地上で財をなした金持ちが宇宙へ行く

たまには宇宙のことも考える。

 

ZOZO創業者でスタートトゥデイ社長の前澤友作さんが宇宙へ行った。

ちょっとした無重力体験ではなく、それなりに国際宇宙ステーション(ISS)に滞在する。

 

これについて、金持ちの道楽だとかなんだとか批判的な声もある。

だが、おれの感想は違う。

「すげえな!」。これである。

 

なにせ宇宙へ行くのだ。

宇宙はやばい。死ぬかもしれない。

海の男たちの言葉に「板子一枚下は地獄」というのがあるが、宇宙空間だって隔壁一枚向こうは地獄だ。なにせ空気がない。

 

空気がないところに行けるならまだしも、その前にロケットによる打ち上げがある。

ロケットによる打ち上げによる人身事故(人身事故という言葉がふさわしいかわからないが)は、ひょっとしたらあの1986年のチャレンジャー号爆発事故からだろうか。

 

いや、違った。コロンビア号空中分解事故というのもあった。

さらには、スペースシップツー墜落事故というのもある。

 

中国や旧ソ連、ロシアで、明らかにされていない事故があったかもしれない。

ただ、おれにとって、子供心にチャレンジャー号の爆発事故があまりにも大きく、それ以後の事故はあまり記憶になかったのかもしれない。

 

それにしても、だ。

スペースシップツーは民間のヴァージン・ギャラクティック社のものだ。

そのヴァージン・グループの創業者であるリチャード・ブランソンは宇宙旅行をした。

 

そしてまた、Amazonの創業者のジェフ・ベゾスも、自らの宇宙開発企業ブルー・オリジンの有人飛行で宇宙へ行った。

 

「すげえな!」

 

なぜ命をかけて宇宙へ行くのか

再度書くが、この地上で使い切れぬほどの財をなした人間が、宇宙へ行くのはすごい。

だって、死ぬかもしれないのに。

「いや、ソユーズの安定感は、そこらでスポーツカーを乗り回して交通事故死する確率より低い」とかいう話もあるだろう。

 

けど、宇宙だぜ、宇宙空間で人間は生きられないのだぜ。死ぬのだぜ。やっぱり「すげえな!」と思うのだ。

 

なにせ、連中は、この地上で贅沢の限りを尽くしても、尽くしきれないほどの富を得た連中だ。

酒池肉林だ。そんな生活を死ぬまですることができる。

 

なのに、それを失う、自分の生命を失う危険をおかして、宇宙へ行くのだ。

おれにはさっぱりわからん。

おれがそれだけの富を得たら、遊んで暮らす。死ぬまで遊ぶ。死なないように気をつけながら、遊んで暮らす。

 

まあ、そのあたりが凡人なのよな。貧しい凡人だ。

彼らは彼らが財をなしたその才能によって、宇宙旅行への危険度を正当に評価し、安全だと判断して行ったのかもしれない。

あるいは、その先に「宇宙開発というビジネス」を見据えているのかもしれない。

 

でも、おれは思うのだ。それにしたって、生命かけてんな、と。

 

ガンダム宇宙

とはいえ、おれだって宇宙へ行きたかったことはある。

片道切符でも、宇宙に飛び出せることができるなら、よろこんで宇宙船に乗り込む、そんな覚悟だ。

 

そんな思いを抱いていたのはいつからだろう?

よくわからない。おれと宇宙、宇宙とおれ。

 

……ガンダムか。

おれは機動戦士ガンダムと同級生である。

ということは、生まれたときに放送されていたものを見ていたわけでもないので、何度目かの再放送を見たということになるだろう。

 

機動戦士ガンダム。

おれにとっての宇宙観はその世界によって、宇宙世紀によって刻まれたといっていい。

地球に人類が増えすぎて、スペースコロニーで暮らすようになった未来。

 

そこに描かれていた宇宙は、ほかの子供向け作品などと比べて、圧倒的にリアルな感じがした。

宇宙人も出てこない。ワープもしない。

コロニーに穴が空いたら空気がなくなる。その宇宙は虚無だった。

 

一方で、人類の進化が描かれていた。

地球で生まれた人類というものが、宇宙空間という本来生きるためではない環境にあって、進化するのではないか。

それをニュータイプという。

いきなりガンダムの話をして、「なんだガンダムって?」って思った人も、ニュータイプという言葉くらい聞いたことはあるのではないか。逆か。まあいい。

 

もちろん、幼児だった自分にここまでいきなりわかったわけではない。

おれはノーマルタイプだ。あと付けでつけていった知識だ。

 

とはいえ、幼心のおれは、ガンダムの宇宙が好きだった。

アニメや映画でも、異星人が出てくるものは、どうにも作り物くさくて、好きになれなかった。子供心にそうだった。

おっさんになった今でも、どうもそういう傾向はある。

 

おれが想像していた21世紀と違う

というわけで、おれにとっての宇宙はガンダムの宇宙だ。スペースコロニーだ。

子供の頃のおれは、ちょっと古いアニメに描かれたそれを見て、いつかは自分も宇宙に行けるんじゃないか、と漠然と思っていたかもしれない。

 

漠然というか、本気でそう思っていたふしもある。

ところが、思ったより21世紀というものは発展していなくて、みんな銀色のつなぎ服を着ていない。

エアカーが都市を飛び交ってもいないし……みなが気軽に宇宙旅行に行くようにもなっていない。

 

ある種の失望はある。21世紀の今日、これでいいのか、と。

このあたりは、生まれた年によって大きな違いがあるかもしれない。

おれにはおれの世代の同時代があって、おれの世代の近未来、そして未来があった。

おれが子供心に思っていた未来、21世紀は、こんなんではなかった。

 

とはいえ、確実に宇宙に向かって人類が進み始めている。

いや、おれが生まれるずっとずっと前にアポロ11号は月に行っていたんだっけ。

でも、なんかわからんが、最初に書いたように、この2021年あたりが、人類がまた宇宙に行く、民間人が行く、その最初の年として語られるようになるかもしれない。

 

でも、遅いよな。

今、宇宙旅行を具体的に考えられるのは、限られた超大金持ちだけだ。

ちょっとした金持ちが、今、海外旅行に行くように宇宙に行けるまであと何年? 100年か、それとも50年か。

 

では、それほど金持ちでもない人間が、国内旅行に行く感じで宇宙に行けるのはいつか。

200年はかかるかもしれない。

おれとしては、京浜東北線で関内駅から上野駅あたりに行くくらいになってもらわなければ困るのだが、それまで生きてはいられないんだよな……。

 

でも、本当に宇宙に行きたいの?

と、ここまで書いてなんだけれど、「片道切符でいいから宇宙へ行きたい」という思いは、正直、ない。死にたく、ない。

もしも自分が宇宙に行ける大富豪だとしても、レジャーや冒険として宇宙を目指そうとは思わないだろう。

むしろ、金持ちだったらなおのこと家でなにもしないで過ごしたい。

 

というか、貧乏生活の今、この状態で、いきなり「宇宙行けるけどどうする?」と言われても、「いや、ちょっと、遠慮します」とか言いそう。

 

子供のころの夢から、こうなった変化について、たとえばおれが結婚して、子供を持ったとかいうなら簡単に説明はつく。

が、おれは、例えば20代のその頃と変わらず、独身で、貧しい。

はっきりいって、失って惜しいと思うものの総量がそれほど増えたわけではない。

それほどどころか、いたずらに年齢だけ重ねて、資産も経験もなにも増えていないと見ていい。

 

なのに、なぜ……。

これがよくわからない。よくわからないが、死ぬのが怖くなった。

これはなんだろうか。老い、なのか。

老いだとすれば、これは発見でもある。老いたら、死ぬのが怖くなる。そういうものなのだろうか。

 

あるいは、冒険心を失うということだろうか。よくわからない。

おれはおれなりに、底辺付近を這いずってきた人生を、それなりに失いたくないものと思っているのだろうか。

 

それともそれとも、双極性障害(躁鬱病)を患ったことによって、消極的な性格に拍車がかかったのか(消極性に拍車って変だな)。

というか、精神障害者が宇宙に行くというのはそうとうにハードル高いよな。

一緒に宇宙船に乗りたいと思いますか?

おれは思わない。まあそれはいい。いずれにせよ現実的な話ではない。

 

宇宙はすっぱいぶどうなのか

というか、宇宙になにがあるっていうんだ。

だいたい、なんにもない。おおよそ、なんにもない。たまになんかぽつんと星とかある。

地球のまわりには衛星とか、スペースデブリとかあるかもしれない。

でも、だいたいなんにもない。たしか、そうだよな。

 

そんなところのなにが楽しいっていうんだ。

宇宙が、空が美しく見えるのは、大気圏があってのことだ。

べつに行ったところで、無重力なくらいで……無重力、楽しいのかな?

飛んでるような気持ちになれるのだろうか。

 

あ、いかん、少し誘惑に乗りそうになってきた。

誘惑に乗ろうとしても、宇宙船には乗れないけれど。

 

ただ、なんだ、ちょっぴり、宇宙に対してロマンが感じられなくなってきたというのもあるだろうか。

それは、民間人が宇宙に行くようになった今だからこそ出てきた思いかもしれない。

なんというか、そこまで神秘でも、特別でもないのかな、という。

 

たとえば、立花隆が書いた『宇宙からの帰還』という本には、世界最高の科学教育を受けた宇宙飛行士たちが、宇宙に行くことで神を見てしまったというような体験が多く書かれていた。

おお、ニュータイプ。そんなことも思った。

 

けれど、ブランソンは、ベゾスは、前澤さんは、神を見ただろうか。

よくわからない。それは彼らの中にしかないことだ。

いずれ語られる日も来るかもしれないし、もう語っているけどおれが読んでないだけかもしれない。

 

ただ、どうにも、もう、宇宙空間というものが空虚なもののように思えてきた、ということだ。

いや、宇宙は空虚なのだけれど、たとえば、革命家のルイ・オーギュスト・ブランキがトーロー要塞の土牢で書いた『天体による永遠』という名著があるが、そんな宇宙はもう想像できない。

稲垣足穂の『天体嗜好症』も遠くなってしまったのだろう。

 

天体、という言葉もあまり使われなくなってきたか。

よくわからない。ただ、どうも自分の世代というものは、人々が宇宙に行きはじめる、その端緒を目撃して、目撃するだけで人生を終えるのだろうな、という感触がある。

そういう中途半端な世代だったのだ、と。

 

とはいえ、何時代以降かわからないが、文明国に生まれた人間は、人類文明の進歩のなかにあって、必ずその進歩の中途半端さと向き合って生きて、死んできたのであろう。

 

いずれ、多くの人間が京急線で横浜駅から立会川駅に行くくらいの気軽さで宇宙に行く日は来る。ただ、今はそうではない。

そうではない時代の人間の、一つの感想を、こうして書き留めておく。

これに宇宙的な意味があるのかどうかはしらない。

 

 

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【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

Photo by NASA