筆者が日本の出版社に勤めていた頃、その会社では日本の歴史や文化を肯定的に論じる書籍、いわゆる「日本すごい本」を大量に刊行していた。
なぜそれほど出すかというと、端的に言えばそこそこ需要があるからだ。
日本はこんなに素晴らしい国なんですよという情報を求めている方が世の中に一定数いる以上、この種の本はなくならない。
一応フォローすると、自国を誇る気持ち自体は、決して悪いものだとは思わない。
だが、「日本すごい」はややもすれば、「日本はこんなにすごいのに、おたくの国ときたら」という考えに発展しがちである。
また、この論調が好きな人は、そもそも自慢話とは嫌われるものいう意識が希薄なように感じられる。
さらに言えば、自画自賛することによって、事実であっても他者から信憑性を疑われるという可能性に無自覚なのではないかと感じる。
「世界一うまいラーメン屋」と看板に掲げている店が、本当に世界一おいしいかどうか。
「私はとにかく金があります」といった言葉をガチのビリオネアが言うかどうか(いそうではあるが)、少し考えてみれば分かることだ。
むき出しの自尊心は、時として負の影響を生む。
そのことに気付いていただきたいという思いを込めて、ここでは「日本すごい」という論調から、なぜ人は自慢をするのかといったことまで、つれづれと私見を語ってみたい。
自分で言ってりゃ世話がない
日本はすごい。
そのことを口に出したくなる気持ちは、自分もジャパニーズである以上、かなりの程度理解できる。
というか、筆者は現在中国で暮らしているため、日本では当たり前のことがいかに尊いものであるか、それなりに分かっているつもりである。
例えば、日本ではいつまで経っても物事が決まらない一方、中国はスピード感が違うといった話をよく耳にする。
それは実際そうなのだが、こちらであまりにも雑な仕事に巻き込まれたりすると、日本的な仕事の段取りや細かさというものの価値が身に沁みる。
中国式トライアルアンドエラーと言えば聞こえはいいけども、実際には無計画と楽観主義で大きな案件が進み、どえらい事態を招くことも珍しくない。
はたまた綿密に打ち合わせをしてオーダーを出したのに全く違ったものが上がってきて、問いただすと「こっちの方がいいと思ったからそうした」「直すのは勝手だが別途料金を払え」といった返事をされるという理解に苦しむトラブルに巻き込まれることもある。
日中のIT業界で働く筆者の某先輩はかつて、「日本で使っている設計図やマニュアルを海外に持っていったからといって、日本並みの製品を作れたりサービスを提供できたりするとは限らない」と言っていたが、これも実にうなずける話だと感じる。
オペレーションの細かさや人々の仕事に対する責任感など、日本には確かにキラリと光るものがある。
むろん、それを支えるために流される多くの汗と涙についても思いを馳せるべきだし、日本の仕事にもブルシットな部分が多々あることは否定しない。
いずれにせよ、相対的に日本の方が丁寧、勤勉、もしくはマトモだというのが実感で、そういう意味では「日本すごい」に共感すること、なきにしもあらずといったところである。
それでも筆者が自国アゲの本に違和感を覚えるのは、「自分で言ってりゃ世話がない」からだ。
中国で暮らしていると嫌というほど分かるが、こちらで日々流されるニュースや報道は端的に言ってセルフ礼賛のオンパレードである。
激甘な見方をすれば、これも自国民を鼓舞する目的なのだろうと言えなくはないが、他国がどう思うかということに意識がいっていないように見えるし、分かった上でゴリ押ししているとも捉えられる。
このような姿勢はどう考えても、対外的にプラスであるとは考えられない。
そのような思いから、いくら自国を愛しているからと言って、自画自賛の言説を重ねるのは悪手以外の何物でもないと感じるのだ。
なぜ人は自慢をしてしまうのか
さて、冒頭部分で自慢話は嫌われると書いたが、実を言うと自分は意外と好きだったりする(ややこしい話で申し訳ない)。
正確には、自慢話自体に興味はないけども、それを語る人が今どれほど悦に入っているのか、一体何の目的で自意識の露出行為に及んでいるのかを考えるのが楽しい。
筆者にはかつて銀座のクラブで働いていた友人がおり、当時はヘルプで時給5000円だったと聞いて自分の給料との格差に理不尽さを覚えたものだが、その子とは「なぜ小金持ちのおじさんは自慢話を好むのか」というテーマで話し込んだことがある。
彼女はルックス的には1.5軍といったところだが、頭の回転が抜群に速く、どんなつまらない会話でも気合いで盛り上げてしまうトークスキルの持ち主。
自慢好きの客を気分よくさせるくらい造作もないのだけども、その子が言うにはこっちがどんなに真剣に聞いているふりをしても、冷静に考えれば1ミリも興味がないことくらい絶対分かるはずなのに、わざわざ高い金を払って自慢話をしにくるのかが理解不能だったという。
ちなみに自分も長年編集・ライター業に携わってきた中で、インタビューのはずが実質自慢トークの独演会となり、あいづちを打ちながら「一体自分は何をやっているのだろう」と思った経験が割とある。
筆者の見立てでは自慢好きには大まかに分けて二つのタイプがいて、一つは自己愛、もしくは自己陶酔系。
自分で自分を肯定して気持ちよくなれる、ある意味うらやましい人々であり、全力で持ち上げにいくと冬の温泉にとっぷり浸かったニホンザルのごとく愉悦の面持ちを見せてくれる方もいる。
この手の方は話を聞いていてつまらないということを除けば、無害と言えば無害な存在。
ただ、客観的には他者がどういう気持ちで耳を傾けているかに考えが及ばない時点で、実際にすごい人なのかどうか以前に、裸の王様感がどうしても漂う。
もう一つは自分を大きく見せようとする自慢好きで、これは段違いにタチが悪い。
自分の成功話や新しいビジネスプラン、はたまた有名人の誰それとは親しい仲といった話が大好物で、しかも虚実が不確かなケースが多い。
特にこのタイプが怖いのは、事実でない自慢話を繰り返し語っているうちに、己の虚言を事実と思い込む人が一定数いることだ。
下手に興味があるフリをして聞いていると面倒に巻き込まれる可能性があり、かといって話に疑問を挟むと攻撃的になったりするので、とにかく関わらないに限る。
と言っても、普通に社会人をしていればいろいろな付き合いがあり、どちらのタイプにせよ接点を持たざるを得ないことだってあるだろう。
そういう時、われわれにせめてできることは、自慢話をテキトーに聞き流しつつ、「こうはなるまい」と反面教師にすることだ。
筆者は出版社勤務時代、芸能人を取材することがたびたびあったが、自慢をしたりえらそうな態度を取ったりするのはしょせん小物や成り上がりで、本当の大物は謙虚に、そして自然体で物事を語るものだということを知った(例外もいたが)。
本当に優れているなら、別にわざわざ自分で言わずとも、周りが勝手に認めてくれる。
個人にしろ国にしろ、心から「すごい!」と思えるのならぜひ自信を持って、他者に評価を委ねてみてはどうだろう。
他人の話を全く聞かず自慢話をするオヤジを見て、はたまた隣国の姿を戒めとして、謙虚であるべし! べしべし!
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(文責-ティネクト株式会社 取締役 倉増京平)
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御堂筋あかり
スポーツ新聞記者、出版社勤務を経て現在は中国にて編集・ライターおよび翻訳業を営む。趣味は中国の戦跡巡り。
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Photo by Agência Senado