僕がインターネット上に、はじめて「ホームページ」を立ち上げたのは、2001年のことでした(正確には、ホームページをつくるまえに、『さるさる日記』というオンライン日記サービスで日常雑記を書いていました)。

 

ニューヨークで同時多発テロが起こり、これまでの日常がずっと続いていくとは限らない、という不安や焦りに駆られて、『ホームページビルダー』で悪戦苦闘しながら、「自分のサイト」をつくったのです。

 

正直、あれから20年以上も、ネットで文章を書いて、公開しつづけることになるとは思ってもみませんでした。

当時はまだアンダーグラウンドというか、「日常では言えないような話を『王様の耳はロバの耳』とばかりにネットに書いて、誰かにみてもらう(ことを期待する)」時代で、不倫日記とか仕事の内情を明かす日記とかも少なからずありました。

 

いまや、ネットでの不用意な発言は危険であることが周知され、「ネットでは日常生活よりも言葉に気をつけるべき」だと多くの人が考えています。

 

古田雄介さんの『ネットで故人の声を聴け』(光文社新書)を読みました。

著者の古田さんには『故人サイト』という、さまざまな理由で命を落とした「死者のサイト」を紹介した本があります。

参考リンク:【読書感想】故人サイト(琥珀色の戯言)

 

この『ネットで故人の声を聴け』は、『東洋経済オンライン』に連載されていた記事が元になっており、「癌などの病気がみつかった人の闘病日記」や「自ら死を選ぼうとしている人の『終わり』までの記録」などが紹介されています。

一例を紹介しましょう。末期がんを告知されたある男性は、その日を境に趣味のブログのタイトルを闘病記ふうに切り替えました。文調はいたって明るく、ネガティブな表現は冗談を除けばほとんど見当たりません。数年後、新たな治療を始めるという日記を最後にパタリと更新が途絶えました。その日記のコメント欄に半年後に書き込まれた家族の丁寧な挨拶文により、投稿から間もなく意識が混濁し、それから2ヶ月後に亡くなったことが知れます。男性もあれが最後の更新になるとは思っていなかったようです。

最後の最後まで前向きに大病に向き合って、本当に強い人だな。最初に目を通したときはそう思いました。しかし、日記の更新日に着目して精読したときに印象が大きく変わったのを覚えています。

どうやら男性は小康状態のときにはブログから遠ざかり、心身が苦しくなったときにだけ更新していたようです。そしてその視点で読み返すと、辛い治療のタイミングほど「エール」や「奇跡」といった言葉を多用する傾向が浮かび上がってきました。つまり男性は、自らを奮い立たせるため、読者からエールをもらうためにブログを使っていたのではないか。その先にある元気な自分の状態を「奇跡」と表現するくらいには、厳しい現状を受け止めていたのではないか──。答えは出ません。しかし少なくとも、単純な「強い人」という言葉では表現できない悲壮な感情が内包されているのは確かでした。

個人がホームページで簡単に「世界に対する自分語り」ができるようになってから、約25年。この間に、日本国内だけでも、3000万人近い人が亡くなっています。

亡くなる人は高齢者が多いので、インターネットを使いこなして「日記」を書き残している割合は高くないのかもしれませんが、これだけの母数があれば、かなりの数の「墓標」がネット上に遺されているのです。

 

僕自身も、これまでのネット生活で、突然更新されなくなったサイトをたくさんみてきましたし、「今日はちょっと胸が苦しいので病院に行く」というようなツイートを最後に、ネットから姿を消してしまった人もいたのです。

消えてしまった人のなかには、家族から「訃報」が後日伝えられたものもあれば、「飽きたからやめた」あるいは「他のブログやSNSに移行した」だけなのか、本当に人生が突然終わってしまったのか、判然としないものも多いのです。

 

実際、本当にブログをやめるときって、「終わります!」って宣言する人はけっこうすぐに戻ってきて、いなくなる人って、突然更新されなくなってそのまま、になりがちです。

それは、長年ネットで文章を書いてきた、僕の感覚としても理解できます。

 

書かれていることが「嘘」ではないとしても、「本心のなかで、ネットで公開しても大丈夫なものだけ」の人も多いはず。

InstagramなどのSNSをみても、みんながあんなにキラキラした面ばかりの生活を送っているとは思えませんし。

とはいえ、見えない、語られていない部分を、勝手に想像で補ってあれこれ言うのもまた、不誠実な行為ではありますよね。

 

2002年に42歳で亡くなられた「肺癌医師のホームページ」の最後の投稿には、こう書かれていました。

2001年11月26日(火)
モルヒネの持続静注が続いて、錯乱が生じてきたよう。人の名前もあまり思い出せなくなった。これ以上のHP(ホームページ)更新は困難と判断す。(闘病日記-11月)

この方が亡くなられたのは、2002年1月6日だったそうです。

こうして、自ら判断して、意識の混濁による誤解を招くような言葉や、最期の苦しみを吐露しないまま、「幕を引くことができる」人もいるのです。

 

僕は正直、同じことはできそうにありません。「やめる」と言いながら、つい、励まされたり、死の恐怖の前で誰かに構ってほしくなったりして、戻ってきたり、終わるタイミングを逸してしまったりするのではなかろうか。

まあ、そういうのもまた、「人間らしい往生際の悪さ」ではありますよね。

 

2009年の12月に33歳で亡くなられた女性のブログ『日本一長い遺書』には、こんな記述があるそうです。

自分がガンになったことを告げても、保険金のことしか話さない母のいる気持ちを、知っていますか。
自分がガンになったことを知って、私名義のマンションから立ち退き要求の調停を起こす元夫がいる気持ちを、知っていますか。

(略)

生涯
誰にも 何にも
頼ることができない孤独を 知っていますか
(2009年7月14日「私は、全て知っています」)

断片を読むだけで、打ちのめされてしまうようなブログもありました。

もしこれが小説やテレビドラマであれば、なんらかの奇跡や救いがあるはず、あっていいはず、なのですが、現実は、ひたすら無慈悲です。

ただ、そこには「実際は、こんなものだよなあ……」という悲しい学び、みたいなものもあるような気がします。

 

僕も20年以上ブログをやっていて、そして、50歳を迎えて、人生とともに、自分のブログの「終活」を考えることが多くなりました。

 

この本によると、ほとんどのブログは、その書き手が亡くなると、利用料金を払っていたクレジットカードが停止されたり、ブログサービスそのものが終了したりして、いつのまにか消えてしまうのです。

ブログサービスが幸運にも続いていても、掲示板が出会い系サイトの宣伝で埋め尽くされていたり、荒らしの巣窟になっていたりすることも少なくありません。

 

僕自身、20年前に「自分が死んでも、自分が書いたものがネット上に残っていく」ことを期待しつつ書き始めたのですが、こうして、ネット上に積み重なっている「死者の記録」をみていくと、デジタルデータは、けっこうあっさりと消えてしまうし、残っていたとしても、誰も読まずに、ただそこに存在しているだけのデータは、本当に「残っている」と言えるのかどうか。

 

著者は、この本に紹介されているような、いまも読まれている「故人のサイト」は、遺族や友人、ファンなどの「いま、生きている人たちによるメンテナンス」が行われ続けていることを指摘しています。

本物の「お墓」のように、誰かが定期的に掃除をしたり、お参りをしたりしていないと、「故人の記録」も荒れ放題になり、忘れられてしまうのです。

 

「デジタルのデータはずっと遺っていく」というのは幻想でしかなくて、僕自身、いろんなデータをハードウェアの変化や記録媒体の損傷などで失ってきました。

よほどの有名人でもなければ、紙の手紙や写真のアルバムのほうが、受け取ってほしい人に受け継がれる可能性は高いのかもしれません。

 

そもそも、「遺す」ことが正しいのか、というのもまた問題ですよね。

僕自身、自分が書いたものを、現実での知り合いが読みたがるのか、内容を不快に感じたり、傷ついたりしないか、正直、わからないのです。

あからさまな悪口ではなくても、「自分が知らないところで、勝手にあれこれ言われていた」というだけでも、許せないという人もいます。しかもそれが、ネットで不特定多数に晒されていたとなれば、なおさら。

僕が子どもだったときのことを思い返すと、自分の親の「若気の至り」とか見たくなかったし。

 

ネットを通じて知ることができる、他者の「生きざま、死にざま」に、人は希望を抱いたり、絶望したりする。

しかも、それが「事実」かどうか、検証するのはひとりの閲覧者には困難です。

古田さんも「自殺予告ブログ」の著者がブログ更新をやめたあとどうなったか、本当のところはわからない、と仰っています。

手の込んだ「釣り」の可能性だってゼロではない。

 

ただ、全部が真実ではないかもしれないけれど、全部が嘘、というわけではないと思います。

 

人生が終わるとき、自分のブログやSNSは、どうなることを望むのか?

僕にとっても、それはとても悩ましく、面倒くさい課題なのです。

 

「ネット終活」なんて、気にしているのは自分だけで、僕がいなくなればあっという間に開店休業状態になってしまうというのが「現実」なのかもしれませんが。

 

 

 

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【著者プロフィール】

著者:fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

ブログ:琥珀色の戯言 / いつか電池がきれるまで

Twitter:@fujipon2

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