DX(デジタル・トランスフォーメーション)――今やあらゆる業界・企業にとって避けられない経営課題だ。その推進には、自社にはいない”デジタル人材”の採用が重要である。だが、過熱するデジタル人材争奪戦を制しても、数年以内にその多くが離職してしまうと聞く。

そこで今回は、こうした「デジタル人材の離職問題」を、転職・離職のメカニズムを表した「転職の方程式」を用いて考えていきたい。

 

デジタル人材の争奪戦を制しても、その多くが離職してしまう現実

デジタル人材の定義は様々存在するが、ここでは「デジタル技術を活用して、企業や社員に新たな価値提供を行い、事業変革を推進する人材」としたい。

具体的な職種*1としては、デジタル/Webプロデューサー、ビジネスデザイナー、アーキテクト、データサイエンティスト/AIエンジニア、UXデザイナー、エンジニア/プログラマがある。

 

DX推進を進めるべく、企業側はこうしたデジタル人材の採用を強化している。

しかし、デジタル人材は、スキルアップを求め、転職志向が強い傾向にある。数年以内にその多くが離職すると言われ、デジタル人材を採用してもその定着率が低いという点に、多くの企業が頭を悩ませる。

 

中長期に及ぶDX推進において、デジタル人材には腰を据えて長く活躍してもらいたい。そのために、フルリモート勤務などの労働環境の整備、既存社員とは独立した報酬体系の構築、スキルアップのための教育プログラムの充実など、企業側は様々な施策を打っている。

しかし、そうした努力があってもデジタル人材の離職は続いてしまうことがある。なぜなのか。デジタル人材に長く活躍してもらうためには、企業は何に取り組まなければならないのだろうか。

 

転職の方程式「D(不満)× E(転職可能性)> R(抵抗感)」とは

「デジタル人材の離職問題」を考える上で、まずは「人はいかに転職を決意するのか」という点を深めていきたい。考察に用いるのは立教大学・中原氏が提示する「転職の方程式」*2だ。

 

「転職の方程式」とは、離職・転職のメカニズムを表したものだ。具体的には、会社や仕事への不満の強さ(Dissatisfaction)と、外の世界で活躍できる可能性(Employability)の積が、今の環境を変える抵抗感(Resistance to Change)を上回ると、人は転職を決意・実行する、というものである。

”方程式”と名付けている通り、各変数の頭文字(英語)を取って、「D(不満)× E(転職可能性)> R(抵抗感)」と表現されている。

なお、この方程式は数式で表現されているが、人の意識や心を数値化し、転職行動を予測・予想するものではない。

あくまで”転職・離職”という事象を捉えるためのフレームワーク(枠組み)として捉えてもらいたい。

 

離職防止の鍵は、不満の低減と同時に、組織の未来に希望を抱いてもらうこと

さて、この「転職の方程式」を用いて、「デジタル人材の離職問題」を考えていきたい。

 

必ずしも全てに当てはまるわけではないが、デジタル人材は一度以上の転職経験を持ち、かつ、他の職種と比べて転職力が高い傾向にある。つまり、今の職場を離れる抵抗感(R)は低く、他社に移ることのできる転職の可能性(E)は高いということだ。

こうした条件の中で、デジタル人材に組織に長く定着してもらうには、① その「D(不満)」を低減するか、② 「R(抵抗感)」を高めるか、解決策には2つの方向性がある。それぞれ考えていこう。

 

① 「D(不満)」をいかに低減するか

この問いを考える上で、まずデジタル人材が抱く「不満」とはどういうものかを知る必要がある。NTTデータ経営研究所の調べ*2では、中途採用した(転職経験のある)デジタル人材は、「ワークライフバランスの充実」を求めており、新卒から育成された(転職経験のない)デジタル人材は「尊敬できる上司」「能力の高い社員の昇進」「頻繁なフィードバック」を求めていることがわかっている。この調査結果から、解決の方向性は次の通りである。

ひとつは「配置」に関わる取り組みだ。これはデジタル人材に限った話ではないが、人材の定着には優秀なマネージャー・リーダーの配置が欠かせない。

「尊敬できる上司」とある通り、デジタル人材の上司となる人材の選定が重要である。加えて、そうしたマネージャー・リーダーには、仕事のアサインメントなどを適切に行うことで、部下の「ワークライフバランスの充実」のマネジメントをすることが求められる。

 

「配置」とともに「評価」も改善が必要だ。既存社員とは異なる、デジタル人材のための評価制度を新たに用意し、スピード昇進など配置の考え方も変えていかねばならない(「能力の高い社員の昇進」)。

 

「配置」「評価」とくれば、「育成」にも手を入れる必要がある。スキルアップを志向するデジタル人材だからこそ、成長のための「頻繁なフィードバック」を求めているのは当然だ。

その鍵を担うのは、先述の優秀なマネージャー・リーダーだが、デジタル組織の立ち上がり期ならまだしも、一定の規模を持ち始めたフェーズで、全ての組織に優秀なマネージャー・リーダーを採用し、配置するのは難しい。優秀なマネージャー・リーダーをの量を揃える必要があるのなら、自社内でデジタル人材を育てるための育成システム(タフアサインメント、教育プログラムの充実、資格取得の支援等)が必要になる。つまりは、HRMのすべての領域を見直す必要がある。

② いかに「R(抵抗感)」を高めるか

一方で、「R(抵抗感)」を高める点はどうだろうか。抵抗感を高める、との表現は少しネガティブに聞こえるため、「この組織を離れたくない」「この組織で活躍し続けたい」との希望を抱いてもらうには何に取り組む必要があるのか、という問いに置き換えて考えてみよう。

 

この方向性での取り組みは、昨今注目されるエンゲージメント向上の取り組みと近しい。①で挙げたような取り組み以外だと、トップからのDX推進の意義の発信、自社のMVV(ミッション・ビジョン・バリュー)の浸透、職場の人間関係の向上を目指した組織開発、などである。

企業の多くは、労働環境や評価・報酬制度を整備することにどうしても意識が向きがちだが、こうしたソフトイシューに働きかける取り組みも同時に必要になってくる。

 

なお余談だが、今回用いた「転職の方程式」を考案する調査の中で、中原氏らは興味深い調査結果を提示している。

それは「人が転職・離職するのは、不満だけでなく、≪この会社は変わらない≫との無力感の積み重ねも影響している」という点だ。労働環境や評価・報酬制度を整備するのはもちろん必要だ。だが、それだけだと、優秀な人材はより条件の良い職場が見つかれば転職してしまう。

これまで様々な取り組み例を紹介してきたが、もっとも大事なのは、この組織の未来に希望を持ってもらうことを意識しながら、ハード・ソフトの両面で取り組むことなのだ。

 

デジタル人材と既存組織の社員、お互い歩み寄り、理解し合うことが何より重要

ここまでデジタル人材の離職問題について、転職の方程式をもとに解決策を探ってきた。

解決策の多くは人事主導で取り組むものであるが、現場側にも協力できることはあるのだろうか。

 

実は、デジタル人材の定着において、現場の果たす役割は大きい。特に、デジタル組織が規模感を持ち始めた頃に必ず向き合うのが新旧カルチャーの融合だ。

もしあなたが既存組織の一員なら、歩み寄る姿勢が必ず必要になってくる。

 

もともと企業には、作り上げてきたカルチャーがあり、慣習やルールが存在する。デジタル人材の考え方と違うことも多い。

一例として、物事に取り組むスピード感の違いは、よくある衝突だ。

 

日本の企業の多くは、時間をかけて根回しや調整を行い、意思決定する。慎重で失敗が少ないが、デジタル業界のスピードにはついていけない。

一方で、デジタル業界ではやるべきと思えば即断即決でやる。事故がないように時間をかけて要件を定義してから開発するのではなく、アジャイルで進めていく文化がある。こうしたお互いの背景を十分に理解しないまま2つのカルチャーが衝突すれば、「こんなこともできないのか」と対立につながることがある。

 

こうならないためにも、お互いが歩み寄り、理解し合うことが何より重要だ。デジタル人材だからと言って、特別視したり、ステレオタイプ的な見方をすれば、かえってデジタル人材との溝を作り、離職へとつながってしまう。

デジタル人材を採用したての頃、大半のデジタル人材が「外様」を感じると聞く。デジタル組織の立ち上がり期は、出島戦略としての新組織を設立することもあって致し方ないこともあろうが、ある程度規模を持つと、既存社員と協力し合うフェーズが必ず来る。その際、同じ舟に乗る仲間として、分かり合うことが何より重要だ。

 

同じ職場の仲間として、受け入れられないことほど、辛いことはない。その一端は、あなたも担っている。

 

<参考文献>

*1 独立行政法人情報処理推進機構 社会基盤センター . “デジタル・トランスフォーメーション推進人材の機能と役割のあり方に関する調査” . 2019 . (参照 2022-08-08).

*2 中原 淳・小林祐児・パーソル総合研究所(2021).働くみんなの必修講義 転職学 人生が豊かになる科学的なキャリア行動とは KADOKAWA

*3 株式会社NTTデータ経営研究所 . “「デジタル人材定着に向けたアンケート調査」デジタル人材の定着には、上司の選定とワークライフバランスの推進が重要~多様化するデジタル人材の活用に向けて~” . 2019 . (参照 2022-08-08).

 

 

(執筆:太田 昂志)

 

 

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