おれとラーメン

この間おれは、外食チェーン店について書かれた本について書いた

いろいろなチェーン店が紹介されていたが、あまり取り上げられていなかったのがラーメンである。

ラーメンについては、現在のバーミヤンラーメンがいかに進化しているくらいだろうか。あと、日高屋。

 

それもそのはず、後述するが、ラーメン屋は資本のチェーンによる寡占化を逃れている外食店である。

有名なチェーン店はいくつかあるが、「ガスト」(すかいらーくグループ)のような存在はないということだ。

 

そもそも、いま40代のおれが子供心に思い出すに、近所のラーメン屋というものは、やはり個人店だった。

ラーメン屋というか、今の言葉でいえば「町中華」ということになる。ラーメン専門店というイメージはない。

 

そんなラーメン屋の、原初の思い出となると、子供会のソフトボール大会の打ち上げで、それなりに大勢の大人と子供で一軒の中華料理屋に入ったときのことになる。

あまりにも大量のラーメンを作らなくてはならなくなり、なにかの作業が不十分だったのか、ラーメンの麺が十分にほぐれておらずくっついており、それを非常に嫌がったおれは、お腹がすいているのに人に譲った。まあ、どうでもいい。

 

発行から10年後に読む『ラーメンと愛国』

さて、ラーメン、ラーメンの本でも読むか。

なにを読もう。そう思った時に思いついた本が『ラーメンと愛国』である。インパクトのあるタイトルだ。いつか読もうと思っていた。なので、読んだ。

 

いつか読もう、が10年後になった。10年経った新書は新書といえるのだろうか。言えるだろう。逆に、そのくらい寝かせておいたほうがいいかもしれない。

本の「現在」の射程は10年さらに遡るところが(おれのようなおっさんには)いいし、その後の書かれていない10年の変化についていろいろ考えたりせざるをえないからだ。

なにかを読むときは、いろいろ考えながら読んだりしたほうがいいときもある。

 

さて、本書の「まえがき」冒頭に、おれはうれしくなってしまった。

食べものに関するエッセイの名手でもある漫画家の東海林さだおが、ラーメンの具についてこんなことを書いている。東海林がラーメンを食べてきた50年の歴史の中で、ラーメンの具からナルトとほうれん草が消え、新たに海苔と煮玉子が「登場して定着した」というのだ(『週刊朝日』2010年12月31日号)。

おれが漢字混じりの本を読むようになって、最初に手に取ったのが東海林さだおのコラムである。

実際にラーメンやラーメン屋に接するより先に、東海林さだおのラーメン観のようなものがインプットされたといっても過言ではない。コラムにとどまらず、その漫画でも庶民的な場として、ラーメンネタは多かった。

 

しかしなんだろう、なるほどナルトはあまり見ないかもしれない。ほうれん草は、家系のトッピングなどで見かけるか。

それにしても、東海林さだおにしてラーメン50年、この本では戦前からの日本ラーメン史を取り扱っているので、射程はもっと長いということになる。

 

が、自分の興味から、どこからラーメンが入ってきたか、「ラーメン」という名称の発祥は、そして、けっこう重要なテーマだが、米軍の食糧政策により日本に小麦がたくさん入ってきたことがラーメンに与えた影響、チキンラーメンの誕生などについては触れない。本書を読まれたい。

 

……しかし、ここまで何回「ラーメン」と書いてきたのか。祈りに熱心な空飛ぶスパゲッティ・モンスター教徒か。ラーメン。

 

って、由来について触れないと書いたが、ウィキペディアを見たら「語源」の項目とは別のことが書いてあったので、一応紹介しておく。

ウィキペディアの語源の「3」にある竹家が出てくるのは同じだが、中国語の日本人店主と日本語のできない中国人のやりとりのなかで、店主が「この料理は何か?」と聞いたことに対し、動作について聞かれたと勘違いして「拉麺」と答え、メニューに載るようになったという。あ、これはあくまで札幌での「ラーメン」のルーツであり、1900年には使われていたとか。

 

ご当地ラーメンの成り立ち

さて、いきなり時代は飛んで、ご当地ラーメンの話。

おれはこの間、和歌山で和歌山ラーメンを食べた。横浜から和歌山に行き、ラーメンを食べる。

和歌山なら海の幸でもよさそうなものだが、和歌山ラーメンもおいしい。一緒に食べる早寿司もよい。

 

とはいえ、「ご当地」ラーメンとは実のところ、このようなものだという。

ご当地ラーメンは、「地元に根ざした」食文化の結晶である本来の郷土料理に成り代わって、観光化のニーズに応える形で全国的に増殖した。全国のご当地ラーメンを見ると、食文化の多様性が見えてくるように思えるが、日本古来の食文化という観点で見れば、ご当地ラーメンは、多様性が失われ画一化した、戦後日本の食文化の象徴でもあるのだ。

どういうことか。

札幌ラーメンは遡れば大正期まで行き着く。しかし、そのラーメンはわれわれが今思い浮かべる「みそラーメン」ではなかった。

「みそラーメン」は1961年、札幌の「味の三平」で裏メニューだったものが有名になり、さらに68年発売の「サッポロ一番みそラーメン」、また、チェーン店「どさん子」の全国展開によって普及したもの(最初にラーメン屋にチェーンの寡占はないと書いたが、「くるまやラーメン」、「8番ラーメン」などロードサイドへのチェーン展開は早かった。ロードサイドはあまり縁がないので自分はよく知らない)。

 

して、こういうことだ。

あるとき、変わったメニューを出したラーメン屋にスポットが当たり、その店がメディアなどで知られるようになることで、観光客がやってくる。そして、地域の観光化にともない、周囲の店が右に倣えで同じメニューを提供するようになる。これがご当地ラーメンが生まれる経緯だ。

そして、80年代中頃。喜多方ラーメンという大成功例が出てくる。ラーメンによる町おこしだ。

 

で、これって、今、なんというのか、ラーメン以外でもあるよな、と思ったり。

「地名+身近な料理」でご当地グルメで町おこし。

あまり見たことはないけれど、テレビでいえば『噂のケンミンショー』とか、そんなイメージ。身近な料理というか「B級グルメ」といったほうがいいのだろうか。B-1グランプリなんてのがあるか。これの初開催は2006年。

 

グルメとしてのラーメン

で、ラーメンの方は、それからしばらくして、こうなった。

この時代、ラーメンは単なる食べものではなく、うんちくとともに食べられるある種のグルメの題材となった。人々は、有名店のこのラーメンという目的を持ってラーメン屋に行くようになり、ラーメン屋の前に列をつくることも辞さなくなる。行列をつくってラーメンを食べるという、戦後の食糧難の時代の行動が、現代に復活するのだ。もちろん、その行列の意味はまったく違う。飽食の時代に、グルメとしてのラーメンを求める人々が、メディアの媒介力を通じて誕生したものだ。

グルメとしてのラーメンが誕生した。

こうしたラーメンへのうんちくは、東海林さだおあたりなら、なんとなくちょっとからかってネタにしそうなあたりだ。

 

グルメのラーメンをネタにしたといえば、1985年の映画『タンポポ』。子供心に、レンタルビデオ屋で親が借りてきたのを見た覚えがある。テレビでもたまにやっていたかな。テレビでは、ちょっとエッチなシーンはカットされていたかもしれない(どうでもいいことだが、子供には興味津々のシーンだったのです)。

『ヨーロッパ退屈日記』(新潮文庫)などのエッセイにおいて、ヨーロッパの食文化への知識やマナーなどのうんちくを披露している監督の伊丹十三は、フランス料理の世界における食通の在り方をパロディ化して、本作をつくっている。単なるファストフードの一ジャンルであるラーメンが「ラーメン道」として奥深いものとして扱われるのは、これが最初だったのではないだろうか。

そう、「パロディ」なのである。が、どうだろうか。

なんというか、今ではもう『タンポポ』の「らーめん道」をなにかのパロディ、笑える対象として見られるだろうか。

われわれはもう、ラーメン三銃士を連れてこられても、べつに驚くことはないのである。

 

新横浜ラーメン博物館

さて、本書で何度も言及され、館長の言葉が引用されているのが、新横浜ラーメン博物館である。

「昭和33年」という日本のノスタルジック黄金時代(東京タワー完成、『三丁目の夕日』の年)がイメージされた施設。そこに集められたラーメン列島日本の「歴史」、いや「偽史」。

バブル崩壊直後に誕生した新横浜ラーメン博物館は、ちりばめられたフェイクの物語を一同に集め、偽史としてのラーメン列島神話を形成する。

ラーメン博物館の開業は1994年である。自分も何回か行ったことがある。「このラーメンが食べたい!」という強い思いはなく、「行列していないけれどここに出店しているのだから何ものかなのだろう」といういい加減な理由でラーメンを食べた。

「何ものか」というところへ、逆に自分のラーメン博物館への信頼が見られるかもしれない。

1990年代以降のラーメンブーム、いやラーメン博物館誕生以降のラーメンブームは、これまで見てきたどのラーメンブームよりも規模が大きく今日まで続いている。日本をラーメン列島として地図を塗り替え、人々がラーメンを国民食として認識するに至るまでの物語は、このラーメン博物館から発信されたものである。

そこまで言い切れるのか、ラーメン博物館。

あと、関係ないけど横浜の伊勢佐木モールに「横濱カレーミュージアム」という二番煎じな施設があったが、6年くらいでなくなってしまった。「ご当地」カレーが食べられただけに残念である。

 

リアリティーショーとラーメン

さて、いかにも今どきのラーメン屋に大きく影響を与えたのは、テレビのリアリティーショーだという。

本書では『TVチャンピオン』の「ラーメン王選手権」などが挙げられている。ここから有名なラーメン評論家になった人も出た。

 

あるいは、リアリティーショー『ガチンコ!』の「ガチンコ! ラーメン道」。故人となったが、佐野実のするどい顔つきは印象深い。

湯切り網におしぼりを載せて、湯切りの特訓をさせられるシーンなどには、テレビ的な演出の馬鹿馬鹿しさに「やらせ」騒動も巻き起こった。リアリティーショーには、この手の「やらせ」批判がつきものだが、これに対して社会学者の樫村愛子は反論する。「現在、現実自体が特にメディアにおいて構成されていることを見落としている」(『臨床社会学ならこう考える――生き延びるための理論と実践』青土社)というのだ。

これは、湾岸戦争(ニンテンドー・ウォー)においてフランスの批評家がたちが指摘した状況と同じだという。

「湾岸戦争は起こらなかった」。まあ、難しい話だ。ようわからん。

そして、インターネットというものがさらに普及した現在、「メディア」とはなにを指すのだろうか。ロシアによるウクライナ侵略戦争はどう名付けられるのだろうか。

 

話はラーメンだ。

1990年代半ば以降、いくつかのラーメン屋には、「ラーメン道」的な変化が訪れていた。目に見える最も大きな変化はスタッフの出で立ちである。店主は頭にバンダナかタオルを巻き、作務衣、もしくは手書きの漢字がプリントされたTシャツを着るようになった。まえがきでも触れたように、ラーメン屋の作務衣化である。

このイメージを生んだのは「博多一風堂」の河原成美というが、おれはだれだか知らない。

検索くらいはする。「TVチャンピオン」のラーメン職人選手権3年連続チャンピオンらしい。でも、経歴だけ見ると実業家って感じだ。まあ、タオル、作務衣、腕組み。これがラーメン店主よな。

 

ところで、陶芸家は作務衣を着ないという。そして、今どきの作務衣は戦後に甚平とモンペをミックスしたものだという。

このようなイメージを作ったのはだれか。CMに出ていた榊莫山や片岡鶴太郎(芸術家バージョン)ではないかと著者は指摘する。

あ、「芸術家バージョン」はおれが勝手に言ったことです。今は「ヨガバージョン」?

 

ラーメン屋から麺屋へ

さて、いよいよ、現代のラーメン屋像が見えてきた。いや、「ラーメン屋像」という言い方もずれているかもしれない。

「ラーメン」と名乗らない代わりに使われるのは、「麺屋」または「麺家」「麺や」などのネーミングである。”ラーメン屋から麺屋へ”。これがここ10年くらいのラーメンの変化を象徴しているキャッチコピーだろう。

本書の「ここ10年」は「2010年におけるここ10年」だ。これを書いている今はたぶん2022年だ。

この傾向はどうなったか。あくまで印象だが、あんまり変わっていないんじゃないかな。いや、最先端のラーメンの味のトレンドとかあるけど、店構えとか。すっきりとしたカフェ風とかのおしゃれ路線はそれなりに昔からあったろうし。

 

というか、このあたり、自分が「家系ラーメン」のど真ん中である横浜で暮らしていることと関係あるだろうか。

さて、本書では、スローフードと地域主義、ナショナリズムとの親和性の高さに触れ、「ご当地ラーメン」と無化調などの健康志向への言及があるが、気になれば本書にあたられたい。

 

ラーメン二郎という信仰

さて、おれがいつも関内で行列を見ては「いつか並ぶの日が来るのだろうか?」と思いつつ、いまだその日が来ていないのがラーメン二郎でラーメンを食べることである。

著者も、ラーメン二郎は特殊なものとして、ちょっとどういう文脈に入れるか困っているようですらある。

ジロリアンと呼ばれる信者たちは、「ラーメン二郎」という一風変わったラーメンチェーンの中で見え隠れする理念の体系のようなものを自分たちで見いだし、その中から勝手にルールをつくり出して、それに則ったゲームを行っている。「ラーメン二郎」は、風変わりなラーメンを提供はしているが、コントロールしているわけではない。遊び方を生み出し、二郎を消費しているのはあくまでジロリアンたちなのだ。彼らは二郎という風変わりなラーメン屋からゲームのルールを見いだし、コミュニケーションの材料としながら、ファンとなって、それを消費しているのだ。

コミュニケーション消費。これである。

おれは食べたこともないくせに「二郎コピペ」と呼ばれるネット上の文章群が大好きだし、ある意味で消費しているかもしれない。というか、「最初で最後」というラーメン二郎創業者出演のドキュメンタリー番組も録画して見たくらいだしな。

 

というわけで、メディアが報じればなんでも話題になる時代ではない。

そういう意味で、ラーメン二郎は情報時代の最先端を行っているのかもしれない。意図しないところで。

 

そういう意味では、「ミャクミャク様」とか、勝手にファンが盛り上がるといった仕掛け(仕掛けは意図だ。矛盾しているだろうか)が重要になっているのかもしれない。

 

ラーメンの回帰と今後

いや、それほどラーメンに詳しくないおれに今後も語れないが。

ともかく、ラーメン屋はファミレスと違い、資本のチェーン店による寡占を逃れているという。

個人店の割合が高い。そして、かつてあったファミレスや牛丼屋などの値下げ競争とは違い、値段は高くなっている。

 

2022年現在のインフレ状況では、「千円の壁」もあっさり超えていくのではないか。

まあともかく、いきなり話はこの本のタイトルに戻る。

2000年に浅田彰が「J回帰」という言葉を提示したという。

90年代の不況とグローバル化を背景にした、日本的なものを取り戻そうとする動きが、本来的な「伝統の日本」を取り戻すのではなく、「あくまで表層的な模像(シミュラクル)としての日本への回帰」にしか結びつかない状況に向けて、「浅薄な」という言葉とともに吐かれたものだ。

その「J回帰」の代表が、「作務衣」を着てしまったラーメン屋だという。

 

とはいえ、アントニオ・ネグリやマイケル・ハートの言う「帝国」(多国籍企業、文化商品の流通、国境や民族を超えたグローバルな経済の在り方)。これに対抗する文化、趣味の共同体、趣味的ナショナリズム。

その観点から見れば、ラーメンの作務衣についてその出自を指摘されようが、自明のものであり問題ないということになるらしい(なんのことか書いていてようわからん)。

ラーメンにナショナリズム、パトリオティズム、地産地消、スローフードという思想が入り込んでくるのも、一度壊れてしまった、流れが途切れてしまった歴史や伝統を、再び取り戻そうという意思なのだろう。「趣味的」「遊戯的」なものであろうが、それらを再び呼び覚まそうという無意識の熱は、まるでラーメンの湯気のようにまっすぐに立ち上がっているのである。

というわけで、ラーメンに愛国なのである。

あれ、愛国との結びつきのところ弱くね? と、思ったら、おれの紹介が悪いので、本書を読んでください。

 

でもね、やっぱりね、「家系」のど真ん中である横浜の住人としては、なんとなく雰囲気はわからんでもないな。

そのね、フランチャイズではなく「のれん分け」みたいなところとこか。

 

「家系」というのも、「そもそも吉村家が……」というところから「家系図」という歴史がある。

でも、一方で、「家系的っぽい店」、場合によっては企業系などと呼ばれる店もある。家系の家系図は1970年代からはじまって、どこまでつながっていくのだろうか。

 

作務衣、黒や紺のTシャツ、ラーメンポエム。これもまた、古いスタイルとなるのだろうか。よくわからない。

10年後、20年後、まだ日本人はラーメンを食べているだろうか。おれはラーメンを食べているだろうか。とりあえず、今、少し、ラーメンを食べたくなってしまったのだが。

 

 

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【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

Photo by Yuichi Kosio