ウクライナで、ロシア軍が「督戦隊」を投入したことが話題になっている。
戦意の低い兵士を見つけたら背中から撃ち殺すことで戦闘を強要する、これ以上はない頭のおかしな組織だ。
先の大戦中にも旧ソ連や中国軍で見られた「組織マネジメント」だが、まさか21世紀の世界にもこんな指導者がいるものなのか…。
この報道を受け、SNS上などで見かける意見はざっと、以下のようなものだろうか。
「こんな事されて、ロシア兵はなんで督戦隊を攻撃しないんだ?死ぬよりマシじゃん」
「俺なら仲間とそいつら攻撃して降伏するわ」
言ってることはその通りだし、私だって同じ目に遭ったらきっと同じことを考えるはずだ。
しかし断言してもいいが、人間はこんな状態に追い込まれてもなお、圧倒的多数が何もできないままに理不尽に背中を撃たれ、命を落とす。
だからこそ、モラルがぶっ壊れている指導者はこんなクソみたいな戦術に“合理性”を見い出し、歴史に残る愚行を繰り返している。
なぜそんな事を言いきれるのか。
日本にも、同じようなことをして“成功している”経営者があふれているからだ。
「あの時に、挑戦しておけばよかった」
話は変わるが、もう7〜8年ほども前のことだろうか。
地方銀行に勤務する旧友から何年かぶりに声を掛けられ、飲みに行くことがあった。
今のキャリアはもう先が見えているので、40代の早いうちに思い切って転職をしようかと迷っており、アドバイスが欲しいのだという。
「実は有望なベンチャー企業から、財務担当の役員として誘われてるんやわ」
「へー、すごいやん。俺がお前なら、先が見えてるキャリアより思い切ってそっちを選ぶかな」
「同感なんやけど、少し問題があってな…」
そういうと彼はタコ唐に七味と塩をかけ、刺し身醤油にもつけて口に運ぶ。
味覚が鈍くなるほど、ストレスを抱え悩んでいるのだろうか。
問題とは、そのベンチャー企業からのオファーは年俸700万円ほどであり、生活が厳しくなるということのようだった。
おそらく、今の稼ぎより3〜40%程度は減るのだろう。
ただしSO(ストックオプション)の付与が約束されており、上場までいければ数億円程度になる見込みの持ち分を約束されているのだという。
「悩む理由がなさそうだけど、何に迷ってるんや?」
「いや、だって銀行の収入を前提に生活設計してるねんぞ。ウチは奥さんが専業主婦で、この減額はさすがにキツイやん」
「…本音のアドバイスが聞きたいか?それとも適当に背中を押せばいいか?」
「本音で頼む」
「わかった、紙とボールペンがあれば出してくれ」
そういうと私は彼に、住宅ローンの毎月の返済額、毎月の食費、スマホ代などの生活費を全て書き出すようリクエストした。
そんなもん言えるかと、正直な数字を書くことをためらっていたが、じゃあ知らんと脅すと渋々書き始める。
そして出来上がった数字では、彼の家庭では毎月ざっと47万円余りの生活費を支出しているようだった。
年俸700万円だと、おそらく毎月の手取りは40数万円見当なので少し足りないのだろう。
「生活レベルを少し落とすだけでリスクに挑戦できるやん。しかも成功報酬は億単位。ノーリスクハイリターンだぞ」
「いや、これは最低限の生活費や。突発的な支出も娯楽費も入ってないやん」
「うーん、ちょっとその紙貸してくれるか?」
そういうと私は、生活レベルを大きく落とさずに削減可能な生活費を上書きした。
生命保険、キャリアのスマホ代、今の収入が前提の高額な自動車ローン、お小遣い、有料放送など、どうにでもなるものがいくらでもある。
さらに、子どもの習い事や塾の費用も取捨選択すれば、恐らく10万円程度はすぐに削減できるだろう。
そうすれば、年俸700万円でも生活に支障がないばかりか、貯金すら十分可能な計算だ。
しかしその一つ一つに彼は、保険は何かあったら困る、車は数少ない趣味、有料放送は子どもが楽しみにしているし、習い事をやめさせるなんてとんでもない・・・という意味のことを説明した。
じゃあせめて、奥さんにパートに出てもらって毎月4万円でも稼いで貰えと言えば、40過ぎてから辛い仕事をさせたくないという。
「生活レベルは落としたくない、奥さんに協力も求められない、でもリスクに挑戦したいって、相当なムチャを言ってるぞ」
「・・・そうかもな」
「お前、どうせ奥さんに相談しても反対されると思って、本音の会話から逃げてるだけだろ」
「・・・」
「結果はどうであれ、奥さんに一度本音で相談してみろって。車を適当な中古車にして、奥さんにパートの協力を貰えるだけでもなんとかなる数字やぞ」
「わかった、もう一度考えてみるわ」
そういうと彼はジョッキを飲み干し、強引に話を切り上げてしまった。
いくら“あるべき論”を聞いても決断できないことを、悟ってしまったのだろう。
そして後日、彼はやはり誘いを断り、今のまま頑張ることに決めたという趣旨の連絡をしてきた。
しかしその数年後、思いがけない知らせを受ける。
彼の勤務先が中高年社員の退職勧奨を発表したタイミングで、彼も銀行を退職することに決めたのだという。
さらにそのわずか1年余り後には、なんとか決まったという再就職先の中小企業も退職してしまったことを、風の便りで聞かされることになった。
その後、彼とは連絡がつかなくなってしまったのでどうなったのか、正直わからない。
しかし恐らく、いつか飲みながら話したような「家計の大幅な見直し」は全て、実施せざるを得ない状況になっているのではないだろうか。
その上で大きな挑戦ができているわけではないのだから、きっと今、こう思っているのだろう。
「あの時に、挑戦しておけばよかった」と。
「なんかやれそうな気がする」
話は冒頭の「督戦隊」についてだ。
なぜ人は、背中から撃たれるとわかっていても反乱を起こさず、みすみす命を落とすような決断をしてしまうといい切れるのか。
思うにこのような形で召集される兵士も皆、指を切り落とすか、召集担当官を襲うか、国外に逃げるかなど、兵役を免れるために様々なことを考えたはずだ。
そして実際、そのような思いきったことをして暴れた人たちも僅かながら存在することが、報道で漏れ聞こえてくる。
しかしほとんどの人は、指を切り落とすことなどできるわけも無く、上官襲撃も国外逃亡もできないままに、戦地に送り込まれてしまう。
より大きなストレスが待っていることがわかっていても、目の前にあるわかりやすいストレスを選ぶ決断は、それほどに難しいからだ。
その後、戦場で背中から撃たれた時に初めて、薄れる意識と痛みの中できっとこう思うのだろう。
「あの時、逃げておけば良かった…」と。
そしてこれは戦場だけでなく、ブラックと呼ばれるような日本のクソ企業で横行している理不尽でもある。
サビ残休日出勤を強要し、あるいは恫喝とノルマで従業員を追い込むような経営者のことだ。
このような会社では、経営者モドキは必ず、こう考えている。
「どうせ辞めても行くところなんてないんだから、辞められないだろう(笑)」
追い込まれる人もまた、
「会社を辞めたいなんて、とても家族に言えない」
と目先のストレス回避を優先し、その思惑通りに動いてしまう。
結果として、パワハラ・モラハラという名の銃撃を背中から浴び続け、心身を壊し立ち上がれなくなるまで働き、より大事なものを失うことになってしまう。
督戦隊という形でロシア兵を見ると滑稽に思うかもしれないが、決断ができないままに流されるとロクなことにならないという意味では、大きな違いはないということだ。
そして話は、転職に失敗し音信不通になった旧友についてだ。
彼もまた、目先のわかりやすいストレスから逃げてしまい、合理的な決断ができなかった。
では彼の“目先のストレスの正体”とはいったい何で、どうすれば良かったのか。
彼の失敗の最大の原因は、「無意味なことを大事なことであるかのように思い込んでしまった」ことにある。
言い換えれば、家族に対し“助け”や“協力”を求めることを「カッコ悪いこと」だと考えてしまったことだ。
確かに、ドコモのスマホを格安・低速SIMに変えてくれと家族に言い出すのは、気が進まないだろう。
高級車から中古の軽自動車に乗り換えたら、近所にどう思われるだろうかとプライドが傷つくのかもしれない。
しかしそんなものは、人生の大事な決断を下す上で全く無意味・無価値であり、どうでもいいことだ。
本気の決断で家族に相談をしたにもかかわらず、それでも皆が父の想いよりドコモのSIMを選ぶというなら、そんな家族関係は最初から破綻している。
転職よりも先に、別の決断をすべきだろう。
できないことはできないと言って、助けて欲しい時には迷わず口に出すことー。
私たちは、実はこれだけでも簡単に心が楽になり、迷いなく合理的な判断を下すことができるようになる。
家を売り、車を手放し、いざとなれば掛け持ちバイトで食費だけ稼げば死なないとまで開き直れば、理不尽な環境で我慢する理由もキレイさっぱり消えて無くなる。
そう思えたら、自分が恐れているリスクの正体など取るに足りないものであることに、誰だって簡単に気がつけるはずだ。
だからこそ、ブラック企業経営者の養分になるような働き方はしてはいけないし、人生の大事な決断を下す時に、無価値なことに囚われてはならない。
そして本当に開き直れた時にはきっと、誰しもこう感じるはずだ。
「あれ?なんかなんでもやれそうな気がするぞ(笑)」と。
それに気がついたら、本当になんでもできる。
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【プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
若い頃はたけのこの里派だったのに、オッサンになってきのこの山派になりました。
六花亭のマルセイバターサンド、若い頃は大嫌いだったのに今は大好きです。
天下一品のこってり、若い頃は大好きだったのに今は一口でギブアップです。
老舗といえども変わり続けなければ生き残れないことを、食べ物が教えてくれます・・・。
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Photo by : Daniel Stuben.