ちょっと前に、こんな高須賀さんの記事が投稿された。

個人の幸福は「お金」ではなく「不快なやつは全員ブロック」で実現される。

多様性が本当に良い事ならば、

あなたは好きでもない尊敬もできないパートナーと暮らすべきかもしれない。

意見のあわない上司と働くことにも価値がある。

全く信じていない新興宗教の集会に参加すべきかもしれない。

これらの事は全てあなたの人生の見地を広げるのに大きく役立つだろう。

 

じゃあ幸せに貢献するかというと……

残念ながらたぶんならない。

 

こう書くとわかると思うのだが、私達が多様性を褒める時、大抵の場合においてそれは

「自分にとって都合のよい多様性」(=私は他の人とちがうけど、認めてよ。でも不愉快な人は近寄らないで)

の事だけを指す場合が多い。

これを読んで、頭を「ガツン」と殴られた気がした。

 

多様性は「何かを生み出す」のに、有利である。

多様性は素晴らしい。

だから皆、多様性を重んじるべきだ。

という、「理念」のようなものを、崩されたからだ。

 

言われてみれば高須賀さんの言う通りだ。

私は「多様性」を無意識のうちに、「都合の良いこと」あるいは「自分が認められる多様性」だけに限定していた。

 

例えば、企業の中で、

「大した成果はあげてないけど、給料は皆と同じくらい上げろ」という人が居たとする。

あるいは、

「自分の評価を上げるため、虚偽の報告をする人」

という人がいる。

 

そんな人達を許容する必要はあるんだろうか?

おそらく私は許容しない。

 

だが、多様性の観点から言えば「成果と給与は無関係なのが普通」「ウソも文化だから」という話があってもおかしくない。

結局、「お前は、都合の良い多様性しか認めてないじゃないか」と言われたら、私はぐうの音も出ない。

 

私は多様性が大事、といいつつ、一定のラインを設けている。

だから、「多様性を自分の都合の良いものに限定している」といわれたら、「そのとおりです」としか言えない。

 

 

そして、もう一つの衝撃があった。

上の記事を受けて書かれた、しんざきさんの記事だ。

そもそも多様性ってメリットじゃなくてコストなんですよね

自分が、いつ、どんな状況でマイノリティになるか分からない。

あるいは、現時点で既に、マイノリティである一部分を持っているかも知れない。

それを認識している人たちにとっては、多様性に対する寛容は一種の「安全保障」になります。

 

自分のマイノリティとしての側面を許容して欲しいから、自分もマイノリティを許容するよ、尊重するよ、みんなも尊重しようよってことですよね。

つまり、多様性って、「みんなを幸せにすることが出来る社会的なメリット」ではなくって、「誰かを不幸にしない為の社会的なコスト」なんです。ある種の安全保障税みたいなもんです。

……

多様性はコスト

多様性は保険料

 

コスト!

多様性を維持するためには、保険料たる、コストがかかる。

その解釈は、私にとって新鮮だった。

 

だとすると、「多様性をどこまで認めるか」の話は、要するに

「多様性のコストを、どこまで負担できるか」

という話に帰結する。

 

つまり、上で上げた例は

「成果は上げてないけど、給料は上げろという人」のコストを負担できるかどうか

「自分の評価を上げるため、アンケート結果を偽造したり、虚偽の受注報告をする人」のコストを負担できるかどうか

そういう問いなのだ。

 

裏を返せば、どんな多様性もコストとリターンの関係を無視できない。

「コスト度外視、無限の多様性」なんてものは、不可能だ。

結局、多様性を認めるかどうかは、崇高な理念ではなくコストとリターンの兼ね合いで決まる。

 

あるいは、こんな話がわかりやすいだろうか。

このクレーマーの言い分をもう少し補足すると、こんな具合だ。

失効してても免許は免許だろう。なぜ手続きできないんだ。これくらいいいだろう。と。

 

もちろん、店員は誠意を持って丁寧に対応するが、本質的には「規則でダメです」の一点張り。

クレーマーはついにブチ切れて、大声をだした……という具合だ。

 

多様性を認めるという観点からすれば、

「失効しても、免許は免許、運転するわけではなく、単なる身分証明なんだから、認めてあげてもいいのでは」

という意見もあろう。

 

ただ、こう言う人物を認めていると、オペレーションという観点でコストが掛かりすぎる。

だから、携帯電話会社は、「老人で可愛そうだから」「失効したばかりの免許だから」については、多様性を認めることはない。

 

これは、先日バズっていた以下の記事にも、主張されている。

客を選べない仕事の不人気化

去年あたりから小売業界においては、「モンスター顧客」への対策が公に検討されはじめました。

ちょっとしたミスで土下座しろと騒ぐ、商品切れのような、ミスでさえないようなことにたいして怒りまくり、店長を出せ、コイツ(店員)を首にしろと騒ぎまくる。(中略)

ところが最近は、「客より従業員が大事な時代」になってきた。(中略)

そもそも多くの場合、クレームの多い客は売上げ・利益の観点からだって上客ではありません。

最近では結局

「クレーマーは、受け入れコストが高すぎる」

ということで、コストとリターンが見合わない多様性は排除していこうという動きになり、多くの人がそれに賛同している。

 

 

これは何も、上のようなわかり易い例に限らない。

以前の記事に「企業内で価値観が分かれること」について書いた。

仕事における「価値観」を語るとき、必ず意見が別れる10のこと

 

例えば「会社は金儲けをする場か、楽しく仕事をする場か」という話だけでも、企業内で両立させるためには、都度の調整が必要なシーンも多い。

要するに、効率が悪いのだ。

多様性の維持にはコストがかかる。

 

だから「多様性は素晴らしい」と言うのは、大抵、余裕のある会社・組織・国家だ。

Googleなどのシリコンバレーの会社は、多様性を標榜しているが、それを維持できるのは、そのコストを支払うことができるだけの余裕があるからだ。

 

オーナー系の儲かっていない会社が、自社の社員を「洗脳したがる」のは、そういう背景からだろう。

多様性は、彼らにとってコストが掛かりすぎるのだ。

 

だがもちろん、Googleのような「多様性重視の会社」にも限界があり、最近では価値観に関する揉め事が多い。

Googleの元国際関係責任者が退職、「Googleは邪悪になってしまった」と退職の理由やGoogleの内情を暴露

しかし、Googleが中国市場から撤退したことに不満を持ったのは中国政府だけではなく、巨大な中国市場に目を向ける一部の製品開発部門からも怒りの声が漏れていたとのこと。実際に、中国市場から撤退した2010年の決定から1年もたたないうちに、GoogleマップおよびAndroid関連の幹部は中国市場での製品販売を模索し始めました。

中国市場から撤退したGoogleのアプローチを転換することは人権侵害に加担することを意味する上に、かつての「邪悪になるな」のスローガンに基づいた決定を称賛した人々や西側諸国の反発を招くとして、ラジュネス氏は中国市場に目を向けた計画に激しく反対したそうです。

むしろ「単一の目的」を果たすだけなら、中国のように思想を統制された国のほうが、意思決定コストが低い。

スピードが早いのは当然であり、「多様性」は単なる邪魔者だ。

 

 

いや、日本だって、高度成長には多様性は邪魔だったかもしれない。

アメリカ政府だって「自分にとって都合の良い多様性」しか認めていないから、戦争しているのではないか。

 

 

結局のところ、我々が多様性を認めるのは

「多様性を認めるコストと、多様性から得られるリターンの関係に合理性がある」

場合のみとなる。まさに保険だ。

 

だから当然、「コストが高すぎる」多様性は、おそらくほとんどの人がNoと言うだろう。

 

例えば、わかりやすいところで言えば

「連続殺人犯であっても、訴追する必要はない、殺人衝動を認めようよ」

という人はごく少数だろう。

なぜなら、彼らを認めるコストのほうが遥かに高いと感じるからだ。

 

Twitterだって、罵詈雑言を浴びせてくる人をまともに相手する必要はない。

相手をするコストが高いと思えば、遠慮なくミュート・ブロックするのは自然だ。

 

会社の中でも同様だ。

コミュニケーションコストがかかる人は相手にされない

そもそもコミュニケーションは面倒くさい。気の合う人であれば通じ合うのはたやすいけど、仕事でかかわる人はそんな人ばかりじゃない。パッと言って、サッと話が通じることなんて少ない。コミュニケーションにはコストがかかるのだ

ある程度のコストは、「リターン」があれば我慢できる。

が、コストが掛かりすぎる人は、次第に相手にされなくなる。

 

 

上のようなことから、私が結局「多様性」について、行き着いた結論は、

・多様性自体には、良いも悪いもない。

・多様性を認めるかどうかは、コストとリターンの兼ね合い

・多様性のコストとリターンの感じ方は、個人ごとに異なる。

となる。

 

そしてここから、私が得た教訓は、

「多様性を認めるかどうかは個人の自由。 だが「多様性をみとめろ」と、他者に押し付けるのは、かなりの注意が必要

となる。

 

なぜなら他者に「コストを負担しろ」と、迫ることになるからだ。

 

 

「多様性は大事」と個人が主張するのは自由だ。

その人の理念にとどまる限り。

 

だが、「多様な要望を認めないのはおかしい」と、他者に多様性の維持コストを負担させようとする行為に関しては、

「得するのはあなたばかりじゃないの?」と、疑問に思うのが自然だ。

 

 

例えば、先日、小学校の保護者会に参加してきたところ、驚いた。

親たちの多様性を、余さず受け入れるため、担任が恐ろしく両親たちに気を遣っているのだ。

 

あまりにも要望が細かいので、さぞかし小学校の先生は大変だろうな、と思った。

先生のなり手が少なくなっているのは仕方ないな、とも思った。

 

例えば、「冬休みは、子どもたちに縄跳びの練習をさせてください」と担任が言ったところ、

「飛び方について教えてほしい」という質問が出た。

 

先生は即答できず

「調べておきます。プリントに書くようにしますね。」

と言ったのだが、正直私は

「そんなん、後で自分で調べりゃいいじゃん。ここで出す話じゃないし、先生忙しいんだから、要望をかんたんに増やすなよ。」

と思ってしまった。

 

私がおかしいのだろうか?

だが、多様性にかかるコストというのは、突き詰めて言えば、そういうことだ。

 

 

もちろん、多様性のメリットは大きい。

多様性から新しいものが生まれたり、多様性があることによって、マイノリティとなった時の保障が得られるリターンは無視できない。

 

だが、結局のところ多様性は余裕の産物だ。

もっと言えば、多様性は「金持ちの余裕」といえる。

 

だから、どんな組織・共同体であっても、余裕のない人が増えれば増えるほど、多様性は失われるに違いない。

余裕がない人にとって「多様性」は高価すぎる。

 

 

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(2020/10/7更新)

 

 

 

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元Deloitteコンサルタント/現ビジネスメディアBooks&Apps管理人/オウンドメディア支援のティネクト創業者(tinect.jp)/ 能力、企業、組織、マーケティング、マネジメント、生産性、知識労働、格差について。

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