21世紀に入ってから、「発達障害」という言葉はすっかり知られるようになり、「自分が発達障害かどうか調べて欲しい」という相談を外来で受けることが増えました。

 

そのように精神医療のドアを叩き、発達障害と診断される人の大多数は、日ごろ、社会で生きていくことに困難を感じていたり、周囲とのあつれきを感じていらっしゃるものです。

そりゃそうでしょう、何か困った問題が生じていない限り、病院を訪れることはないでしょうから。

 

社会に溶け込んでいる「発達障害と診断され得る」人々

発達障害という名前が広く知られるにつれて、精神科医が発達障害と診断する頻度はかなり増えました。

過去、違った病名をつけられていた人のなかにもASD (自閉スペクトラム症)やADHD (注意欠如多動症) に相当する人が混じっていることも判明するようになり、新しい対策や治療法が立てられるようになりました。発達障害を巡る状況は、全体的に進歩していると言えるでしょう。

 

そうやって、今までよりも広範囲の人々が発達障害と診断されうる状況になって、次第に意識するようになったことがあります。

どういうことかというと、「世間には、病院を訪れたら発達障害と診断されそうな人がたくさん埋もれていて、なかには結構うまくやっている人も多い」ということが以前よりも見えやすくなったのです。

 

たとえば、ASDとして診断される人とほとんど同じ性質を持っているのに、まったく精神科の治療や援助を受けることもないまま、うまく社会に適応している人も意外にいます。

なぜ、そういう人は発達障害っぽいのに精神医療とは無縁に社会適応できているのでしょう?

 

そういう人の社会適応を成立させている与件はさまざまです。

精神科を受診することなく社会適応しているASDな人の背景には、高学歴や職業適性の良さがあったり、ユニークな感性を生かす手段を身に付けていたり、理解ある環境があったり、趣味や学問に基づいた人的ネットワークを持っていたりします。

 

巷で耳にする「大学教授には高機能自閉症が多い」という噂がどこまで本当かはわかりませんが、高学歴な専門家集団や高技能なプロフェッショナルのなかに、不適応に至っていたら精神科でASDと診断されていそうな人が混じっているのは確かです。

 

信州大学医学部附属病院の子どものこころ診療部の本田秀夫先生は、そうした、病院を訪れる必要性がないけれどもASD的な性質を持っている人を非障害自閉スペクトラム(autism spectrum without disorder;ASWD)と呼んでらっしゃいますが、まさにそのような人が、案外いろいろな場所で活躍しているよう、思われるのです。

 

同じく、現代の診断基準ではADHDと診断されそうな人が、メディア関連の仕事で活躍していたり、多忙な職場を支えていたり、企業のかなり偉いポジションで働いていたりすることを、私は診察室の内外で何度となく目にしてきました。

 

わざわざ発達障害の相談や診断のために病院を訪れない、社会に溶け込んでいるASDっぽい人やADHDっぽい人のなかには、それらの短所によって不適応を起こしているというより、それらの長所によって社会適応を成し遂げているとしか言いようのない人達も少なからず存在しています。

そうした人に出会った時、いつも私は思わずにいられません──「これって、障害や病気っていうより、才能だよね」、と。

 

彼/彼女らの社会適応のスタイルはあまりに多種多様で、簡単に応用できるものではないかもしれません。

しかし、ASDを知る・ADHDを知るといった時、社会不適応な部分だけをクローズアップし、そこばかり詳しくなるのって、なんだか違う気がします。もちろん、診断や治療といったコンテキストのもとでは、短所や苦手に詳しくなければならないでしょう。

 

だけど私個人の性分としては、社会不適応な側面よりも社会適応できている側面に興味関心を抱いてしまうので、発達障害と診断されそうなのに受診には至らずに済んでいる人々の生きざまについて、もっと詳しく知りたいと常々考えています。

もし許されるなら、そういったひとりひとりの社会適応のかたちを書き残しておきたいものですね。

 

人生の分岐点で「たまたま精神科を受診し、発達障害と診断される」人もいる

そういう、発達障害と診断されてもおかしくないけれども社会に適応し、活躍してきた人が、ふいに精神科を受診することがあります。

 

受診のきっかけとしてありがちなのは、大きなライフイベントによって今までの社会適応が維持できなくなり、「適応障害」や「うつ病」として来院されるパターンです。

そのような患者さんの場合、適応障害やうつ病といった表向きの診断病名だけ意識していては問題がなかなか解決しないことがよくあります。

 

そういう患者さんとは別に、四十代~六十代ではじめて「自分は発達障害ではないか」と疑い、来院される方も混じっています。

見ようによっては「発達障害と診断されるのが遅れた」と言えるかもしれませんが、見ようによっては「発達障害的な性質があっても、それまで長らく社会適応できていた」ともいえます。

 

もちろん、彼/彼女は環境が恵まれていたのかもしれませんし、発達障害的な性質がマイルドだったのかもしれません。

人一倍苦労していたのかも、人一倍努力してきたのかもしれません。いずれにしても、不惑や還暦まで世渡りをやってのけていたのは間違いないのです。たいしたものだと思いませんか。

 

子どもや孫がいてもおかしくない年齢で「発達障害ではないか」と相談にいらっしゃる患者さんのなかには、今までのライフスタイルが否定されたような気持ちになって、自尊心を喪失している人もいらっしゃいます。

けれども発達障害的な性質をもっていながら現代社会に適応し、ここまで世渡りをしてきた人はみんなたいしたものだと、私ならまず思います。

 

診断や治療が必要な場合、そちらを優先させなければならないとしても、それでも私は、そういう患者さんがここまで世渡りをやってのけてきたこと・今まで自分流で生きてこれたことを肯定するようなニュアンスを(すぐにではなくても・どこかで何らかのかたちで)伝えたいと願います。

だってそうじゃないですか。現代の診断基準では発達障害に当てはまるとしても、とにかく、自分自身と世間とに折り合いをつけながら生きてきた人なのですから。

 

発達障害という診断名がつくこと、それはいいでしょう。しかし、その診断名をとおしてこれまで生き続けてきたという事実が棄損されることがあってはいけません。

いや、これは発達障害という診断名に限った話ではないですよね。ここまで生きてきたってことは大したものだし、人それぞれに持ち味を持って生きてきたはずなのですから。

 

その延長線上として、現代の精神医学の診断病名に該当しない人々に対して、「あの人たちはラクな人生を歩んできた」などと逆方向のスティグマを貼りつける向きにも、私は与したくないと思っています。

 

医学的な診断基準のもっともっと根っこの部分には、「ともかくも生き続けている人は、みんな、たいしたものだ」という理解と、生きている人々への敬意があってしかるべきだと思うのです。

そこのところを、発達障害と診断される人もされない人も見失ってはいけないし、発達障害と診断する側も見失ってはいけない、と私は思います。

 

たまたまライフイベントによって精神科を受診することになったような、「これまでずっと診断されることのなかった発達障害」の人々の多くは、治療や環境の再調整によって元の生活を取り戻すか、次のライフステージに移行していきます。

 

長年、自分自身の性質とも世間とも折り合いをつけながら生きてきた人達だけに、クライシスを乗り越えてしまえば、さきに紹介した「受診するまでもなく社会に溶け込んでいるASDっぽい人やADHDっぽい人」と区別がつきません。というかそれそのものです。

 

そういう人は、きっと案外近くにもいる

なお、こうしたずっと診断されずに世渡りを続けてきた発達障害的な人は、特別に職業的/学業的なアドバンテージに恵まれた人だけとは限りません。さまざまな職域で、それなり頻繁に見かけるものです。

 

もちろん彼/彼女らは、空気が読めない性質や落ち着きのない性質を残しているか、その痕跡をときどき垣間見せます。

でも、彼らは社会的な約束事や立ち位置をひととおり身に付けていて、そこの部分で、年少の発達障害の人より「立ち回りが巧い」「年の功がある」と感じることが多いです。挨拶や礼儀作法をはじめとするソーシャルスキルによって、苦手な部分が補われるよう、きっちりトレーニングされている人が多いです。

 

そうやって社会のなかでサバイブしている人に、わざわざ診断病名を配ってまわる意味はありません。

何か困ったことが発生した段階で精神医療のフォーマルな窓口を訪れたっていいのだと思います。

 

そしてもし、発達障害として診断する必要が生じた場合にも、発達障害的な性質がディスアドバンテージになっている部分だけを見つめるのでなく、それがアドバンテージとなっている部分を見つめ、なるべく見逃さないようにしたいものです。

そして世の中には本当にさまざまな人がいて、いろんなスタイルで生きていて、いろんな生き方が可能であることに敬意を払い、寿いでおきたいとも思います。

──『シロクマの屑籠』セレクション(2016年10月18日投稿)より

 

 

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(2024/1/22更新)

 

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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Photo by UnsplashLi Lin