最近、人口減少を取り扱った本がよく話題になる。
それだけ多くの人がこの問題に危機感を覚え、関心をもっているということだろう。
そのなかでもひときわ注目を集めているのが、『未来の年表』という一冊だ。
どこの書店でも扱っているから、見かけたことがある人も多いかもしれない。
なぜこの本が、多くの人に読まれているのか。
それは、いつも話題になる人口減少に対する対策ではなく、人口減少への対処について真剣に検討しているからだと思う。
対処が必要なのに対策ばかり議論され、「いやそういうことじゃなくて」と言いたくなる場面は、結構多い。
人口減少はもう確定してるのに、「子どもを増やさねば」一辺倒
日本の人口高齢化が異様なスピードで進んでいるのは、周知の事実だ。
だからこそ、「なんとしてでも女性に子どもを産んでもらわねば!」という話になる。
でもそれは、人口がこれ以上減らないようにするにはどうすればいいかという、いわば「対策」だ。
「予防」といったほうがわかりやすいだろうか。
でも、考えてみてほしい。
もうすでに少子化は起こっているのだ。
たとえ子どもを増やす政策を推し進めても、去年や今年の出生数が少なかった事実は変わらない。
いま現在のお年寄りが5年後、10年後も生きるであろうことを否定するわけにもいかない。
つまり、現在生きている人の人口構成からすると、人口減少と高齢化が進むのは確定しているのだ。
それなのに、まわりを見渡しても、議論されるのは「対策」のことばかり。
どうやったらこれ以上少子高齢化が進まなくなるのか。それが最大の焦点になっている。
もちろんそれは大事だけど、わたしが60歳になる30年後、働き盛りになっているであろう現在の赤ちゃんたちの絶対数が少ないのはもう事実としてあるわけで。
そんな世の中で、おばぁちゃんになったわたしはどう生きていけばいいのだ。
いままで欠けていた「対処」の部分に目を向けたのが『未来の年表』という本だったから、多くの人に読まれたのだと思う。
「対策」と「対処」は別の軸で語られなきゃいけない
ここで、「対策」と「対処」の視点のちがいがわかる『未来の年表2』の一例を挙げたい。
「ズレ」といえば、最近普及してきたインターネット通信販売(以下、ネット通販)もそうだ。
”買い物難民”対策だと言って普及させればさせるほど需要が掘り起こされ、トラックドライバー不足はより深刻になる。
無人のトラックが走り回る時代も遠くないとされるが、トラック自らが荷棚から個別のお届物をより分け、重い荷物を玄関先まで運んでくれるわけではあるまい。
少子高齢社会において、ネット通販が遠からず行き詰ることは簡単に想像できよう。
おじいちゃんおばあちゃんは運転できないし、身体が不自由なことも多いから、ネットショッピングできれば楽だよね!
実際ひとり暮らしをしているうちのおばぁちゃんは、配達のお弁当を頼んでるし。ネット通販大事!
わたしはこの本を読むまで、本気でこう思っていた。
たしかにネット通販は、買い物難民となった高齢者への「対策」にはなるかもしれない。
でもドライバー自体が減ったとき、ネット通販ではそれ以上の「対処」はできなくなる。
対策と対処は、別の軸で語られなければいけない。
考えてみれば当然だが、案外見落としていたことだ。
ちなみにここでの「対策」は「それが起こらないように事前に準備する」こと、いわば予防という意味合いで、「対処」は「すでに起こったことに対応する」ことを示す。
「対策したので大丈夫です!」では相手は納得できない
改めて気づいたことだが、注目されるのは、いつも「対策」だ。
東京オリンピックのマラソンと競歩が札幌で開催されることになったときもそうだった。
都知事をはじめ多くの人が主張していたのは、「暑さ対策」。
まぁそれも、アサガオを並べるとか打ち水をするとかファッショナブルなかぶり傘を勧めるとか、一般人ですら目が点になるものだったけど……。
でもIOCをはじめアスリートたちが求めていたのは、「暑さに対する対策」だけでなく、「対処」でもあったはずだ。
いくら対策しようが、いきなり当日が25℃の快適な陽気になるわけじゃない。
今年行われたドーハの世界陸上のような状況になったそのとき、東京は、日本はどのように「対処」するのか。
きっと、そのビジョンが示せなかったから、札幌に変更になったのだと思う。
『未来の年表』でも、政治家や企業努力に対し、「どこかズレている」と書かれていた。
IOCからしても、「暑くとも水をまくから大丈夫です」という都の姿勢は、「どこかズレていた」んだろう。
対策をしている側は、「しっかり対策をすればそれ自体起こらないんだから、対処方法を検討する必要はない」と考えているのかもしれない。
でも確実な「対策」なんて、いったいどれだけあるのだろう。
「対策はもちろんしますが、それでも望まぬ事態になった場合、こう対処します」
こういう提案で初めて、相手は安心するんじゃないだろうか。
対策すれば対処について考えなくていい……なんてことはない
インフルエンザをはじめとした一部の病気に対し、予防接種で対策することはできる。
でも、いざインフルエンザにかかったとき、「なんの治療法もありません。だって予防する前提だし」では困る。
対策が大事なのは前提として、それでも可能性をゼロにできない以上、「もし起こってしまった場合どうするか」という対処の話は絶対に必要だ。
しかし人間の心理なのか、みんな「悪いことは起こらない方がいい」と考える。
だから、対策の話ばかりになる。対策しておけば安心できるから。
対処の話をしようとしても、「ネガティブな話ばかりするな」だとか、「そんな弱気じゃ困る」だとか、まっこうから否定されることすらある。
仕事でいえば、
「あの案件、間に合わないかもしれないな。間に合わなかったらどうする?」
「間に合わせます」
「いや、時間的に無理かもしれないだろ。間に合わなかったときの代案とか……」
「間に合わせます!」
といった場面や、
「これって採算取れるのかなぁ。赤字になったときのテコ入れを考えておいたほうが」
「いまから赤字のことなんて考えてたらなにもできませんよ!」
「まぁそうだけど、利益が出るのか怪しいんだよなぁ」
「利益がでるようにもっと宣伝すれば大丈夫ですよ!」
などのやりとりがイメージしやすいだろう。
「いやいやそうじゃなくてね、もしものとき……」
「こうしておけばもしもなんて起きません!」
では、会話は成立しない。
現実的な対処法を提示してもらいたい側からすれば、理想論で対策を語る人は、「甘い夢想家」でしかない。
「だから! そういうことじゃなくて!」とイライラすることもあるだろう。
ちなみにわたしは小心者で万が一に備えたいタイプなので、こういう切り返しは最高にイラっとする。
「対策」の話を一通りしたら、次は「対処」にも目を向けよ
「対処」の話をするとき、つねに悪い状況を想定しないといけないので、どうにもテンションが上がらない。
それよりそれが起こらなければいい話。「対策」を用意しよう。
そうやって、「対処」は後回しにされやすい。
でもそれでは、なにか起こったとき、後手に回るしかなくなってしまう。
世の中、完璧に対策して予防できることなんてほんの一握りだ。
たいてい、どこかしらで予期せぬトラブルが起こり、その場での対処を求められる。
そんなこともうわかりきっているんだから、トラブルが起こったあとの話をもう少し現実的に考えていけばいいのに、と思う。
人口減少対策は子育て支援。
でも現在の少ない出生数で30年後、どう日本を成り立たせていくの?
オリンピックの暑さで観客が大勢具合悪くなったら?
みんなが救急車を呼んで、救急車が懸念されていた渋滞にはまったら?
アスリートの棄権が続いたら?
「いいえ、そんなことは起こりません!」と自信をもつのは結構だが、備えあれば憂いなしともいう。
「そうならないようになにができるか」を話尽くしたら、次のテーマは、「それでも起こったらどうするか」だ。
対策ばかり話して満足していないか、対処の視点は抜け落ちていないか。
自戒を込めて気をつけていきたい。
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【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
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(Photo:Fuzzy Gerdes)