最近「生き残った種って、その他の淘汰されてしまった種と何が違ったんだろう?」という疑問が膨らみ、進化の本を読んでいた。

今日はそこから得た学びを共有しようかと思う。

 

進化は地味~な作業の積み重ね

みなさんは進化と聞いて、どのようなイメージを思い浮かべるだろうか?

 

僕は子供の頃にやったポケットモンスターの影響なのか、進化と聞くと個体が急激に成長し優秀になるという印象が強かったのだが、つい先日”人体600万年史:科学が明かす進化・健康・疾病”という本を読んでその認識を改めた。

<参考 人体600万年史:科学が明かす進化・健康・疾病 | ダニエル・E・ リーバーマン>

 

ハーバード大学教授のダニエル・E・ リーバーマンいわく、進化とは”時間を経ての変化”。ただそれだけの事だという。

 

私達は繁殖を行い子供を成す生き物だが、その過程で子供を残せる個体と子供を残せない個体に必然的に別れてしまう。

こうなると子供を残せない個体の形質は後世に引き継がれない。

 

この流れが積み重なっていった結果、結果として最後に積み重なって残った形質の事を私達は進化と呼ぶ。

進化は漫画のように突然超能力に目覚めて超人類になったりするような派手なものではなく、どちらかというと物凄く地味~な作業の積み重ねなのである。

 

そういう意味では私達人間も未だにゆっくりとではあるが進化し続けている。

目に見えるような大きな違いはあまり実感できないが、それは自然状態では進化が何千、何万年もかけて行われるゆっくりしたものだからである。

 

今も起きている一つの進化の事例としては、興味深い事に私達人間の脳はどんどん軽くなっているのだという。

これは何も私達が堕落した文明のせいで退化していっているというわけではなく、純粋に以前の生活と比較して、あまり群れなくなったなど頭の使い方が色々な意味で変わったからだろう。

 

小型脳は今のところは大きな形質の違いとしては現れていなさそうだけど、後の世では結構大きな違いとなるのかもしれない。

 

優秀さは進化に必ずしも結びつかない

またリーバーマンは多くの人が”優秀な個体が進化する”のだと誤解しているとも本の中で指摘してる。

 

進化に有利なのは子供を一人でも多く残せるか否かだけだ。

個としての優秀さは必ずしもそれに結びつくわけではない。

 

どんなに優秀でも子供を残せない個体の形質は引き継がれないのだから、言われてみれば当然の話ではある。

だけど改めて指摘されると、確かに自分も優秀な個体が生き残って進化するものだと誤解していた。

 

優秀だからといって自然選択を勝ち抜けるわけではない。

自分の知り合いにも超絶優秀だが子を持たない、あるいは1人しか育てないという人間は何人もいるが、確率論的には彼・彼女らの形質は確かにどこかで途絶えそうではある。

 

むしろあまり難しい事を考えずに一人でも多くの子供を育てた方が後の世には繋がる可能性は高いわけで、そういう意味では私達は優秀さでは二番煎じな個体の子孫だからこそ、いま生き延びている可能性もあるというわけだ。

 

ヒトが多種族を圧倒できたのは子沢山だったからかもしれない

先ほど、進化という観点でみれば優秀さは必ずしも生存競争に有利に働くとは限らないと書いたが、実はこれは我々ホモ・サピエンスにも作用した可能性があるらしい。

 

かつて我々と競合関係にあったネアンデルタール人などの他のヒト種族の化石を分析すると、どうも筋力や知能などが部分的にはホモ・サピエンスよりも優れていた可能性が高いという。

<参考 絶滅の人類史>

 

能力の高低は確かに一時的には生物としての優劣を決める。

ホモ・サピエンスも他種族よりもロースペで色々と苦労したのかもしれない。

 

しかし種として勝つのは長い目でみれば優秀な個体ではなく生き残った個体だ。

ホモ・サピエンスが他のヒト種族を全て絶滅へと追いやったのは生き残り続けたからだという圧倒的事実こそ、まさしく勝負の本質である。

 

 

こう、数の暴力だけで自分たちよりも優秀な個体が圧倒された可能性もあるのだとすると、改めて生き残る事の大切さを実感してしまわないだろうか?

 

短期的には確かに能力差は人に優劣をつける。

けれど結局はどんなに優秀であれ途中でドロップアウトしてしまったら負けだし、生き残れれば勝ちだ。

 

能力の優劣を推し量るのは進化や繁栄の流れからみれば、ほんの些細な問題でしか無い。

私達は個人としての能力の高低をとても気にする傾向があるが、そういう人は発想を変え、まずは自分がラクに生き残れるような生存戦略を模索すべきだろう。

 

なにも無理してハイスペになる必要はないのである。

生き残れればどんな形であろうがあなたの勝ちなのだから、息を吸っていて気持ちの良い環境を探し出す事が何よりも大切なのである。

 

生き残る才能だけは、間違いなく誰だって持っている

貴方も私も、そういう風にして最後まで立ち続けた個体の生き残りである。

私達のご先祖様だって、きっと色々な意味で波乱万丈な人生だっただろうし、順風満帆なだけの人生だったわけではないだろう。

 

それでも貴方も私も今ここでスクリーン越しに生き残ってここまでやってこれた。

数億年の時の洗礼を勝ち抜いているのだから、私達は苦境を生き抜いた個体の形質が必ずある。

 

私達は勝ち残った個体の子孫だ。

必ずしも優秀ではないかもしれないけど、それでも生き残った個体である。

その事をまずは誇りに思おう。

 

そして人間が社会的な生き物である事だという事を考えるにだ。

私達は自分だけではなく、大切な誰かを生き残らせる事に関してもある程度の才能を持っているはずである。

 

続いて大切な誰かを支える為の技術である存在の肯定について書いていこう。

 

話を聞くコツは相手の存在を全力で肯定するという目的意識を持つ事

かつて何かの本で「黙って人の話を聞くことほど難しい事はない」と書かれていたのを読んで妙に納得してしまった事があるが、話をただ聞き続けるという事は本当に難しい。

 

この難しさが何に起因するか長い間考えていたのだけれど、突き詰めて言えば目的意識の曖昧さにあると思う。

人は無目的に他人の話を聞き続けられるようにはできていない。

だから「黙って話が聞けない」のである。

 

これは僕が男性だからなのかもしれないけれど、どうも人の悩み話を聞くと「有益なアドバイスをしよう」という目的意識でもって相手の話を聞いてしまう。

しかし経験上、この手のアドバイスが喜ばれた事はまずない。

 

つまり、相手の話を聞くにあたって「有益なアドバイスをしよう」という目的意識を持つ事は間違いなのである。

では何が正解なのか?

それは存在の肯定である。

 

実は自分の話を黙ってじっと聞いてくれるという行為を通じて相手が何を感じ取っているかというと、自分がそこにいて話していても相手から受け入れてもらえてるという現実である。

 

みんな色々と不安なのだ。

自分がここにいていいのか。自分のやっている事が本当に正しいのか。

話を聞いてもらえる、受け入れてもらえるという事実はその不安を最大限に和らげる。

 

だから途中で助言などして口を挟むのはナンセンスだ。

受け入れられている実感が途絶えてしまう。

「有益なアドバイス」が嫌われるのは、受け入れられているのかがよくわからなくなり、不安が増してしまうからに他ならないのである。

 

悩んでいる人が目の前にいたらとにかく相手の存在を全力で肯定し続けてみよう。

人はたったそれだけの事で随分不安が和らぐ。

そしてその行為は妙案の1000倍ぐらい精神安定剤として効き、相手にめっちゃ感謝される。

 

気がついた人もいるかもしれないけれど、これが共感というものの正体である。

共感とは正しいとか間違ってるとかそういうロジックの外側にあるもので、そういうのを超越して相手の存在を全力で肯定し続ける行為に他ならない。

 

かつての僕が共感が苦手だったのはその言葉が指し示す目的意識が酷く曖昧だったからだけど、今の僕はほんのちょっとそれができるようになってきた。

 

共感が酷く苦手な人は「とにかく相手の存在を全力で肯定し続ける」という目的意識でもって悩んでいる相手の話を聞いてみてはいかがだろうか?

たぶん、ちょっとだけ前よりやりやすくなるはずである。

 

この不確かな世の中でトドメを刺されない為にも…

この世はひどく不確かなものであり、みなある種の不安を抱えて生きている。

 

そういう世の中で相手の存在を純粋に肯定できる人間というのはとても強い。

私達は自己肯定感を自家醸造できるようにはできていないから、誰かに共感的態度を示せる人というのには単純な仕事における生産性を超えた強みを持つともいえる。

 

有能さを求められての人間関係というのはある意味ではとてもビジネスライクな関係だ。

時にそれが気持ち良い事もあるけれど、生存という意味では無能になれば冷徹に切られてしまうという事とも同義である。

 

一方であなたの事が好きだとか、恩義を感じてくれているという関係性にはそういう冷徹さはない。

もちろん限度はあるけれど、それでも無能だからといって切られてしまう事はない。

 

生き残った奴が勝ち。

この進化のシンプルな原理から考えるに、相手の存在を全力で肯定できるという技能は単純な生物としての能力を補完するような形であなたの存在を強く補強する。

 

どんな優秀な個体でも、弱るときは弱る。

その弱った時にトドメをさされるか助けてもらえるのかの差は、あなたが誰かから好かれてるか否かである。

 

そして好かれるにあたっては、有能さなんかよりもあなたが誰かの存在を全力で肯定できる個体かどうかの方がよっぽど強くワークする。

 

誰かを認めてあげられる人だけが、誰かに認められる人たりえる。

あなたが好きな人が困っていたら、その人の人生を全力で肯定してあげよう。

そしてあなたも困ったら、誰かに全力で人生を肯定してもらってみよう。

 

そういう持ちつ持たれつの関係でもって、この不確かな世の中を生き残る。

最後まで生き延びるのは優秀なやつではなく、愛ある個体だ。

これがたぶん進化という自然淘汰システムが私達に教えてくれる最大の学びである。

 

 

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【著者プロフィール】

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます

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