天使の凋落
百年の恋も一時に冷めるとはよく言ったもので、美女のステータスが一瞬で崩壊した上に、凋落したイメージは一生定着するのだから悲劇である。
仲のいい後輩で、橋本環奈似の9頭身美女がいる。その顔の小ささといったら、片手で掴めそうなほどこじんまりとしたサイズ。二十歳そこそこのみずみずしい肌にはシミもシワも見当たらず、「若さ」という尊さが宿っている。
人間とは不思議な生き物で、その人の性格や性質は顔に現れる。どれほど取り繕っても、ふとした瞬間に滲み出る本音が、年齢を重ねるごとに刻まれていくからだ。
後輩の愛くるしい顔にも、やはり性格が反映されている。純真無垢を具現化したかのような大きな瞳は、汚れ知らずの澄んだ光を放っているし、潤いに満ちた小ぶりな唇からは、愛の言葉しか出てこないと思われた。
この子はいくつになっても、初々しいまま清く美しく年老いていくのだろう――。
そんな幻想を抱いてしまうほど、我々にとって彼女は「可愛さの象徴」だった。そう、あの時までは。
*
「アタシ、足クサいんですよ」
耳を疑うような悍(おぞ)ましい言葉が飛び込んできた。え?誰の足が臭いって?
「一日中歩き回ったときなんて、ヤバいですよね」
目を輝かせながら、ある意味誇らしげに後輩が語る。そう、彼女は自らの足が臭いと公言したのだ。
「今日は二万歩も歩いたから、足が異常にクサくなりました。彼氏に嗅がせたら、駄菓子屋の酢だこのニオイがするだの、男子サッカー部の試合後のニオイがするだの、散々な言われようでしたよ」
その日彼女は、ディズニーランドで学生最後の青春を謳歌した。そして、楽しみの余韻に浸ると思いきや、汗で蒸れた足のニオイを彼氏に嗅がせるという、とんでもない暴挙に出たのだ。
しかし彼は、寛大な心で笑い飛ばしてくれたというから感謝である。
それ以来、あの天使のような笑顔を見るたびに、思わず苦笑いが込み上げてくるのであった。
人間は元来、クサイ生き物
後輩の名誉のためにも補足しておくが、彼女は日頃から足がクサイわけではない。面白半分にネタとして言っているので、「普段の足はまったく問題ない」ということだけは、念を押しておく。
それにしても、同じ「クサイ」というジャンルであるにもかかわらず、ワキの臭いや口臭については迂闊に茶化すことができない。他人が指摘することも難しい上に、本人が自らネタとして晒してくることもないだろう。
そこでわたしは、
「なぜ足のニオイはネタにできるのに、ワキや口だとそれができないのか」
ということについて、周囲の人間に尋ねてみた。中でも、倫理観が求められる職業に就く友人らの意見を集めた結果、予想を上回る崇高な考えに驚かされたのだ。
まずは、アンチエイジングや美容の分野に詳しい、形成外科医に聞いてみた。
「足のクサさは、体臭の中でも深刻度ランクが低い。なぜなら、日常生活において足のニオイを嗅ぐ機会はあまりないので。
それに対して腋臭や口臭は、日常生活に多大な影響をおよぼす深刻な問題です。そのため、さほど深刻ではない足のニオイはネタにできても、深刻な問題である腋臭や口臭はネタにはなりません」
…おっしゃる通りです。私はまるで先生に怒られる子供のように恐縮した。説教はさらに続く。
「深刻度ランクが低いことに関係しますが、足のニオイは『対策がしやすい』ということが挙げられます。足のニオイは汗と常在菌が作り出すものなので、洗浄と殺菌である程度コントロールができます。こういった予防や治療により対策ができる足のニオイは、さほど深刻にならずとも解決できるわけです」
…言われてみればそうかもしれない。足のニオイは洗えば消える。また、自分で嗅いで確認もできるため、人前で生足をさらけ出す際には、事前に洗うことで回避できるのだ。
「しかし口臭や腋臭、陰部等の臭さというのは、予防や治療が極めて難しいのが現実。とくに口臭は、どうしようもないというのが一般的な見解なんです。
本人が症状改善を望んでいても、対策が極めて困難となればハッピーな結果には至りません。それなのに、自虐的な発言も含めて他人が安易に忠告するのは、残酷な行為としかいえないでしょう」
…もはや謝るしかない。軽い気持ちで専門家に尋ねた私が悪い。
腋臭症は手術で改善されるが、口臭については根本的な解決が難しいとのこと。それならば、本人は知らないほうが幸せな場合もあるだろう。
なんだか、重たい十字架を背負わされた気分である。
続いて、皮膚科や形成外科で修行を積んだ看護師に質問してみた。
「原因が取り除きやすい、あるいは万人に起こりうる現象かどうか、ということじゃないかな?
たとえば腋臭は、アポクリン腺の多さが関係するので遺伝的な要素が強い。口臭も、歯周病や生活習慣の乱れ、腸内環境の悪化などで起こる。これらはいずれも、当たり前に起きる現象ではない。
それに比べて足のクサさは、汗をかいたり足が蒸れたりすることで発生するので、誰にでも起こりうる現象といえる。さらに、足を洗うことでニオイが消える気軽さからも、ネタとして口にしやすいのでは?」
…さすがは看護師、素人にも合点の行く着地点だ。
医師や看護師の医療的な視点では、ニオイがどうのこうのというよりも、それらの改善方法に着目する傾向がある。そんな真面目な回答を受けて、私は、くだらない質問をしたことを恥ずかしく思った。
*
「なぜ足がクサいことをネタにできるのかといえば、それは『足』だからじゃないかな。元々、人間が地面に直接触れる部位。汚くて臭いのが当然、という意識があるのでは?」
こう切り出したのは弁護士だ。さらにこのように続けた。
「ワキは腋臭症という病気がある。口も歯周病や内臓疾患、精神疾患のおそれがある。そして『息』は人の命の根源と関わるもので、自尊心を深く傷つける可能性があるから、指摘することを躊躇するのは当然だと思う」
…なるほど、とても深い意見だ。ワキや口の臭いについての指摘は、相手の自尊心をどれだけ傷つけるのか分からない。
そんな不安と恐怖から、我々は無意識のうちに躊躇しているのかもしれない。
たまたま近くにいた、私大文系の最高峰・早稲田大学政経政治卒の友人にも、同じ質問を投げかけてみた。すると彼は、しばらく考えた後にこう述べた。
「足は地面と接するし、汚いのは当たり前といえるでしょう。だけど上半身には、心臓や脳といった重要な器官が位置し、人間にとってのアイデンティティが存在すると考えられます。
そしてワキも口も上半身にあり、それらを悪く言うということは、アイデンティティを否定することにつながるのではないか…と思います」
…お、恐るべき着眼点。この意見は、ふざけ半分で尋ねた私の目を覚まさせた。
言われてみればその通りだ。ギリシャ神話に出てくるケンタウロスも、架空の生物である人魚も、いずれも上半身は人間でできている。そしてどちらかというと、ニンゲン寄りの扱いをされている。
これが逆ならばどうか。上半身が馬で下半身が人間、または上半身が魚で下半身が人間。この場合、ニンゲンではなくウマやサカナ寄りの見方をされるのではなかろうか。
彼らは二人とも、精神面や思想的な部分を重んじる考えを持っていた。言わずもがな、自尊心や自己認識といった、人間にとってコアな部分に触れるおそれのある発言は、十分な配慮が必要なのだ。
それにしても、己の無知はさておき、彼らの思考の深さには驚いた。
*
意外なことに今回、表現は違えど質問をした全員が、
「足のクサさは当たり前なので、相手との関係性によってはネタになりうる」
と捉えているが、
「腋臭や口臭については病気の可能性があり、予防や治療が困難なことからも、デリカシーに欠ける言動は慎むべき」
と考えている。
これらの意見は、当たり前といえば当たり前。だが、足のクサさを自虐的にネタ化できる理由について、真剣に考察する機会などほとんどないわけで、なんとなく学術的な結論(?)が得られたことには満足である。
では最後に、看護師からの耳よりな情報を一つ。
「ちなみに腋臭の手術は、自費だと片ワキ8~15万円くらい、保険適用で片ワキ2万円程度です」
とどのつまりは・・・
ここまで深く掘り下げたわけだが、それでも橋本環奈似の後輩を思うたびに、まだ嗅いだことのない「駄菓子屋の酢だこのニオイ」が浮かんできてニヤけてしまう。
そうだ、足がクサイことは悪ではない。誰にでも起こりうる自然現象であり、ついでに笑いを誘う効果まであるのだから。
(了)
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【著者プロフィール】
URABE(ウラベ)
早稲田卒、生業はライターと社労士。ブラジリアン柔術茶帯、クレー射撃元日本代表。
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Photo by :Brina Blum