少し前から、「ギブすることで人生が豊かになる」という考えを、よく耳にするようになった。
「『ギブ&テイク』ではなく、これからの時代は『ギブ&ギブ』!」
「恩送りすることで自分が幸せになれる!」
という主張だ。
なるほど、たしかにだれかのために行動することは素晴らしい。
インターネットによって「シェア」が一般的になった現在、知識や経験を自分のためだけに使うより、どんどん公開していったほうが、多くの人の幸福につながるだろう。
だから、「ギバー(与える人)になろう」という主張には、基本的に大賛成だ。
が、しかし。
なんかこう、「たくさんの人に与えてます!」っていう自分に酔ってる、『似非ギバー』を結構見かけませんか……?
与えることを過剰アピールする人は、本当に『ギバー』なのか?
わたしは、
「まずはギブ! 恩送り! それが今の時代のやり方!」
という主張をする人々に、なんともいえない違和感……もっと正直に言えば、嫌悪感を抱いていた。
もちろん、だれかのためになにかをするのは、とてもいいことだと思う。
でも『ギブ』をやたらと強調する人たちの多くが、「自分は与える側です」という姿勢だから、それがどうも鼻につくのだ。
「無料でノウハウを公開するのでブログをチェック!」
「SNSをフォローするだけで、貴重な情報を見ることができます!」
「最近話題の○○さんに投げ銭で支援しました!
こうやって、「自分はギブした!」と喧伝する。
『ギブ』をアピールすることで自分の価値を高めようとしている下心がミエミエで、ちょっと距離を取りたくなってしまうのだ。
そのうえ、「自分は情報を提供しただけでどう受け取るかは自分次第」なんて言って、情報の正確さを保証せず、それによってだれかが不幸になっても知らんぷりするインフルエンサーばかり。
挙げ句の果てに、「無料で情報を手に入れたくせにゴチャゴチャ言うな」なんて発言も……。
それって、本当に『ギブ』なのかなぁ?
行動としては『ギブ』だけど、わたしが思う『ギブ』の精神とは、全然ちがう。
だからわたしは、『ギバー(与える人)』を自称して過度にアピールする人たちを、なんとなく冷めた目で見ていた。
『ギバー』とは、親切で他人のために積極的に行動できる人
そんななか、ギブ&テイクについて書かれた本を読み、このモヤモヤの正体がわかった。
ギバーかテイカーかは金銭的なことでは測れない。仕事に関しては、慈善事業にいくら寄付しているかや、いくら給料をもらっているかで、ギバーとテイカーを区別することはできない。それより、ギバーとテイカーは他人に対する態度と行動が違っているのだ。
テイカーが自分を中心に考えるのに対し、ギバーは他人を中心に考え、相手が何を求めているかに注意を払う。テイカーなら、得られる利益が損失を上回る場合にかぎり、相手の有利になるように協力する。一方ギバーなら、いつ何時も、損失より「相手」の利益のほうが上回るように手を差し伸べるのだ。いいかえれば、自分が払う犠牲はあまり気にせず、見返りをいっさい期待することなく相手を助けるということである。
そう、『ギブ』とはあくまで、「相手のために」するものなのだ。
「この情報貴重だろ? ほら、ブログに書いたぞ。SNSでシェアよろしくな。タダでこれを知ることができたお前はラッキーだ。あー俺、すげーギブしたわぁ」
という人は、『ギバー(与える人)』ではない。
本当のギバーは、徹底的に他者思考なのだから。
本書では、特許を持ち、NASAのスパコンやマイクロソフトの開発にも携わった起業家アダム・リフキンのギバーっぷりを、このように紹介している。
価値を交換するのではなく、リフキンはひたすら価値を「増やす」ことを目指している。彼はあるシンプルなルールにもとづいて、人の役に立とうとする。それが「五分間の親切」だ。「五分間もあればできる親切を、”誰にでも”喜んでしてあげるべきなんです」
初対面の人に会うたびに、リフキンは相手にいくつか質問して、「五分間の親切」を実行するチャンスを探す。いまどんな仕事にとり組んでいるのか。何か困っていることはないか。意見やアドバイス、誰か紹介してほしい人はいないか。
人の話を聞き、相手が求めているものを自分がもっていたら、惜しみなく与える。
それが、本当の意味での『ギバー』なのだ。
一部のインフルエンサーは、実は『似非ギバー』なだけ
『ギバー』とは、積極的に手助けする親切な人たちのことを指す。
だからまわりに感謝され、恩返しとして多くの人に長期的に応援してもらえることが多い。
しかし、ネット上で見かける『ギブ』を強調する一部の人たちはどうだろう?
「『仕事をあげる』と言っておきながら、実質タダ働きの搾取だった」
「会員だけの特別講座に行ったけど、無料ブログと変わらない中身だった」
「背中を押されて大学を辞めて連絡したが、『勝手にやったんだろ』と言われ音信不通」
わたしは実際に、こういった批判、恨み節を何度も目にしている。
その人たちは、だれかのために行動する『ギバー』ではない。
自分が『ギブ』したいとき、『ギブ』したいものを、無責任に押し付けて自己満足し、「自分は与える側の人間である」と優越感に浸る、『似非ギバー』だ。
「信者ビジネス」と批判されたり、しょっちゅう炎上する人たちは、こういう『似非ギバー』が多い。
本当に、めちゃくちゃ多い。
自分が与えたいものを気まぐれにギブして、大事なものは独り占め。
「ギブした実績」をアピールするために、ことさら目立とうとする。
文句を言われたら、「勝手にこっちを信用したんだろ」と突き放す。
行動は『ギブ』でも、思考回路は「損をしたくない」という『テイク』。
そのくせ自分は「与える側」だと思っているのだからタチが悪い。
そういう人たちが『ギバー』を名乗っているのを見ると、なんとも言えない気持ちになってしまう。
(もちろん誠実に『ギブ』するインフルエンサーもいるけど、そういう人たちはそもそも『ギブ』を強調して悪目立ちすることもない)
「なにを与えられるか」より、「相手がなにを求めているか」のほうが大切
「ギブが大切」というのは、単純に「知識や経験をシェアしましょう」ということではない。
「他人を思いやり、相手の利益になることをすれば、お互いが豊かになれるよね」という意味だ。
だから、『ギブ』を強調するのなら、「自分はなにを与えられるか」よりも、「相手がなにを求めているのか」のほうが大切になる。
だって、相手が必要としているものを知らなければ、『ギブ』なんてできるわけがないからね。
相手にちゃんと向き合わず、自分が与えたいモノだけを無責任に放出し、「これを与えてやるぞ」という人は、ただの『似非ギバー』。
その人たちに搾取されていることに気づかず、「『ギブ』してもらっている」と『似非ギバー』を盲信している人たちを見るのは忍びない。
本当にあなたのために行動してくれる人は、あなたの話を聞いて、あなたに必要なものをちゃんと見定め、与えてくれるはず。
目指すのならば、『似非ギバー』ではなく、本当の意味での『ギバー』を。
「与えられるもの」よりも、「してあげられること」を探すようにしたい。
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【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
ブログ:『雨宮の迷走ニュース』
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