おれと食べ物と食べ物の話

おれが漢字混じりの本が読めるようになって、最初に手に取った漫画以外の本は、東海林さだおのコラムだった。

おれの言葉の根幹には東海林さだおの文章がある。

 

東海林さだおはなにについて書いていたか。食べ物について書いていた。

正確な記憶ではないが、ラーメンのナルトについて考えたり、レバニラ炒めについて考えたり、カレーライスの食べ方について考えていたりしたように思う。

ともかく、そんな風に身近な食べ物について、東海林さだおはずっと昔から頭を悩ませていたのである。

世の中がそういった身の回りの食べ物について目を向けて語りだしたのは、つい最近のことのように思える。

 

というわけで、おれは根っこのところでも、表立ったところでも、食べ物の話が好きだ。

だが、おれが食べ物を、食事を、食文化を愛しているかというと、話は別だ。

 

おれはほぼ毎日、晩飯を自炊する。蒸し野菜、冷しゃぶサラダ、お好み焼き、鍋……これを繰り返す。

順繰りなのは毎日でも毎週でもない。季節単位で繰り返す。季節ごとに毎晩同じものを食べているといっていい。その証拠はTwitterでも見てください。

 

おれは自炊というものに割くだけのエネルギーがない。

おもに精神の病を抱えていて、なんとか暮らすのが精一杯であって、料理を楽しむことなんてできないのである。

 

そして、金もないのである。ゆえに、食事をすべて外で済ますということもできない。

野菜が安いスーパーでそのときどきに安い野菜を買って、単純な飯を作る。こちらのほうが安上がりだ。

むろん、100円のカップ麺だけ食べていたほうがもっと安いのだろうが、おれにだって低レベルなところで譲れないラインというものがある。

 

もう一つ、おれは外食が苦手である。一人では、なんとかチェーンの牛丼屋に入るのが精一杯だ。

地元民として、家系ラーメンの店もなんとか大丈夫か。だいたい食券なので。「お好みは?」「ぜんぶ普通で」。

一人焼肉どころか、一人ファミレスもきつい。理由は、なんか怖いからだ。そうなると、もうチェーン店以外の個人店なんて怖すぎて入れない。

どうしても、おれはおれが見知らぬ店に歓迎されることが想像できないからだ。それはおれの精神病理や性格に根ざしていることであって、どうしようもない。

 

おれとビリヤニとエリックサウス

そんなおれでも、たまには積極的に外食、というか、「この店の料理を食べてみたい」と思うことがある。

たとえば、ビリヤニである。ビリヤニという言葉をいつ知ったのか忘れたが、ふっくらもっちり炊かれた日本の米よりも、細長くてサラッサラな米が好きなおれにとって、なにかそれはとても美味しそうに見えたのだ。

 

そして、一緒に行ってくれる女の人とビリヤニ食べに行ったのが、エリックサウス……と、思って念のため日記を読み返してみたら、べつの店で最初のビリヤニを食べていた。

2019年の夏である。最初の店もインネパ屋(後で出てきます)ではない、店名に「ビリヤニ」と入った、ちゃんとバスマティライスとハラール認証の店だった。

 

とはいえ、有名なエリックサウスにも行きたくて、行ったのである。

そして、おれは「好きな食べ物は?」の回答欄に「ビリヤニ」と書いてもおかしくないくらいビリヤニが好きになった。その後もほかの店に行ったり、自宅で作れるセットを買ったりしている。たまに。

 

そして、エリックサウスを手掛けたという稲田俊輔(イナダシュンスケ)という人は、ほんとうにえらい人だなと思ったりした。

その稲田さんはネット上でも文章を見かけることもあり、本も出していた。

 

『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』、今回はこちらを読んでみた。

いきなり「あとがき」から本書執筆の理由を引用する。最初の発言は編集者の方のものである。

「日本の多くのサラリーマンが今はお金も時間もなく、チェーン店で仕方なく、俺は所詮こんな店にしか来れないんだと卑屈な気持ちで背中を丸めて飯を食ってます。そんな彼らが、最初は気づいていなかったけど俺が食っているものは実はなかなかいいものだったんだな!とそのうち気づいてくれたら、それはとても多くの人を幸せにすると思います」

それを聞いて私は思わず深くうなずきました。

卑屈に背中を丸めていた人たちが一転して晴れやかに誇らしく飯を食うようになったらそれは間違いなく幸せなことだし、同時にそれはお店にとっても最高に幸せなことです。私だって、そういう幸せな店で幸せな人たちに囲まれて飯が食いたい。

「やりましょう!」

私は結局あまり深く考えずに返事をして、そして本書が生まれました。

なるほど、これは幸せな理由だ。そして、その前段階として、稲田さんがブログでサイゼリヤについて熱く語ってみたところバズったということがある。

最初はプロがこんなことを書いたら叩かれるのではないかと思ったら、意外に好意をもって迎えられたという。

 

……ネットでサイゼリヤ? たまに論争の火種になるトピックだ。ひょっとしたら、ネットという言論(言論と呼べるかどうかわからないが)空間にサイゼリヤを持ち込んだのは稲田さんかもしれない。少なくとも、なんらかの影響はあったのではないだろうか。

 

まあ、なんであれ、おれは「エリックサウス」のビリヤニが美味しいと思ったし、それを根拠にこの本に書かれていることを信用するのだぜ。

 

おれとサイゼリヤ

とはいえ、最初に書いたように、おれはあまり外食をしない。するとしても、一人で牛丼屋に入るくらいだ。

あと、行動範囲というか、もっと狭い「歩いて移動する道沿い」にないと、行く対象ではなくなる。

そういう意味で「近くにサイゼリヤがない」。

 

あとは、いつも混んでいて、時間によっては高校生などがドリンクバーでひたすらだべってるという印象が強い。

だが、「実は本格的なところがあるんだよね」と刷り込まれたのは、ネットの影響だろうか。

ともかく、本書はサイゼリヤから入る。サイゼリヤについて熱く、厚い本である。

 

著者はサイゼリヤの根幹についてこう書く。

 サイゼリヤにはさまざまな魅力があり、その根幹は「おいしすぎないおいしさ」であると考えています。「ちょっと待って、おいしすぎないってことはつまりおいしくないってことなんじゃ!?」と思うかもしれませんが、ちょっと違います。

安さを追求するレストランは、コストを削った分「肉エキス」のようなもので味を補おうとするというが、サイゼリヤはそれをやらない。

 サイゼリヤが独特なのは、そういう「おいしさの底上げ」みたいなことをあえてやらないというスタンスを、頑なに守っているところにあります。そしてその頑なさの根幹を成しているのは、サイゼリヤの素材に対する強烈な自信であると言えるかもしれません。

ふーむ、「おいしさの底上げ」をすると、味がおしつけがましくなるという。

あるいは、画一的になったりもするのだろうか。

 

して、サイゼリヤの「自信」が一番わかりやすいのが、卓上調味料のオリーブオイル、そして粉チーズのグランモラビアだという。なにがどうすごいかは本書を読まれたい。

ともかく、味付けのされていないパスタに卓上調味料のオリーブオイルと黒胡椒、チーズで立派な一品になるとまで書いている。とてもいいオリーブオイルとチーズらしい。

 

また、メニューについても尖っているという。

 飲食の世界で「原理主義」というと、主にエスニック料理愛好家の間で「外国の料理は現地そのままのスタイルや味わいこそ最もおいしく価値があり、いたずらに日本人の一般的な嗜好に合わせてアレンジするべきではない」といった考え方に対して使われます。

なるほど、「原理主義」。著者自身も「正直に告白すると、私も基本的にそういった『原理主義者』の一人です」という。

 

おれはグルメでもなんでもないが、まあ外国の食べ物や飲み物があるとしたら、やはり原理主義のほうが面白いかなとは思う。

そして、サイゼリヤは「この原理主義的な傾向がファミレスチェーンとしては例外的に強い」と。

サイゼリヤの本場志向がわかりやすく表れた商品の一つに「プロシュート」があります。

プロシュート兄貴?

キャプション部分をよく見ると「ランブルスコと相性が抜群です」とも書かれています。これぞマニアもびっくりのうんちくです。ランブルスコはロゼの発泡ワインで、イタリア料理の代表的な食前酒のひとつ。塩気の強いプロシュートとの相性は抜群です。こういうマニアックなことがさらっとファミレスのグランドメニューに書かれているなんて痛快です。

「プロシュートとはパルマ産熟成生ハムのことなのか」と心のなかで思ったならッ、そのときすでにランブルスコとの相性まで説明されているんだッ! ということだ。

 

そんなサイゼリヤにも弱いところがあって、肉料理のカテゴリーだと指摘する。

ガストなどの低価格ファミレスと張り合うために、あえてそう判断しているかもしれないという。

 

しかし、「しかし個人的にはこのカテゴリーにおいても、今後、思い切った本格志向の商品を展開する日がいつか来てほしい、と心から願っています」と著者。

 

で、「あれ、羊肉で話題にならなかったっけ?」と思ったところ、出てきたのがアロスティチーニの話題であって、著者の稲田俊輔氏の解説記事もネットで読める。

イタリアの本格ではないかもしれないが、一つの「事件」だったとまで言ってる。食べてみたいな。

あ、おれ、羊肉大好き人間です。インネパのカレー屋(後で出てきます)でも「マトンカレー」ばかり頼みます。

 

さらに、ソーセージがドイツ式ではない、モッツァレラは水牛乳を使っているので、バッファローモッツァレラのピザは「普通のチーズ抜き」がいい、1968年の開業当時のメニューはどうだったのか、偶然見かけたフィリピン人たちの「カスタマイズ」は……。

これはもう、行きたくなるよね、サイゼリヤ。

 

「普通においしい」時代

さて、話をサイゼリヤから離そう。

「普通においしい」という表現、その言わんとするところはよく伝わってきます。そいう意味ではシンプルで優れた、そして便利な表現という気もするのですが、なんと言いますか、その食べ物を一生懸命作ってくれた人に対してそういう一言で報いるのは失礼な気がするのです。

けれど、この言葉が使われるのは、「評価を下す」のが当たり前になったネットの時代、気が利いた言葉が浮かばないときに便利だからではないかと。

 

そして、もう一つの理由を挙げる。こちらのほうがおれには興味深かった。

 もう一つの要因を考えてみます。それは実際に世の中に「普通においしい」ものがめったらやたらに増えたことではないかと思っています。10年、20年前のことを思い出してください。世の中には今よりもずっと「まずいもの」が溢れていたと思いませんか? コンビニのケーキなんて食べられたものじゃなかったですよね。

おにぎりやサンドイッチも今とは全く違います。お惣菜屋さんの出来合いのフライやトンカツの衣の分厚さを覚えていますか? 回転寿司はせいぜい両手で数えられるくらいの薄っぺらいネタが干からびながらレーンを延々と回り続けていました。

最近ではそういうあからさまにがっかりさせられるものが本当に減ったと思います。飲食業界においてもしばらく前から「今やおいしいのが当たり前の時代になったのだから、これからはプラスアルファの付加価値がより重要」みたいなことがよく言われています。

これである。10年前、20年前? 言われてみれば、そういうような気がしないでもない。

でも、「あからさまにがっかりさせられるものが本当に減った」と言われてみると、コンビニもスーパーの食材もよくなっているような気がする。冷凍食品、インスタント食品……。それはあるかもしれない。

 

まずいチェーン店は淘汰されるし(米の上に焼いた肉を載っけただけなのに、おれですら「米がまずい」と一回入って二度と行かなくなったチェーン店とかあったな)、個人店もなくなってしまったかもしれない。

大企業は大企業で資本を投じて改良していくだろうし(それでもまあ、現在においても「外れが多い」と言われがちなPBとかあるけど)、シュリンクフレーションで量は減っても、中身はおいしくはなっているのかもしれない。

 

気づいたら、「普通においしい」ものに囲まれて暮らしている。

そうなのかもしれない。それでもなお、人々はレビューサイトを見ては、ちょっとでもおいしいものを食べたいと思う。

もちろん、おれだってあまりがっかりはしたくない。そういう気持ちはある。ぜいたくな地獄である。

 

ガスト

そして、ガストである。「ガストは普通においしい!」で始まる6行の詩は必読だ。

稲田さん、サイゼリヤについては熱く語れても、ガストについては語れない。

 

しかし、決してガストがサイゼリヤに劣っているというわけではないという。そこがおもしろい。

「素材そのものを生かして……」「そもそも目指している方向が……」みたいなことを言い出せば単純に比較することがナンセンスであることを前提としても、「そんなことはいいから! で結局どっちがおいしいの!?」と目の前にドン、と両店のピザとパスタを突きつけられて返答を迫られたら、「あ、はい、すみませんこっちです」とガストを指さざるを得ません。

なんと、ガストのピザとパスタはガストはおいしいという。そして、チーズインハンバーグにしろなんにしろ、チェーン店として隙がない。外食っぽい外食をきわめている。

 

たとえ、本書などでチェーン店への偏見を取り除こうとしても、ガストさん本人に『いや、そういうのはいいです』と断られたような気がするという。

 

そこまで言われると、食べたくなるなガスト。

ちなみに、おれはガストに生涯で一度か二度しか入ったことがない。幼少期の思い出があるすかいらーくが廉価版になったみたいなところが、あまり好きではない。

あと、一緒に行動する女の人が、それこそチェーン店への偏見の中でもさらに強い「ガストへの偏見」の持ち主で、「ガストはちょっと」ということになりがちだからだ。

それでもガストはファミレスとしての本分を頑なに守りつづけるだけなのだ。

 

ほか、デニーズの「デリーチキンカレー」という特異点、ロイヤルホストの絶品フルコース、初期バーミヤンにあった気概とその変容、餃子の王将の単なるノーにんにく料理にとどまらない「にんにくゼロ餃子」の可能性……。

読みたくなるでしょ。そして、食べたくなる。

 

マクドナルドの意外な本物志向

話は外食の王者? マクドナルドにも及ぶ。

ネットでこの台詞が書かれた漫画のコマ(というか見開きページ)画像を見たことがある人は多いはずだ。

このハンバーガーとコーラは世界で一番うれている
だから世界で一番美味いものにきまっているだろ

おれはこの漫画を知らないのだが、この台詞だけで言っている人間の特殊さのようなものが伝わってきて、なるほどミームになるだけのことはある、と思える。

そして、そこには「このハンバーガー」に対する世間一般の共通認識の強さがあるようにも思う。

 

さて、著者は、「うまい牛肉は高い」という。

当たり前のような話だが、霜降り和牛にしろ赤身にしろ、なんであれ牛肉は価格と味が比例するという。それこそ、残酷なまでに。

変にケチると逆に思いが満たされない。それこそ「安物買いの銭失い」になりがちな牛肉ですが、おいしい牛肉を食べたい衝動は、お財布に関係なくしばしば湧くもの。そんなときの最良の解決策の一つがマクドナルドと私は主張したいのです。

世界一とは言わないが、マクドナルドで牛肉を? おれはそう思った。

だって、なんかマクドナルドの肉ってパサパサして薄くない?

 

と、日本人のハンバーグのイメージは、外はこんがりだけど、中は柔らかく、肉汁が溢れ出すというもの。

しかし、世界の多くの地域でこの種の料理は「ステーキの代用品」のように「みっしりとシンプルに固く焼き上げられたひき肉料理」とのことという。

 

そして、マクドナルドも、そのストロングスタイル(?)を崩していない。

なるほど、おれも日本人のハンバーグ観にとらわれていたのか。ちなみに、モスバーガーは日本人好みのジューシーなパティで勝負しているという。

 

話は、クォーターパウンダーのことになる。

今はもうない。だが、これこそが、マクドナルドの肉に対する矜持を表したメニューだったという。

クォーターパウンダーのケチャップ抜き。それが肉の味を楽しむ通の食べ方だったとか。

 

とはいえ、今も肉を存分に食べる方法がある。

夜マックである。夜マックのダブルチーズバーガーケチャップ抜き生タマネギ入れに赤ワイン。これがおいしいらしい。

しかしなんだ、「普通のチーズ抜き」とか「ケチャップ抜き」とか、そのあたりがプロというか食通というか、かっこいいよな。普通は「ちょい足し」とか、足す方向にいってしまう。

 

それはともかく、マクドナルドはたまに「日本人の常識に忖度する気ゼロのカッコよさ」を見せるという。

たとえば朝マックのマックグリドルはピーキーだ。アメリカの伝統に裏打ちされているとはいえ、肉に甘いはちみつを? という代物。

ただ、おれは場所的にも時間的にも朝マックを食べることはほとんどないが、行くことがあったら必ず食べるくらい好きで、昼も売ればいいのにと思っている。ほかにも、2004年のフィッシュマックディッパーは「フィッシュ&チップス」そのものだったとか。

 

あと、頑ななところもあるという。バーガーは「ハンバーグ」が変化した呼び名なので、「フィッシュバーガー」は間違い。だから「フィレオフィッシュ」、「チキンフィレオ」、「チキンクリスプ」。

言われてみれば、「フィレオ」ってなんだ? ただ、「グラタンコロッケバーガー」だけバーガーじゃないのにバーガーを名乗っていたが、気づいたら正式名を「グラコロ」にしていたという。本当だとしたら徹底してんな。

 

で、公式サイトを見たら「スパチキ(スパイシーチキンバーガー)」があった。これもいずれ改称されるんだろうか。

あと、こんなエピソードも好き。

そもそも最初に日本進出を果たしたときも、経営側の日本人はハンバーガーからピクルスを外すことを最後の最後まで主張したけど米国本部側は頑なにこれを拒否したというエピソードがあるそうです。

なるほど、言われてみればピクルスな。子供のころは苦手だった。マクドナルドくらい普及したチェーンで、子供の嫌いそうなものが普通に入っているあたり、なかなかに頑固だ。

 

「日本人はケンタッキーを微妙に使いあぐねている」説

これもおもしろい話題だった。オリジナルチキンとポテトなどを食べても、「これは食事か?」と自問自答してしまうという。

はっきりとした「主食」がないと落ち着かない日本人の性。

実のところ、おれもケンタッキーは好きで、しかも「いつも図書館に行く道」にあるのだが、「昼飯にするにはなんとかサンドだろうけど、オリジナルチキン食べたいしな。何食えばいいんだろう」となって、素通りしてしまう。十年以上食べてないな。

 

ただ、そんな日本のケンタッキーの晴れの舞台こそ、クリスマス。たとえ西洋人に変な風習と言われようとも、クリスマスの「祭り」にはぴったりだという。

なるほど、納得だ。逆に言えば、おれのように悩んでしまう人に、日常的にどう売るかがケンタッキーの課題なのかもしれない。著者はそのあたり、「定食」を提案しているのだが、さて。

 

愛すべき牛丼屋たち

さて、日本のチェーン飲食店として忘れちゃいけないのが牛丼屋である。

おれも牛丼屋には行くと書いた。ただ、「行動範囲」の問題で、一番手の存在である吉野家にめったに行かない。あくまで立地的な問題で、よく行くのは「すき家」ということになる。

その「すき家」とて、タッチパネル方式になってから、注文の流れがどうなったのかわからず、しばらく足が遠のいていた。

 

とはいえ、おれが魅力を感じるのは松屋ということになるだろうか。

とはいえ、松屋は牛丼屋というより定食屋だ。著者は松屋について多く語る。語るところが多い店ということだ。米を多く食わせるというブレない信念が「カッコいい」という。とはいえ、メニューは混沌としている。

 

たとえば、松屋のブラウンソースハンバーグ定食(2019年)。凡庸なハンバーグかと思いきや……。

初めて食べたとき、私は驚愕のあまりイスからずり落ちそうになりました。
「こ、これはシャンピニオンソースじゃないかっ!!」

いや、おれはシャンピニオンソースなんて初めて目にしたが、驚きは伝わってくる。そして、もちろん飯が進むものだったらしい。

 

本書には載っていないが、最近(でもないか)ではシュクメルリとか、いきなりジョージア料理を出してきたりして、松屋の独創は止まらない。

 

あ、そういえば松屋の特徴として「ニンニク原理主義」のようなものがあるらしい。たまに禁じたりするけど、やっぱり使う。

シュクメルリ鍋は「世界一にんにくを美味しく食べるための」というキャッチコピーで、自ら宣言してきたな、というところだろうか。

 

インネパ

さて、長くなってしまったので、そろそろ「インネパ」の話でもして終わるか。「インネパ」とは……調べりゃすぐわかる。

そして、これがチェーン店のように増殖している。というか、おれの職場のビルの一階はインネパであって、中の人たちと会えば挨拶するし、もちろんたまに食べに行く。もちろん、ネパール人である。おれの職場の上の階に住んでいる。

 

で、チェーン店のように、どこに行っても似たようなメニューの「インネパ」カレー店。

そのカレーはというと、日本人向けにアレンジされ、「インドでは見られないものに劇的に変化」しているらしい。大きくて、ふわふわのナンも「インドでは主流とは言えない」。

原理主義とは逆の、「究極の日本人向けインド料理」になっているという。なるほど。でも、安心はできる。

 

安心といえば、インネパ店のホスピタリティ。しきりにナンのおかわり(無料)をすすめてくる。

たしかに。そして、子供大歓迎の空気もあって、子連れのママさんから高評価らしい。納得。

メニューについても、ビリヤニやダルバートを売るような店も出てきて多様化してきているとか。

 

というか、下のカレー屋もビリヤニ大きくメニューに出すようになったな。頼んでみたら、たしかにビリヤニだった。ライタは別売りだったけど。

いや、「たしかに」といえるほど詳しくはないが、別の店であからさまにこれは違うだろというぐちゃぐちゃのピラフみたなのを出されたこともあったので。

あ、ビリヤニもいろんな国のがあるようだけど、ネパールにあるのか。まあ、気にしない。

 

でもね、うちの上司がなんか珍しいアジアの野菜(隠語ではない)を手に入れて、ネパール人コックに料理してくれって頼んで、メニューにないやつ作ってもらってたっけな。

あと、顔なじみということで、なんかやっぱりメニューにないのとか出てくるし、ネパールの本気(?)を出せば個性的な店に発展することもあるだろう。

 

最近、横浜中華街の外の伊勢佐木町あたりに、中華街で働く中国人相手と思しき「原理主義」というか、現地そのものみたいな本物中華とかできているし、ネパール料理店でも同じようなことがおきるかもだ。

 

いずれにせよ幸せな外食を

と、長くなってしまった。が、最後にちょっと。

先日、大手ファミレスチェーンでパワハラというか暴力行為の告発があり、異常に長い労働時間も同時に問題になった。インネパ店で働くネパール人の労働環境や家族の問題も取り上げられた(おれも下のカレー屋から子供の学校について相談を受けたことがある。力になれなかったが)。

 

牛丼屋の「ワンオペ」はずっと問題だ。飲食店はコロナでみな苦しいし、それ以前に構造的に無理しているところもあるようだ。

貧乏人としちゃ、値上げは困るが、店長が店員を悪罵し、殴っているようなところで飯は食いたくないのも事実。

 

そして、そういう問題が明るみに出て、「このチェーンは行かないぞ」と決意してみると、どこにも行けなくなるようでは困るのだ。

なんかこう、景気がよくなれとしか言いようがないのかどうか。改善のためにはもっと金を落とすべきなのか、不買すべきなのか、よくわからない。「普通においしい」ものも、尖った料理も、普通に楽しく食べられるようになるのを願うのみである。

 

 

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【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

Photo by Yutaka Fujiki