オカルトの時代

「オカルト」と呼ばれるものがある。

超能力、超常現象、偽史、陰謀論、宇宙人……挙げていけばきりがない。

いま四十代のおれが思い出すに、小学校にだれかが心霊写真の本を持ってきては、皆でもりあがったものだ。

まだデジカメもインターネットもなかった時代、テレビでもそんな番組はたくさんあった。

 

転機になったのはオウム真理教が引き起こしたテロであろう。

それ以後、テレビから心霊番組や超常現象ものが減ったように思える。

今ではほとんどなくなったような気がする。

「思える」、「気がする」というのは、べつに昔と今のテレビ欄をきちんと調査・比較したわけじゃないからだ。

だが、まあ同世代の人なら納得できるんじゃないかな、と思う。

 

とはいえ、この社会からオカルトが消えたのか?

ぜんぜん消えていない。いや、雑誌『ムー』や東スポがある、と言いたいわけじゃない。

インターネットという媒体によって、昔のテレビ局よりもダイレクトにオカルト情報が発信されているということだ。

 

たとえば、この間のアメリカ大統領選挙。

熱烈なトランプ支持派は、確実にオカルトと呼ばれる領域に足を突っ込んでいた。

足を突っ込んでいるどころか、頭までズッポリはまり込んでいた。そういう人たちもいた。

 

おれは物好きなので、ちょっとそういう人たちのブログを読んだり、動画配信などを見てみた。

もちろん、「変なやつを見てやろう」という心持ちでだ。

 

が、自分でも少し驚いたが、ちょっと面白いのだ。

もちろん、彼らの言ってることは荒唐無稽だ。

自分の理性も「アウト、アウト、アウト」と判断する。

 

でも、世界規模の偽史や陰謀論を本気で語るそれは、たしかに面白かった。

小学生のころ、心霊写真本にドキドキした思いが、ちょっとだけよみがえったかのようだった。

 

オカルトの魅力

これは、やばいなと思った。

おれはたまたま「面白い」と思うだけで済んだ。

だが、もっと純心な人、人の言うことを信じやすい人、たまたまその怪電波と波長が合ってしまった人は、がっつり向こう側に行ってしまうのではないかとすら思った。

 

これを危惧する意見がある。

面白半分にオウムを扱った挙げ句、あのようなテロを引き起こしてしまったことを思い出せ、と。

すなわち、いかに荒唐無稽で、大多数の人が鼻で笑うような話も、きちんと一つ一つ潰していくべきだと。

 

それには一理ある。二理も三理もある。

そう思う。

そう思う一方で、それがうまくいくのかどうかという気持ちもどこかにある。

 

一つには、インターネットというあまりに広大な擬似空間に、あまりに大勢の人間がいて、それぞれに膨大な量の情報を発信しているということだ。

もちろん、核となるオカルト信奉者、教祖的な人間もいるだろう。

しかし、その気になれば、このおれだって怪電波を発してみることはできてしまうのだ。

ひょっとして、それを信じてしまう人が一定数でてくるかもしれない。

 

ファクトの限界

もちろん、ファクトを突きつけて、「これこれこういう理由でその情報は誤りであり、信じることは危険だ」と警鐘を鳴らすことは大切だ。

あるいは、たんにみんなで馬鹿にするだけでもいいだろう。

「なんだ、こんなに馬鹿にされることなのか」と気づく人もいるはずだから。

 

しかし、それで虱潰しにはできない。

みんなで馬鹿にすることによって逆方向に思考が凝り固まってしまう人もいるかもしれない。

ファクトチェックや洗脳を解くことは大切だが、日々、情報が爆発している現代では、もぐらたたきにも限りがある。

 

では、教育の段階でひたすらにオカルト否定を叩き込めばいいのか。

それも一つの手だろうし、メディアリテラシー教育というものも実際におこなわれているはずだ。

それで、一人ひとりをガチガチの反オカルト人間に仕上げる。

 

とはいえ、それはそれでやばそうだ、というのがおれの言いたいことだ。

ガチガチな反オカルトであるからこそ、一歩間違えたら反転してしまう危険性もあるんじゃないのか、ということだ。

 

またオウムの例を出すが、あの教団には多くのエリート層がいた。

理系エリートも少なくなかった。

「なぜそんなに頭のいい人が、あんなインチキに騙されたのだろう」というくらいのものだ。

そこに、現代資本主義社会に馴染めない人の居場所がほかになかった、という社会的、伝統宗教界からの反省があってもいいだろう。

 

人間の限界

その一方で、もっと即物的な呪術があったとも考えられる。

どんなにIQが高く、幅広い社会の知識持ち、科学的な思考ができる、道徳心を備えた人間であっても、それが人間である以上、幻覚剤を盛られたら幻覚を見てしまう。

神秘体験をしてしまう。

それはもう生理的なものだ。

睡眠薬を飲まされたら眠くなってしまう、そんなのと同じ話だ。

 

これがまずい。

自分から進んで幻覚剤体験をしていた人ならば、「ああこれは幻覚剤だな」とわかるかもしれないが、まあほとんどの日本人は幻覚剤なんて手を出さない。

 

真面目なエリートほど手を出さない。

知識にはあるかもしれないが、現に圧倒的な体験をしてしまったらどうなるだろう。

それこそ、ガチガチに固めていた自分のあり方が、ガラスを割るように砕け散るかもしれない。

そんな人間をオカルト側に誘い込むのは、たぶん簡単なことだ。

 

あるいは、おれのように頭のそんなに良くない人間などは、初級の手品を見せられて、超能力を信じてしまうかもしれない。

おれの頭の良さランキングは知らないが、わりと人間は、人間の脳は騙されやすいものだと思う。

 

というか、人間が人間を騙す、その技法も長い長い年月をかけて、やはり進歩しつづけてきたものに違いないからだ。

なかには古典的な技もあるだろうし、最新の知見を利用したものもあるだろう。

 

オカルトへの誘いは、誘う側が全くそれに染まってしまった、彼らにとって使命感を持ったものもあれば、金銭などを目的とした詐欺的なものもあるだろう。

いずれにせよ、厄介なものには違いない。

 

どうオカルトに対抗するべきか

じゃあどうすりゃいいんだ。

それはもう、物事に対してしなやかに構えることしかないだろう。おれはそう思う。

以前書いたことがあるが、ネガティヴ・ケイパビリティと呼んでもいいだろうか。

 

圧倒的な幻覚を見た。

それでも、「ああ、こういうこともあるんですね。だからといってあなたのことを信じるかどうかは保留します」。

そんな姿勢。

 

会社からの帰り道、UFOでリトルグレイにさらわれて、今まさに解剖されようとしていても、「まあ、宇宙は広いらしいから、宇宙人がいてもおかしくないかな、わかんないけど」と思える余裕。

……いや、さすがにそれは逃げ出せ。

 

いやいや、そういう状態でも「あ、これはおれの脳がおかしいのだ。

来週の火曜日、精神科の予約をしよう」と……でも、UFOにさらわれたら、さすがに逃げたほうがいいかな。

しかし、きみはUFOから逃げ出せるのか?

 

まあともかく、なんというのだろうか、自分や自分の脳なんてものは簡単に騙される欠陥品なのだから、体験なんてものにいちいち動じないようにしよう、ということだ。

自分の認識力の限度、動物として幻覚剤などに影響されてしまう性質、そんなところをわからせるべきだ。

 

世の中には、ファシズムの危険性を教育するために、実際にファシズムの「魅力的な」体験をさせる授業などもあるらしいし、小学校でも東スポを使った教育をしてもいいだろう。

いや、ちょっと刺激的な記事があるのでよくないか。

まあいい、ある程度の免疫をつけておくことも必要なんじゃないのか、ってな話だ。

 

むろん、そこに危険があるのはわかる。

わかるが、自分が自分をそんなに信用しないこと、これは必要な考え方じゃないだろうか。

ゼロ・トレランスでは対応しきれないところがある。

それが人間とオカルトの関係ではないか。

 

あらためて言えば、オカルトには魅力がある。

人をひきつけてやまないところがある。

 

超能力がないより、あったほうがおもしろい。

超常現象が起こったほうが面白い。

この世を陰から支配する秘密組織があったほうがおもしろい。

 

それは、もう、仕方ないことだ。

いったいどれだけのフィクション作品が、そういった題材を扱っているのか、考えるまでもないことだろう。

 

そのおもしろさに対抗するのは、本当に簡単な話じゃない。

そして、それを本当に信じている人間の真剣さ、あるいはそれを利用して人を騙そうとする人間の狡猾さ。

厄介にもほどがあるというものだ。

 

ゴムの矢

だから、カチカチに固く凝り固まった知性ではやばい。

毛利三本の矢、一本の矢なら折れる。

だが、すごい力持ちなら三本の矢でもへし折ることができる。

 

しかし、矢がゴムかなにかでできていたらどうだろうか。

ぐいっと力を入れられても、ぐにゃっとなって折れることはない。

そんな矢が矢として役に立つかどうかしらないが、そういうしなやかさが必要なんじゃないのか。

 

さて、それがゼロ・トレランス的なアンチ・オカルティズムの考え方、あるいは教育に対して有効かどうかわからない。

もしかしたら、そういう発想を子供たちに持たせるほうが難しい話かもしれない。

 

でも、みんなそんなに現実に直面して、『ムー』や東スポの一面に嫌悪感を抱くほどの知性や強力な倫理観に満ち溢れた人間になれるだろうか。

おれはそう疑問に思う。

 

人間、どこかしら、オカルトの摩訶不思議さにうさんくささに惹かれてしまう、ちょっと愚かな存在じゃないのか。

そのくらいの存在にすぎないじゃないのか。

だったら、それを認めてしまおう。

 

自分自身も信じるなよ

むろん、オカルト、カルトが巻き起こしてきたテロリズムは数多くある。

社会的問題もたくさんある。

 

しかし、だからこそ、人間はときにそういうものに入り込んでしまう愚かさもある。

その愚かさ、脆さを学び、受け入れること。

それによってしなやかな知性を身につけること、それが重要なんじゃないかな。

 

理想論かもしれない。

けど、人間がみんなオカルトに騙されない知性と見識を持つというのも理想論だよな。違うだろうか。

おれはそこまで人間の「正しさ」を信じきれない。

だから、人間は人間を信じるなよ、自分自身の知識も体験も信じるなよ、と考える。

 

しなやかな知性を、しなやかな考え方で世界に対峙しよう。

強いなんかにぶち当たっても、ぐにゃっと曲がって、ケロッともとの形に戻ってしまおう。

 

それによって、オカルトばかりじゃない、人を騙そうとしている詐欺やなにかから身を守ることができるかもしれない。

札束を目の前にしても、「いやいや、べつに」と思う。そんな心構えができたらいい。

そんなに世の中、いい話は転がっていないし、あなたの前に特別に現れるものではない。

そんな具合でいいんじゃないのか。

 

とはいえ、世の中、ひょっとしたらうまい話が転がっているかもしれない。

「あのとき、トカゲ型宇宙人から『世界の半分を支配させてやろう』と言われたが、おまえの考え方を信じて、そのチャンスを失ってしまった!」と抗議されるかもしれない。

でもまあ、トカゲ型宇宙人の言うことと、おれの言うこと、どっちを信じたほうが正しいか……勝手に決めてくれよな。

 

 

【お知らせ】
ティネクト(Books&Apps運営会社)提供オンラインラジオ第6回目のお知らせ。


<本音オンラインラジオ MASSYS’S BAR>

第6回 地方創生×事業再生

再生現場のリアルから見えた、“経営企画”の本質とは

【日時】 2025年7月30日(水曜日)19:00–21:00
【ご視聴方法】
ティネクト本音オンラインラジオ会員登録ページよりご登録ください。ご登録後に視聴リンクをお送りいたします。
当日はzoomによる動画視聴もしくは音声のみでも楽しめる内容となっております。

【今回のトーク概要】
  • 0. オープニング(5分)
    自己紹介とテーマ提示:「地方創生 × 事業再生」=「実行できる経営企画」
  • 1. 事業再生の現場から(20分)
    保育事業再生のリアル/行政交渉/人材難/資金繰り/制度整備の具体例
  • 2. 地方創生と事業再生(10分)
    再生支援は地方創生の基礎。経営の“仕組み”の欠如が疲弊を生む
  • 3. 一般論としての「経営企画」とは(5分)
    経営戦略・KPI設計・IRなど中小企業とのギャップを解説
  • 4. 中小企業における経営企画の翻訳(10分)
    「当たり前を実行可能な形に翻訳する」方法論
  • 5. 経営企画の三原則(5分)
    数字を見える化/仕組みで回す/翻訳して実行する
  • 6. まとめ(5分)
    経営企画は中小企業の“未来をつくる技術”

【ゲスト】
鍵政 達也(かぎまさ たつや)氏
ExePro Partner代表 経営コンサルタント
兵庫県神戸市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。3児の父。
高校三年生まで「理系」として過ごすも、自身の理系としての将来に魅力を感じなくなり、好きだった数学で受験が可能な経済学部に進学。大学生活では飲食業のアルバイトで「商売」の面白さに気付き調理師免許を取得するまでのめり込む。
卒業後、株式会社船井総合研究所にて中小企業の経営コンサルティング業務(メインクライアントは飲食業、保育サービス業など)に従事。日本全国への出張や上海子会社でのプロジェクトマネジメントなど1年で休みが数日という日々を過ごす。
株式会社日本総合研究所(三井住友FG)に転職し、スタートアップ支援、新規事業開発支援、業務改革支援、ビジネスデューデリジェンスなどの中堅~大企業向けコンサルティング業務に従事。
その後、事業承継・再生案件において保育所運営会社の代表取締役に就任し、事業再生を行う。賞与未払いの倒産寸前の状況から4年で売上2倍・黒字化を達成。
現在は、再建企業の取締役として経営企画業務を担当する傍ら、経営コンサルタント×経営者の経験を活かして、経営の「見える化」と「やるべきごとの言語化」と実行の伴走支援を行うコンサルタントとして活動している。

【パーソナリティ】
倉増 京平(くらまし きょうへい)
ティネクト株式会社 取締役 / 株式会社ライフ&ワーク 代表取締役 / 一般社団法人インディペンデント・プロデューサーズ・ギルド 代表理事
顧客企業のデジタル領域におけるマーケティングサポートを長く手掛ける。新たなビジネスモデルの創出と事業展開に注力し、コンテンツマーケティングの分野で深い知見と経験を積む。
コロナ以降、地方企業のマーケティング支援を数多く手掛け、デジタル・トランスフォーメーションを促進する役割を果たす。2023年以降、生成AIをマーケティングの現場で実践的に活用する機会を増やし、AIとマーケティングの融合による新たな価値創造に挑戦している。
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(2025/7/14更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

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