僕はいま、40代最後の数日を過ごしていて、このエントリが公開されているときには(急病や事故などで世を去っていなければ)50歳を迎えているはずです。

僕の両親はともに50代で人生を終えているので、ああ、もうここまで来てしまったか、終活とかも考えなければならないのかな、という感慨とともに、こんな悟りには程遠い年齢、成熟度で命が尽きるとき、両親はどう考えていたのだろう、納得できなかったんじゃないか、と想像もするのです。

 

命というのは、本人が納得するしないにかかわらず、終わるときには終わる。

 

最近、周囲の人の若くしての思いがけない訃報が続いて、僕自身混乱もしているのだけれど、その一方で、「まだ自分の番ではなかった」ことに、少し安堵もしてきました。

それでも、いつかは順番がまわって来る。

 

今の世の中の全体像としては、50代くらいは、まだ「現役世代」であり、そこまで老け込むことはないのかもしれませんが……それでも、政治家とか大学教授、大企業の取締役クラスなどの、ごく一部の人を除けば、50代というのは、仕事においても「あと10年を、どう働き、どうモチベーションを保っていくか」との闘いになりそうです。

 

現時点で「そんなに偉くもなれず、自分だけにしかできない仕事があるわけでもない」僕が、現状「仕事」についてどう考えているかは、以前このエントリで書きました。

参考リンク;50代の「偉くなれなかった人」は、何を考えて働き、生きているのか?(いつか電池がきれるまで)

 

いま仕事をやめたら、自分自身が寿命まで食べていけるかはもちろん、子どもたちの教育費も捻出できなくなるしなあ。

仕事に対する理想云々はさておき、自分の現在の能力・体力で、なるべく世の中に迷惑をかけない形で稼いで生きていかねばなりません。

 

思いつきで申し訳ないのですが、今回は、50歳になってようやく気付いた、これまでの人生(仕事)において、やっておいて良かったこと、後悔していること、を書いてみたいと思います。

世の中には「成功者の体験記」や「大成功から破滅に転落したドラマチックな人生」の事例は多く紹介されていますが、「50年、勉強するのも仕事するのもだるいなあ、なんて思いながらもなんとか生き延びてきた人の話」も、どこかに役立ててくれる人がいるのではないか(もちろん、「反面教師として」で十分です)、ということで。

 

(1)なんのかんの言っても、若い頃に頑張って「偏差値が高い学校」に行けるのなら行っておいて損はない。

僕などは医者としては「賞罰なし」の吹けば飛ぶような存在なのですが、結果的にここまで生きてこられたのは、「これは自分には向いていないな……」と思いつつも医師免許を取ったおかげではあるのです。

もちろん、他の可能性を想像することもありましたし、自分の子どもには、医学部にこだわる必要なんて全くないから、と言い続けているのですが。

 

結局のところ、人生というのはF1のモナコグランプリみたいなもので、予選で前のグリッドを取ったほうが決勝レースでも有利なんですよ。

もちろん、レースには事故がつきものだし、ポールポジションからトップを譲らず、圧勝しそうだった車があっさりトラブルでリタイアすることも少なくはないのです。

 

しかしながら、決勝レースで「前の車を追い抜くこと」よりも、予選で上位につけて「あらかじめ前からスタートする」ほうがずっと安全に上の順位でゴールしやすい構造になっているのは間違いありません。

学歴が人間の価値を決めるわけではない、と言いたいけれど、レースで好成績をおさめたい、と考えているのであれば、有利なポジションを早めに確保しておくことをおすすめします。

後方のグリッドから鬼神の追い抜きを見せるのは大変だしリスクも高い。

 

(2)運動は苦手だから、身体を使わない仕事をしたい、という人ほど、「基礎体力」をつけておいたほうがいい。

僕自身、運動音痴もここに極まれり、という人間で、体育の時間の球技などでは、いつも最後に取り残され、「お前はボールに触るな!」とか言われていたのです。

スポーツ全般が苦手で(観戦するのは嫌いじゃないですけど)、部活も運動系は敬遠していました。

 

医者であれば、勉強していれば、そんなに運動ができなくても問題ないだろう、と思っていたのですが、現実はそうじゃなかった。

同期には優秀な人もいたのですが、そのうちのひとりが、臨床医を諦めた、という話を聞いて、もったいないなあ……と。

 

研究でもやるのかと思いきや、保険会社に就職して働くことにした、と聞きました。

その人は他の学部を卒業したあとに、医者を目指して再受験し、入学してきたのですが、周囲からは「勉強はできるし同期の年下に対して分け隔てなく接してくれる人格者」として慕われていたのです。

 

ところが、臨床医として働いてみると、週に何度も当直があり、夜中に眠っているときにも毎日のように病院からの患者急変の電話で起こされて、疲れているのに眠れなくなってしまった。

ついには心身に変調をきたすようになったのですが、そこでさらに「なんでお前は呼び出しに答えないんだ。患者はどうするんだ」と責められ、ついには臨床を離れる決断をしたのです。

 

逆に、そこで離れることにして、まだ良かった、と言えるのかもしれません。

僕などは、「あんまり頼りになりそうもない」イメージのおかげで、比較的のらりくらりと生き延びてこられたところもあるんですよね。

 

医者や研究者、起業家や開発者、こういう仕事って、「肉体労働ではない」と思われがちじゃないですか。

でも、僕が経験した医者に関しては、「結局、多少勉強ができるとか技術がすぐれているというよりも、当直や長時間労働を続けても耐えられる体力と、上司の叱責や患者さんの急変に凹まされても切り替えられる精神的な強さがなければ、仕事を続けていくのは難しい、と痛感しました。

「もともと勉強ができる人たちの集団」だからこそ、「学力」よりも、「体力」とか「精神的なバランス」で差がつきやすい面もあります。

 

ものすごくひらたく言ってしまえば、インターハイで大活躍できるような「スポーツ力」は必ずしも求められないけれど、慢性的な不眠や長時間労働、上司のパワハラにも耐えられるような「基礎体力」が大事なのです。

きつい状況で「あともうひとふんばり」ができるかどうかって、けっこう大事なんですよ。

自信を保つためにも、上司ウケにおいても。

 

いまの若い人に助言するとすれば「部活で好成績を収める必要はないから、最低限、家でマメに『リングフィットアドベンチャー』くらいはやっておいたほうがいい」。

 

(3)自分を変えるよりも、環境を変えるほうがラクな場合もあることを知っておくべき

たとえば、大学の消化器科にいれば、内視鏡検査ができる人、ものすごくうまい人なんて、そのへんにゴロゴロしているわけです。

そういう集団のなかにいると、自分の技術は「ありふれたもの」だと思いますよね。

ところが、同じ人が地方病院に消化器の専門医として赴任すれば、「この病院で唯一、内視鏡を扱える人」として、高い「価値」がある専門家とみなされるのです。

 

インターネットのおかげで、世界は狭くなり、「自分はたいしたことないな」と痛感させられる場面は多くなりましたが、人間というのがまだ物質的な存在である以上、どうしても「居場所で価値・評価が変わる」のです。

人って、他人の評価によって、モチベーションが左右されることもありますしね。

 

「環境を変える」ことには少し勇気が必要ですが、だからこそ、「自分が自分のままでもっと高く評価される場所」というのは、けっこうあるのです。

自分が置かれている状況を、いまの職場、地域に限定せずに、業界全体や世界から俯瞰してみると、案外、「捨てたものじゃない」かもしれません。

 

(4)お金は大事、貯蓄も大事。でも、どんなに貯めても、あの世へは持っていけないし、遺産争いのもとになるだけ。

正直、「生活に困って借金苦」というレベルだと、どうしようもない、としか言いようがありません。

ただ、僕自身の経験からいうと、「あまりケチになりすぎるよりも、お金は適度に使って若いうちに人生を楽しんだり、経験を積んでおいたほうがいい」と思います。

 

いまはコロナ禍で旅行もまだ難しいところはありますが、前回書いたように「楽しむにも健康と体力はあったほうがいい」のです。

参考エントリ:高齢者に接していると、若い時にもっと楽しんでおいたほうがいい、と強く思います。(Books&Apps)

 

いまは「投資ブーム」になっていますが、15年前くらいから10年にわたって預けていた元本保証の金融商品が、10年後に「0.1%のプラス」で返ってきたときには、かなりがっかりしました。

いまは、「イデコ」や「つみたてNISA」がおすすめされていることが多いのですが、基本的には少し節税になる、というくらいのものです(もちろん、なったほうが良いのですが)。

 

ここ数年の「投資ブーム」も、僕なりの結論としては、2020年の春から秋にかけて、コロナ禍で株価が下がりまくった時期に「狼狽売りで安くなった株を買えた人たち」が儲けただけです。

コロナが落ち着いた(みんなが慣れた?)2020年の秋くらいからは、日経平均は大きな変動を示してはいません。

 

結局のところ、投資というのは、「市況や社会情勢という環境要因が大きすぎる」ので、半ば運だめし、みたいなものなんですよ。

コロナに関しては、僕は「人類はこれまでもスペイン風邪などの疾病を克服してきたから、今回もいずれは収束していくはず」だと考えてはいたのですが(それでも、こんなに長引くとは正直思っていませんでした。そして、コロナ禍のなかでもこんなに株価が上がっていくとは!)。

 

お金は大事ですが、そればかりで終わってしまう人生というのも、なんだかなあ、って思うのです。

家族や知人の顔も認識できなくなってから、豪華な老人保健施設に入ったり、立派な墓を建てられたりしても、あんまり嬉しくないよ、きっと。

 

(5)いちばん確実な投資は「可能であればしっかり働いて、定期収入を得続けること」

まったく面白くもない話なんですが、インデックス投資が……、FIRE(Financial Independence(経済的自立), Retire Early(早期退職))が……という人はネットではよく見かけますが、市場の不安定さを考えると、インデックス投資よりも「順調に仕事を続けること」以上の「安定した投資」は無いと思います。

ただ、投資を全否定するわけではなくて、それこそ「余裕資産で、ときどき確認してニヤニヤできる程度」くらいは、やっておいたほうがリスク分散のためにも良いのではないかと。

 

僕自身も、仕事をしていない時期があったのですが、個人的には「居場所がなくて精神的にはきつかったし、人の目がやたらと気になったし、働いているほうがマシ」でした。もちろん「働ける体調であれば」なんですが。

南の島でのバカンスも、『信長の野望』やオンラインゲーム漬けの生活も、やっていい、ということになると、そんなに面白いものではなかったです。

 

(6)伝えたいことは、ちゃんと言葉にして伝えておくべき

エラリー・クイーンとして長年合作していた2人の往復書簡集を読んだんですよ。

この2人、よくこんなに罵声を浴びせあっていて、長年一緒に仕事を続けてきたものだ、と感心しました。

作品に対して、細かいところにも妥協しない姿勢にも驚かされましたが。

 

でも、読み終えて、気付きました。

この2人が長年共同作業を続けることができたのは、「きちんと言いたいことを言い合っていたから」ではないか、と。

 

こんなことを言ったら傷つくだろう、とか、あえて口に出さなくてもわかっていてくれるよね、みたいな考えのほとんどは、「こちら側からの身勝手な期待」だと思ってください。

自分自身が受け手になったときのことを想像するとわかるはずですが、他人の考えって、恐ろしいほどわかっていない。あるいは「わかったつもりで誤解している」ものなのです。

 

言い争いや罵倒合戦だって「コミュニケーション」の一つの形であり、お互いに無視する「ディスコミュニケーション」よりはずっと良好な関係なんですよね。

そうは思えないときも頻回にあるのは否定できませんが。

 

仕事にしても、人間関係にしても、「ちゃんと言葉にして伝えるコスト」は、「誤解されたときのリスクや無念」よりも、ずっと小さい。

ズボラな僕が50年生きていて感じるのは、「何事にもマメな人のほうが、幸せに近いのではないか」ということです。

まあ、人間関係なんて、「どんなに言葉を紡いでも、ダメなときはダメ」なこともあるんですけどね。

 

(7)と、いろいろ書いてきましたが、結局、人間というのは、「自分がやりたいこと」か「どうしてもやらなければならないこと」しかできない生き物ではないか。

という、「諦念」も僕の中にはあるのです。

逆に言えば「なんでこんなことをするのか」と疑問になるような行為も、本人にはそれなりの合理性みたいなものがある。それが犯罪とか危険な行為で、自分や周囲の人が被害者になったらたまらないし、僕自身もなんらかの加害者になる可能性はあるのです。

 

そういうのは、この年齢まで「賞罰なし」みたいな生き方をしてきた僕の自分自身への言い訳なのかもしれないけれど。

「自分がやりたいこと」にはどうしようもない部分があるので(あまりに反社会的な行為の場合はなんらかの介入や治療が必要でしょう)、「自分がどうしてもやらなければならないことは何か?」というのを、生きているうちにしっかり考えてみるのは悪いことではないと思います。

 

とりあえず7つ、50歳を迎えるにあたって、僕自身の失敗を踏まえて、若い人たちに「敗者の遺言」として伝えておきたいことを書きました。

 

そうそう、これまでの話とちょっと矛盾しているかもしれないけれど、「とりあえず今を愉しむ」っていうのは、けっこう大事だよ。

 

 

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【著者プロフィール】

著者:fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

ブログ:琥珀色の戯言 / いつか電池がきれるまで

Twitter:@fujipon2

Photo by Steve Wilson