SNSで繋がっている友人の一人に、「この人、ちょっと危ないな…」と思う女性がいた。

思っていたけれど、関わらずにいた。

 

関わろうと思うほど個人的に親しくなかったからだが、仮に親しかったとしても、やはり関わらなかっただろう。

今の時代、頼まれもしないのに親しくない他人のプライベートに踏み込むのはご法度だし、たとえ親しかったにせよ、中途半端なお節介はかえって相手を偏狭で意固地にさせるだけなのだから。

余程の暴走が見られない限り、対応は「そっとしておく」の一択である。

 

その女性の場合は何がどう危なげだったのかと言うと、彼女からは怪しげなものに心の拠り所を求めて、深みに落ちていく女性特有の匂いがしていたのだ。

これまでスピリチュアルの沼にハマり込んでいく女性たちの観察をしてきたせいで、どうやらそういう嗅覚だけはすっかり発達してしまったらしい。

 

「そのうち『そっち方面』へ行くのだろうな」

 

と匂う人は、ちゃんと『そっち方面』へと歩みを進めていく。匂いの元は、「叶わない願い」「失われゆく若さ」「不安」「孤独」「劣等感」「依存心」「欲求不満」などである。

それらのエッセンスが少しずつ混ざり合った承認欲求のエッセンシャルブレンドが、独特の臭気を放つのだ。

 

彼女の名前は、ここでは便宜上A子さんとしよう。A子さんとはどういうきっかけで繋がったのか覚えていない。

恐らく、共通の友人主催のバーベキューパーティやホームパーティで何度も顔を合わせるうちに、SNSアカウントを教えあったのだと思われる。

 

彼女は愛嬌のある朗らかなキャラクターで、笑顔を絶やさないチャーミングな女性だった。そして、ちょっとびっくりするほど素敵な旦那様がいた。田舎ではあまり見かけないタイプの、都会的な雰囲気を纏った上品かつハンサムな男性だ。

それもそのはず、二人は東京からUターン移住してきたばかりだそうで、都会暮らしが長かったのだ。

 

旦那様が何のお仕事をされているのか知らなかったけれど、A子さんは専業主婦で優雅な暮らしぶりだったから、それなりの収入はあったのだろう。

二人とも既に若くなく、食い道楽で、あちこち出かけては社交に勤しむのが好きな様子だったので、私はてっきり子供を持たずに人生を楽しむ選択をした夫婦なのだと思っていた。

実は彼らが健康問題を抱え、不妊に悩んでいると知ったのはお別れの日だ。

 

あれは、友人の新居披露のホームパーティに呼ばれて、出かけた日のことだった。

宴もたけなわとなり、後から後から焼きあがっては運ばれてくるバーベキューの肉類と、次から次へと栓が抜かれるワインに疲れ、パーティの中心から外れて休んでいた時だっただろうか。小さなテーブルで私の隣の席に腰掛けたA子さんの夫が、突然プライベートな問題を滔々と語りだしたのである。

 

水を入れて重たく膨らませた水風船に、優しく穴を開けたみたいだった。小さな穴からプシューっと音を立てて水がほとばしっていくように、パンパンに張り詰めていたらしい思いが口から吹き出してくる。

 

「僕、実は、数年前に癌を患ったんです。東京で暮らしていた頃のことです。治療して今は普通に暮らせていますけど、再発の可能性がそこそこあって…。だから体のことを考えて、田舎に移住しました。こっちの方がずっと環境がいいですから、健康にもいいだろうということで。

妻は妻で、婦人科系の問題を抱えてます。だから今は、夫婦で体質改善に取り組んでいるところなんですよ。
それで、あの…、実は、僕たち妊活をしているんです。特に妻が子供を欲しがっています。

だけど僕は、癌治療の影響で子供ができにくくなってしまっていて、不妊治療をうけても妊娠の可能性は高くありません…。

それに、…迷っているんです。子供が欲しい気持ちはありますよ。できれば妻の希望を叶えてあげたいと思ってる。もしも子供ができたら可愛いだろうし、きっと幸せでしょう。

だけど現実的には難しい上、僕自身がいつどうなるのか分からないのに、そもそも子供を作っていいものなのでしょうか。
だけど自分たちの年齢を考えると、そんな風に迷っている時間もなくて…」

 

彼の目は私を捉えておらず、ずっと視線をゆらしながら話している。

 

私はどう答えればいいのか分からなかった。

A子さんの夫と話すのは、ほとんど初めてだったのだ。もちろんこれまでに幾度となく顔を合わせていたが、挨拶を交わす程度で、ちゃんと会話をしたことがない。

 

しかも今日を最後に会わない人から、いきなりシリアスな問題を打ち明けられても困ってしまう。

私は夫の転勤についていくため、翌週には県外へ引っ越すのだ。

 

後になって思えば、だからこそ彼は私に話したのだろう。私はこのパーティ仲間のコミュニティから出ていくと分かっている人間だった。

何を話したところで後腐れがないうえに、A子さんと私は親しくないため、「おたくの旦那さんがこんなこと言ってたわよ」と告げ口される心配もない。

 

結局、私には気の利いたことが何も言えなかった。

不妊治療はどこまでやるのか、もしできなかった場合は夫婦二人で生きていくのか、あるいは養子や里子を迎えるのか。彼が胸の内を打ち明けた上で、今後についてじっくり語り合うべき相手は妻であり、私ではない。

 

当人同士でしか答えが出せない問題なのに、彼は自分で答えを出したいと望んでいないように見えた。

「答えを出す」のではなく、ただ流れに身を任せて、「答えが出る」のを待っているのだ。

 

私の方は、彼と話したことで謎が一つ解けていた。

なぜA子さんがハーブの話ばかりをSNSに投稿するのか、事情が分かったのだ。ハーブが体質改善と妊活に役立つと考えてのことなのだろう。

医学的なアプローチに頼るよりも、自然であることにこだわりたい人なのかもしれない。

 

それっきりA子さん夫妻と顔を合わせる機会は無くなったが、SNSでA子さんの投稿は目に入っていた。

あれから数年の間に、A子さんの投稿内容はハーブの話題からアロマに移り、やがてアロマオイルを販売するネットワークビジネスの会員になって、アロマセラピストを名乗り、商品やサービスの宣伝を始めた。

 

マルチ系アロマビジネスとスピリチュアル系自己啓発は相性がいい。

時間の問題だとは思っていたが、しばらくすると案の定A子さんは仲間から影響を受け、占いやパワーストーンにも凝り始めて、発信内容はスピリチュアル色が強いものに変わっていく。

 

現在の彼女の SNSやブログには、「遠隔ヒーリング」「エネルギー調整」「引き寄せの法則」「ガイドとの交信」「宇宙仲間との交流」「チャクラ」「潜在意識」「ライオンズゲート」「本当の望みと向き合う」「魂の使命を思い出す」「ありのままで豊かになる」「ブロックを外す」など、定番のスピリチュアル用語がてんこ盛りだ。

 

結局、妊活は体への負担が大きかったことと、年齢的な限界を感じて諦めたらしい。

妊活が影響したのか婦人科系の病気も再発してしまい、今は病院で治療を受けながら、直接肌に塗ったり飲用も出来るというエッセンシャルオイルを用いて、様々な心身の不調をケアしていることが綴られている。

 

40代も半ばにさしかかっているため、他にも様々な不定愁訴にみまわれているようだ。

ホルモンバランスの変化による体調の揺らぎとイライラ、肌荒れ、胃腸の不調、腰痛に悩まされており、それらを全てアロマの力で克服するという。

 

その位の年齢になれば誰でも不調に悩まされるので、決して彼女が特別に不健康体というわけではないだろう。

体の変化に合わせて、生活を見直すべき時期が来たというだけのこと。

 

健啖家で酒豪の A子さんが飲酒や美食を止めるのは難しいだろうが、胃腸の不調にはエッセンシャルオイルを飲むより、強い酒と食べ過ぎを止めた方がいい。

それにより少々重すぎる体重が減れば、腰への負担も軽くなるに違いない。

 

彼女の発信内容で気がかりなのは、健康問題よりも夫婦関係の方だった。

A子さんは「夫に対する怒り」や「寂しさ」を、たびたび吐露するようになったのだ。

 

今でも夫婦で仲良く旅行に出かける様子を投稿をする一方で、「ちゃんと話を聞いて欲しいのに、夫は寝てしまう」「向き合ってくれない夫に怒りが大爆発」「寂しい。悲しい」と書いている。

 

あの素敵な旦那様とA子さんは、今も相変わらず仲は良さそうだ。

けれど、肝心なことは話し合われず、お互いに向き合わないままなのは、きっとあの日から変わっていない。

 

夫の目から見れば、今の妻の言動は異様に映るだろう。

アロマセラピストと言っても、A子さんの仕事はままごとのようなもので、収入らしい収入はない。

高額なエッセンシャルオイルやスピリチュアルグッズに生活費を注ぎ込まれるのは浪費に思えるだろうし、そもそも絶えず家中にアロマの香りが充満している状態は、彼にとって香害かもしれないのだ。

 

妻が意味のわからないスピリチュアル用語を連発しながら理解不能な話を始めれば戸惑って当然だし、それに理解や共感を示さなければヒステリックに泣き叫ぶのだから、背を向けて寝てしまいたい気持ちも分かる。

 

それでもA子さんの夫は、決して妻に文句を言わないし、諌めることもないだろう。

元々の優しい性格に加え、彼には「妻を母親にしてやれなかった」負い目があるのだから。

 

本当は、「妻を母親にしてやれなかった」ことが問題なのではなく、妊活中にしっかり向き合わなかったことと、A子さんが母親になる夢を諦めて挫折感と喪失感に苦しんでいる時に、ちゃんと受け止めなかったことが彼の罪なのだけど。

 

女たちがスピリチュアルに足を踏み入れるきっかけと背景は様々だが、彼女たちは決して諦めたからスピリチュアルにすがるわけではないだろう。

むしろその逆で、今生きている社会も、これからの人生も、パートナーとの関係も、何一つ諦めたくないからこそ、スピリチュアルにヒントを求めて彷徨うのだ。

 

けれど悲しいかな、スピリチュアルの世界に救いはない。

スピリチュアルというファンタジーワールドに迷えば迷うほど、現実では救いようのない人間へと堕ちていく。

 

A子さんはまだ、スピリチュアルの沼の浅瀬にいる。残念なことに、今後はいっそうの深みにハマっていくと予想される。溺れる前に岸に上がるには、本人が自分で気が付くか、夫が引っ張り上げるしかない。

A子さんの夫が妻に向き合い、A子さんは現実と向き合う日が来ることを、遠くから願っている。

 

 

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【著者プロフィール】

マダムユキ

最高月間PV40万のブログ「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。

Twitter:@CrimsonSepia

Photo by Dan Farrell