町山智浩さんの『それでも映画は格差を描く』(インターナショナル新書)という本の冒頭に、こんな話が出てきました。(『「貧しさゆえの犯罪」をどう考えるか』という小見出しがついています)

日本でもたった148円の余裕もなくなっています。

 

「お金は持っていないけど、食いたか」。

22日午後11時ごろ、男は佐賀市内のコンビニに陳列されたクッキーを手に取り、店員にこう言った。店員は「待ってください」と呼び掛けたが、男はクッキーを手にしたまま店外へ。男性店員が取り押さえた。

佐賀南署がクッキー1個(販売価格148円相当)を盗んだとして、盗みの疑いで逮捕した無職の男(65)。酒を飲んでいたが所持金はなく、身元を証明する運転免許証なども持っていなかった。

男は「おなかがすいていたので万引した。我慢できなかった」と話しているという。住所も分からず、逃走の恐れがあると判断せざるを得なかったが、南署幹部は「クッキー1個で逮捕しなければならないなんて……」と複雑な思いをのぞかせた。(佐賀新聞 2021年6月23日)

 

この記事を読んだ筆者(町山智浩さん)は、こうツイートしました。

「148円で警察の手を煩わせるのは税金のムダ」

「自分なら捕まえて事情を聞いた後で放免して、自分の財布から148円レジに入れておしまい」

 

すると、怒涛のような批判が浴びせられました。

「たとえ148円でも犯罪を見過ごすのか」

「酒を飲んでいたんだから金はあった」

「万引き被害でつぶれる店もあるんだぞ」

「なら、日本の万引き被害を全部補償しろ」

このあとヴィットリオ・デ・シーカ監督の古典的名作映画『自転車泥棒』(1948年)の話につながっていくのです。

 

僕はこれを読んで、自分がその場に居合わせたら、あるいは店員だったらどうするだろう?と思ったんですよね。

町山さんの主張には、たしかに、148円くらいなら……と思うところもある、というか、いまの僕が店員としてその場にいたら、警察を呼んで自分も事情聴取を受けて……みたいな面倒くさいことは避けたかもしれません。

警察だって、「たった148円……」と思うでしょうし、この事件で警察が出動するためにかかる経費は、148円どころではないでしょう。

 

でも、コンビニの時給を考えると、働いている側だってそんなにお金が有り余っているわけではないでしょうし、「たかが148円」と見逃してしまったら、この人の万引きはどんどんエスカレートして、被害が増えていく可能性もあります。

そもそも、この店員さんには何の落ち度もないのに、なぜ、損失補填をさせられるのか?

 

こういうのって、「ネットで拡散されればされるほど、『人情』みたいなものは否定されがち」ではありますよね。

 

「こういう万引き犯を救済するのは、コンビニ店員ではなくて、社会や役所の仕事ではないのか?」と僕も思うのです。

いくら食べ物に困っているからといって、万引きされる当事者のほうは損をしているわけだし。

 

ただ、こういう「貧しさ」とか「生活苦」が原因にある犯罪に関しては、快楽犯とかよりも、情状酌量したい人が多いとは思うのですが。

そんなことを考えながらこの本を読んでいくと、『ザ・スクエア 思いやりの聖域』という映画の紹介のなかで、こんな言葉が出てきます。

ホームレスに手を差し伸べない人は同じような言い訳をする。「僕が今、彼にいくらかのお金をあげたところで、彼が貧しさから脱出できるわけじゃない。彼ひとり助けても何も意味はない。社会全体を変えなくては」。

でも、目の前の困っているひとりを助けようとしない人たちが、自分たちの富を貧しい人々に分配する政治家を選ぶだろうか?

もう15年前くらい前になりますが、インドネシアのバリ島に旅行したときのことを思い出します。

 

ボロブドゥール遺跡を観光していたら、子どもたちがぞろぞろとついてくるのです。

何を言っているのかはわからなかったけれど、施しを求めてきたり、土産物を売りつけようとしたりしているようでした。

ガイドさんからは、「物売りを相手にしてはダメですよ」と言われており、関わったら負けのような気がするし、子どもたちの期待している目をみるとなんだか後ろめたいしで、どちらに転んでもきついなあ、と思ったんですよね。

 

「施し」をしても、彼らが救われるのはほんの一時期でしかないし、それは「偽善」なのかもしれないけれど、彼らはその「偽善」がないと、いまを生きていけない。

そりゃ、あちら側にいるよりは、こちら側にいるほうが、ずっとマシ、ではあるのでしょうけど。

 

あれから15年くらい経って、僕に見えている世界では「格差」が話題にのぼることが多くなりました。

 

アカデミー賞の作品賞も、2020年『パラサイト 半地下の家族』、2021年『ノマドランド』と、「格差」や「非正規労働」を描いた作品が続けて受賞しており、『ジョーカー』や『万引き家族』という「底辺」を描いた作品も話題になっています。

 

第71回カンヌ国際映画祭において、最高賞であるパルム・ドールを受賞した『万引き家族』にも、「彼らがやっていることは犯罪」「日本の恥を世界に発信するのか」という批判が寄せられたそうです。

「ネットでは、正義を振りかざして叩けるものを叩くだけになった」と批判するのは簡単なのですが、経済成長が停滞し、みんなに余裕がなくなっている、というのも事実なのです。

 

『リベラリズムの終わり その限界と未来』(萱野稔人著/幻冬舎新書)のなかで、著者は「弱者救済」「移民の受け入れ」「社会保障のさらなる充実」が、経済成長の停滞とともに、限界を迎えている、ということを指摘しています。

リベラル派は生活保護バッシングに対して「それは社会の福祉機能を弱めることにしかならない」と批判する。

しかしこれはかなり表面的な見方だ。「生活保護受給者をバッシングしている以上、それは反福祉にちがいない」と素朴に考えてしまうようでは、政治的言説に対するリテラシーがあまりにも低すぎる。

 

生活保護バッシングには、「反福祉」どころか、その制度を「もっと適正化すべきだ」という問題提起が込められている。

そこに注目するならば、生活保護バッシングには「財源が限られているなかで生活保護制度をより確固たるものにしよう」という「親福祉的な」方向性さえみいだされるのである。

 

そもそも、リベラル派は生活保護バッシングをおこなっている人たちを「不安定な雇用や貧困にあえいでいる人たち」とみなすが、これは一方的な決めつけだ。

そこにあるのは、生活保護バッシングに込められた問題提起を無視するための無意識的な戦略である。

すなわち「生活保護バッシングは不安定な雇用な貧困にあえいでいる人たちがねたみの感情からおこなっているものにすぎず、そもそもまともに耳を傾けるべきものではない」というレッテル貼りをすることで、そこに込められた問題提起を無視する、という戦略だ。

 

この戦略は、「右傾化」している人たちを「厳しい生活環境から誤った考えにおちいってしまった人たち」と片づけることと同じ戦略にほかならない。

これこそ「ズルい」戦略である。リベラル派への批判が強まっているのは、リベラル派が自分たちにとって都合のよい主張や解釈しかしないからでもある。

【読書感想】リベラリズムの終わり その限界と未来 ☆☆☆☆/琥珀色の戯言

冒頭の佐賀の万引き事件も、店員さんがみんなビル・ゲイツや前澤社長のような大富豪であれば、「148円くらいで、大ごとにしなくてもいい」のかもしれません。

でも、コンビニのアルバイトで148円稼ぐための仕事量を思うと、「店員さんが立て替える」のは、やはり理不尽ですよね……

もし「このくらいは見逃す」とするならば、誰がその損失を補填すれば良いのか。

 

昔の日本人は、もっとおおらかで、こんなに「正義」を振りかざしたりしなかった、と言うけれど、太平洋戦争中には、もっとひどい「『お国のため』の暴走」の時期があったし、戦後の高度成長期の日本人がおおらかになれたのは、みんながまだ貧しくて格差が少なく、人口も人々の給料も右肩上がりの幸福な時代だったから、ではあるのです。

 

「いまの日本にはお金がないし、人口は減っていき、先行きも厳しい」

それをみんな知っているからこそ、社会福祉を「より厳密に適正化しようとしている」面もあるのです。

「目の前の困っているひとりを助けようとしない人たちが、自分たちの富を貧しい人々に分配する政治家を選ぶだろうか?」

 

「社会が悪い」と言う人は多いけれど、ひとりひとりの人間が集まることで、「社会」はつくられているのです。

ひとりが変わらなければ、社会も変わらない。

 

「福祉」とか「富の再分配」って、現実にはなかなかうまくいかないんですよね。

「社会は変わってほしいけれど、自分が損をするのは嫌だ」というのがみんなの本音であるかぎり。

 

と、偉そうなことを言っていますが、僕自身もやっぱり自分が、とくに、自分だけが損をするのは耐えられない人間なんですよね……

 

 

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(2024/3/26更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

著者:fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

ブログ:琥珀色の戯言 / いつか電池がきれるまで

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