最近は耳にする機会が少し減ったけれども、一時期、「ブラック企業」という言葉が流行したのを覚えているだろうか。

ブラック企業対策プロジェクト共同代表である今野晴貴さんによれば

「『ブラック企業』とは、若者を大量に採用し、過重労働・違法労働によって使い潰し、次々と離職に追い込む成長大企業」

のことを指すのだという。

 

ブラック企業という概念ができあがった後、対義語的な言葉としてホワイトな企業、ホワイトな勤務先といった言葉も見かけるようになった。

ここでいうホワイト企業とはブラック企業の対義語だから、法令をきちんと守り、過重労働を避けて従業員の福利厚生を大切にする、働きやすい企業をイメージすればだいたいあっているだろう。

 

ホワイトな職場、ホワイトな勤務先も想像しやすい。

法令が守られるだけでなく、肉体的・精神的ストレスが少なく離職者の出にくい勤務先。

皮肉抜きに”明るい職場”と呼べるような、笑顔、敬意、信頼、絆がしっかり成立しているような、そういう勤務先はホワイトと言って差し支えなさそうだ。

 

ホワイトな勤務先はホワイトな人間で構成されなければならない

多くの人は、ホワイトな勤務先はみんなが望むものであり、世の中の勤務先はすべて、ホワイトであるべき、と考えているだろう。

理解できる考えではある。

法令が守られるのはもちろん、肉体的・精神的ストレスは少なければ少ないほど良いだろうし、離職者がバタバタ出るような職場に比べて生活の見通しも立つというものだ。

私だって、なるべくホワイトな勤務先で働きたいと願っている。

 

その一方で、気になることもある。

ホワイトな勤務先とは、ホワイトな人間が大半を占めていてはじめて成立するもので、つまり、ホワイトな勤務先に勤めようと思ったら、自分自身もホワイトな人間でなければならないのではないか?

 

“明るい職場”、肉体的・精神的ストレスの少ない職場は、法令を守っているだけではたぶん成立しない。

みんなが笑顔で、敬意があって、信頼もあって、絆がしっかり成立するためには、怒った顔や泣いた顔が多すぎてはいけない。

 

いつも不愛想でコミュニケーション不全な人、いつも怒りっぽい人、いつも不機嫌な人がいたら、その職場はストレスの多い職場となってしまうのではないか。

もちろん、一時的にそうなってしまうことは誰にだってあるから、一時的な不愛想や不機嫌は許容されるだろうし、そうでなければホワイトな勤務先とはいいがたい。

 

だとしても、そのホワイトな勤務先がホワイトであり続けるためには、全体としては、不愛想や不機嫌は珍しいものでなければならない。

そして笑顔、敬意、信頼、絆が成立する程度には職員のそれぞれがコミュニケーション可能でなければならない。

 

と同時に、ホワイトな勤務先がホワイトであり続けるためには、大きな物音を立てない人間、騒がしくない人間、臭ったりしない人間が寄り集まらなければならないのではないか。

お互いに気持ち良く働ける勤務先・お互いに迷惑をかけない勤務先・お互いに業務に集中できる職場を実現するには、その勤務先のメンバーの行動や振る舞いが、ある種の模範に収まるものでなければならなくなる。

 

ホワイトな勤務先にふさわしいホワイトな人間が寄り集まった勤務先ができあがってしまえば、そこに勤める者は皆、より少ないストレスで、より快適で、より迷惑をかけられず、笑顔、敬意、信頼、絆に支えられて働くことができるし、そのような職場のほうがゆとりがあって望ましいと言える部分は間違いなくある。

そのような職場のほうがきっと現代的で、スムーズでスマートでもあろう。

 

だが、本当に良いことづくめだろうか。

勤務先がホワイトになればなるほど、そこに勤める者は皆、周囲にストレスをなるべく発散させない、周囲になるべく迷惑をかけない、笑顔、敬意、信頼、絆を成立させられるような人間でい続けなければならないのではないだろうか。

 

ホワイトな勤務先は、ホワイトな人間が大半を占めていなければ維持できないから、ホワイトになりきれない人間が増えると崩壊してしまう。

ホワイトな勤務先に勤めているホワイトな人間は当然そのことを知っているから、周囲にストレスをかけちゃいけない、迷惑もかけちゃいけない、笑顔、敬意、信頼、絆だと当然思うだろう。

しかし、そういったホワイトな振る舞いができなくなってしまった時、ホワイトな勤務先はどうにも居心地の悪い、「自分がここにいてはいけない」と思わざるを得ない場所に変貌してしまう。

 

考えてみていただきたい。

ホワイトな勤務先で自分だけが不愛想や不機嫌やディスコミュニケーションをまき散らしていたら、自責的な人はいたたまれない気持ちになろう。

また、他のホワイトな人々は「このままではホワイトな勤務先がブラックになってしまう!なんとかしなくては!」と対策を講じ始めるかもしれない。

その対策は、ある水準までは援助的なものかもしれないが、ある水準からは排他的なものかもしれない。

 

たくさんの人が静かに働いている整然としたオフィス、定時になると清潔な恰好の会社員が次々に帰宅しはじめるオフィスは、いかにもホワイトな勤務先とうつる。

冒頭で述べた「ブラック企業」に勤めている人からみれば垂涎の的でもあるだろう。

しかし、ホワイトな勤務先に勤め続けるためには、ホワイトな勤務先にふさわしい振る舞いが必要で、そうした振る舞いは、誰でも簡単に身に付けられるとは限らない。

 

ホワイトな勤務先はホワイトな人間で構成されなければならない

さて、ホワイトな勤務先を考えたついでに、”ホワイトな社会”について考えていただきたい。

さまざまな社会問題はあるにせよ、世界全体を基準としてみれば、日本は世界有数のホワイトな社会だ。

 

犯罪が少なく、清潔で、夜にコンビニに行くのもそれほど怖くなく、新宿駅や渋谷駅のような巨大ターミナル駅ですら交通秩序が保たれている。

新型コロナウイルス感染症にまつわる特別警戒警報が発令されたときの人々の行動を思い出しても、その秩序整然としたさまは世界のなかでも際立っていた。

 

では、このホワイトな社会はどのようにして成り立っているのか。

一因として、”ブラックな部分のアウトソース”という問題を意識すべきしれない。

ちょうど、ある種のホワイトな勤務先がブラックな仕事をアウトソースするように、ホワイトな社会がブラックな仕事をどこかに(国内に?海外に?)アウトソースすることで成り立っている、という振り返りはあっても良いように思う。

 

だが、それだけとも思えない。

そもそも街を行き交う人々のうちに犯罪をおかす人が少なく、不清潔な人も少なく、不信感や威圧感をまき散らす人も少ないからこそ、日本のほとんどのエリアはホワイトな社会としての体裁を保っているのではないだろうか。

 

拙著『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』のなかで、私は日本社会のホワイトについてこんな風に記した。

令和時代の日本社会の秩序と美しい街並み、そして私たちの非│暴力的、かつ清潔志向で無臭志向な生活習慣は、お互いに迷惑をかけず、お互いに自由かつ快適に生活できるよう最適化されている。しかし、お互いに迷惑をかけないこと、お互いが自由に快適に暮らすことがあまりにも徹底された結果、この美しい街並みのなかでは、臭う者・不安感を与える者・威圧感を与える者は、ただそれだけで他人の自由で快適な暮らしを脅かしかねない存在、不安をもたらす存在として浮き上がってしまう。

…清潔で臭わないことも重要だ。不清潔で臭ければ不審の念を抱かせ、周囲に不安を与えてしまう。もちろん女性とて例外ではなく、悪臭がぷんぷんする女性、不安や威圧感を与える外観や挙動の女性は街の秩序から浮き上がってしまう。

これらに加えて、過剰な感情表現もホワイトな日本社会では慎まなければならない。

令和時代の日本社会は、昭和時代のソレに比べて安全で清潔で穏やかだが、そのぶん、個々人には秩序にふさわしい行儀の良さ、他人の迷惑とならない振る舞いが求められている──たとえば新幹線や特急列車のなかで大声で談話するのは昭和時代には珍しくもなく、許容されてもいた。

ところが令和時代にそうする人は少なく、やろうものなら眉をしかめられてしまう。

 

こんな具合に、令和時代の秩序にふさわしい行儀の良さや振舞いができない人は、たちまちホワイトな社会の秩序から浮き上がってしまい、敬遠されてしまう。

社会がホワイトになっていくということは、私たち一人ひとりがホワイトにならなければならない、ということと表裏一体だ。

もちろんホワイトな社会についていけない人のなかには、マイノリティや障害者として理解や支援が得られる人もいるだろう。

だが、誰もが理解や支援が得られるとは限らないし、理解や支援が広がりさえすればノープロブレム、というものでもあるまい。

 

ホワイトな社会についていけますか。ついていけない人にどう接しますか。

社会がどんどんホワイトになり、そのホワイトな社会にふさわしくあるよう人々が漂白されていった結果として、より多くの人が社会についていけなくなり、より多くの人が理解や支援を得なければならないとしたら、それはいったい誰のための社会で、誰にとって幸福な社会なのだろうか。

 

ホワイトな社会の命ずるままに生きていける人にとって、こうした社会の漂白は大した問題ではないかもしれない。

それこそ、パリッとしたワイシャツとスラックスに身を固め、規則正しく出社し、穏やかな表情をうかべて働くのが苦にもならない人にとって、社会はホワイトであればあるほど良いに決まっている。

そういう人が、社会も人間もホワイトであればあるほど良い、というのはよくわかる話ではある。

 

しかし、ホワイトな社会のとおりに生きられるか生きられないかのギリギリのラインで生きている人、本当はホワイトな社会のとおりに生きづらいのだけど、理解や支援も得られないまま背伸びして生きている人にとって、どんどんホワイトに漂白されていく社会は脅威そのものだ。

ひょっとしたらあなたのデスクの向いで働いている人も、案外その一人かもしれないのだ。

 

私はホワイトな社会についていく自信があまり無いから、そういうことが気になる。

あなたはホワイトな社会についていけますか。

ついていけない人にどう接しますか。

 

 

 

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【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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Photo by Marten Newhall on Unsplash