飲食店の中の人による「今後の飲食の発展の為には、値上げは避けては通れない話題である」というド直球の話を読んだ。
25.飲食店と価格(2)――「値上げ」を巡るジレンマ | お客さん物語 | 稲田俊輔 | 連載 | 考える人 | 新潮社
最近は値上げがそこかしこで散見される。飲食も例に漏れず、色々な理由でもって値段が上がっていく傾向にある。
鮨なんかは最初の頃は1万円も出せば良い所で結構いいものが食べれていたのだが、昨今は有名所の鮨は軽々しく3~4万円はしてしまう。
いわゆる鮨バブル問題だが、この鮨バブルな状態だからなのか有名鮨店は値上げしまくったら逆にそれが超予約困難に繋がったりもするので、本当の世の中というのは難しい。
かつてオランダでチューリップの球根が家よりも高い値付でもって取引された事もあったというけれど、いま現在の鮨バブルがどこまで行き着くのかは大変に興味深いところである。
もっとも、ウイスキーやワインのように値下がった事が直近では全く無いという世界もこの世には存在するので、鮨バブルも僕が生きているうちは弾けずに永遠に続くのかもしれないけど。
飲食におけるコスパ問題
ところで話は変わるのだが、かつて僕は料理を本当に純粋な旨味でしかみていなかった。
皿の上が全てで、それ以外はコストの面からは全て余計だと思っていた当時の僕は、飲食店を辛辣にコスパでもって評価するかなり”嫌な客”であった。
普通に買えば3000円のワインを平気で1万円とかでリストする姿をみるたびに
「料理人なんだから料理でお金を取れ。栓をあけるだけのワインで金を稼ぐな」
と憤っていたり、料理でも
「この食材の原価のかかり具合で、このコースの値段は無いわ」
とか
「内装とかサービスにお金かけすぎ。メシをもっと真面目にやれ」
というように、まあ酷い事ばかりを考えていた。
とはいえ数はそこまで多くはないとはいえ、こういう嫌な人間を面白がってくれる料理人だとか、逆に僕からみて異常なほどにコストパフォーマンスに優れた唯一無二といっていいほどに凄い料理を作る人もこの世には居た。
日本の飲食店というのは誠に職人的な世界で、儲けを考えていないとしか思えないような情熱を料理に没入するタイプの人が結構いる。
そういう人に惚れ込んだ当時の僕は、それはもう本当に沢山の旨いものを安価で食べさせてもらったものだった。
これは本当に持続可能な社会なのだろうか?
そうやって若い頃に色々食べさせてもらいつつ、飲食業界そのものに興味を持った僕は業界の事を色々と勉強した。
そうして飲食業界の事を深く知るようになるにつれ、僕は逆に飲食で働いている人たちの事が心配になってきてしまった。
働き始めてから少したって、薄給だった研修医を卒業し、それなりの収入が得られるようになった僕は、どう考えても唯一無二としかいいようがないような技術を安価で提供する飲食店の人たちに申し訳無さしか感じられないようになってきていた。
飲食店勤務はかなりの激務である。
店によってはディナーだけのような働き方で多少は時間に融通がきくとはいえ、それでも真面目にやれば仕入れに下処理、掃除に食器洗いというように、むしろ暇な時間が無い。
そういう丹念な準備時間を経て、ようやくお金を稼げる時間である営業時間は、そもそも私達普通の社会人が”休んでいる”ときの時間なのである。
人が休んでいる時に自分が働かされると、人間というのは形容しがたい不平等感を感じるものだ。
僕も現場で暇そうな顔をした人が近くにいるだけで、普通に働くよりも消耗する。
飲食の人はそんな理不尽な環境を、おまけにアイドリングタイムでもコツコツと働きつつ矯正されているわけで、ちょっと冷静に考えると相当にシンドい。
それでお客さん一人あたりが1000円、高くても5000円ぐらいしか払わない。
かつ、お客さんが入らなかったら無収入なんだから、ちょっとこれはビジネスモデルとしては持続可能性が全く見いだせない。
欧米のやる気のない飲食店には労働者の未来がある
欧米を旅行すると、たまにやる気のないカフェなんかで軽食をとっただけで3000円ぐらい取られる。
これは何もぼったくり店にあたったというわけではなく、本当にコレが普通なのである。
日本のコスト感覚に馴染んだモノからするとサービスと料理のあまりのクオリティの低さに憤慨するのだけど、それぐらい取れないと飲食店勤務は報われないというのは間違いなく事実である。
日本の飲食は良くも悪くも働く人に相応のリスクに見合った収入を提示できていない。
少なくとも1000円とか5000円でアレコレいうのは絶対におかしい。そこで食事ができただけで、もうコスパとかどうでもいいぐらいに、ありがとうございますなのである。
食事にどこまでの価値を見いだせるのかは、お客さん側の美的感覚にある
とはいえ…食事というのは熾烈な競争がなされているものでもあるので、どうしてもコスパの意識から自由にはなれない。
やっぱりランチは出せて1500円。ディナーは5000円というのが、普通に食事をしているモノの感覚だ。
それ以上に高い飲食なんて、行く気もしないというのが普通すぎる感覚だろう。
むしろどこまでもケチケチできるのならば、それこそ外食なんてしないだなんてのも正解となってしまう。
ちょっといい肉とちょっといい魚を時々買って、普段は野菜中心で健康的な食生活をやるだなんてのを貫徹されてしまうと、根本的に飲食店は干上がってしまう。
なので…多少変な事をいっているようであってもだ…食事がそもそも好きで、飲食店に通ってくれているという時点で…現時点では飲食店の方的には十分にありがたいのだろうなというのも、わからなくはないのである。
生意気な僕を可愛がってくれた飲食店の関係者も、そこにビジネスではなく愛の存在を何となくだろうが感じていてくれたからだろうし。
ちなみに今は意識してドリンクをガンガン飲んで、採算など全く考えずに一番高いメニューを食べているのだから、その投資は多分キチンとリターンしていると思うのだけど。
結局、10年近く通う飲食店が何件か出来て思うのだけど、飲食というのは人付き合いであり、推し活なのである。
もちろん面倒くさい事は普段はいわないし、単純に気前よくお金を落として、一言美味しかったといってソソクサと退散するだけなのだけど、それでもそのお店があるという事で満たされている自分がそこにはいるし、お店もお店で自分が何年も定期的に通ってくれているという事に一定の喜びを多分なんだけど感じ取ってくれていると思いたい。
人間関係というのは基本的には自分で選べるような性質のものではない。
職場で気の良い人とだけ仕事ができれば最高だけど、現実的にはそれだけなんてのは無理 of 無理だし、家族だって自分の手で選べるようなものではない。
しかし飲食店は、自分で選べる。そして選んだ飲食店に、落とせるお金の多寡も自分で決められる。
ご利益も料理や料理人との会話でもって、十分すぎるほどに帰ってくる。
こんなに素晴らしい推し活ができるのだから、本当にもっとみんな飲食店に通うべきだと自分は思うのだ。
単純にスタンプラリーのように有名店を巡るのも楽しいっちゃ楽しいけれど、「これは!」と思える人の人生を追随する方が絶対にもっと楽しい。
移転あり、廃業あり、進化ありと、10年も店のオッカケをやってれば本当に色々な景色がみえてくる。
料理人が生み出す人生のキラメキには、他にはちょっとない味がある。
それを追うためにも、若い頃からレストランには通うべきだと自分は思う。
通常のコスト感覚よりも支払う事で始めてみえる芸の世界
単に食事をするだけならばだ。そりゃランチは1500円で、ディナーは5000円。
これが食事の正しいコスト感覚だとは自分も思う。支払いに対する味の上限も、まあ普通ならそんなものだ。
もちろん、ごく少数ながら3万円ぐらいの支払いに見合う食体験というものの存在はある。
だが、そういう世界は理解できる人と理解できない人がいるし、そもそもその金額を食事に定期的に出せるという人もそこまでは多くなかろう。
そういう食事に対するコスト感覚はコスト感覚として大切に踏まえて、その上で僕は飲食店をキチンと推してあげて欲しいなと思うのだ。
毎回でなくてもいいから、ちょっと高いワインを開けたりだとか
チェーン店でも実験的なメニューをやっていたら積極的に頼んだりだとか
Google レビューで難癖をつけるような評論家をやらず、新規客が入りたくなるようなレビューを書いたりだとか
そういう風に、飲食店を自分の生活の中に溶け込ませて、身内に対して融通をきかせるような作業を淡々とやるのは、とてもとても喜ばしい人生の営みである。
人生は良い身内を抱えれば抱えるほど、良いものになる。
お金はある程度まではあればあるだけ幸せになるけれど、ある段階以上に溜め込んでも正直何も生み出さない。
それなら、出せる分だけ、通常のコスト感覚に添えて、推し活としてのプラスアルファをレストランに出す。
人間、それだけで結構幸せになれる。本当にそんなもんなのだ。
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【著者プロフィール】
都内で勤務医としてまったり生活中。
趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。
twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように
noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます
Photo by :Shunichi kouroki