働き方改革、24時間営業の見直しなどがすすみ、現在は「便利さよりもワークライフバランスを」という考えにシフトしつつある。
とはいえ、「不便」に対する許容範囲は人によって大きくちがう。「不便になったら正直困る……」という人だっているわけだ。
そこで、ふと思う。
「便利を放棄するために必要なのは、ご近所づきあいなんじゃ?」と。
仲がいいご近所さんは、それだけで心強い
ドイツに移住し、1年前にとある村に引越してから、ご近所づきあいというのをぼちぼちするようになった。
引越し後すぐにとある老夫婦が声をかけてくれ、先日は「息子夫婦のために作ったけどご飯食べてきたっていうからよかったらもらって」とグラシュというビーフシチューのような料理をわけてくれた。
結婚式の日、シャンパンと花束もいただいている。
真下に住む人との関係も、いい感じだ。
とても気さくな人で、これまた結婚式の翌日、お祝いカードをくれた。
暖房が壊れたときは階下に住む女性が「あなたのところはどう?」とやってきて、うちで紅茶を飲みながら雑談したこともある。
こんな感じでうまくやっているので、たとえば「明日アマゾンから品物が届くけど受け取ってくれませんか」とお願いしたり「ガラス瓶ってどこに捨てればいいの?」と聞いたりもできる。
いままでたいしてご近所付き合いをしたことがなかったわたしは、こういう些細なやりとりをするのが、うれしくて、楽しくてたまらない。
ご近所さんと仲がいいというのは、それだけでとても心強いのだ。
不便でも生きていけるのは、それが可能な環境のおかげ
最近日本では、「不便の受け入れ」の需要が高まっている。24時間営業なんてしなくていいよ、元日くらいみんな休むべき、多少不便でも生きていける……。
かくいうわたしも、「不便容認派」だ。
ドイツのように、日曜・祝日は店が閉まっている&20時閉店がふつうの国に住んでいると、「そういうものだと思って暮らせばたいして困らない」という結論になる。
でも「不便でもいーじゃん」と言えるのは、社会全体がそれを前提にまわっているうえ、わたしの生活に余裕があるからなのかもしれない。
この「余裕」とは、金銭的なことではなく、精神的、時間的な余力のことだ。
わたしは在宅フリーランスで時間に融通が効くし、企業勤めの彼も17時〜18時には仕事が終わり、通勤時間はたったの15分。
仕事後の彼と落ち合って出かけることもできるし、事前に買い物に行けばいいだけだから日曜日にスーパーが開いてなくても困らない。
ドイツの配送事情は日本に比べてかなりひどいけど、たいていわたしは家にいるし、不在ならご近所さんが受け取っておいてくれる。
電車が遅延しまくるのは周知の事実なので、交通事情による遅延にはだれも怒らない。そもそも、みんなそんなにせかせか生きてない。
不便でもどうにかなる。便利じゃなくても大丈夫。
そう言えるのは、みんなお互い様だと思って割り切っているのと、どうにかなる環境があるからだ。
でも自分だけで生活を完結させなきゃいけない状況の人は、そうも言ってられないだろう。
便利さとはセーフティーネットである
独身でひとり暮らし、さらには長時間労働。車もなく近くに友人もいない。
そういう環境なら、家にいるわずかな時間にきちんと配達してもらわなきゃ困るし、深夜でも開いている牛丼屋が徒歩圏内にあると便利だ。土曜日はとにかく寝て、必要なものは日曜日に買い物に行きたいだろう。
身近に近親者がいないシングルマザーは、24時間開いているスーパーやコンビニに助けられているかもしれない。
そういう生活をしている人に、「便利じゃなくてもいいでしょ?」というのは酷だ。
その人たちにとっての「便利」とは、「セーフティーネット」でもあるのだから。
ワークライフバランスを大事にする、過剰な便利を追い求めない、という姿勢は大賛成。でもその一方で、不便になると困る人だってたしかに存在するわけで。
社会をよりよくするための「不便容認論」が、だれかを追い詰めてしまっては意味がない。
「便利じゃないと困る人」をどうやって「不便でも大丈夫な環境」にするかも同時に考えないと、不便容認論はただのキレイゴトだ。
ひとり暮らしする20ー30代の6割が「ご近所づきあいなし」
ここで冒頭の、ご近所づきあいの話に戻る。
「不便でも大丈夫な環境」にするために大事なのは、ご近所づきあいじゃないかと思うのだ。
独立行政法人都市再生機構によるアンケートを見ると、ご近所づきあいの必要性を感じている人は半数少々いる。
新生活目前。一人暮らし20-30代の6 割以上が近所付き合いを「しない」しかし半数以上が、近所付き合いの必要性を感じていた!しない理由は「普段顔を合わせないから」「話すキッカケがないから」
一方、ご近所付き合いは必要と思うかという問いに対して、「必要だと思う」、または「どちらかと言えば必要だと思う」と回答したのは、全体の5割以上となりました。
その理由を調査したところ「挨拶をすると気持ちが良い」と回答したのが52.6%と、近隣住民とのコミュニケーションに対して好意的な反応が目立つ結果となりました。
また、同様の質問を自身が家庭を持ったと想定した上で行ったところ、必要だと思う人は、全体の7割以上にものぼっています。
「将来、家庭を持った場合、ご近所づきあいは必要だと思いますか」という質問には、73.8%が肯定的だ。
理由は、「困った時に助けてもらえるから」「近くに顔見知りがいる安心感があるから」。
一方で、同アンケートでは一人暮らしをする20-30代の63.5%が、「近所づきあいはない」と答えている。
いざというときに頼れる顔見知りがいたほうがいい、とは思っていても、実際はご近所づきあいがほとんどない人がかなり多いようだ。
地域や年齢層、家族構成によってご近所づきあいの様子はずいぶん変わるだろうけど、頼れる人がより必要な単身者のほうがご近所づきあいが少ないであろうことを思うと、やっぱり「便利って必要だよなぁ」なんて気持ちになる。
だって、頼れる人がいないんだもの。
不便容認論に必要なのは、頼みの綱になるご近所さん
よく「昔は不便でもやっていけた」「いまは便利すぎる」という人がいるが、その「どうにかなった」背景にはたぶん、「助け合えるご近所さん(親類)」の存在があったはずだ。
逆にいえば、親族や地域コミュニティといった頼みの綱を失った人の支えになったのが、現代の「便利さ」なのだろう。
そういった付き合いがさかんな地域もまだまだ多いとは思うし、それがイヤで東京に出てきた、という人もいるかもしれない。
ご近所づきあい=いいもの、とも言い切れない。
ただ思うのは、未婚率が上昇し、共働き核家族が増えるなかで、「自分(たち)だけで生活を完結させなくてはいけない」人たちが増えているということだ。
そういった人がセーフティーネットとしている「便利」を見直すのであれば、代わりとなるセーフティーネット、「いざというときの頼みの綱」についても考えるべきだろう。
そう考えると、働き方改革に必要なのは、「なにかあったときに頼れるご近所さん」なのかもしれない。
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【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
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