ちょっと、「ジーザス」というゲームの話をさせてください。
まず始めに、「パソコンゲームに対する不思議な憧れ」というところから始まります。
今のゲーム業界からはちょっと想像がつかないかも知れませんが、かつて、「家で遊べるゲーム」と「ゲームセンターで遊べるゲーム」「パソコンで遊べるゲーム」の間には、絶対的な、決して越えることが出来ない壁がありました。
その壁は、主にハードの性能によるものでした。
1980年代、まだまだ家庭用ゲーム機のスペックは限定されたもので、グラフィックでも、BGMでも、ゲームのボリュームでも、アーケードゲームやPCゲームに比肩し得るものではありませんでした。
当時ファミコン小僧であり、ゲームの情報に飢えていた私は、同じような境遇の友人たちと、色んなツテでゲーム雑誌や攻略本を集めて回し読みしていました。
小学校にこっそり「ログイン」やら「コンプティーク」やら、時には「テクノポリス」やら「ポプコム」まで、見つかったら間違いなく怒られるような雑誌を持ち寄って、こんなゲームがあるんだ、こんなゲームもあるんだ、とわくわくしていたのです。エロゲーのページを見て気まずくなったりもしましたけど。
当時、「ゲームの書籍を読むこと」は、ゲームそれ自体を遊ぶことと同じくらい、楽しくってスリリングなことでした。
攻略本を読むだけでも夢中になれたし、雑誌の紹介ページを読むだけでもそのゲームを遊んだような気になれたんです。
そこで私は、様々な「パソコンのゲーム」の存在を知りました。
そういった雑誌や攻略本には、ファミコンでは想像も出来ないくらい美麗なグラフィックの様々なPCゲームが写真つきで載っていまして、私は特にアドベンチャーゲームやシミュレーションゲーム、RPGに憧れました。
「太陽の神殿」とか「ザース」とか「ザナドゥ」とか「マイト・アンド・マジック」とか、とにかくまあ、雑誌上のPCゲームは滅茶苦茶画面も綺麗で、迫力があって、面白そうに見えるんですよ。
他のクラスのだれそれの兄ちゃんがPC-8801を持っているらしい!とか、あそこのデパートにパソコンコーナーがあって、そこでゲームのデモが流れてた!とか、そんな情報が流れることもあって、皆で実際にPCゲームを触らせてもらったこともありました。
中途半端に目が肥えてしまって、ファミコンに移植されたタイトルに、「うーん、これはこれで面白いんだけど、パソコンのゲームと比べるとなんか違う……」と微妙な感想を抱いてしまったこともありました。
移植ゲーにまつわる悲喜劇、色々ありましたよね。ファザナドゥとか。
少しずつファミコン側のスペックも上がっていって、一部には「パソコンに負けてない」と思えるようなゲームも出始めました。
RPGにせよアドベンチャーゲームにせよ、「ファミコンならではの素晴らしいタイトル」も増えつつありました。
「探偵神宮寺三郎 危険な二人」とか「ファミコン探偵倶楽部 消えた後継者」あたりは、今から考えても素晴らしいクオリティだったと思います。
それでも私の中には、まるで原体験がそのまま焼き付いているかのように、パソコンゲームに対する憧れが燻り続けていました。
1989年でしたから、私は丁度10歳くらいだった筈です。
その頃出会ったとある一本のSFアドベンチャーゲームが、パソコンからの移植作でありながら、「ファミコンでもこんなゲームが遊べるんだ……!!」と心の底から感動出来るくらい、素晴らしい光芒を放っていました。
そのゲームが、「ジーザス 恐怖のバイオ・モンスター」でした。
「ジーザス 恐怖のバイオ・モンスター」はエニックス開発、1989年3月キングレコードからファミコン版が発売された、SFテイストのアドベンチャーゲームです。
パソコン版だとただの「ジーザス」というタイトルでして、何故「恐怖のバイオ・モンスター」などという軽くB級映画のようなサブタイトルがついたのかはよくわからないのですが、それはそうと「ジーザス」はとにかく滅茶苦茶面白かったのです。
シナリオとしてはいわゆる「エイリアンもの」でして、「ハレー調査計画に参加した主人公の速雄が、「ころな」と「コメット」二機の探査宇宙船の中を探索しながら、侵入してきた宇宙生物と戦う」というものなんですが、その演出も、BGMも、グラフィックも、シナリオも、もう何もかも本当に素晴らしかった。
当時、まだSFに触れたことが殆どなかった小学生の頃の私は、個性豊かなクルーたちや、彼らとの会話、その後彼らが宇宙生物に襲われて死んでいくという衝撃の展開に、圧倒されつつものめりこみました。
ヒロインであるエリーヌの可愛さにはドキドキしましたし、マスコットロボのフォジーは可愛かったし、速雄やエリーヌが生き残れるのかどうか、最後までハラハラさせられました。
ファミコン版ジーザスは、基本的には「詰まる」ということがないシステムでして、様々なコマンドを試していればいつかエンディングにたどり着けるように作られています。
「ポートピア連続殺人事件」も「サラダの国のトマト姫」も自力ではクリア出来なかった私が、初めてクリア出来たアドベンチャーゲームが、この「ジーザス」でした。
ジーザスってゲームには色々な凄いところがあるんですが、私が特に「すげえ……!!」と感動したのは、「ゲーム展開とBGMが密接に絡み合っている」ことなんです。
すいません、以下ちょっとネタバレが混じるんですが、今更ネタバレを気にするゲームでもないと思うので書かせてください。
ゲーム中とある場面で、主人公の速雄とエリーヌ、そしてマスコットロボットのフォジーは、「ころな」の船内を探索することになります。
既に何人もの犠牲者が出た重苦しい雰囲気の中、怪物の痕跡をたどって宇宙船内を見回るわけです。
この場面、ゲーム内では「ゴゥン……ゴゥン……」という何かの駆動音が流れているだけで、BGMはずっと無音です。
自分たち以外誰も行動していない筈の宇宙船内。
けれど、とあるタイミングで、ついさっきまで無音だったのに、いきなりBGMが流れ始める。
これ、単にゲームの演出として流れるだけではなく、「実際に」「キャラクターたちにも聴こえる形で」船内にBGMが流れるんです。
誰もいない筈の場面で、一体誰が?どこで、何の目的で音楽を流したのか?
このシーン、ゲームを遊びながらものすごーーくぞくっとしました。
しかもこの曲がまた素晴らしいんですよ。
「空の果てへ」っていう曲なんですけど、メロディラインはシンプルながら、さわやかで、けれどどこか寂しげで、いつまで聴いても飽きるということがない。
こんな怖いシーンで、けれど流れるのはまるでRPGのフィールドのような耳に残る爽やかな曲。
ここ、滅茶苦茶印象的だったんですよね。
それまでにも「いい曲」「素晴らしいBGM」というものには何度も出会っていましたが、「ゲーム展開やシナリオそれ自体とBGMが紐づいている」という演出について言えば、私が出会ったのは「ジーザス」が初めてでした。
「ジーザス」のBGMの役割はこれだけの話ではなく、ゲームの最初から最後まで、「音楽」というものはジーザスの主要なテーマの一つであり続けます。
特に最終盤。ゲーム全体ずっと流れ続けるメインテーマ、その主題となるメロディが、最後の最後まで色んなところで形を変えて流れ続けて、しかも最後には物語に決着をつける鍵となる。そのテーマを「自分で」演奏しなくてはいけない。
これ、実際に鍵盤が画面上に出現して、その鍵盤でメロディを入力するんです。
ド・レ・ミ・ファ・ミ・レ・ド・ミ。
このシンプルなメロディラインが、ずっと耳に残ってきたあのBGMであって、しかも最後の展開でそのまま勝利へと繋がるメロディになる。
ド・レ・ミ・ファ・ミ・レ・ド・ミのメロディが何度も繰り返され、やがてBGMが展開していき、どこまでもメロディアスでとんでもなくかっこいいBGMになる。
そのBGMを背景に、思いもよらない形で仲間たちのメッセージが流れるというのが、大げさでもなんでもなく「アドベンチャーゲーム」というジャンルに対する認識がまるまるひっくり返るくらいの衝撃的な演出だったんですよね。
「アドベンチャーゲームって、こんなに物凄いジャンルだったのか……!!」と、本気でそう思いました。
エンディングが流れ始めた時にはしばらく身動き出来ない程感動したんです。
この曲のタイトルが、「勝利の旋律」。
ちょっと検索してでも聴いてみて頂ければと思うんですが、これがもう滅茶苦茶いい曲なんです。
「空の果てへ」と並ぶ、ジーザスでの二大お気に入りBGMです。
そして、スタッフロールが流れる中で、私はこんな文字列を見つけました。
MUSIC COMPOSED BY
KOICHI SUGIYAMA
こういち・すぎやま。
すぎやまこういち……?これ、ドラクエの音楽も作った人じゃん…!!!
当時、ドラクエなどのごく一部のタイトルを除くと、ゲームの制作スタッフの名前ってあまり表に出てこなかったんですよね。
説明書にも書いてないし、雑誌でも書かれていないことが多い。
スタッフロールを見るまで開発者の名前が分からないということもあったし、時にはスタッフロールでさえ名前が伏せられていることもあった。
だから私も、ジーザスのエンディングを見るその瞬間まで、ジーザスのBGMをすぎやまこういち先生が作っていたということを知らなかったんです。
けど、確かに。思い起こしてみれば、ドラクエIIのあの「遥かなる旅路」に通じるような、いつまで聴いても飽きない、心地よい、けれど決して耳から離れないような印象的なメロディが、「ジーザス」には確かに溢れていた。
あの船内を探索していたらいきなり流れ始めるBGM、「空の果てへ」を作った人が、ドラクエの音楽を作った人と同じだった。
これは、私にとってはこの上ないくらい納得感があることだったんです。
当時10歳かそこらだったと思うんですが、多分、これが私にとって、「ゲームを作った人」をはっきりと意識した、その初めての瞬間だったと思います。
そして、私がすぎやまこういち先生の名前を意識した、間違いなくその最初のタイミング。
同時に、この時まではそこまで意識していなかった「ゲームのBGM」というものにのめり込み始める、そのきっかけでもあったかも知れません。
つまり私は、すぎやまこういち先生作曲のBGMで、初めて「ゲームBGM」という趣味の扉を開けました。
以来30年程、自分の主要な趣味の一つとして、ゲームBGMを楽しみ続けています。
だからファミコン版ジーザスは、今でも私のオールタイムベストの内の一作です。
それ以降も、私は色んな場所で、すぎやまこういち先生のお名前をお見掛けして、すぎやまこういち先生の作ったメロディを楽しみ続けました。
もちろんドラクエで。SFCの半熟英雄で。風来のシレンで。46億年物語で。スーファミのモノポリーで。
そんなすぎやまこういち先生は、つい先日、90歳の人生に幕を下ろされました。
もちろん著名な方なので毀誉褒貶もおありだったとは思うのですが、少なくとも私の中では、今でもあの「勝利の戦慄」が流れ始めた時の、また「KOICHI SUGIYAMA」という名前が表示された時の衝撃がはっきりと息づいていますし、すぎやまこういち先生と言えば「あのジーザスの「空の果てへ」を作った人」なのです。
すぎやまこういち先生の逝去の報に触れて、ちょっと上のようなことを書き残しておきたくなりました。
こんなゲームとの出会いもあったんだ、という程度に、どなたかが心に残して頂けるなら幸いなことこの上ありません。
一人のゲーム愛好者から、ゲーム作曲家のすぎやまこういち先生へ。
大好きなBGMをたくさんたくさん、ありがとうございました。どうか安らかに。
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【著者プロフィール】
著者名:しんざき
SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。
ブログ:不倒城
Photo by Ben Lowe