学建築科卒。 大学卒業後、作詞家の秋元康氏に師事。

放送作家として『とんねるずのみなさんのおかげです』『ダウンタウンのごっつええ感じ』等、テレビ番組の制作に参加。 その後、アイドルグループAKB48のプロデュースにも携わる。

2009年、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』を著す。

2015年、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『イノベーションと企業家精神』を読んだら』 。

2018年、『ぼくは泣かないー甲子園だけが高校野球ではない』他、著作多数。

現在は、有料メルマガ「ハックルベリーに会いに行く」(http://ch.nicovideo.jp/channel/huckleberry)にてコラムを連載中。

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(Photo:Daniel Hermes