おれが人生で見た最高のもの

おれが人生で見た最高の人工物はなにか? と、書き始めようと思った。が、おれが人生で見た自然の風景でもそれを上回るものが思いつかなかった。

なので、おれが見た人生で最高のものは何か? ということになる。

それはなにか。太陽の塔である。

 

太陽の塔。1970年の万国博覧会の象徴としてぶっ建てられた「ベラボーなもの」だ。

現在も万博記念公園にその異様な威容でもって堂々と立っている。

 

言うまでもない、岡本太郎の作品である。

「作品」といっていいのかどうかもわからない。そこまでの存在であるといっていい。

 

岡本太郎の絵画は、どこか際立っているところがある。

岡本太郎展や川崎にある岡本太郎美術館などに行くと、そのエネルギーにただ圧倒されるばかりである。

絵画の見方についての正式な教育をうけていないおれには、圧倒されるとしか言えない。その実、そこまでよくわかっていない、というのが正音だ。

 

が、岡本太郎の絵画が光っていると思うときがある。

コレクション展や企画展などだ。似たような抽象画が並んでいたとしても、岡本太郎の絵だけが光っている。

なにか特別な照明を浴びているのか、他の人とは違ったすごい絵の具を使っているのか。

たぶん、違う。そこに「岡本太郎は違うのだな」という思いを受ける。

 

が、自分にとってなによりも岡本太郎なのは、太陽の塔である。

それを通俗的だのミーハーだの言われようがどうでもいい。太陽の塔はすごいと思って生きてきたし、こんなものはないだろうと思っていた。

 

とはいえ、太陽の塔は大阪にある。

おれはあまり関東から、いや、神奈川県横浜市から出ない人間だ。なので、実物を見たのは数年前のことだ。

実物を見てどう思ったのか。よく知られた名画を見たときに感じる「これが実物か!」という思いどころではなかった。

何万年も前から立っているいるし、これから人類が滅亡したあとまで立っているのではないかという、わけのわからない思いにとらわれた。

おれはこれほどのものを見たことはない。これからもないだろう。

……と、そんな思いを、映画『太陽の塔』を観て思い出したのである。

 

「私は万博に協力する。だが妥協したり強調するつもりはありません」

以下、とくに断りがなければ『岡本太郎と太陽の塔』から引用する。

 

大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」であった。

科学技術の進歩を称揚するようなものといっていいだろう。万博というのは、そもそもそういうものかもしれない。

しかし、岡本太郎は、太陽の塔は、これに真っ向から相対する。

 現代社会の生み出すさまざまなフィクション、アレゴリーに、私はいつも同様の空虚さを感じる。たとえば「未来学」の展望にしても、現在を未来でカバーしようとする。精密な科学的データで未来像が描かれる。なるほど一応納得する。だが本質的にいって見通しは私には絶望的だとしか思えない。なぜなら現在の欠如をパースペクティヴの中で奪回しようとするからだ。現時点で受けとめるべき問題を、すりかえてしまう危険がないではない。
芸術も、空虚なメカニズムへのリアクションとしてしかうち出されない以上は、救われない。私はそう思う。そこに、いわゆる現代芸術の行きづまりがあるのだ。

人間の誇りは、ただアクションとして、それ自体の充実、根源の存在感をつかまなければならない。芸術であろうがなかろうが、それこそ大事なのだ。そう考えるとき、先ほど言ったように縄文や中国の古代文化、そしてメキシコの古典の様相が、言いようのない重さでよみがえってくる。あの大地に根をおろして、微動だにしない神秘感。いわゆるカッコいい、八頭身美人のスマートさはないだろう。かえってそういう美学を拒否した凄みである。

「万国博のヴィジョン」岡本太郎

ここには、冷たい芸術への疑念のようなものが感じられる。

「冷たい芸術」とは、横尾忠則の表現だったろうか、理念が先行してしまった表現である。

ここで岡本太郎が「同様の」と書いているのは、近代美術館で展示されていた、ただ一本の蛍光灯のランプである。

それは現代のアイロニーにはなっているし、純粋感もあった。しかし、これはリアクションなのである。

 たとえば土の中から掘り出された小さな神像・土偶。それはどんなにささやかでも、パーツではない。そのまま宇宙として満ち、あふれている。その表情、表現はいわば西欧的な、合理的に分析され、黄金分割で割り切れるような美ではない。その絶対感は圧倒的だ。
「万国博のヴィジョン」岡本太郎

岡本太郎は、人間のアクションを信じていた人間である。

とくべつな芸術の才能を持っていなくても、すべての人間のなかに創造性があると信じていた。そのように思う。

 

石ぼとけの世界

万国博のテーマ展示では、世界の文化に貢献した偉人の写真を展示しようという意見もあったという。

だが、岡本太郎はそれを退けた。

冗談じゃない。そんなことをするくらいなら、各国、各地方のいちばん平凡な人間の、目を覚ましてから寝るまでの生態を写した写真と、茶碗でも枕でもなんでもいいから、彼らが使っているものを集めて、もっと平凡に生きている世界の人間の姿を見せたいと思う。

人間の生活と、アクション。そこに価値を見る。

その背景にはパリ留学時代に『贈与論』のマルセル・モース(読んだことないです)に文化人類学を学んだりした経験もあるだろう。

帰国後、日本を再発見したこともあるだろう。

(あまり関係ないけれど、太陽の塔を見たあとは国立民族学博物館に行くことをおすすめする)

 

『今日をひらく 太陽との対話』(1967)に「石ぼとけ」という文がある。

 いったいどんな人間がこういうものを彫ったのだろう。まったく無名の、田舎の石工。おそらく貧しい、人のよい、何の誇りも野心も名誉も持ち合わせていない。一生埋もれたままの人たち。石屋の息子として、またあるいは小僧として育ち、粗末ながらその日その日を自分の腕で暮らし、来る日も来る日も同じように素朴でせまい生活のなかで、ノミを握りつづけ、年老いるまで働いた職人だ。注文も今みたいにせっかちじゃなかった。だからのんびりと楽しみながら、工夫しながら彫ったのだろう。石も、やわらかい、抵抗のない材質である。
うぬぼれも、やまっ気もない、作品と同じような顔の石工の風貌が、日なたの匂いとともに私の心に浮かんでくる。
これらの石には民衆のゆたかさと、よろこびと、素朴な崇高さが刻み出されている。はからずもここにまた、優れた無名芸術がころがっていたのである。

京都や奈良の寺にいかめしく鎮座しているのではなく、日本の田舎道に「チョコナン」とつっ立っている石仏。その魅力を高らかにうたいあげている。

 

ちなみに、岡本太郎が「世界中でこんなにおもしろいものを見たことがない」と絶賛したといわれているのが、長野県の下諏訪にある「万治の石仏」だ。

これは「チョコナン」という感じではないが、なかなかすごいので検索でもしてみてください。自分も一度見てみたいと思っている。

 

で、思うに、太陽の像もそういった石仏のようなものではいのか、などと思ってしまったのである。

あのベラボーな代物と、田舎道の石仏が? なぜか。

 

岡本太郎は『今日をひらく』で、美術展を開いたときのことを書いている。

二時間も作品の前に立ちつくし、じっとにらんでいた若い女性が「ああ、いやな感じ」とつぶやいたという。

それを聞いた岡本太郎は「それはいい」とうれしくなった。

 芸術なんて、愛好したり、いい気分で鑑賞したりするものだとは、私は思わない。作家と鑑賞者の果たしあいであり、作品は、猛烈に問題をぶつけあう、いわば決闘場なのだ。
だから「いいわね」などとよろこばれてしまったら、がっかりだ。安心され、神経の末梢を素通りする作品などは意味がない。

ここに強烈な自負がある。プライドがある。どろどろとした現実と対決する芸術の決意がある。

 

とはいえ、太陽の塔が万博後に残されることが決まったとき、岡本太郎はなんと言ったか。

 太陽の塔は実はシンボルではなかったのだ。無条件に作ったものだ。いつの間にか、万国博に集まってきた大衆が、あれをシンボルにしてしまったのだ。いわゆるインテリ達より、ピープル、生活者にこたえ、シンボル化されたのである。
会期中、じいさん、ばあさん、それに子供たちも、あの塔を見上げて、本当にうれしそうに笑い、「ああ、太陽の塔だ」と叫んだ。その姿、顔つき。幼い子の見ひらいた丸い目――。お婆さんが皺の中から目を輝かせて「いのちを質に置いても、来てよかったねえ」と、つれに向かって語りかけるのを聞いた。うれしい手ごたえだった。

太陽の塔はただの明るく楽しいシンボルなどではない。

第一、顔が怒ったような顔をしているし、裏には黒い太陽がある。

原爆などの文明批判も大いにある。あるが、生活者たちは、このベラボーなものをよろこんだ。岡本太郎もそれを受け入れた。

 

そこにいたると、もう岡本太郎も名もなき石工のようなものではないかと、そんなことを考えたのだ。

結果的に、太陽の塔というベラボーなものは、その一個の大いなるものとして、岡本太郎の手すら離れてしまった。

 

あと、石工と石仏の顔が似ているというような想像を書いていたが、太陽の顔についてもこんなことを言っている。

「ボクの顔に似ていると言われるんだ。ボクの方がハンサムだと思うんだがね」

 

次の万博にもレガシーを

さて、まず、はじめに言っておくと、太陽の塔をレガシーと言われることを岡本太郎や関係者は望んでいない。

太陽の塔は生きている。岡本敏子も世界遺産にしようという声に対して明確に反対している。

遺産というと、なにか昔の、死んでしまったものみたいな感じがする。

岡本太郎も言う。

 万国博はもう遠い夢になった。その跡地に太陽の塔は孤独に残されるだろう。祭りのにぎわいはもうない。だがあのときよりも、その孤独な姿で、いっそう生き、ひらいて行くことと思う。

とはいえ、あえて「レガシー」という言葉を使うのは、2025年の次の万博があるからである。

そういうイベントとなると、「レガシー」という言葉がよく使われるようになる。

先の東京オリンピックなどでもよく使われていた。

 

で、2025年の関西万博で、なにがレガシーになるの? というと、なにか曖昧模糊として、「これ!」というものが今のところ見えてこない。

「いのち輝く未来のデザイン」と言われても、なにをやるのかようわからん。

 

あ、そりゃあもちろん、「レガシー」といって、太陽の塔のようなでかいシンボル、ものを想像すること自体が時代遅れー、と言われるかもしれない。

 

が、それでもおれは言いたいのである。

どうせもう金をかけてなんかやることに決まっちまってるなら、太陽の塔みたいに未来永劫残るような、ベラボーな代物をいっぱつぶっ立てたらどうだ、ということだ。

サイバー空間になにか残すとか、けちなことを言うなよ、ということだ。

だいたい、サイバー空間になにか残すのは難しいし、「おお、これはベラボーだ!」ってのも無理だろう。

 

だから、なんかぶっ立てろ。おれはそう思うのである。

21世紀に日本でなんかあった、ということの証、そして、その事実すら忘れられて、なお立ちつづけるものを……。

 

って、もう遅いか。なんかやることや、やらないことって、もう決まってるもんな。たぶん。

でもなあ、なんかこう、力不足は承知だけど、バカみたいにでかいミャクミャク様の像でいいからどっかにぶっ立てたりしろよ、とか思うのである。

 

それとも、もう、ゲリラ的なものでいい。

だれか組織委員会とかまったく関係ないやつが、ゲリラ的に高さ40m級の石像ぶっ立ててしまえ。

一夜明けたらなんかベラボーなものができていた、とか最高じゃないか。

そういうアーティストはいないのか。え、アーティストはマジシャンじゃないって? まあそうか。

 

まあ、いずれにせよ、太陽の塔を超えるのは難しい。

無理といってはつまらないが、非常に難しい。太陽の塔はそれだけのものだと思う。

日本も滅び、世界も滅び、人類がいなくなったあと、宇宙のどこかからだれかが来て、太陽の塔を見て、「なんだこれ?」と思うかもしれない。

しかし、太陽の塔には「それが人間というものがいた証だ」と託せるものだと思う。

 

おれの思い入れが強いのは認める。地元の人にとっては見慣れた風景に過ぎないかもしれない。

それはそれでうらやましい。とはいえ、おれもまた、死ぬ前にはまた一度でいいから太陽の塔の前に立ってみたいと思っている。

2025年の関西万博のときかもしれない。

その万博は面白いものだろうか。おれを刺激するものであるのだろうか。そうであればよいのだが。

 万国博はもちろん、見本市ではない。また国威宣揚のナショナル・フェアでもない。さらに私は、お祭りでなく、「祭り」だと言っているのだが、ただのお祭り騒ぎであってはならないのだ。世界中がここで顔を合わせて、新しい人間文化を展望する、そういう場所なのである。このチャンスをすべての人が自分自身のものとして受け止めて、情熱をもちよるべきだ。
「万国博のヴィジョン」

 

 

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(文責-ティネクト株式会社 取締役 倉増京平)

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭