「優秀な人間ばかりで勝てないと思ったんで、就活から逃げて起業したんです」

それを当然の選択肢であったかのように、豊吉(トヨシ:以下敬称略)は話しだした。

 

豊吉は2021年8月に設立したばかりのスタートアップ企業、(株)トクイテンの代表取締役社長だ。

お会いしたのは9月22日のことなので、まだ誕生から2ヶ月も経っていない文字通りできたての会社である。

 

ただし、就活から逃げて豊吉が起業したというのは、前職の話だ。

実は豊吉は、中小企業経営者や会計担当者であれば多くの人が知っているであろう請求書発行サービス、「Misoca」の生みの親である。

 

そしてこのサービスを軌道に乗せ、成功を収めた後に会社を弥生会計に売却してリタイアした、いわば「成功者」と言っていいだろう。

まだ40歳の若さだが、その気になれば今流行のFire(Financial Independence, Retire Early)をすることも夢ではないはずだ。

 

そんなこともあり、私はつい気になってどれくらいの創業者利潤を手にしたのかと、ストレートに質問した。

Misocaほどのサービスを売却したのであれば、相当な売却益があってもおかしくない。

しかし豊吉はここでも、予想の裏を答えてきた。

 

「いや、実はもうほとんど残っていません。若手起業家を支援するために、ほとんど使っちゃいました。創業時には私も苦労したので、若い経営者の力になりたかったんです。」

「え・・・?全部使っちゃったんですか?」

 

「はい。まあ、“少し貯金がある人”という程度には残ってますが」

「おもしろい人ですね・・・。しかしなぜ、安定したMisocaほどのサービスを売ってまで、また0から起業したんですか?」

 

「単純な理由です。私は経営者として成長することに興味がないんです(笑)」

 

一体この男は何を言っているんだ。そして一体何をしたいのか。

 

有機農業の目的は「美味しさと安全性」ではない

そんな豊吉が新たに立ち上げた(株)トクイテンは、AIとロボット技術を用いた大規模農業の展開を目指している会社だ。

平たくいうなら、農業の効率化・自動化、省人化を売りにしているといったところだろう。

少子高齢化で農業の担い手は高齢化し、後継者不足に悩む世界の農業事情を考えると、もちろん意義がある仕事である。

 

人間に代わり散水し、除草し、AIで人間の知見を学習させたロボットが収穫作業まで行ってくれるのであれば、確かに素晴らしいことだ。

しかし正直、それだけであればテレビ東京あたりで村上龍が似たような経営者を紹介してそうな話である。

そこまでの目新しさを感じるコンセプトでもなかったので、そんな疑問を豊吉に素直にぶつける。

 

「桃野さん、AIとロボットを用いて大規模農業を行う本当の意義は、有機農業にあるんです」

「有機農業ですか?美味しくて安全な作物を作ることで、商品の付加価値が上がるということでしょうか。」

 

「いえ、少し違います。有機農業で作物が美味しくなるのは結果であり目的ではありません。」

「・・・どういうことでしょう。私は消費者として、美味しいという理由で有機野菜を購入しています」

 

「そう思われているのは無理もありません。しかし俯瞰的に見ると従来的な農業、これを慣行農法といいますが、慣行農法はいわばガソリン車なんです。そして有機農法は電気自動車なんです」

 

そう言うと豊吉は要旨、以下のようなことを語った。

 

慣行農法では、畑や田を耕し、肥料を散布し、人手をかけて作物を栽培する。

このようにして有史以来、人は食糧事情を改善し飢えを克服し、文明を築いてきた。このような慣行農法が人類に与えた恩恵は計り知れない。

 

しかし同時に、慣行農法では窒素を始めとした肥料を大量に散布し、農薬を撒き、既存の自然環境や生態系のバランスを崩してしまう一面がある。

そしてこの方法で全人類が食べていける食料を賄おうとすれば、全地球的な環境への影響が避けられないのだと。

 

そのため人類は、できる限り農薬を使わない方法、肥料をピンポイントで散布するなど、慣行農法の範囲内で改善を図っているが、コストも手間も掛かるので十分に普及しない。その最たるものである有機農業はなおさらである。

だから、このままでは地球環境を損ねながら農業を続けるとわかっていても、慣行農法を続けざるを得ないのが現状なのだと。

 

「なるほど、有機農法に切り替えなければならない理由はわかりました。しかしどうやって、そのコストを吸収するんですか?」

「例えば当社の場合、今はミニトマトを中心に取り組んでいます。従来のハウス栽培では、人が作業することを前提に、人に最適化した畑にしているんです。だからコストがかかるんです」

 

「どういうことでしょう」

「ミニトマトは、その気になれば3mでも4mでも背丈を伸ばして成長します。しかし人の平均的な背丈に最適化したら、せいぜい2mしか作業ができないため、人間のための余計な作業が発生したり、機器が必要になったりします」

 

「・・・なるほど」

「さらに葉欠きという余分な葉を落とす作業があるのですが、これは無限の単純作業であり、おやりになればわかりますが人間がやるには余りに苦痛なんです」

 

「想像するだけでキツそうですね・・・」

「そして二酸化炭素です。ロボットに最適化すれば、二酸化炭素でハウスを満たしても問題ありません。光合成を促進できる上に、もちろん二酸化炭素も吸収されます」

 

「収量は増え、コストを吸収でき、地球環境にも人にも優しいということですか・・・。」

そして豊吉はこの状況をして、慣行農法をガソリン車に例え、有機農業を電気自動車に例えている。

 

ガソリン車は大発明であり、人類を豊かにし、今もなお豊かにし続けていると。

しかし、豊かになった全人類がガソリン車を走らせ続けたら、地球は壊れてしまう。

 

だからといって急速に電気自動車が普及するわけではないものの、30年後にもガソリン車が中心の車社会であると考えている人は誰もいないと。

有機農業も同じで今、世界の農業は端境期にあるのだと、そんなことを力を込めて語った。

 

土を被る技術者

しかしベンチャービジネスは、理念だけで飯が食えるほど甘いものではない。

ロボやAIの研究をいつまで続ければ、その技術は実用化できるのか。

いつになれば、儲けが出てビジネスとして成立するのか。

 

そもそも会社から給料を取れているのか。

そんな疑問をまとめてぶつけると、ひとつひとつ、豊吉は丁寧に答える。

「実は私、今、文字通り土を被り泥水を浴びながら、農業をしているんです」

 

そして普通に農作業を重ねながら、その中で一つずつ、ロボやAIで代替可能な作業をロジックに落とし、研究を重ねる。

そして得られた成果を農作業の現場にフィードバックし、得られた知見をまた研究に戻し・・・

という作業を繰り返しているそうだ。

 

しかもこの過程で、農業から得られる収入で最低限の日銭は稼げる見込みなのだという。

極論、研究開発を止めてしまえば、農家として飯を食うことも可能ということだ。

 

ベンチャービジネスというものはどうしても、果実を得るまでに時間がかかり、また想定外のことが連続するので途中で体力が尽きてしまうものだ。

そのため「足元の日銭」「将来の収益」という両輪で臨む考え方が欠かせない。

 

しかしながら多くのベンチャービジネスでは、将来の夢ばかり語るので、非常に胡散臭くなる。

日銭を稼ぐ力が無いのに将来の夢を語るのは、リスキーであるだけでなくそもそも地に足がついていないものだ。

 

しかし豊吉はそのような妄想家とは無縁であり、たくましかった。

技術者でありながら現場に出て、現場と技術を往復し泥をかぶる経営者の姿からは、本物の匂いを感じる。

Misocaに続ききっと、この事業でも思いを成し遂げるのではないだろうか。

 

「お前、いつまで、そんなつまらねえ金儲けしてるの?」

話の最後に私は、同席していた共同創業者である森取締役にこんな質問をした。

「事業が成功し十分に投資できる資金を得られたら、何をしてみたいですか?」

 

共同創業者の森はロボットとAIに関する生粋の技術者であり、阪大で助教を務めた後に今は早稲田の准教授として教鞭をとる、本物の研究者だ。

今回のミーティングで、折に付け技術的な説明を随所で入れてくれた、豊吉の文字通り欠かすことのできない相棒である。

すると森は一瞬の迷いもなく、こう答えた。

「他人の評価を気にせず、本当に必要とされる基礎研究に打ち込める研究所を作りたいですね」

 

そして近視眼的で受けがよいだけの成果を目指すのではなく、本当に今、必要とされる研究で世界に貢献したいのだと。

冷静に技術的な説明に徹していた男がそんな風に、最後に熱く語ってくれた。

そしてそこまで話すと、次のアポがあるからと慌ただしくミーティングを後にした。

 

「本当に頼もしいパートナーですね」

「はい。森とは15歳の頃、岐阜高専で出会ってから25年間一緒にいますが、彼のことは本当に尊敬しています」

 

「だから今度の創業パートナーに選んだんですか?」

「そうですね、しかしそれだけではありません。実は私、世の中の誰よりも楽しく充実した人生を送っている自信があるんですが、森にだけはいつか、敗けるような気がしてるんです」

 

そして、森はいつかきっとノーベル賞を取るような大きなことをやらかすんじゃないかと、話を続ける。

だから、森に対して恥ずかしい人生を送りたくないと思えるので組んだのだと、聞かせてくれた。

さらに、自分がつまらない経営判断をしたら、森ならきっと「お前いつまで、そんなつまらねえ金儲けしてるの?」といってくれるだろうと。

 

「いい関係ですね、羨ましい。ところで豊吉さんは、今回も事業で成功し大きくなっても、経営者としての成長に興味はないとか言って辞めちゃうんですか?(笑)」

「どうでしょうか。経営者としての成長に興味はないんですけど、大企業の経営者ってカッコイイじゃないですか。だから私も、いつかあんなふうになりたいと思ってます(笑)」

 

最後の最後まで、自然体で気持ちのいい経営トップだった。

きっと今回も、必ず思いを成し遂げるのではないだろうか。

 

 

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【プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
経営と近現代史を中心に、マイナビ、さくらインターネット、朝日新聞などに連載中。

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Photo by Austin Ban