おれの病気

おれは双極性障害を患っている。わかりやすい、旧来の言い方でいえば「躁うつ病」だ。躁とうつを繰り返す。

今のところ、根治の方法はない。一生繰り返す。ゆえに障害を抱えているということだ。手帳も持っている。

 

双極性障害には基本的に二種類あって、I型とII型がある。I型は波がすごく大きく、II型はそうでもない。

おれはII型だ。「躁のときは楽しいんでしょう?」と思われるかもしれない。

しかし、おれについていえば、「躁でないときは、普通の人のテンション」だ。普通に朝起きて、会社に行って、働いて、帰る。いきなり高い買い物をするとか、夜の店で大散財するとか、そういうエピソードはない。

 

が、うつになると「じゃあ軽くしんどいんでしょう?」となるかどうかというと、その一番きついタイミングでいうと、身体が動かなくなる。まったく動かない。それについては以前も書いた

こうなる。抑うつ状態という意味では、うつ病(大うつ病性障害)の人と症状はかわらないかもしれない。

 

いずれにせよ、これはおれ個人にあらわれた症状だ。人によってぜんぜん違う。ただ、ネットに「こういう例もありますよ」と晒すと、「私と一緒だ」という反応などもある。

おれも人のものを読んで「似ている」とか、「おれとはちがうな」と思ったりする。なんとなく、そういう当事者が語る症例はありがたいと思うので、おれも書く。

 

まあ、いずれにせよ、おれは他人から見て「普通」の状態と、「抑うつ状態」を繰り返して生きている。

その間隔も一定ではない。このごろについて言えば、「あ、躁転したな」と思った直後にまた深い抑うつになるなど、はじめての体験にぐったりしている。悪化しているというべきか。

 

精神障害者は国会へ行けないのか?

さて、そんなおれには一つの想像、あるいは妄想があった。

「精神疾患者は国会議員になれないのだろうか」というものだ。二年前くらいにこんなことを書いた。

関内関外日記「さて、帰るか

議員いうのはいろいろな属性を持った人々の代表という側面がある。農業の代表者、漁業の代表者、医師の代表者、オタクの代表者、NHKをぶっ壊したい人の代表者……。

あるいは、たとえばれいわ新選組の舩後靖彦議員はALS(今日、画期的な治療薬ができるかもしれないという記事を目にした)の代表者という側面もあるだろう。もちろん、同木村英子議員とともに重度身体障害者、ひいては障害者の代表者といえるかもしれない。

と、ここで思うのである。おれは手帳持ちの精神障害者である。ならば、精神障害者の代表は国会にいないのか、と。……と、調べてみたが、身体障害者の議員、という話は出てきても、精神障害者という例は見つからなかった。ざっと調べただけでわからないけれど。

いろいろな属性の国民のそれぞれの代表者が集まって国会議員をやる、という一つの側面(あくまで一つの側面であろう)から見て、「精神障害者の当事者代表」はいないのか、という話だ。

 

たとえば、国会議員をやっていて、なにか問題を起こしたりしたとき、精神疾患的な判断をくだされる、という話はある。

 

民主党政権時代に初代復興対策大臣になった松本龍氏は、いろいろな暴言問題を起こしたあと休養で入院し、医師から「気分障害で軽度の躁状態だった」と診断されたという。単極性の躁病というものは存在しないが、ほかの疾患による「躁状態」というのはあるのだろう。

「抑うつ」も大うつ病性障害によってのみ引き起こされるわけではない「症状」、「状態」だ。

 

まあいずれにせよ、「私は双極性障害の代表として国会に参ります。同じ障害を持つ人への理解が広がりますよう努力いたします!」といった選挙演説も政見放送も見たことがない。

このごろは発達障害を公にする立候補者をたまに見かけるが(自分が見たのは大政党から出た人ではなかったが)、やはり大きな精神病を持った人の候補者というのは見かけない。

 

一方で、その他の障害者が国会へ、という話は見聞きする。

とくに最近で象徴的なのはれいわ新選組のALS(筋萎縮性側索硬化症)と重度障害を持った二議員だろう。それ以前にも、「車いすを国会へ」という議員や、全盲の議員もいた。

 

なので、精神障害者はどうなのか、ということだ。

これは当事者としておれが気になっていることである。気になっている、というのであって、「行くべきだ」というほど強い思いはない。

 

水道橋博士の議員辞職

そんなことを思っていると、「水道橋博士議員の辞任」というニュースが聞こえてきた。

さきにあげたれいわ新選組の議員だというのは偶然だろうが、ともかく「うつ病」を原因とした辞任だ。

 

ニュースによると再発とのことで、以前も患っていたのだろう。

ただし、一旦は寛解したのかどうか、「大うつ病性障害」として、たとえば手帳を持っているかどうかという話は知らない。

 

いずれにせよ、議員が「うつ病」になった。なって、辞任した。そういうことだ。

 

それを聞いたおれは、「残念ながら当然なのか……?」という気持ちになった。

なぜならば、おれはおれの体験として、抑うつ状態のとき、まったく身体が動かなくなる場合があることを知っているからだ。

そして、そのとき考えごとをしろ、なにか選択しろ、決断しろと言われても、ちょっと待ってくれということになる。

おれは先の日記にこう書いた。

というわけで、精神障害者を国会へ!

……って、難しいかな。なんというか、自分は自分のことしか語れないが、なんとなく、そんな感じ。たとえば重度の抑うつ状態になった人間を無理やり布団から引きずり出して、こう、両脇を抱えられて椅子に座らせて、でも、議場で伏せってるだけで、みたいな。まあ、いろいろな障害の種類もあるし、服薬によってほとんど健常者と変わらない生活を送ることのできる人もいるので、これははっきり言って偏見。いずれは出てくるかもしれない。

無理やり布団から引きずり出して、無理やり国会の椅子に座らせる。

物理的にできない話ではない。車いすやベッドを入れるより簡単だ。人間一人をおぶったりなんかして移動させるだけのことだ。

 

が、伏せっているだけでいいのか。これはちょっと厳しいように思える。寝ているのか、起きながら寝ているのか、なんとも言えないが、とにかくぐったりしているのだ。

脳と身体が断線したみたいになって、その状態でものごとを審議したり、賛成か反対か判断するのは、かなり厳しい。

 

居眠りしている議員もいるって? そんなやつは投獄してしまえ。

え、なに、「仕事している間に居眠りしちまうようなやつの代表も必要だ」って。それはそうかもしれねえが、ちょっと多くないか。

 

まあ、居眠りはともかく、重度になれば静養するしかないような精神病者は国会議員になれないのか。

ネットなどの世論をみれば、もとから批判的な人も、そうでなく同情的な人も「なれない」という意見がほとんどのように見えた。「ゆっくり休んでください」と。

 

残念ながら、それが当然なのか。ごく一部には、カナダだかどこかでうつ病をカミングアウトした国会議員がいるし、精神障害者も議員になれるべきだ、という意見もあったが、ごく一部だ。

 

おれはどう思うか。これはまあ、なんというか、病気でもないのにぜんぜん国会に出てこないやつもいる以上、いてもいいじゃねえか、と、思う一方で、仕事ができるのかと言われたら、なかなか厳しいんじゃねえのか、というのが本音のところだ。

おれの抑うつ状態を鑑みての実感だ。

 

緊急時に動けない可能性とか

そんなことを考えるとき、おれがなぜか政治家の仕事として考えてしまうのが、国防のことだ。防衛大臣のことだ。

いざ有事、というときに、「防衛大臣は抑うつ状態で布団から出られません」ってのはやばいんじゃないのか、という想像だ。

 

無論、そういうケースの場合は副大臣が代理を務めるとか、副大臣もだめなら次は……と定められているのだろうし、そもそも三軍の……三自衛隊の長は内閣総理大臣じゃないのかとか、現実的には統合幕僚長が、とかあるだろうけど(考えがそれて、それを一応書いておかないと気がすまないタイプのおれ)。

 

まあともかく、そういう緊急を要する役職もある。もちろん、国防だけが国家の命運を左右する急を要する案件、というわけではないのだろうが、なんとなくイメージするのはそのことだ。

それゆえに、岸信夫元防衛大臣が重めの持病を持っていたのは見ていて不安ではあった。また、それでいくならば、難病を患っている故・安倍晋三氏はどうだったのか、という話にもなるか。

 

でも、なんか対応できそうな病気とそうでないものがあって、精神病は「そうでないもの」に分類されてしまうような感じはある。

それを合理的な判断と見るか、差別、偏見と見るか。おれのなかでは、病気のある岸信夫元防衛大臣を不安と思った以上、合理的と言わざるをえない。

 

たとえば、抑うつ状態だけではない。双極性障害I型の強めの人が政治家だったり、大臣だったりしたらどうか。

躁状態ですごい働きをするかもしれないが、とんでもないことを言い出したりして、外交的に問題を引き起こすかもしれない。

 

なにもかも大臣の言うがままというわけでないにせよ、影響は小さくない。

統合失調症を抱えている人も、普段は薬で抑えて普通に生活していたとしても、やはり怖いと言ったら叱られるだろうか。

 

政治家になるための資格とはなんなのか

このようなことを考えていると、「政治家になる資格」というものを考えずにはいられない。

「なに、そんなもの衆議院議員から市町村議会まで法律で簡素に定められているではないか」と言われるかもしれない。

 

しかし、おれがここで考えるのは、実際的にはどうなのか、という話だ。

どうも、国会議員レベルにおいて、精神障害者は資格なしとみなされているようだ。身体障害者や内臓的疾患についてはそうでもないかもしれない。

 

だとすれば、なんなのか。直截的に思い浮かんでしまうのが、「脳」に関するのではないか、ということだ。知能や知性、そういったものだ。

 

たとえば、もし選挙である一人の人物を選ばなければいけないとき(あ、おれはアナーキスト的な思想の持ち主なので、これはあくまで仮定の仮定です)、次の二つの要素があって、どちらを材料にするだろう。

「1.100m走の自己ベスト記録」、「2.最終学歴」。こうなったとき、100m走を選ぶ人は少ないのではないか。「車いすだから100m走が遅い、この人はだめだ」と考える人は少ないのではないか。

 

そういうわけで、政治家という存在は、知性が高く、脳の状態が安定している人間でなくてはならない、となる。

知性が異常に高くとも、精神的に問題ありとされたら、それも採用されにくいであろう。

 

そういった面からすると、人間の善良さなども問題にされないだろう。

 

おれの叔父は軽度の知的障害を持っていたが、とても良い人間であった。人に対してつらく当たることなどなかったし、常に温和な態度を崩さなかった。趣味は電車のアナウンスを録音することで、とても美味しいコーヒーを淹れることができた。

とはいえ、彼が政治家に向いている、とされることはない。

 

となると、逆にもう、政治家になるためには知的な能力を調べるためのテストと、精神病ではない証明を必要とするのではないか、とすら思える。

 

「政治家になるためには、最低限の能力があるかどうかテストを受けさせろ」などという話は、かなり不見識な発言が政治家から発せられたときに出る意見だ。実際、おれだってそう思わないことはない。

 

だが、そうなってしまうと、これは科挙となにが変わらないのか、という話にもなる。

むろん、科挙にも良いところと悪いところがある。良いところは、血統によらず、優秀な人間が国を動かすことができるということだ。

 

貴族でなくとも能力によって絶大な権力を得ることができる。

科挙が成立した時代を知ったとき、西洋人はその先進性に驚愕したというが、そういうところもある。

 

とはいえ、強い官僚性は腐敗する。科挙に合格した人間を出したような環境は、さらにその子供も科挙に合格しやすいといった、現在にも通じる身分の固定化につながることもある。

 

まあしかし、科挙(試験)を経ずに、家系だけで政治家の身分を世襲できてしまう現在日本にとっては、試験制度は悪くねえんじゃねえかと思わないでもない。

 

でも、官僚と政治家は違う? そこんところ、根本的にどうなんだろうな? よくわからん。

 

精神障害者はどう生きるべきか?

さて、結局のところ、今後、精神障害者の政治家は出てくるのかどうか。地方政治にならば出てくるかもしれない。

ひょっとしたら、クローズしてなっている人もいるかもしれない。

 

なんてったって、国会議員になるような人間、よほどの世襲でもないかぎり、普通の人間に比べて「躁状態」じゃないとなれないようにしか見えないものな。

まあ、それにしても、精神障害をオープンにして政治家になれる人間は出てくるのか。国会議員になれる人間は出てくるのか。

 

精神障害者はマイノリティである。どちらがまともかわかったもんじゃない、と混ぜっ返したいところはあるが、マイノリティだ。

 

マイノリティが政治に参加するというのは、基本的に歓迎されるというのが現代の在り方だ。まず、女性の政治家が少ない、というところから話は始まったりする。LGBTQ、身体障害者、血統的ルーツ……。

でも、その先に、精神障害者、あるいは知的障害者まで広がるのか。そこに知的な能力の壁、脳の性能の壁というものが存在しないのか。

 

さらに敷衍するに、知的性能による壁が政治以外の面にもあるのではないか。

それこそ、現代は知的能力の価値に偏重しているのではないか、という話にもなってくるかもしれない。

そういった壁はどこまで認められるのか。門戸が開かれるべきなのか。科学技術の発展によって変化するところもあるのか。

むずかしい話になりそうだ。能力主義とその弊害とはなにか、その限界はどこか。

 

とりあえず、サンデル先生でも読んで、出直してきます。

 

 

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(2024/3/26更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

Photo by :Nori Norisa