「では、お互い娘たちの大学受験お疲れ様でした。カンパーイ!ねぇねぇ。ゆきは、最近の暮らしぶりはどう?近ごろはどんなこと考えてる?」
「う〜ん、暮らしぶりって言われてもなぁ…。とりあえず毎日、朝から晩まで起きてる間は仕事してるかな」
「えっ?ゆきって、そんなワーカホリックな人だっだっけ?」
「だって今、仕事はいくつも掛け持ちしてるし、やらなきゃいけない事がいっぱいあるんだもん。そうだなぁ。近ごろ考えてる事と言えば、税金と社会保険料の支払いのこととか、大学生になる子供への仕送りのこととか、後は、親の介護と看取り。それと、南海トラフで被災した場合にどうするかってことかなぁ」
「えぇ、何それ?つまんない!そんな現実的なことばっか考えて生きてるの?私たちせっかく子育てが一段落して、これからは自由なんだよ。もっとさぁ、夢を語ってよ、夢を。私はね、いつか仕事を辞めてリタイアしたら、周りに人が住んでいない田舎の一軒家に移住して、ジャムとか作って生きていきたいの。ターシャ・テューダーみたいに」
周りに人が住んでない田舎なんて、色んな意味で恐ろしい。
生活に不便なのはもちろん、防犯上もオススメできない。集落に人が少なければ少ないほど、人間関係も密になって息苦しくなる。
だいたい料理が好きなわけでもないのに、何でジャム作りが夢なのよ?なんて言ったら、気を悪くされそうだ。わざわざ現実を突きつけるような事を言わなくても、どうせ本気じゃないだろう。ここは笑ってスルーしておこう。
「そんなこと言ったって、私は今、仕事でも私生活でも、日々現実的な問題にぶち当たってんだよ。目の前の問題に現実的な落とし所を考えて、現実的に対処して、現実的に解決する作業の繰り返し。だから現実しか見えてないの」
「やだぁ。人生なんてどうせしんどいことばっかりなんだから、せめてキラキラした夢を見ていようよ〜」
「だって、嫌でも現実が迫ってくるんだもん。今まさに、『住んでいる地域が老いていく』という現実がね。住んでいる町も働いている街も、少子高齢化と人口減で問題が溢れ出してんの。真由美は東京に住んでいるから、ヤバさが分からないんだよ。東京って久しぶりに来たけど、人がいっぱいだね。子供の数は少なくても、世界中から若者が集まってる。こんなところに住んでいたら、いくら日本は少子高齢化だ人口減だって言われても、ピンとこないでしょ?」
「ま、人が多いと言っても、東京は外国人ばっかだけどね」
「都会では外国人が働いてくれるから、飲食店にも十分な数のスタッフが揃ってて、こうして人間がオーダーを取ってくれるんだね」
「そんなことない。チェーン店ではタブレットが普通になったよ」
「私が住んでる地域の飲食店では、チェーン店どころか個人経営の小さなお店でも水はセルフだし、オーダーや決済はタブレットやスマホでするお店が増えてきてるよ。働く人が居ないから。飲食店はどこも、近ごろは求人に応募が全然ないって、人手不足を嘆いてる。
もうね、地方では子供がいないとか若者がいないとか言うフェーズは過ぎてんの。高齢者をふくめて、地域全体から人が居なくなってきてるんだって。
今の高齢者って、うちらの親世代じゃん。その人たちが、地方では消費者のボリュームゾーンなわけ。つまり、これからの10年で、地方では労働者どころか消費者もゴンゴン消えていくってことなんだよ」
それがどういう事態をもたらしているのか、こうして東京に来てみて分かった。
少し前まで不自由を感じていなかった地方での暮らしは、これから一気に不便になろうとしているのだ。
実は物やサービスの値段も、都会に比べて割高になりつつある。
「ねぇ、真由美。こんなにオシャレで美味しい料理が一皿1,000円以下って、びっくりなんだけど。うちの地元でこのレベルの店へ食事に行ったら、間違いなく1.5倍は取られるね。東京は人が多いから、テーブルの回転数が違うのかな?だから客単価を抑えてもやっていけるんだと思う?」
私は首をひねりながら、カラフルな温野菜と旬のホタルイカにムース状のソースがかけられた、ケーキにしか見えないサラダを箸でつついた。
「東京の方が安いと感じるのは、飲食店だけじゃない。昨日ね、ホテル近くの成城石井へ買い物に行ったら、売ってるものが安くて驚いちゃった。寿司パックとか、うちの地元のスーパーよりも豪華なのに安いんだもん。成城石井は高級スーパーで値段が高いってイメージだったのに、今じゃうちの近所のスーパーの方がよっぽど高いみたい」
「へぇ〜、そうなんだ。そうねぇ、色んなコストが乗っかってきてるんじゃないのかな?
近ごろ物流コストの値上がりがエグいって聞くし。配送に時間がかかって、商圏に住民が少なくて、商品が回転しにくい地方のスーパーほど、これからはどんどん物の値段が上がっていくのかもね」
地方に移住すれば生活コストが下がると一般的に言われてきたが、その認識はもはや実態とズレつつあるようだ。
もちろん、地産地消コーナーの野菜などは安くて美味しいのだけれど、それもいつまで今の状態を維持できるのかは疑問である。スーパーに野菜を卸している地元の農家さんたちは、高齢者ばかりで後継者が居ないのだから。
地方では都市部と言われるエリアでも空き家が目立つようになったが、郊外では耕作放棄地が目につくようになっている。新鮮で美味しくて、しかも低価格の地元の野菜たちは、いつまでスーパーの棚に並んでくれるのだろう。
「最近ね、能登半島地震のニュースを見てたら身につまされちゃって。高齢化率が50%を超える地域が被災すると、復旧も復興も進まないのね。そもそも、国にそうした被災地を本気で復興させる意思がなさそう。
そりゃそうだよね。だって、地震が来なくても後10年〜20年もしたら消滅してた過疎地にお金をかけて、どうすんだ?って話じゃん。もう日本には大盤振る舞いができるような国力がないんだから。
だから、もし南海トラフが来たら、私の地元は確実に放置されそう。その時、私はどうしようかな」
「引っ越しちゃえばいいじゃない」
「そうなんだけど、いざその時が来てみないと、自分のエモーションがどっちに振り切れるか分かんないだよね」
まず生き残れるのかどうかが定かではないが、仮に無事だったとして、その後に自分はどうするだろう。
地元が瓦礫の山と化した光景を目の当たりにし、「ここはもうダメだ」とすっかり諦めてしまうのか。それとも猛烈な愛郷心が湧いてきて、復興に尽くそうとするのだろうか。
合理的に考えれば、日本国内だろうと海外だろうとさっさと新天地に転居して、生活の再建を図るのがいいに決まっている。
どのみち、いつかは高齢化と人口減で、生活が不便になっていく一方の土地なのだ。
地域の再建を図るより、住民を移動させる方が国もコストがかからないのだから、世論もそちらを後押しするだろう。
とはいえ、いざ自分が当事者になれば、そう簡単に割り切れる気がしない。
だいたい私は、必ずしも合理的な判断にもとづいて行動する人間ではないのだ。
知人に騙され、ハメられて、問題だらけで破産しかけていた商店街組合の事務局を引き継いだ際も、家族は「早く辞めろ」とうるさかった。周りからも「どうして今すぐ逃げないの?」と不思議がられた。
それなのに、「こんな腐れ商店街はとっとと滅びろ!バルス!」と悪態をつきながら、結局とどまって問題解決に努めてしまったのだ。
気付いたら、山積みだった問題は8割がた片付いているし、今後に向けた道筋も見えてきた。何故そこまでしてしまったのか、我ながら動機が分からない。
だから、もしかすると合理的に考えてクールな決断を下すより、逡巡しながらも踏みとどまってしまうことは十分にあり得る。だがしかし…。
「ねぇ、真由美。私らって、人数が多い最後の世代じゃん?」
「そうだね」
「阪神淡路大震災の時、私たちは20歳で若かった。つまり、日本は若い国だった。
東日本大震災の時は、30代半ばだったよね。まだ私たちが社会の中核を担えていて、国も豊かだった。
これから大震災が来て、その時にギリ40代なら、どうにか気力も残ってて、体も動くと思う。だけど、50代や60代になっていたら、自信がない。復興に尽くすには歳をとり過ぎている。なのに、私たちよりも下の世代は存在してないんだよ」
「もう日本は滅ぶね」
住んでいる地域の老いは、自分たち世代の老いと連動している。
大震災なんて来てほしくないが、しかし来るなら来るで早くしてもらわないと、手遅れになりそうだ。
「はぁ。もう現実とか未来のこと考えると暗くなっちゃうから、やめようよ。
都会は都会で、これからどんどんAIに仕事を奪われそうだってのに。
やっぱさ、ゆきも韓流ドラマとか観た方がいいよ。美男美女を見て癒されよう。私はもう、フィクションと夢だけを見て生きてたいわ」
そう言いながら、実はバリキャリの真由美も日々現実と向き合い、戦っていることを知っている。
現実から目を逸らせない私たちは、束の間うさを晴らすために、3杯目のワインを注文した。
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マダムユキ
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