とあるゲームで知り合ったPさんは、めちゃくちゃうまいのに鼻にかけることもなく、だれにでも気さくに話しかける性格で、いつもいろんな人から誘われる人気の女性だった。

 

彼女はTwitterでも社交的で、遊んだあとは挨拶リプつきですぐにフォローし、毎晩「今日は〇〇さんと遊びました♪」とキラキラ加工つきの画像をつけてつぶやいている。そんな人だ。

 

しかしわたしは、偶然知ってしまった。

彼女の別アカの存在を……。

 

普段とはちがうキャラの愚痴アカにびっくり!本人の反応は……

「カスばっかでやってらんねー、また負けたわ」

「何回同じミスすんだよ? 脳みそ腐ってんのか?」

「調子乗ってるクズどもみんな〇ねばいいのに」

 

見た瞬間、目を疑った。

え、Pさんって優しい良い人なんじゃないの?

 

ふだんのPさんとはまったくちがうキャラなのにも驚いたが、偶然見つけられるようなアカウントでこんな愚痴を書いていることが、なによりも衝撃的だった。

 

どうしても気になって、わたしは思い切って本人に聞いてみることに……。

 

「あの、これってPさんですよね? ふだんとキャラがちがってめっちゃびっくりしたんですけど……」

「うん、こっちのアカはマジメキャラでやってるから、愚痴はそっちのアカウントに書いてるんだよね~w ストレス発散っていうかw」

「あ、そうなんスね、へぇ……」

 

Pさんは慌てるでも隠すでもなく、あっけらかんと「それはわたしのアカウント」だと言うのだ。

いやまぁね、本音と建前がちがうのは理解できるし、だれだって表の顔と裏の顔をもってるよ、うん。

 

でもそれは、「隠すべきもの」なんじゃないの?

 

いくつものキャラがあって「本当の人格」がわからない

オンラインゲームでこういう経験をしたのは、一度や二度ではない。

 

たとえば野良で仲良くなった人と、後日改めて遊ぼうということになったときのこと(野良とは、ランダムマッチングで偶然一緒に遊ぶことになった見ず知らずのプレイヤー)。

連絡先にツイッターアカウントを聞いたところ、「闇アカでもよければ」と言われ、どういうことかと思って見てみれば、野良で出会ったヘタな人たちを名前入りのスクリーンショットで晒し上げているアカウントだった。

 

その行為自体すでにドン引きなのだが、一番やばいのは、仲良くなって「また遊びましょう」という流れで連絡先を交換したわたしに、そのアカウントを教えたことだ。

 

だってそんなの見たら、もう遊びたくなくなるじゃん。

でもその人は、「闇アカですけどどうぞー」と、そのアカウントを教えてきたわけで。どういう神経してるんだ?と、びっくりした。

 

そうそう、姐さんキャラのさばさばした女性が、ギルド(ゲーム内のサークルのようなもの)に新しく加入したときにも、同じようなことがあった。

ギルド内の自己紹介コメントに「ツイッター(日常アカ)」とアカウントを書いていたのでフォローしようとアクセスしたら、夫を呪う言葉を毎日書き続けているアカウントで、これまたびっくりした。

 

いやまぁ、なにを書くかは自由だけどさ。

ゲームのつながりの人に教えるアカウントとしてはどうなの……?

 

なんかこう、「この人はこういうキャラなんだろうな」って思ってたら、別の場所では全然ちがうキャラでやってるってことが多すぎて、「本当はどういう人なんだろう?」と、戸惑ってしまう。

 

10年前から指摘されていた若者の「キャラ分け」文化

最近読んだ「若者」に関する本で、ちょうどこの「キャラ」について書かれていたので、ちょっと紹介したい。

若者は彼らなりのTPOに合わせて巧みに「キャラ」を演じ分けています。私たちオトナも家庭でのキャラと職場でのキャラは違ったりするものですが、若者はもっとたくさんのキャラを持っていると思っていいでしょう。なにしろSNSでは3つも4つもアカウントを使い分けて、それぞれの仲間うちで自分のポジションを探しながら、コロコロとキャラを変えます。あるコミュニティではのび太くんなのに、別のコミュニティではジャイアンだったり、あるいは出木杉君だったりするわけです。
出典:『なぜ最近の若者は突然辞めるのか』

なぜ最近の若者は突然辞めるのか

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そう、これはまさに、わたしがゲームフレンドたちに思っていたことだ。

のび太くんだと思っていたのに、ジャイアンだったり出木杉君だったりする。

 

そしておもしろいことに、12年前の2010年に書かれた『近頃の若者はなぜダメなのか』という本にも、「キャラ」についての言及がある。こっちも紹介したい。

 

この本の筆者は、マスコミの知り合いに「ニートの若者を紹介してくれ」と言われ、夢を追うために一時的にニートになっていた男子に、「取材を受けてくれないか」と打診したそうだ。

筆者はニートとして取材されることで彼を傷つけないかと心配していたが、彼の返事は、このようなものだった。

「喜んで取材を引き受けます! ちなみに、謝礼っていくらくらいですかね? ニートを取材したいという先方の趣旨からすると、きっと新聞社は無気力でニートになっている若者の姿を描きたいんだと思います。僕は志があってニートになってるつもりですが、テレビでよく見る感じの、親の脛かじり、自室でパソコンばかりいじっていて、『やりたいこと? 特にないっす。働くのなんて嫌だし、自宅にいるのがいちばん居心地いいっす』なんて言っちゃうキャラになったほうが、記事の趣旨に合ってますよね?」

出典:『近頃の若者はなぜダメなのか』

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彼はプライドを傷つけられたと怒るどころか、「都合のいいニートキャラやりますよ」と言ってくれたそうなのだ。

 

さらに筆者は、とあるシンポジウムで登壇をお願いした女子高生が、「他の子とキャラかぶりしているから、自分は別キャラにしたほうがいいのではないか」と提案してきたエピソードも紹介している。

登壇前で緊張しているだろうと思っていた女子高生が、まさか「キャラかぶり」を心配していたなんて……と、筆者は目を丸くしたそうだ。

 

2010年にすでに「若者のキャラ分け」が指摘されているのだから、これは「若者」の傾向ではなく、「物心つくころからインターネットに触れていた世代」の傾向なのだと思う。

端的にいえば、「インターネットにより『キャラ分け文化』ができた」ということだ。

 

「場」固定のキャラから「人」によって変える流動的なキャラ設定へ

「ふたつの顔」という表現があるように、いままで「キャラ」というのは、公と私、表と裏のように、対局にあるふたつの側面を指していたと思う。

たとえば、仕事場であれば仕事キャラ、家であれば家庭キャラのように、「場」に対して固定の専用キャラがあったわけだ。

 

「家では仕事のことをまったく話さない昭和の父親像」が、その典型といえる。

仕事キャラは仕事場でのみ動くキャラだから、そのキャラで「家庭」にログインすることはない。

休日に仕事の電話がかかってきたら、家族がいない場所に行って、仕事キャラでログインしなおしてから会話スタート。

 

逆に、仕事している最中に、子どもから「具合悪くなって早退するから迎えに来てほしい」と電話がきたら、同僚に聞かれないように小声で「ちょっと待ってて」と言う。

ふたつの「キャラ」は完全に独立していて、まわりはそのどちらかの側面しか知らないし、もうひとつの顔は基本的に隠すものだ。

 

でもいまは、昔ほど「キャラ」は分離していない。そのとき求められている「1番いいキャラ」を選ぶだけ。

ニートとして取材を申し込まれたら、相手の要望を汲んで「最適なニートキャラ」になる。

シンポジウムに呼ばれたら、友人とのキャラかぶりを避けて、「ふだんとは別キャラ」を演じる。

 

キャラは昔のように「場」に固定されているのではなく、まわりの「人」に合わせて柔軟に変えるものになったのだ。

みんな「別キャラ」をもっているのが当たり前なので、「今日はリーダーキャラでログインするね~」「じゃあわたしのリーダーキャラはログアウトして、空きがあるツッコミキャラでいくわ~」なんて感じで、気軽に使い分ける。

 

たとえば、まじめな顔でリモート会議をしているなかで子どもが部屋に入ってきたら、パパ・ママキャラに切り替えて、「うちの子です~」と笑顔で紹介する……なんてことはないだろうか。

 

まわりはその人が、「生真面目な中堅社員キャラ」から「アットホームパパ・ママキャラ」に切り替えたことを理解し、それに合わせて自分自身も、「子育てに理解のある上司キャラ」とか「同じ子育て世代キャラ」とかにチェンジする。

そこで仕事という「場」のキャラに固執して、「会議中なんだから子どもなんて部屋に入れるな!」と言えば、その人はまわりの「人」に合わせてキャラ設定できない「空気の読めないうざい人」になってしまうわけだ。

 

「場」でキャラを固定せずにまわりの「人」に合わせるから、柔軟で複雑なのが、いまの「キャラ事情」なのだと思う。

 

相手が望むキャラになれないと「空気が読めない人」

なんで「キャラ」の性質が変わったかといえば、それは「場」が成り立たないことにある気がする。

わたしが中学生だったころ、みんなMステと学校へ行こうを見ていたし、女子はごくせんに夢中だった。

カラオケではaikoや大塚愛、ポルノ、レンジなどが定番。「学校」という場では、それらをみんな共有していたのだ。

 

でもいまは、同じ「学校」でも、アマプラでアメリカのドラマを見ている人もいれば、ネトフリでミスチルのライブを見ている人もいるし、ヒカキン動画を見ている人もいる。

「仕事場」とはいっても、30年ずっと勤めている人もいれば転職を経て5社目の人もいるし、残業上等でガンガン仕事をする人もいれば家庭優先でドライな人もいる。

 

「場」が同じだからといって、共通事項が多いわけではない。

「場」を中心としたキャラ展開だと無理が出てくるから、「場」に縛られず、まわりの「人」に合わせて調整するほうが都合がいいのだ。

 

しかもいまのご時世、たとえ「場」に合ったキャラでも、上司だからって偉そうにすればパワハラになるからね。

ハラスメントという視点でも、「人」に合わせたキャラのほうが、無難なのだ。

 

別キャラを意識しないことが「キャラ分けコミュニケーション」の処世術

そうやってキャラを使い分けると、冒頭のゲームフレンドの例のように、「別の顔をいくつももっている」状態になり、「本当はどんな人なんだろう」とまわりが困惑することもあるかもしれない。

 

でもきっと、どれも本当の顔で、どれも「表」なのだ。

その人が「最適」だと思って設定したキャラとは別のキャラ設定があったとしても、見て見ぬふりをすればいい。

だってその「キャラ」は、わたしには関係ないから。

 

「そっちではそのキャラなのね、ふーん」と、余計な詮索はしない。

自分のキャラ設定一覧のなかから、その場にいる人たちのキャラと相性のいいキャラを選んで、ログインするだけ。

 

年下の妹キャラでやっていても、後から合流した人も同じキャラならその人に譲り、自分はほかの適当なキャラに切り替える。

仕切るのが好きじゃなくても、だれも仕切らないなら、自分がリーダーキャラになる。

 

そうやってキャラを調整しながら、「その場」を楽しみ、お互いうまいことやる。

それがきっと、「キャラ分けコミュニケーション」の、処世術なのだ。

 

 

【安達が東京都主催のイベントに登壇します】

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3. サイバーセキュリティは「利益を生む投資」である
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・経営者のマインドセットとして、投資=成長のための手段
・サイバーセキュリティ対策は攻守ともに利益を生む手段と考えよう

【登壇者紹介】

安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
2025/7/14(月) 16:30-18:00

参加費:無料
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。


お申込み・詳細
お申し込みはこちら東京都令和7年度中小企業サイバーセキュリティ啓発事業「経営者向け特別セミナー兼事業説明会フォーム」よりお申込みください

(2025/6/2更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

名前:雨宮紫苑

91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&写真撮影もやってます。

ハロプロとアニメが好きだけど、オタクっぽい呟きをするとフォロワーが減るのが最近の悩みです。

著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)

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ブログ:『雨宮の迷走ニュース』

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Photo by Rach Teo