駅のホームについて、

「事故が頻発しているのに、なぜ法律で規制されないのだろう」

と疑問に思う人は多いのではないだろうか。

 

改めて考えて欲しいのだが、安全柵のない駅のホームは凶器そのものである。

黄色い線の内側に立っていようが、目まいや貧血で倒れたらそのまま線路に落下する危険があることは明らかだ。

 

大阪御堂筋線の朝のラッシュ時など、猛スピードでホームに進入する電車の50cm横を人がすれ違いながら行き来している。

ちょっと何かに躓いたり、肩と肩が触れ合って押し出されるだけで電車との接触は避けられない。

そうなると大ケガだけで済まずに、最悪命に関わってしまうだろう。

健常者でもそうなのだから、視覚障害に限らずハンデキャップを持っている人であればなおさらだ。

 

にも関わらず、なぜこの状態が今もなお許され、より多くの人が問題意識を持たないのか。

きっと100年後の未来には、未来人が「マジカヨ・・・」と振り返る、前世紀の非常識な遺物になっているのではないだろうか。

 

そしてそれと同等か、時にそれ以上に高齢者にとってリスクとなるのが、「家庭内転倒」である。

 

下は東京消防庁ホームページ「救急搬送データから見る高齢者の事故」から引用した、「ころぶ」事故で緊急搬送された高齢者の数を表したものだ。

令和元年の1年間だけで、実に59,816人の高齢者が転倒事故により、病院に救急搬送をされている。

そしてその56%に相当する33,524人のケースで、事故発生の現場が家庭内であった*1。

 

ちなみに令和2年度、日本全国の交通事故重傷者数の総数は32,025人*2である。

つまり、東京都の搬送者だけで日本全国の交通事故重傷者を上回っているわけだが、そのように比較すると「自宅の危険性」がどれほど大きなものであるのか、ご理解頂けるのではないだろうか。

(図1)東京消防庁ホームページ「救急搬送データから見る高齢者の事故」

 

そして高齢者の場合、骨折レベルの受傷をしてしまうと十分な回復が見込めず、そのまま寝たきりになってしまうケースが少なくない。

たった1回の転倒で、その後のQOL(Quality of Life=生活の質)が最悪レベルに落ち込み、人生が変わってしまうのである。

 

東京都だけでも毎年6万人近くの高齢者が、このような事故に遭遇している。

しかもこれは緊急搬送された数だけなので、自分で通院した高齢者まで含めたらその数はさらに膨れ上がるだろう。

本来、安全で安心できるはずの家庭は、高齢者にとっては交通事故よりもリスクがある危険な場所という、にわかに受け入れがたい現実がある。

 

たどり着いたのは「当たり前だが逆転の発想」

そうした現状を打開すべく活動する、一人の経営者とお会いする機会があった。

株式会社Magic Shieldsの代表取締役、下村明司社長だ(以下敬称略)。

 

同社は、先の「家庭内転倒骨折」という大きな社会的課題に対し、従来にないアプローチで解決に取り組み、今注目を集めている企業だ。

 

恐らく多くの家庭では、高齢者家族の転倒事故を予防するためにしていることと言えば、

「転ばないように住環境を整備する」

という発想に基づいた対策ではないだろうか。

 

・手すりの設置

・段差の解消などバリアフリー環境へのリフォーム

・開き戸から引き戸に改装

 

などが、一般的によくある対処法のはずだ。

 

しかし同社が手掛けるのは全く逆の発想で、

「転んでもケガをしない住環境の整備」

である。

株式会社Magic Shields webサイトより)

具体的にはこの画像のように、仮に高齢者が転倒してしまっても床材が衝撃を吸収してしまい、ケガに至らない程度の打撲で済ませてしまおうというものである。

 

しかもこの素材、転倒の瞬間をキャプチャした上記の画像ではグニャグニャに見えるが、普通に歩く分には十分な固さを持つ通常の床材と全く変わらない。

瞬間的な強い衝撃が加えられた時にのみこのように柔らかくなり、衝撃を吸収してしまうというのだからとても不思議だ。

 

なぜこんな床材を開発できるのか。

そしてなぜこのようなアプローチで問題を解決しようという発想になったのか。

そう質問すると下村は要旨、以下のようなことを語ってくれた。

 

「私はヤマハ発動機の技術者出身で、レース事業にも携わっていました。乗り物では、事故に際して“上手に潰す”という発想と技術が不可欠なんです」

「趣味でクライミングもしていますが、やはり滑落などの事故はどうしても起きてしまいます」

「レースやクライミングでは、友人を失ってしまったこともあります。このような悲劇を世界から無くすことが当社のミッションであり、私の使命であると考えています」

 

これはよく考えたら、当然といっても良い発想だ。

車やバイクでは、自動運転や自動ブレーキシステムなどで事故そのものを減らす努力が続けられている一方で、事故を根絶することはできないことを誰もが理解している。

 

そのため、シートベルトやヘルメットの装備・着用が義務付けられているのであり、事故が発生した時の被害も最小限にしようとする。

いわば事故そのものと、事故時の被害の両方を減らそうというアプローチだが、その観点を家庭に持ち込んだのが、下村の発想である。

 

転倒防止のための手すりやバリアフリーはあって当然であり、転倒した時の安全対策もあって当然。

それでこそ本当の意味で、高齢者にとって家庭という場所が安心・安全な憩いの場になるということなのだろう。

 

転倒した際の安全対策がない家庭は、ヘルメットを被らないバイクの運転と同じという発想だ。

どれだけ安全対策を施したとしても、その上で、不測の事態が起きた時の被害も最小化する対策を取る必要がある。

 

駅にホームドアの設置が進むように、家庭でもきっと近い将来、事故予防と発生時のケガ防止対策の両方を前提にした改善が進む世の中になるだろう。

そんな近未来では、東京都だけで年間6万人を数える高齢者の転倒・搬送事故が限りなく0に近づき、より充実した老後を過ごせる多くの人の笑顔で溢れているはずだ。

下村が実現したい未来予想図は、きっとそんな世界観なのではないだろうか。

 

「事故や暴力で苦しむ人が無い世界に」

最後に下村に、このビジネスについてより俯瞰的な社会的便益と、「実現したい世界観」についても聞いてみた。

 

「大腿骨骨折などで入院をした際の医療費は、ケースバイケースですが、保険からの支出も含め400万円ほどでしょうか。一方でこの『ころやわ』を高齢者の居室に施工するコストは、ざっと40万円といったところです。社会的コストの抑制にも、非常に有効と考えています」

 

そして、膨張を続ける医療費の抑制だけでなく、高齢者が寝たきりになるリスクを一つでも減らせることや、QOLの向上、健康寿命の伸長でより充実した老後を過ごせる元気な高齢者が増える社会の実現への希望を語ってくれた。

 

「では、実現したい世界観は?」

「事故や暴力を、世界から根絶することです。ケガで苦しむ人を無くすことが、究極の目標です」

そうか、と合点がいった。

 

なんらかのアクシデントが発生しても、人がケガをしない限り人身事故にはならず、被害の回復は比較的容易である。

極論すれば物損はお金だけで解決できる問題であり、実現できれば「事故」という考え方そのものに対する概念もきっと変わるだろう。

 

下村が描いている世界は、あらゆる人がケガを負うことがない人に優しい社会なのだろうか。

そんなことを感じさせてくれた、経営者との出会いだった。

 

 

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(2024/3/26更新)

 

 

 

【プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

経営と近現代史を中心に、マイナビ、さくらインターネット、朝日新聞などにコラムを連載中。

twitter@momono_tinect

fecebook桃野泰徳

 

 

*1東京消防庁ホームページ「救急搬送データから見る高齢者の事故」

*2統計で見る日本「交通重傷事故の発生状況」

*3株式会社野村総合研究所「用語解説」

 

Photo by Tim Mossholder