太宰治の「嘘」を読んだ。

正確には、BGM代わりに垂れ流していたYouTubeから、たまたま「嘘」の朗読が聞こえてきただけなのだが。

 

この”純文学BGM”は、読書習慣のないわたしでも「その話、知ってる!」と言えるので、知ったかぶるのに好都合である。

そして文豪には失礼だが、純文学のテイストというか語り口は、キーボードを叩きつつの”ながら作業”にちょうどいい。

 

・・・などと生意気なことを考えながら、「嘘」を聞き終えてからしばらくの間、わたしはぽかんとしていた。

 

「どこか聞き逃したのではないか?」

 

まずは己を疑い、再び、YouTubeを再生した。

それでもやはり、最後のオチが腑に落ちないのである(ギャグではない)。

 

なぜ急に、問題提起するような終わり方をするのか?

延々と話してきた内容が、すでに嘘なのか??

嘘をついているのは、いったい誰なんだ――。

 

文学の解釈や楽しみ方は人それぞれ。読み手次第の結末、ということなのかもしれないが、とにかく腑に落ちないまま、わたしはモヤモヤしていた。

 

(そもそも、嘘をつく必要があったのか?)

登場人物が嘘をついた理由を考えるうちに、幼い頃、あらぬ疑いをかけられた過去を思い出した。

――中年になった今でも、トラウマとして克明に刻まれた「嘘つきの烙印」について。

 

消えた給食費

その昔、給食費は「児童の手で学校へ納付する」という習慣があった。

月に一度のペースで、小銭交じりの茶封筒を担任に届けるのが、小学校に通う児童の任務であった。

 

現代においても未だ現金回収のところはあるが、口座振込やクレジットカード、はたまた電子マネーによる支払いが可能な小学校も登場している。

それにしても、なぜ小学生に現金を運ばせるのか、そのやり方や安全性には疑問が残るわけだが。

 

しかしわたしが小学生の頃は、専用の茶封筒に現金を入れて提出するのが当たり前であり、誰もがそれに従って給食費を納めていた。

 

そんなある日、わたしは担任に呼ばれた。

「放課後、ちょっと残ってもらえるかな?」

 

 

担任であるK先生は、教師としては変わり者だった。

たとえばホームルームの時間、我々は机の上であぐらを組み座禅をさせられた。静かな教室内には、シンセサイザーによる瞑想系の音楽が流れる。

 

今でこそ、授業に関係のないことを強要させようものなら、保護者が黙ってはいないだろう。だが当時の子どもにとっては、うまくいけば居眠りが許されるラッキーな時間だった。

 

ほかにも、合唱の際には一般的な小学生が歌うような曲ではなく、「ウィーアー・ザ・ワールド」を英語で歌わされた。

この曲は、マイケル・ジャクソン、ビリー・ジョエル、ダイアナ・ロス、シンディ・ローパーなど錚々たる歌手が集い、アフリカの貧困解消のためにつくったチャリティーソングである。

 

もちろん、8歳や9歳の子どもには英語の意味など分からない。

その代わりに、聞こえてくる言葉をそのままカタカナにした歌詞が配られ、それをメロディーに乗せて読み上げることで歌が完成した。

 

しかしこれは、ある意味正しい英語学習ともとれる。日本の学校教育でありがちな、日本人の発音による英語の授業では、いつまでたっても流暢な英語は身に付かない。

英単語の発音を日本語に落とし込もうとする時点で、もはや英語ではないからだ。

 

しかし我々は、幼くして「ウィーアー・ザ・ワールド」を暗記し、外国人さながらの見事な発音で歌っていたのだから素晴らしい。

このようなことからも、K先生は生徒から慕われる人気者の教師だった。

 

そんなK先生が、突然、わたしに居残りを命じたのである。

あえて二人で話がしたいということだが、わたしには思い当たる節がない。ということは、先生から何かを告げられるのだろうか?

 

クラスメイトが消え去った教室内で、わたしとK先生は黙って向かい合っていた。なぜ何も言葉を発しないのか、ただただ不気味である。

 

「最近は、どうだ?」

おもむろにK先生が口を開く。幼いながらも「こんな白々しい茶番いらないのに」と感じていたが、それなりの答えを返した。

 

「生活はどうだ、楽しいか?なにか買ったりしてないか?」

これまた意図がわからない質問を投げられた。無論、生活に変化などなく、いたって普通。

さらには、小学校低学年の児童に買い物の質問をするとは、どういうつもりだろうか?

 

「駄菓子屋で10円のチョコを買う」ならばわかるが、あいにく近所に駄菓子屋はないため、わたし自身が何かを購入する機会はない。

 

これに対しても、当たり障りのない返事をするわたしに、K先生はとうとう「本題」をぶつけてきた。

 

「給食費が、なくなったんだ」

それがどうした?と思う反面、このシチュエーションは「間違いなくわたしを疑っている」と確信した。

返事に窮するわたしを見ながら、K先生はこう続けた。

 

「おまえが盗んだんじゃないかと思って」

やっぱり・・・と、内心苦笑した。それと同時に、なぜわたしなんだと疑問に思った。

いわゆるガキ大将やいたずらっ子が、クラスには存在する。それなのに、彼らではなくなぜ「わたし」なのか。

 

「お金を盗む賢さ、というかずる賢い頭を持っているのは、おまえしかいないから」

・・・なんだそりゃ。

 

K先生いわく、

「小学校3年生が、教師の目を欺いて現金を盗むことなどできない。それでも現に給食費が消えた。ということは、誰かが盗んだ以外にありえない。つまり、お金の価値を知っており、かつ、大人に気付かれずに給食費を盗むような知恵のある子どもは、おまえしかいない」

とのことだった。

 

――褒められてるんだか、なんだか。

とにかく、「なんの根拠もないが、現金を盗む児童はおまえしかいない」という理由から、この尋問に至った模様。

 

「知りません。わたし、給食費を盗むようなことはしていません」

毅然とした態度で、わたしは無実を主張した。

当然のことである。盗んでもいないどころか、給食費をどこでどうやって保管しているのかも知らないのに、どうやって盗むというのだ。

 

その後、ズボンや上着のポケットを探られ、ランドセルの中身をひっくり返された。

 

もしも今のご時世で、このような行為が発覚すれば大問題となる。しかし当時は、こういう理不尽な追及も許されたのである。

そしてわたしの手元に給食費がないことを知ると、K先生は激昂した。それからスッと立ち上がると、目の前の机を蹴り飛ばした。

 

激しい音とともに、引き出しの中身が辺り一面に飛び散る。

――心臓をギュッとつままれる思いがした。

なぜわたしは、こんな目に遭わなければならないのか。寝耳に水の話を聞かされて、しかもその犯人がわたしだと決めつけられて・・・。

 

「どうして嘘をつくんだ?!」

怒りと困惑から、興奮気味にK先生が尋ねる。

 

「嘘なんてついていません」

涙をこらえながら、そう答えるのが精一杯だった。だって、何一つ嘘などついていないのだから。

 

 

地獄のような尋問の後、真っ暗な帰り道をトボトボと歩くわたし。

しかし放課後のことは、口が裂けても親には言えない。自分の娘が犯人扱いされたなど、恥ずかしくて言えるわけがない。

 

(このことは、わたしの中に留めておこう――)

 

そう決めた翌日、さらなる仕打ちが待っていた。

国語の授業かホームルームの時間だったか、このような紙が配られた。

 

「つぎの漢字にふりがなをふりなさい。

①先生の給食費がぬすまれた

②犯人はうそをついている」

 

他の生徒にとっては、なんのことだか見当もつかないはず。

いや、給食費を盗んだ犯人がいるのだとすれば、その子とわたしだけが理解できる文章だ。

 

わたしは自分を呪った。

なぜ疑われるような人間になってしまったのだろう。ほかの子ならば疑われないのに、なんでわたしだけ・・・。

 

給食費など盗んでいない。そもそも、田舎の小学生にとって「カネの価値」など知り得ない。

鼻水たらして走り回っているようなガキに、なぜ、給食費などという高額な現金を盗む必要があるのか。

 

あれ以来、わたしはカネが嫌いになった。むしろ、「現金ほど恐ろしいものはない」という強迫観念が、遺伝子レベルで刻み込まれた気がする。

 

嘘つきは誰だ?

今でもK先生の中で、わたしは「嘘つきの盗っ人」として存在するのだろう。

だがもしも、太宰治の著書のように「嘘をついているのは誰か」という観点から見た場合、K先生が嘘をついているとしたらどうか。

 

「給食費が盗まれたと、嘘をついているんじゃないですか?先生」

あの当時、わたしにこんな返しができたならば、K先生が考えるような「ずる賢い児童」になれたのかもしれない。(了)

 

 

【お知らせ】
ティネクト(Books&Apps運営会社)提供オンラインラジオ第6回目のお知らせ。


<本音オンラインラジオ MASSYS’S BAR>

第6回 地方創生×事業再生

再生現場のリアルから見えた、“経営企画”の本質とは

【日時】 2025年7月30日(水曜日)19:00–21:00
【ご視聴方法】
ティネクト本音オンラインラジオ会員登録ページよりご登録ください。ご登録後に視聴リンクをお送りいたします。
当日はzoomによる動画視聴もしくは音声のみでも楽しめる内容となっております。

【今回のトーク概要】
  • 0. オープニング(5分)
    自己紹介とテーマ提示:「地方創生 × 事業再生」=「実行できる経営企画」
  • 1. 事業再生の現場から(20分)
    保育事業再生のリアル/行政交渉/人材難/資金繰り/制度整備の具体例
  • 2. 地方創生と事業再生(10分)
    再生支援は地方創生の基礎。経営の“仕組み”の欠如が疲弊を生む
  • 3. 一般論としての「経営企画」とは(5分)
    経営戦略・KPI設計・IRなど中小企業とのギャップを解説
  • 4. 中小企業における経営企画の翻訳(10分)
    「当たり前を実行可能な形に翻訳する」方法論
  • 5. 経営企画の三原則(5分)
    数字を見える化/仕組みで回す/翻訳して実行する
  • 6. まとめ(5分)
    経営企画は中小企業の“未来をつくる技術”

【ゲスト】
鍵政 達也(かぎまさ たつや)氏
ExePro Partner代表 経営コンサルタント
兵庫県神戸市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。3児の父。
高校三年生まで「理系」として過ごすも、自身の理系としての将来に魅力を感じなくなり、好きだった数学で受験が可能な経済学部に進学。大学生活では飲食業のアルバイトで「商売」の面白さに気付き調理師免許を取得するまでのめり込む。
卒業後、株式会社船井総合研究所にて中小企業の経営コンサルティング業務(メインクライアントは飲食業、保育サービス業など)に従事。日本全国への出張や上海子会社でのプロジェクトマネジメントなど1年で休みが数日という日々を過ごす。
株式会社日本総合研究所(三井住友FG)に転職し、スタートアップ支援、新規事業開発支援、業務改革支援、ビジネスデューデリジェンスなどの中堅~大企業向けコンサルティング業務に従事。
その後、事業承継・再生案件において保育所運営会社の代表取締役に就任し、事業再生を行う。賞与未払いの倒産寸前の状況から4年で売上2倍・黒字化を達成。
現在は、再建企業の取締役として経営企画業務を担当する傍ら、経営コンサルタント×経営者の経験を活かして、経営の「見える化」と「やるべきごとの言語化」と実行の伴走支援を行うコンサルタントとして活動している。

【パーソナリティ】
倉増 京平(くらまし きょうへい)
ティネクト株式会社 取締役 / 株式会社ライフ&ワーク 代表取締役 / 一般社団法人インディペンデント・プロデューサーズ・ギルド 代表理事
顧客企業のデジタル領域におけるマーケティングサポートを長く手掛ける。新たなビジネスモデルの創出と事業展開に注力し、コンテンツマーケティングの分野で深い知見と経験を積む。
コロナ以降、地方企業のマーケティング支援を数多く手掛け、デジタル・トランスフォーメーションを促進する役割を果たす。2023年以降、生成AIをマーケティングの現場で実践的に活用する機会を増やし、AIとマーケティングの融合による新たな価値創造に挑戦している。
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(2025/7/14更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

URABE(ウラベ)

早稲田卒。学生時代は雀荘のアルバイトに精を出しすぎて留年。生業はライターと社労士。ブラジリアン柔術茶帯、クレー射撃元日本代表。

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