佐藤優さんの<それからの帝国>を読んだ。
この本は若き頃の佐藤さんが北方領土返還に全力で挑み、その際に出会った盟友であるサーシャさんとの数十年ぶりの再開が描かれたものだ。
僕はデビュー当時から佐藤さんの作品を追っかけ続けられるという幸運に恵まれたのだが、本書を読むと「ああ、歳を積み重ねるという事は、こういう事なのか」と感慨深く感じさせられるものがある。
偶然なのかもしれないけれど、この本に限らず昨今は人生の総決算をする著名人が多い。
村上春樹は<街と、その不確かな壁>をリバイバルし、自身の第一線からの引退を示唆し、後人に道を託す姿をみせた。
正直作品としての出来は微妙だったが、老体に鞭を打てでも後世にメッセージを託すその姿には、作品自体の出来を超えた価値があったように思う。
宮崎駿も、それまでだったら完全なるファンタジー制作しかしなかったのに、人生の意義や意味といったものを個人の人生教訓をたっぷりと詰めて、視聴者へと問うた。
こちらも作品としての出来は賛否両論あるが、それでも熟達したクリエイターの魅せる境地に、作品以上の内容が間違いなくあった。
広く浅くv.s.狭く深く
このような人生の残り時間を意識化させる作品に多量に触れすぎたからなのか、自分も人生の残り時間について思いを馳せる事が多い。
人生の残り時間で特に思うのが、付き合う人の問題だ。
20代までの自分は、気力や体力に満ちあふれており、また守るべきものも持っていなかった。そういう事もあって、本当に色々な面白そうな人と出会う事に人生のかなりの時間を費やしてきた。
いわゆる広く浅い人付き合いに、価値を感じていたのだ。実際、そうやって出会う人から受ける刺激は心地よいものがあったし、それらの行為の中を通じて今でも付き合いが続いている人間も多数いる。
数人ぐらいしか、本当に深く観察できる他人はいない
しかし30代の後半になってから、そういう広く浅い人付き合いへの興味が消失し、逆に狭く深い人間関係について思いを馳せる事が増えてきた。
キッカケは子供を持った事だと思う。子供というのは当たり前なのだけれど、本当にほっておくと野垂れ死んでるんだろうなぁというぐらい、生活力が無い。
そんな事もあって自分の人生が子供を中心に回るようになり、どんどん自分の外の世界における人付き合いは消失していった。
その結果、自分の利用可能な時間の実に多くが意図せず家族へ大量に費やされる事になったのだが、これがビックリする位に心地よいのである。
人間は、そんなに多くの人とは付き合えないし、重要な仕事もそこまではできない
そうやって家族と濃密な時間を過ごしていたとき、ふと
「この密度で付き合える人間の数って、何人いるだろう?」
と思うようになった。
当たり前だけど一日は24時間しかない。その限られたリソースの中で、それなりの長期間にわたって長い時間付き合う事ができる人間の数は、決して多くは無い。
1家族が2~5人ぐらいだとして、それに仕事関係や友人を加えても、キチンと最後まで膝を突き合わせて付き合い続けられる人間の数はせいぜい累計10~20人ぐらいだろう。
そう考えると、その10~20人と会っている時の時間が本当に愛おしく思えるようになり、またどうでもいい人間の事が心底どうでもよくなっていった。
今までは不快な存在をみたら飽きるまで毒づいていたりしたが、最近はそういう人をみてイラッとはするものの、その後は淡々と感情が処理できるようになってきたように思う。
どうでもいい他人は僕の本当に大切な10人ではない。そして人生の残り時間を考えるまでもなく、自分の仕事と大切な10人にこそ使うべきものだ。
本当に、どこにも無駄にすべき時間などないのである。無駄にする自由はあるが、無駄をしなくてはいけない道理は無い。
それぐらいならば、大切な人に「ありがとう」と面と向かって言ってた方が、よっぽど有意義というものである。
僕の飲食店1000本ノック
人間に本当に好かれるという事は難しい。
自分自身がそういう風に感じられるようになったのは、他にも趣味である食べ歩きによる影響も多い。
20代の後半頃から、僕は様々なジャンルの飲食店を本当によく食べ歩いた。ほぼ毎週末ランチ・ディナーで5年ぐらいは新規開拓し続けていたので、訪れた店は少なくとも100店は超えるだろう。
最初はそれらのお店を美味しさとコスパの比率のみで評価していた。ドリンクを頼むのだなんてもってのほかで、とにかくお金を出し渋り、使われている食材の原価率とシェフの技量、そして提供される料理の量でのみ飲食店を評価し続けていた。
成長はできたのだが……
これらは数多の飲食店をスタンプラリー的に経験するのには確かに役立った。実際、僕の舌はこの1000本ノック的な行いでもって、随分と成長したと思う。
人間は経験したものしか深くは学ぶことができない。例えばその時の旬の食材を調べる事はググれば誰にでも可能だ。
だが、その旬の食材がどういう風に美味しいのか、旬の食材は他にもあるのに、なぜそれが好んで用いられるのか等は実際に料理を食べていない人間には魂を込めて説明はできない。
仕事も実際に経験しないとモノにはならないが、趣味も経験値がその深さを決める。
そういう意味では、どんなに才能があろうが実際に自分の脚でもって身銭を切って真面目に食べこんで無い奴は、食事の事を何も理解できないままである。
他にも僕は自分でワイン会を主催し、恐らく数百本近い高級ワインを400人近い人間と分かち合って体験する機会を自分で設定したけれど、あの乱れ打ち的な体験が無ければワインの事なんて1ミリも理解できないままだったように思う。
この通りコスパは経験値を積む為に、ある種必然だという部分はある。
「いい常連」が自分の店について欲しいんだ
しかし…実は料理にはその先がある。
当たり前だけど、人間には誰しも好きと嫌いがある。レストランのシェフだって勿論そうだ。
レストランのシェフに好かれるかどうかは様々な観点があるけれど、間違いない基準の一つに来店回数がある。
これは考えてみれば当たり前の事で、一回しか来ない人間に良くしすぎる意味はどこにもない。新規開拓したてのお店なら顧客を掴まなくてはならないのでこの限りではないが。
基本的には飲食店の人は「いい常連」が自分の店につく事を心のどこかで求めている。
理想を言えば…面倒くさい事をいわず静かに食事をしてくれて、けど自分の料理のどこに自分の情熱が注がれているのかを適切に評価してくれ、かつ金払いがよく、頻繁に店に来てくれる客が最高だ。
円熟した人間関係はコスパやタイパの外側にある
こういう良い客に恵まれたお店には、独特のいい雰囲気が漂う。
そういうお店の顔なじみの客になる事にはスタンプラリー的な食べ歩きをしている人間には難しいし、そもそもそのレストランに随分と長いあいだ時間をかけて通う必要もある。
良い客がついたレストランを見つけるのは美味しいお店をみつける以上に難しい事だし、自分が良い客でありつつ節度を保って飲食店の人と交流を続けるのは、それ以上に難しい。
しかし難しいからこそ、そこには凄いものがある。言葉にすると陳腐だが、お金で買えない価値が、そこにはあるのだ。
最後にその良さを決めるのは、人
これは幾つもの店を巡って理解した事なのだけど、お店が画竜点睛を欠くか否かは本当に人が決める。純粋に料理や値段だけでは絶対に埋められない領域が、そこにはある。
そういう本当に良いお店についた客は、もう細かい値段の多寡など全く気にしない。むしろワインを積極的に開ける等でもってお店の売上に貢献し、自分自身がそのお店を作り上げてゆく事を歓びに思ったりするほどである。
この段に至ると、もうタイパだとかコスパみたいな観点は完全に認知から外れるようになる。
確かに関係は店と客で、どこかに一線は引かれてはいるのだが、それでもどこかに運命共同体的な仲間感覚が生じるようになる。
こういうお客さんにしか出せない皿というのは、絶対にある。その皿を死ぬまでに何回食べられるか。そこにグルメの真髄がある。
僕らが本当に大切な人にしか見せない顔があるのと同じで、どの業界だって最後の最後に本当の本物に触れられるか否かは、その人にとって本当に大切な人になれるか否かに全てがかかっているのだ。
本物がみたいのなら、貴方が誰かを本物にしなくてはいけない
僕たちは様々な観点から他人を推し量っているけれど、他人だって当然僕たちの事を推し量っている。
様々な観点から他人を推し量っている段階は、まだコスパの領域だ。本当に信用できるか否かが、まだ踏ん切りがつかない状態と言っても過言ではないかもしれない。
しかしそんな推し量る関係から始まった人間関係でも、心の底から信用できるようになってくると逆にコスパの関係がブッちぎられるようになる。
「もうお前の事は信用してるから、お前の好きなようにやってくれ。文句なんて言わないから」
こういうお互いがお互いを認めあう関係というのは、一朝一夕では絶対に構築できない。
物語では運命の出会いが瞬で訪れる事もあるけれど、現実はもっと遅くて、時間がかかる。
だから本当に大切な人との人間関係は濃密に、そして丁寧にやらなくてはならない。
歴史的建造物や太古の自然が醸し出す年輪を重ねた風格とまではいかないかもしれないが、20年30年を超えた人間関係によって生み出される煌きには、誰もが到達できるものではない。
本物がみたいのなら、貴方が誰かを本物にしなくてはいけない。それが自分の器というものの正体である。
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【著者プロフィール】
都内で勤務医としてまったり生活中。
趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。
twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように
noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます
Photo by:Ishikawa Ken