だれが「天皇」を作ったのか

おれは前に、易姓革命の対象にならない、中国の皇帝とも違う、ほかの国の「王」とも違う、「神格化された天皇」についての本を三冊読み、その感想を書いた。

古代日本と天皇の起源に興味を持ったので、いろいろ調べてみた。

 

そこで松本健一がこんなことを述べていた。

日本の古代国家において、そういう虚構をつくりあげた人物(もしくは組織)があったことは、たしかである(現在の私は、その人物が天武であり、その協力者が藤原不比等だったのではないか、と考えている)。
『「孟子」の革命思想と日本』

そう、天皇の神話というものは自然発生的に生まれたものではないだろう。自然発生したところがあったとしても、それをまとめた『日本書紀』の編さんにおいては、その時の権力者による希望が反映されていないわけがない、そう思った。

 

で、だれなんだ?

とか思いながら、古代日本あたりの本を読んでいて、こんなタイトルの本が目に入った。

『天孫降臨の夢 藤原不比等のプロジェクト』

「え、これじゃねえの?」と思って表紙をめくってみる。

聖徳太子を生み出し、天孫降臨神話を構想した藤原不比等の思惑

って書いてある。あ、おれが読みたいのはこれじゃないのか。読むしかない。まるで用意されていたかのようだ。

 

「聖徳太子不在説」

そんなわけで、おれはこの本をタイトルに惹かれて手に取った。なので、著者の大山誠一という人がどんな人なのかさっぱり知らない。

知らないが、読み始めてみると、どうも「聖徳太子不在説」を唱えていた人らしい。自説を発表してから「学問的な根拠をあげた反論は皆無」とまで書いていて自信満々だ。

 

なるほど、最近の教科書では「厩戸皇子(聖徳太子)」などと書かれているらしいが、この人が言い出したの? いや、どこまで史的な人物か、どこからが信仰の対象かなど、そういう先行の研究はあったんだろうけど。

でもって、この本はその「聖徳太子は実在しなかった説」をさらに発展させ、新たな課題に挑戦した本だという。

 新たな課題とは、次の二つである。第一は、聖徳太子が実在しなかったのなら、これまで、聖徳太子の事績を中心に語られてきた飛鳥時代とは、本当はどのような時代だったのか問われなければなるまい。

聖徳太子関係記事のすべてが虚構であったとすると、『日本書紀』の歴史書としての価値は大きく揺らぐことになる。そういう『日本書紀』の限界を乗り越え、真実の歴史を示さねばならない。

『日本書紀』の限界を乗り越える。なんかすごいぞ。というか、この著者の自信は全体的にすごい。

で、前半は聖徳太子は実在しなかった説の話になる。このあたりは歴史学の話になって、興味深いが本書を確かめられたい。いずれにせよ、太子信仰はこのようになったという。

日本の歴史の中で、第一に、皇室というものの存在感が確立したこと。第二に、藤原氏が光明皇后を媒介にしてその皇室を政治的に利用するシステムを確立したこと。そして第三に、そういう皇室も藤原氏も、儒仏道、なかんずく仏教という中国思想をうまく利用して権威と権力を確立したこと。聖徳太子信仰は、そういう役割をもって誕生し、その後も発展したということである。

 

蘇我馬子と仏教伝来

そして、『日本書紀』に記されている仏教伝来話も作り話だぜ、となる。蘇我馬子が敏達十三年(584)、石川の宅に仏殿を作る。

その意味は、馬子が礼拝の真似事をして、百済に仏教受容の意志を示したということではないか。これに応じて、その四年後の崇峻四年(588)に、百済は国際情勢が緊迫化する中で大量の僧侶と技術者を日本に送ってきたのである。
以上を結論的に言えば、本格的な仏教伝来は、588年、百済から渡来した僧侶や技術者たちによってである。日本側を代表したのは蘇我馬子であった。その成果であり象徴でもあるのが飛鳥寺である。

これは従来の仏教伝来の歴史を30年以上遡らせることになるという。

と、ここでいきなり蘇我馬子と書いたが、だれか。概略はWikipediaでも読んでください。

この著者は、この蘇我馬子が「倭王」であったとする。大君だ。

 

その根拠はなにか。それは同時代の記録による。どこの記録? 中国の。そうだ、客観的な記述が残されているのだ。具体的には『隋書』である。

隋書には608年に煬帝が裴世清を国使として日本に遣わせた。裴世清が会った倭王は男性であり、妻も後宮もあったと記されている。が、当時の日本の「天皇」は女帝の推古天皇であったはずなのである。裴世清に嘘を報告する理由もない。

 

となると、蘇我馬子が「大王」だったのではないか、となる。

聖徳太子も不在なら、推古天皇も即位していなかったのではないか? このあたりも細かく解説されているので、疑問に思った人は本書をあたられたい。

 

ともかく著者の見方によると、「蘇我王朝」が実在したというのである。それが乙巳の変→大化の改新で滅ぼされた。そして、歴史は書き換えられた。

 

いやね、いろいろな証拠を持ち出して、そう推論するのである。

おれに日本史の知識はないので、その証拠も推論も正しいかどうかはわからない。わからないが、ひじょうに面白い。こんなに面白くていいのかしら、と思うくらいだ。

 

ともかく、蘇我王朝は実在したし、蘇我馬子が仏教伝来を行い、その地位は大王(おおきみ)であった。

しかし、それは『日本書紀』から抹消された。抹消されて、いろいろの功績は聖徳太子に移し替えられた。そういう話になる。

 

『日本書紀』の論理

もちろん、それをやってのけたのは藤原不比等ということになる。

 不比等が自らに課した政治的使命は、草壁、軽(文武)、首(聖武)の三人の皇子の擁立であった。擁立と言って即位と言えないのは、草壁は即位前の28歳で亡くなっており、軽(文武)も即位はしたもののわずか25歳で亡くなり、首(聖武)の場合は、その即位を待つことなく不比等自身が没したからである。

天の与えた試練であろうか、不比等にとっての現実は、常に幼い皇太子と中継ぎの女帝であった。いつか、この幼い皇太子が立派に成人し、即位してほしい。それを頼りなげな中継ぎの女帝に託さねばならない。その祈るような気持ちを文字にしたのが『日本書紀』の推古女帝と聖徳太子だったのではないか。

同時に、蘇我馬子という現実を排除し、遠く高天原にいたる万世一系の論理を構築する。これにより、歴代天皇の神性を確保する。そして何よりも、これからののち万世一系の未来は、藤原氏の娘たちの生むことになる子孫である。昔は、よく、「腹は借り物」と言った。今は、そんな言葉は死語かもしれない。しかし、不比等の場合は、何とも表現しづらいが、男親こそ借り物なのである。

藤原氏の娘が天皇の子を生む。やがて、その子が天皇になる。これを繰り返せば、天皇は完全に藤原氏の一部になる。その論理を『日本書紀』において確立する。そこで確立した価値観を未来永劫につなげる。恐ろしいというか、なんとも壮大な不比等の野望である。

「不比等の野望」。これが本当であるならば、一応の日本の国造りの神話とされてきたものも、万世一系の天皇という幻想も、みな藤原不比等による藤原家のための野望であったということになる。

Wikipediaが充実している「不改常典」についても、著者によれば不比等が創作したもので、中身なんてないというい。いやはや、なんとも壮大な話じゃないか。すごい。

 

すごくておもしろすぎるので小説まである

でも、すごくて、おもしろすぎるので、本当かよ? と素人も思わざるをえない。

 

たとえば、著者は天孫降臨神話について、『日本書紀』のほか、8つの「一書」(あるふみ)というバリエーションがあり、それが書かれた時代によって司令神と降臨神、降臨神のニニギの母が変化している。

それは不比等が擁立を目論んだ皇子とその母の変化に対応しているとか言う。確かめようもない。このあたり、もうすごいスピードで突き進んでいる感じで、書きたいこと書ききってやるという雰囲気すらある。

 

というわけで、おれは「こんなにおもしろい本があるぜ」と紹介したくてこれを書いてあるのだが、内容の正確さについてはわからんとしかいいようがない。

読んで、それぞれに検討をしてほしいと思う。ここでは文字数も限られているので、著者の根拠とするところを紹介するまではできない。

 

ただ、「おもしろいぜ」ということについては、一つ説得力のあるものを出すことができる。

馳星周『比ぶ者なき』、これである。

馳星周といえばハードボイルドで知られた作家であり、おれもよく読んでいた。その名前を『天孫降臨の夢』について検索していて見つけたのだ。

 

なぜ、馳星周? と、馳星周が初めて歴史小説を書き、それが藤原不比等を主人公としている。

そして、その元になっているのが『天孫降臨の夢』そのものなのである。文庫本のあとがきで里中満智子と対談している。そこでこう述べている。

里中 ……馳さんは、聖徳太子も、『日本書紀』もすべて不比等が作ったとされていますが、どこまで信じていらっしゃるのですか。
馳 僕は確信犯で、最初から大山誠一先生の説で小説を書こうと決めました。古代史に興味を持ってから、色々な学説があるこを学びましたが、やはり不比等が野望のために歴史を捏造したというアイディアは壮大で面白かったです。

そもそも、古代史に興味を持ったのも大山先生の「聖徳太子はいなかった説」だったので、このなりゆきも当然だろう。

 

いずれにせよ、稀代のハードボイルド作家が藤原不比等をハードボイルドに小説にしたのである。成り上がりのノワールといってもいいが、ギャングのボスに成り上がるどころの話じゃない。一つの国の頂点に立ち、その神話さえ作る。

「その寂しいお心を、そなたの歌が慰めているのであろう」
「そうだとよろしいのですが……高天原というのはいかがでしょうかな」
「高天原か」
「はい。天照大神が統べる天上の世界のことでございます」
高天原――史(引用者注:改名前の不比等のこと)はその言葉を口の中で何度も発した。
「よいではないか。さすがは、当代一の歌人だ。吾の言うとおり、いとも簡単にうってつけの言葉を見つけ出した」
人麻呂がはにかんだ笑みを浮かべた。
『比ぶ者なき』

こんな具合になる。人麻呂は柿本人麻呂。不比等と同じく草壁皇子の舎人であったという説がある。

 

この小説では、天皇神格化の構想の中心的人物の一人として描かれる。実際に、「大君は神にしませば……」といった歌を残している。

道慈が不比等の顔を真っ直ぐに見つめた。
「厩戸皇子でございますが、仏教、儒教、道教に精通した聖人であるとするならば、それに相応しい名前を与えてはいかがかと考えております」
「よい名が浮かんだか」
「はい。聖徳太子はいかがでしょう。聖なる徳を積んだ皇太子の意にございます」
「聖徳太子か……」不比等は腕を組んだ。「よい響きではないか」
『比ぶ者なき』

道慈も実在の僧で、遣唐使船で唐に渡り、15年学んできた人物である。『日本書紀』の編さんに参加した説がある人物だ。

 

まあ、これはもちろん小説であって、実際にこんなやりとりがあった証拠なんてありはしない。

しかし、もし大山説がそうであったならば、こんなやりとりがあったのかもしれないと想像すると面白い。

 

というわけで、『比ぶ者なき』も面白い。藤原不比等が妻の県犬養道代(橘三千代)とともに成り上がり、国を支配していくストーリーはしびれる。大河ドラマにしてもいい。主人公は小栗旬にやってもらおう。北条義時のようなダークヒーローだ。え、皮肉な配役? まあいいだろう。

 

もちろん、単体でもしびれるのだが、やはりここは先に『天孫降臨の夢』を読んでほしい。

「これ、勉強したことのあるやつだ!」と、最初のページから思うに違いない。そして、ある学説(とまで呼べるほど精密なものかしらないが)が、小説家のイマジネーションでどう昇華されるのか、そこが興味深い。

 

今一度、天皇について考えよう

というわけで、このところの一連の読書で、なんとなく「ほかの国には見られない特殊な存在ではあるな」と思っていた天皇という存在について、「なんとなく」よりは、少しだけある程度の一つのイメージを持つことができた。

 

無論、「全部、藤原不比等が作ったものだ」という説に納得したというのではない。

ただ、「特殊な存在」に「しよう」という意図をいつの時代かの誰かが目論んだのはおそらく確かであろうということだ。

自然発生的に、なんとなく偶然そのような存在になった、というのは逆に不自然に思える。

 

むろん、神武天皇から欠史八代の天皇まで実在した(春秋ニ倍歴によって説明をつける)なんて説もあるわけだが。それでも、何代目かの天皇自身が自らの系統を神格化した、という話になるはずだ。

 

そのような意図について、明治の頃となると、もっと具体的な話が残っている。

『天孫降臨の夢』からの孫引きで、明治天皇の侍医であったベルツの日記からの一文。

伊藤の大胆な放言には自分も驚かされた。半ば有栖川宮の方を向いて、伊藤のいわく「皇太子に生まれるのは、全く不運なことだ。生まれるが早いか、到るところで礼式(エチケット)の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされなければならない」と。そういいながら伊藤は、操り人形を糸で踊らせるような身振りをして見せたのである。(『ベルツの日記』より)

伊藤はもちろん伊藤博文である。この日記の言動が真実かどうかはまた別の話として、明治維新の元勲たちが天皇をどのように仕立て上げようとしたか、日本の近代化に用いようとしたかというのは、誰しもが考えるところであろう。

然るに鎌倉以来人民の王室を知らざること殆ど七百年に近し。(略)右の次第を以て考れば、王制一新の源因は人民の覇府を厭うて王室を慕うに由るに非ず、新を忘れて旧を思うに由るに非ず、百千年の間、忘却したる大義名分を俄に思出したるが為に非ず、唯当時幕府の政を改めんとするの人心に由て成たるものなり。一新の業既に成て、天下の政権、王室に帰すれば、日本国民として之を奉尊するは固より当務の職分なれども、人民と王室との間にあるものは唯政治上の関係のみ。その交情に至ては決して遽に造るべきものに非ず。

福沢諭吉『文明論之概略』

福沢諭吉は明治憲法成立以前にこうまで書いている。

もちろん、第二次世界大戦後から現代にいたる象徴天皇制を意図した者もいるわけだ。なんとも現代にまで続く話。

 

日本人と天皇。これについてほんとうにさまざまな考え方がある。女系天皇についてどう考えるのか、など、今後の皇室についての話もある。これについて、おれは回答を持っているわけではないが、あらためて考えてみると興味深い話でもある。

 

藤原不比等の話は面白すぎるのでそれはそれでおすすめするが、それは別としても、日本人の一人として天皇について少し思いをめぐらせてみてもよいのではないか、などと思う次第である。

 

 

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【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

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