先日、友人の出演するDJイベントに行くことになった。

わかりやすく言うとクラブみたいな感じ。

 

イベント会場ではごはんは出ないので、会場に行く前に近くのラーメン屋さんに入った。

私は昔からつけ麺が大好き。特にスープが魚介系の濃厚なやつ。

というわけで、つけ麺の麺硬めを注文して一生懸命食べていた。おいしかった。

 

知らない人にちょっとしたお願いをするのは良くないこと?

私が食べている時に、新しく3人組のお客さんが来た。

 

そこはカウンターしかないお店で、そんなに大きくはなかった。

満席ではないものの、その時席は割と埋まっていて、3人で並んで座れる席はなかった。

 

彼女たちは「(並んで座れるよう)席が空くまで待ってます!」と店員さんに言っていた。

でもふと見ると、私の右側に二席、左側に一席あいている。

「お、三人で座れるじゃーん」と思って横にずれた。つけ麺と一緒に。

 

そしたら、むっっっっっちゃ恐縮された。

感謝というより「恐縮」。

 

なんなら、一度は「いえいえそんな!ずれていただかなくて大丈夫です!」って断られた。

その方だけじゃなくて一緒にいた人も「大丈夫ですよ」っておっしゃっていた。

 

ちょっとびっくりした。

私としては、むしろ「すみません~ずれてもらえますか?」と積極的に言っていただいて良い位のシチュエーションだった。

 

ちなみに、こういう時私は結構言うタイプ。

「そんなにコストじゃないと思うし一旦お願いしてみよっ、ダメだったら仕方ない!」と思うからだ。

無言の「察してずれてくれ~」プレッシャーより、言った方が良いかな、とも。

 

なんとなく声をかけづらい世の中なのかな

なぜ、声をかけてお願いをしないのか。

それはやっぱり「自分の都合で人にコストを強いるのは申し訳ない」と思うからだろう。

その気持ちはわかる。

 

でもこういう遠慮が全面的に「美徳」「マナー」ということだとしたら、なんだかちょっと違和感がある。

もう少し敷衍すると、私が言いたいのは、もう少しみんなが声をかけあうことが増えたら良いのにな、ということだ。

 

例えば、券売機でおばあちゃんが切符の買い方がわからなくて困っている時。

ちょっと声をかけて教えてあげれば列も早く進むし、おばあちゃんも嬉しいだろう。

でも声をかけることをためらう。

 

例えば、飛行機で重そうな荷物を荷物棚にあげようとしている人がいた時。

手伝おうかな、手伝った方が良いかな、と思う。

でも声をかけることをためらう。

 

例えば、座っている人にちょっとだけ詰めてもらえれば自分も友達も2人とも席に座れそうな時。

ちょっと一言、お願いしようかなと思う。

でも声をかけることをためらう。

 

ちょっと声をかければ、幸せな人が増える場面はたくさんありそう。

ちょっとした他人との関わりを持ちやすい社会はきっと暮らしやすいし、人の心をあたたかくもすると思うのだ。

 

だから、ちょっと思い切ってちょっとした「相手への声かけ」を、可能だったら「お願い」も、もう少ししてみても大丈夫なのではないかあ。

 

行為に対する解釈を高度にしてしまうのは、日本がハイコンテクストな社会だから?

なんとなく上記のことに共感していただけたとしても、とは言え「知らない人にちょっとした声かけをする」には、やっぱり色々なハードルがある。

 

あえて言語化してみると、「自分にとっては良い/問題がないと思っていることでも、受け手にとっては逆に迷惑かもしれない」という可能性をどこまで考えてしまう、からではないだろうか。

 

例えば、「電車で席を譲る、ということをためらってしまう」のがその好例だ。

具体的には下記のようなことを考えて、足踏みしてしまうのではないだろうか。

 

① 良かれと思って席を譲ろうとしたことが、相手にとっては「年寄り扱いされた」など不快感をもたらすかもしれない、と考え、逆に申し訳ないかもと思ってしまう

②「席を譲られたら、(上記のような理由で)実は嫌でもNOと言いづらいかもしれないな」と考え、「申し訳ないかも」と思ってしまう

 

こうやって書いてみて思うのが、なんだか、我々は行為に対する解釈が極端に高度な社会に生きているのかもしれない。

 

人の気持ちや状況なんてわからないものはわからないから、考えまくって不安になっても究極のところ無駄だ。

いくら考えても、「考えたことと相手の反応が違った」というリスクをゼロすることはできない。

 

リスクをゼロにできないならやめとく、と言っていたら何もできない。

リスク、というか認識の齟齬をすり合わせるために「コミュニケーション」があるんだと思う。

 

・・・そんなことは口ではなんとでも言える。でもためらってしまうのが現実だ。

 

それは、日本が「ハイコンテクストな村社会」だから、だろうか。

ハイコンテクストな村社会だから、コンテクストを読み切れず、「そぐわない可能性がある」行動をして、それで断られることを極端に恐れる。

 

そう、「他人に声をかける」ならば、「確実にうまくいく」ときしかだめ。

だから慎重になるし、無意識のうちに、失敗は許されない、という気持ちになるのだろう。

 

そうやって書いてみると、なんだかちょっと生きづらいなあ。

 

私は自分のことも相手のことも大事に考えて、行動を続けたい

私もちょっとしたフリクションを恐れて、声をかけることをためらってしまうことは、ままある。

 

でも一般的な東京の人よりはだいぶ周りの人に声をかける方だと思う。

(ちなみに、それは少し海外に住んでいて、「言わなきゃ伝わらない」とか「言ったらうまくいった」という体験をしたからだと思う。)

 

大層なことをしているわけじゃないけど、声をかけて人とかかわりを持つことを通して、嬉しい体験が今まで何回もあった。

だからこそ「もっとお互いが声をかけあえるようになったら、もっと過ごしやすく嬉しい気持ちになることが増えるんじゃないかなあ」と思っている。

 

相手のことを思い、必要だなと思った時に声をかけるのは、私自分のためにも相手のためにもなることだと私は思う。

 

もちろんたまにうまくいかないけど、だからと言って辞める理由でもないし、それはそれでいいんじゃないかと。

(同時にこんな宣言するほど大層なことでもないと思ってるけど)

 

今日も街で、私は私が必要だなと思ったら、周りの人に声をかけますよう!

今日は以上です!

 

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(2019/8/30更新)

 

 

【プロフィール】

滝沢頼子

1991年生まれ。大学卒業後、UXコンサルとベンチャー2社を経て、現在はフリーランスとして幅広く活動中。

上海に2回住んだことがあり、中国に関する情報発信、視察アテンドや講演なども行っている。

神楽坂とワインとももクロが好き。

ウーパールーパー、カピバラなどの目が離れている生き物に似ていると言われがち。

ブログ:たきさんのちゃいなブログ

twitter:takiyori0608

note:たきさん

(Photo:John Zacherle