日曜日の夜を楽しみにしている。
いや、月曜日が近づいてくるのは憂鬱ではある。
それでも楽しみなのは、『ダーウィンが来た!』が19時30分から放送されるからだ。
『ダーウィンが来た!』は、NHKの長寿番組で、毎週さまざまな生き物のユニークな生態が紹介されている。
絶滅危惧種の風変わりな暮らしが描かれる回もあれば、大都市の人工的な空間でたくましく生きる動物たちに迫る回のこともある。
生物に関心のある人なら文句なしに楽しめる番組だ。
そんな、バリエーション豊かな『ダーウィンが来た!』ではあるけれど、毎回の番組構成にはよく似ている。
番組に登場する生物は、だいたい以下の4つの課題に沿って紹介される。
それは、
1.餌をとったり逃げたりして生き残ること
2.配偶の相手を見つけること(巣作り、テリトリー争いを含む)
3.子育てをすること
だ。そして鮭の産卵のような場合、ここに
4.子育てを終えた後に死んでゆくこと
が付け加わることもある。
バリエーション豊かとはいっても、生物の課題は基礎はわりと共通している。
餌をとったり脅威を避けたりする[自然淘汰上の課題]と、配偶パートナーをみつけて次世代を育てるという[性淘汰の課題]が、どの生物種にもついてまわる。
そして働きバチやヘルパーといった直接は遺伝子を残さない者でさえ、近親者の遺伝子を残すためのなんらかの役割を担っている。
……で、人間はどうでしたっけ?
で、多様とも一様ともいえる生物の営みを毎週視聴していると、どうしても考えずにいられなくなるのだ──”ねえ、『ダーウィンが来た!』って、ホモ・サピエンスのこと、やらないの?” と。
さきほど挙げた1.2.3.4.については、ホモ・サピエンスだって本当は例外ではない。
現代社会が洗練されているから、つまり、生存競争や弱肉強食が露わではないようにみえ、性の営みが隠蔽され、子育てがプライベート化され、死が医療化されているから、1.2.3.4.が見えづらくなっているだけである。
後でも述べるが、現代人なら自然淘汰や性淘汰を免れていると考えるのは、まったく事実に即していない。
もちろん現代の日本は個人主義社会であり、人権も保障されている。
また、先天的・後天的条件によっては配偶・生殖・子育てに関連した行動が現れない個人だっているし、個人が好きなように生きられるのが現代社会の建前となっている。
そうした福祉や思想も含めた社会システムのおかげで、1.2.3.4.が野生動物ほど峻厳に問われなくなっている、とまでは認めてもいいだろう。
しかし街に出て人々の行動を眺めると、現代人とて自然淘汰や性淘汰の競争を戦っているように私にはみえる。
医療福祉、個人主義、資本主義、社会契約といったいまどきのシステムを与件として、その与件のなかで一種独特の自然淘汰や性淘汰の競争を戦っているのが現代人ではないだろうか。
人間の自然淘汰や性淘汰については一般書がいろいろ出ていて、『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』『話を聞かない男、地図が読めない女』のような本がベストセラーになったりしている。
こういうベストセラーになる人間の自然淘汰や性淘汰の本は新陳代謝が早く、学説が次々にひっくり返っていく分野なので、センセーショナルな話が今は覆されていたりするので注意が必要だ。
この分野の本を探したい人には、少し古い本になってしまうが、教科書然とした『進化と人間行動』から入っていくのをオススメしたい。
人間の自然淘汰や性淘汰についてはこのように様々な書籍が売られており、学問としても大きなまとまりを示しているわけだから、『ダーウィンが来た!』でホモ・サピエンスのことをやるのは学問的に可能なはずなのだ。
しかし『ダーウィンが来た!』は現代人自身をやってくれない。なぜなのか!
問うまでもない。もし『ダーウィンが来た!』でホモ・サピエンスを題材にしたら、抗議の電話が鳴りやまず、ネットでも定めし炎上すると思われるからだ。
小学生も見る番組に人間のあからさまな競争をみせるのはけしからん、ゴールデンタイムに配偶や性について切り込まれるとお茶の間が困る、等々の不興を買うのが目に浮かぶ。
また、人間の行動はすべて社会構築されているのであって遺伝的・生物学的に決まっている部分など認めがたい、と考える人もいるだろう。
とりわけ有性生殖に関連した行動は遺伝的にほとんど決まっておらず、ほとんど社会環境によって構築されたものとみなす人はまだ多い。
「人間は動物ではなく人間なのだから、『ダーウィンが来た!』には不似合いだ」と考える人もいるだろう。
本当はホモ・サピエンスという霊長類の一種であるのに、人間を動物の視点から眺めることをタブー視する人は昔も今も多い。
その特別な“人間さま”を動物番組に登場させることを不謹慎・不道徳と考える人はたぶん多いだろう。
ところが私はシロクマのアイコンを用い、twitterでもはてなブログでも「生息地:北極圏・畜生道」と書いている程度には自分のことを動物だと思っているので、人間を動物の視点から眺めることも重要だと考えている。
そういう目でたとえば東京の街など見ると、なんとも奇妙な自然淘汰と性淘汰が営まれているなぁ……と思わずにいられなくなるのだ。
『ダーウィンが来た!』風に東京の人々を観察する
もし、『ダーウィンが来た!』で東京のホモ・サピエンスの回があるとしたらどんな感じになるだろうか。
まずタイトル。
『出生率1.2! それでも恋する大東京のホモ・サピエンス』でどうだろう。
ナレーターとヒゲじいとのかけあいは、以下のような感じになるだろうか。
ナレーター:……この男性に限らず、ちかごろは恋すること自体を避けるホモ・サピエンスが、大東京では増えているのです。そうしたこともあって大東京の出生率はどんどん下がり、少子化が進んでいます。
ヒゲじい:あれあれ? でもちょっとおかしくないですか?
ナレーター:ヒゲじい、どこがおかしいのでしょう?
ヒゲじい:さっきの話だと大東京にはモノも仕事も集中していて、医療福祉まで充実してるそうじゃないですか。そんなに恵まれた環境なら、ホモ・サピエンスだってもっとこう、ドカーンと恋してドカーンと増えるんじゃないです? ほかの動物みたいに。
ナレーター:なるほど。ところがホモ・サピエンスの場合、そんなに簡単にはいかないのです。そのあたりの事情を理解するために、一緒に大東京の子育ての様子を見てみましょう!
(この後、中学受験に血道をあげる東京の親子の姿が映し出される)
もし『ダーウィンが来た!』で東京のホモ・サピエンスを特集するなら、モノや仕事が一極集中しているにかかわらず、いや、一極集中しているから”こそ”生じている性淘汰上の困難と、そこでの苦闘が描かれるだろう。
この、『ダーウィンが来た!』的な視点で、つまり1.(自然淘汰)2.(配偶)3.(子育て)4.(死の過程) の視点で東京のホモ・サピエンスを振り返ってみよう。
まず1.の自然淘汰。
この点では東京のホモ・サピエンスは恵まれすぎていると言って良い。飽食の時代と言われて久しく、病魔が流行するような不衛生とは無縁で、殺人などの犯罪も世界最小の水準に抑えられている。加えて医療や福祉といった制度も整備されている。東京のホモ・サピエンスは、生きるか死ぬかのためにあくせくしなければならない度合いが低いと言える。
問題は2.の配偶と3.子育てだ。
配偶は、東京ではとても難しいことになっており、出生率はその影響をモロに受けている。
財務総合政策研究所の資料を引用すると、東京の25歳女性の未婚率と合計特殊出生率は、どちらも全国で最も低い数値となっている。
なお、この資料には未婚率と合計特殊出生率、転出超過の地域と転入超過の地域と合計特殊出生率の相関についてなど、面白いデータが並んでいるので興味のある人はリンク先をどうぞ。
もうひとつデータを。
さまざまな傾向を可視化してくれるウェブサイト『都道府県別統計とランキングで見る県民性 -とどらん』に行くと、東京とその周辺や、東京に似た環境の大都市で未婚率が大きいさまがみてとれる。一例として「都道府県別30代男性未婚率」を引用すると、以下のような一覧になる。
こちらでも、日本で最も若者が流入する首都圏で未婚率が高いさまがみてとれる。
データを離れて東京の街をじかに眺めてみると、そこは美男美女が相争う、日本で最もパートナー獲得競争の激烈な街である。
都内でラッシュアワーの時間に電車に乗ると、洗練されたいでたちのホワイトカラーの人々に出会う。
男性も女性も身なりの良い服を着て、さっそうとプラットホームを歩く。スタイルもいい。
東京の人々はお互いに我関せずという顔をしているが、本当はお互いに見たり見られたりすることに慣れていて、「みられるということ」に意識もお金も費やしまくっているようにみえる。
夜、飲み屋の集中するエリアに赴いても印象は変わらない。
地方の20~30代と比較して、外見に多くのコストを支払っているのがみてとれる。
ここでいうコストとは、金銭的なものだけでなく、センスや意識も含めてのものだ。このような土地では、パートナー獲得競争の土俵にのぼるためのコストは割高だろう。
子育てのほうはもっとメチャクチャだ。
まず子育てをするためのスペースを確保するのが大変すぎる。
持ち家なら持ち家なりに、賃貸なら賃貸なりに、膨大なコストがかかる。
要は、東京のホモ・サピエンスは巣をつくるためのコストがちょっとおかしい水準なのだ。
そのうえ東京のホモ・サピエンスは、年収がよほど高いのでない限り男女共働きでなければならず、子どもを保育の専門家に預けなければならない。
そこでも待機児童問題が起こっていて、これも子育てのハードルとなっている。
巣を準備できたとしても、東京のホモ・サピエンスの悩みはまだ続く。
生まれた子どもは高学歴にしなければならないらしく、東京のホモ・サピエンスたちは義務であるかのように子どもに教育費用を投下する。
これがまた、子どもの精神的負担も、親の金銭的負担も大変なものになる。
子育てをするためのスペース確保と全国トップ水準の教育費用──このふたつの条件と折り合いをつけられなければ子育てが始まらない・できないとしたら、金銭的に一定水準以下の東京のホモ・サピエンスは子育てに挑めないよう思われるだろう。
男女が相思相愛になったとしても、ここがネックとなって配偶には至らないことだってある。
ついでながら、4.の死について。
東京でホモ・サピエンスが死んでいくとはどういうことだろう?
これから急速に高齢化が進む東京では、孤独死の問題など、人生の終わりについてさまざまな問題が顕在化する。
東京に限ったことではないけれども、この国は、よく生きることと長く生きることを追求するあまり、死を視界から追い出すことに汲々としてきた。
東京はどこまでも生者のための街で、人が死に、終わっていくことに便宜をはかってくれているようにはあまりみえない。
それでも『ダーウィンが来た!』なら生命の輝きをみせてくれる……はず
そも、命とは、全体としての増減はあっても生まれるものが生まれ、育つものが育ち、死ぬものが死ぬ、そのような循環をなすものだ。
『ダーウィンが来た!』には、数が急速に少なくなっている動物、生息域が狭くなっている動物、環境汚染などに苦しみながらも新しい環境で生きてゆこうとする動物も登場する。
そのような動物たちをも感動的な番組に仕上げるのが『ダーウィンが来た!』なのだから、出生率1.2を下回った東京のホモ・サピエンスが登場しても感動的な番組に仕上がるに違いない。
ホモ・サピエンスの環境改変能力は、(制度やシステムを設計する点も含めて)ほかの動物の追随を許さない。
その、環境をいかようにも改変できるユニークな動物が自分たちの都合で東京のようなメガロポリスを築いた結果、世代再生産を困難にし、侵略者などによらず先細っていくのは、動物の進化について考えるうえですごく面白い現象だと思う。
なので私としては、万難を排して『ダーウィンが来た!』東京ホモ・サピエンス編を放送していただきたいと思う。
地上波では難しいようなら劇場版でもいいです、観に行きますので。
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著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。
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ブログ:『シロクマの屑籠』
Photo by Adam Bignell