日本人あるあるの一つ、「みんな一緒に重いものを運んでいる時には、実際には不要でも、手を添えて持っているフリをしなければならない」。

今から現場に加わっても負担が減らせるわけでも、効率が良くなるわけでもないのに、それでも現場に加わって”やっている感”を出さなければならない場面は、学校でも職場でも珍しいものではない。

 

あるいは、職場や現場で自分の仕事が先に終わった時にも、堂々と昼寝をしていたりソリティアをしていたりしたら色々まずい……と感じる場面もあるはずだ。

そういうシチュエーションでは、本当は手持無沙汰でも、仕事をやっているような体裁を整えて、“やっている感”を出しておかなければならなかったりする。

 

なぜ、”やっている感”を出さなければならないのか?

いや、なぜ私達は”やっている感”を出さなければならないと感じて、実践してしまうのか?

 

この、”やっている感”は、私たちの社会やコミュニケーションの性質を考えるひとつの材料だと思うので、今日はこれについて言葉を費やしてみたい。

 

日本社会に存在する、表のルールと裏のルール

昭和の終わりから平成にかけ、この国にも成果主義や個人主義や効率主義のルールが定着した、とはよく言われることだ。

少なくとも昭和時代と令和時代を比べれば、それらのルールは身近になっているといえるだろう。

 

たとえば、上司が残業しているからといって部下が家に帰れないような職場は少なくなった。

職場の飲み会や社員旅行に必ず出席しなければならない……なんてことも昔に比べれば減ったといえる。

仕事をきちんとこなし、業績をあげている人を評価する評価体系も昔よりは定着している、はずである。

 

その一方で、成果主義や個人主義や効率主義のルールだけでは説明のつかない場面もまだまだ残っている。

それこそ、午前中に自分の仕事が順調すぎるほど片付いてしまったからといって、午後から昼寝やソリティアをしていたら良い顔をされない職場や現場は珍しくないだろう。

 

あるいは、タテマエとしては「参加は任意です」とアナウンスされているミーティングが、本当は出席率7割ぐらいを期待されているもので、出席率が低いと職場での評価がだんだん悪くなってしまう……なんてことも案外あったりする。

そのようなミーティングが存在する職場や現場では、参加は任意とアナウンスされていても、ぬかりなく参加して”やっている感”を出しておくことが重要だったりする。

 

こういったシチュエーションを思い出すにつけても、私は、成果主義や個人主義や効率主義は日本ではタテマエとして定着している、と思わざるを得ない。

それらは表のルールとして存在感を保っているけれども、唯一無二のルールとはいえない。

“やっている感”が必要になるような、それとは別の、いわば、裏のルールも存在していると考えたほうが現実的だろう。

 

では、裏のルールに相当する決まりごとは何か?

 

私は、裏のルールの原型らしきものを学校教育(の一部)にみる。

 

学校教育では、しばしば「みんなと一緒に」「みんなで力をあわせて」といったフレーズが強調される。

幼稚園から高校まで、運動会でも文化祭でも、「みんなで」というフレーズは望ましいものとして・誇らしいものとして語られ、社会のルールとして、あるいは規範として十重二十重にインストールされる。

 

学校教育は昭和から令和にかけてそれなり変化はしているのだけど、こと、「みんなと一緒に」「みんなで力をあわせて」を美徳とみなし、ルールや規範としてしぶとく内面化させようとする点では、根本的には変わっていない。

 

そのうえ、学校で刷り込まれる「みんなと一緒に」「みんなで力をあわせて」には、成果主義や個人主義や効率主義を度外視して構わない雰囲気すら伴っている。

というのも、勝負に負けても、成果が不十分でも、非効率でも、「みんなと一緒に」や「みんなで力をあわせて」にはそれ自体に固有の価値や美徳があるよう、私たちは教わるからだ。

 

こうした「みんなで」というルールをしっかり刷り込まれ、それをきっちりとインストールされた人々が寄り集まってできあがった職場や現場のルールは、「みんなと一緒に」「みんなで力をあわせて」におのずと染まっていく。

 

そのような職場や現場でも、成果主義や個人主義や効率主義はある程度までは尊重されるかもしれない。

それでも、「みんなと一緒に」「みんなで力をあわせて」が裏のルールや規範として幅をきかせている限りにおいては、「みんなで」にふさわしい振る舞いが各人に期待され、それを平然とスルーする人間の評価は下がっていくことになる。

 

「みんなで」というルールが浸透している職場や現場では、どうしても「みんなで」というルールを自分も尊重している姿勢を示さなければならなくなる。

それこそ、「重いものをみんなで運ぶときに人が多すぎても手を添えて持っているふりをする」のようなジェスチャーが役立つことになるし、また、期待すらされることになる。

 

積極的なメッセージとして”やっている感”を出していく

では、”やっている感”は「みんなで」がまかり通っている現場や職場に言い訳するための、消極的な仕草に過ぎないのか。

そうとも限らない、と私は思う。

 

“やっている感”を出さなくても構わない、自分のペースで働いても構わない職場や現場でも、ときには”やっている感”を積極的に出したほうがいい場面は間違いなくある。

なぜなら、”やっている感”を出すことで要らぬ誤解やトラブルを避けられる、そういう状況も少なくないからだ。

 

たとえばあなたが何かのプロジェクトに携わっている時、”やっている感”を出さず、水辺に浮かぶ水鳥のように仕事をしていたら、メンバーの誰かから「あいつ、本当に仕事をしているのかな?」と心配されるかもしれない。

 

一緒に働いているメンバー同士がお互いのことをよく知っていたり、進捗がガラス張りになっていたりする環境ならいざ知らず、そうでない環境では、仕事を進めているジェスチャーを出しておいたほうが誤解は避けやすい。

特に、あなたが短時間に一気に仕事を片付けるタイプで、仕事の合間にクールタイムを必要とするタイプの場合はとりわけそうだ。

 

「みんな一緒に」「みんなで力をあわせて」をルールとして重視していない人でも、プロジェクトメンバーの一人がマトモに働いていないようにみれば心配になるのは理解できることだ。

というのも、誰だってマトモに働かないメンバーのしりぬぐいなんてしたくはないだろうからだ。

 

そうした誤解や懸念を避けるためには、自分の進捗を明らかにしつつ、”やっている感”をメッセージとしてしっかり出しておくことには意味がある。

着任して間もない新しい職場や現場では、とりわけそうだろう。

 

なお、この”やっている感”アピールには悪用の余地がある。

本当はぜんぜん仕事が進んでいなくても、”やっている感”を上手にアピールできるなら上司やメンバーを騙せてしまうからだ。

がしかし、仕事がはかどっていないのにはかどっているふりをすると後で困ってしまうだけなので、一般には、嘘として”やっている感”をアピールするのはやめたほうが良いと思う。

 

こんな具合に、”やっている感”は、自分の仕事の進捗そのものには貢献しない。

しかし他のメンバーとの意思疎通や信頼関係にはしばしば貢献する。

そのような意思疎通のコスト、コミュニケーションのコストは少ないに越したことはないかもしれないが、だからといって、無視して構わないものでもあるまい。

 

「みんなで」というルールが多少なりとも残っている職場や現場で、この種のコミュニケーションコストをケチりすぎるのは、世渡りとして巧くないように思う。

どうかご注意を。

 

 

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【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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