もう四半世紀も前の話だが、新卒で入社した昔の証券会社というものは、なかなかバイオレンスでカオスな職場だった。

 

フロアでは常にどこかの課長や部長が大声で部下を威圧し、いい年をしたオジサンが小さくなって立たされている。

実現不可能にも思えるノルマは当たり前で、早出やサビ残も当然だ。

 

ふと横を見れば、大損をさせた顧客からの電話を手に、先輩社員が1時間も平身低頭に謝っている。

マーケットが歴史的な暴落を記録した日には、顧客からの電話や来訪を恐れ多くの営業パーソンが社外に逃げ散った。

 

令和の今では想像もつかないかもしれないが、平成のはじめ頃には大手証券会社でも、こんなカオスな空気感溢れる職場が存在していた。

 

そんな中、新入社員で入った私にも当然のことながら、なかなか厳しい追い込みがかけられた。

上司から「高額納税者リスト」と「経営者リスト」を渡され、

「上から順番に電話しろ。1日100件な。」

などと命じられる。

 

当然のことながら、100件のうち99件は

「仕事中に電話してくんな!」

「ええかげんにしろ!何回断ればわかるねん!」

と怒られるだけの厳しい洗礼が待ち構えている。

 

DM(ダイレクトメール)も毎日、「手書きで心を込めて宛名を書く」ことを求められ、同様に100通くらい書いていたのではないだろうか。

もちろんそれとは別に、毎日の飛び込み営業や「名刺集め」のノルマもあった。

 

要するに毎日、営業という名の迷惑行為を撒き散らし、手書きのゴミを量産し、ストレスを溜め精神をすり減らす「仕事」に従事していたということだ。

 

そんなストレスフルな仕事をしていると、当然のことながらなんとかして、効率よく数字を上げたいと思うようになる。

そしてある日、上司に対し意見具申をすることがあった。

「高額納税者リストですが、先輩が使っているものと同じなので高確率で電話が被ります。ページなどで分担を調整して効率的に進めてもいいd・・・」

「つまんねえこと考えんな!黙って言った通りにやれよ!!」

まさに秒で怒鳴られ、頭を分厚いドンコ(顧客台帳)でぶん殴られてしまった。

 

「DMですが、手書きの効果が感じられません。ラベル印刷で1000通出したほうが・・・」

「黙って仕事しろって言ってんだろが!!」

もう一発、ドンコ両手持ちで頭を殴られてしまった。

※そういう時代です。今はありえませんのでご安心下さい(多分)。

 

証券会社時代にはいろいろ思い出深いことがあるが、それにしてもこれは本当に強烈な出来事だった。

 

そしてそれから、10年も20年も考え続けてきたことがある。

「あの担当部長は、私に何をさせたかったんだろう」と。

 

どう考えても、若い社員を育てる方法として暴力的な威圧が有効と思えない。

数字を挙げさせるという目的からも、全く合理性がない指導方法だ。

怒鳴り上げるだけならまだしも、いい大人が部下を物理的にぶん殴るとは、なかなかの狂気ですらある。

しかしそれが彼の指導スタイルで、常に半ギレで怒鳴り散らしては部下に恐れられていた。

 

数字と教育に責任を持つ立場でありながらなぜ、成果に繋がるどころか、逆効果にしかならない指導を繰り返していたのだろう。

そんなことを考え続け、当時の上司と近い年齢になりやっと、少しばかり理解できてきたことがある。

 

「自分が正しい」から自由になってみよう

話は変わるが、私は今、Webメディアの編集を仕事にしている。

取り扱っている原稿は金融、自然科学、HR、環境、経営全般、エンターテイメント・・・と幅広く、当然のことながら書いて頂くライターは皆、その道の専門家ばかりだ。

 

卓越した知見や経験をお持ちなことはもちろん、原稿とは結局のところ、接客業のように読者を想い、奉仕の心あってこそという基本を抑えているプロばかりである。

そのような一流のライターが書くコラムは、実用的であるだけでなく時にウイットにも溢れ、長文でも読み進めることが全くストレスにならない。

 

そんなある日、あるライターが納めてくれた原稿に以下のような記述があった。

「2001年1月3日のことです。その日は・・・」

 

出版業や、公的な文章を日常的に書くことを仕事にしている人であれば違和感は無いと思うが、おそらくほとんどの人には気持ち悪い表記に思えるのではないだろうか。

全角と半角の数字が混在しており、ぱっと見には違和感しかない。

 

恥ずかしながらこの原稿を受け取った当時、私も

「全角と半角を混在させるって、意外にこのライターさんいい加減な人なんだな・・・。」

と考えてしまった。

 

しかしこのライターは、とても几帳面な人だ。

ケアレスミスと考えることもできるが、なんらかの意図があって使い分けているのかも知れない。

そのため編集作業を中止し、すぐにライターさんに問い合わせお聞きすることにした。

 

「原稿の中に、全角と半角の数字が混在しているようです。これは何らかの意図があって使い分けていらっしゃるのですか?」

「失礼しました。出版物や論文を書く時は、『1桁の数字は全角。2桁以上の数字は半角。』というルールがあるんです。Webメディアでもそうだと思い、そのルールに従ってしまいました。」

「そうだったんですね。恥ずかしながら初めて知りました。Webメディアでは正直、この辺りのルールが確立されているとは言えません。とりあえずこのままで行きましょう。」

 

何気ないやり取りに思えるかも知れないが、この出来事は編集者としての私の原点の一つであり、守り続けるべき価値観を決定づけた印象深い出来事になった。

それはなぜか。

 

このやり取りは、私自身がライターさんに対し深い敬意を持っていなければなし得ないコミュニケーションだからだ。

どうみてもおかしいし、相手が間違っているに決まっていると思えることでも、相手に対し深い敬意があれば、

「間違っているのは自分かもしれない」

という発想に、常に立ち戻れる。

そしてこの発想をもち続け仕事をしている限り、思い込みから自由になることができ、得をすることはあっても損をすることなどほとんどない。

 

その後、実際に「1桁の数字は全角。2桁以上の数字は半角。」というルールで書かれた原稿をそのままクライアントに納めることもあったが、多くの場合、修正リクエストとして返ってきた。

時には「数字の統一性がありません。ちゃんと校閲して下さい。」という趣旨のお叱りを受けたこともある。

 

しかし数字の使い分けの意図をご説明すると、

「そんなルールがあるんですね、知りませんでした・・・」

と、驚かれることが多かった。

そのたびに、自分にとっての常識を疑うことはこれほど難しいことなのだと、思いを新たにしている。

 

後付けで得た気付きだが、メディア編集長の仕事に一番大事な素養とは何かと聞かれたら、

「書き手の知見や教養に対する深い敬意を、自然体で持てること」

だと答えるだろう。

 

言い換えればこれは、

「自分ひとりの力など本当にちっぽけであり、人の助けを借りないとまともな仕事など絶対にできない」

ということでもある。

 

メディカル系の原稿執筆の依頼があれば、医師や看護師のお力添えなしには、まともなコラムなどとても書けない。

法律解説の依頼が入れば弁護士でなければ執筆などできるものではないし、雇用問題の解説記事の相談があれば社労士ライターに頭を下げてミーティングの予約を入れる。

こんな毎日を送っていれば、当然のことながら自分が周囲の人に生かして頂いていることを肌感覚で痛感させられる。

 

引用するのもおこがましいが、19世紀のアメリカの大富豪にして鉄鋼王と呼ばれたアンドリュー・カーネギーは、自分の墓碑に、以下のような文字を刻むよう遺言してこの世を去った。

Here lies a man who was able to surround himself with men far cleverer than himself.

(己より遥かに優れし人物を集める術を心得しもの、ここに眠る)

米国史上2番目の大富豪と呼ばれ歴史に名を残す偉人ですら、人の助けなしには自分など取るに足りない存在であると理解していたということだ。

まして凡人以下の私など、人に頭を下げ、その得意分野や経験・知見を知り尽くし、お力をお借りしなければ、1本の原稿すら仕上げることができない。

 

言い換えれば、相手の人生、経験・知見に深い敬意と誠実な興味を寄せ、その力を活用させて頂くことでなんとか生きているということである。

そしてこれができない限り、多くのタレントに力を貸して頂ける編集者、すなわちディレクターになど、絶対になれない。

 

大声で怒鳴り散らす”ヒステリックおじさん”の正体

そして冒頭の、「ヒステリックおじさん」についてだ。

もしかして彼は、誰かに対し心からの敬意をもって共に仕事を作り上げたことも、誰かからの敬意を得て仕事をした経験も持ち合わせないまま、組織のリーダーになってしまったのではないだろうか。

 

人の力を借りるという行為は、その人が人生をかけて積み上げてきた知見と経験をお借りする行為に他ならない。

そしてその強さと弱さを知り尽くし、適材適所の仕事をアサインし、組織のパフォーマンスを最大化することが、リーダーの仕事である。

であるならば、相手が新入社員であれベテラン社員であれ、その人生、経験・知見に深い敬意と誠実な興味を寄せることが、リーダーが為すべき最初の仕事であるはずだ。

 

そのような経験と教訓を肌感覚で学習しないまま組織を任されてしまうとどうなるか。

「恐怖を与えれば人は動く」

などという、恐ろしく頭の悪い結論に行き着き、大声を上げてドンコを振り回す、定年間際のオッサンが出来上がってしまうだろう。

 

断言できるが、恐怖を与えても人のパフォーマンスは絶対に最大化しない。

物理的な暴力だけでなく、精神的に追い詰めるような心の暴力も同様である。

しかし令和の時代になってもまだまだ、この前近代的な「恐怖で人を動かすオジサン」は、ブラック企業と呼ばれる会社とともに絶滅する気配がない。残念なことだ。

 

もし僅かでも、そんな立ち居振る舞いに心当たりがあるのであれば、ぜひ思い返して欲しい。

暴力的なリーダーの下で繁栄を長らえた国や組織が過去に存在したのかどうか。

恐怖で組織を治めようとしたリーダーの話に、共感したことがあるのかどうか。

 

歴史の教科書などでそのような話を聞くたびに「バカなリーダーだなあ」と、思ったのではないだろうか。

そして部下は、そんな上司のことを間違いなく「バカなリーダーだなあ」と思っている。

 

 

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【プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

昔、オーストラリアの安宿で寝ていたところ、オバケに追いかけられる悪夢で目を覚ましました。

だるい気分で起き上がり冷蔵庫を開けると、突然耳元で「夢じゃないぞ!」と言われ、思わず叫び声を上げてしまい、そこで本当に目が覚めました。

劇中劇ならぬ夢中夢とは、オーストラリアのオバケって手の込んだドッキリが好きなようです。

twitter@momono_tinect

fecebook桃野泰徳

 

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