先日、久しぶりに石塚(匿名、50代後半、男性)という大学時代の友人から連絡が入った。

 

「元気でやっているか? 俺は今、●●島(離島)の宿泊施設で、住み込みで働いているよ。自然を体感できる環境で生活するっていいぞ。空気はいいし、飯もうまい。何たって人がいい。何ならお前も一緒に働くか。俺が社長に言えば、お前でも雇ってもらえるぞ。ただし、俺の部下として、こき使うけどな。むふふふ」

 

石塚は1980年代後半、都内にある某大学(法学部)で知り合った旧友。将来、法曹(裁判官、検察官、弁護士を法曹三者という)を目指す学生が集まる研究室(司法試験受験団体)で、同期の間柄だった。

その研究室は弁護士志望が圧倒的に多く(約70%)、検察官志望が20%、裁判官志望が10%ほどの割合だったと記憶している。

 

石塚は常識にとらわれない、自由奔放な性格だったが、なぜか検察官を志望していた。

結論から言えば、研究室の同期7人で司法試験に合格したヤツは1人もいなかった。研究室の歴史では、いわゆる「ハズレ世代」だった。

 

かくいう私も、現役時代に1回だけ司法試験を受けたが、早々に見切りをつけ、三度の飯より好きなギャンブルを扱う某媒体に就職した。

その最初で最後の司法試験受験では、猛勉強(早朝5時~10時)、競艇・競馬・オートレース・競輪(午前11時~午後5時)、猛勉強(午後6時~同11時)と、趣味の公営競技観戦を挟み、1日最低10時間の勉強ノルマを課したが、全く手応えがなかった。

 

受験生によって違うが、3年、5年、7年……と期限を定めて司法試験に挑む人間が多かった。中には「合格するまで」と、司法試験に人生をかける猛者もいたが、私の場合、とても受験勉強に耐える自信も気力も財力もなく、一発リタイアを決めた。

よく、人生には何度か大事な岐路がある、なんて言われているが、私にとって司法試験の「一発退場」は、重要な岐路だったのかもしれない。

 

その後、某媒体に就職し、好きな公営競技の担当部署に配属され、今もって自堕落なギャンブル&借金生活が続く。そんな人生を顧みると、「もし司法試験を続けていれば、どんな人生になっていたか……」なんて考えることも、たまにはある。

話は脱線したが、石塚の場合、現役で2度、卒業後も3度、司法試験に挑んだが、武運なく合格は果たせなかった。

 

 

5度の受験失敗で司法試験に区切りをつけた石塚だが、ハナから就職する気などなく、自然と「放浪生活」へと、のめりこんでいった。

自由奔放な石塚らしいと言えば、その通りだが、20代後半になっても定職に就かないという決断を下すには、それなりに勇気がいるのではないか、と思う。

 

ただ、肝心の石塚には、今も昔も悲壮感が全く感じられない。

彼の放浪生活の始まりはインド、インドネシア、中国などのアジアだった。

 

その後、中東、アフリカ、中南米と渡り歩くことになるが、なぜか北米や欧州などの先進国には興味を示さなかった。

世界各地を巡るたびに、石塚から絵ハガキや写真が送られてきた。不浄の手(左)といった習慣はもちろん、各地の文化や自然、人々の生活などが、ハガキいっぱいに綴られていた。

とにかく石塚は人懐っこく、どこへ行っても、すぐに打ち解けていたようだ。

 

各国の人々と肩を組んで微笑む写真なんかを見ると、「こんな人生もありだよな」と、口元が緩むことも少なくなかった。

石塚の放浪生活は、日本はもとより、世界各地の旅先で仕事を見つけ、数カ月から年単位で滞在するのがパターン。特に、日本に滞在している時にがっちり稼いで、放浪資金を蓄えていた。

 

ある時、2年ほど暮らしているという北海道の漁港から写真と手紙が送られてきた。写真には、漁船をバックに、額にタオルを巻き、精悍に日焼けした石塚の姿が写っていた。

そして、写真と一緒に同封されていた手紙には、「親方(漁師)に気にいられて、俺の婿になれ、と迫られている。親方も娘さんもいい人で、それも悪くないなと思うが、そうなると、この地に永住することになるから、迷っている。いい加減、落ち着いてもいい年齢ではあるけれど……」と書かれていた。

その時の石塚は、確か30代半ば。不思議な縁と絆で結ばれた漁師親子と、北海道の港町に永住することも、真剣に考えたようだが、結局は“放浪”することを選んだ。

 

「いろいろな地に旅して、実際に暮らしてみて、いろんなことを吸収したいんだよ」。

学生時代、よく私のボロアパートに泊まりに来ては、石塚はそんなことを語っていた。

 

自分の思い描く人生を実際に歩める人間なんて、そうは多くないと思うが、石塚はそれを地で行く1人だった。不安や世間体も感じていたと思うが、そんなことは、おくびにも出さなかった。

父親からは絶縁されていた。将来は法律家に、と期待して、田舎から上京させた父親にとって、司法試験を勝手に断念し、放浪生活を続ける息子を許すことなど、できなかったのだろう。

 

その後、父親との関係がどうなったかは知らないが、いまだマイペースで、元気に離島で働いているところをみると、“手打ち”は済ませているのではないか。

「まあ、自分の人生だから仕方ないか……」。石塚の生き方には、親兄弟にそう思わせる、いや、そう観念させる固い意思が感じられる。

 

タラ・レバは禁物だが、石塚が司法試験に合格していたら、さぞや、鉄の意思と強い正義感が求められる、いい検察官になっていただろう。

ふとそう思う。

石塚からの便りに触れると、いかに不安定だろうが、世間体が悪かろうが、自分の意思を曲げず、元気に、前向きに生きる姿が、輝いて見えるから不思議で、少なくても、愚痴や嫉妬、無気力などが表に出てしまうネガティブな人生より、よほどいいと思う。

人それぞれ、置かれた状況は千差万別だが、人生、とにかく前向きに生きるのが一番、これは理にかなっている、いや不滅の真理だと思うが、どうだろうか。

 

ところで、司法試験を目指して“全滅”した、某大学法学部の研究室の同期7人の現在だが、いまだ放浪生活を続ける石塚は別格として、多種多様な人生を歩んでいる。
石塚と親友だったV(匿名)は、仲間内で司法試験を最多、10回以上も挑戦した後、陶芸家の女性と出会い、結婚。自身も今は陶芸家として生計を立てている。

他にも、右翼的な傾向から政治活動家になったW(匿名)、司法試験の予備校通いから、そのまま予備校講師にシフトしたX(匿名)、元応援団で、こわもての風貌から銀行の債権回収部門に配置されたY(匿名、現在は音信不通)、司法書士として個人事務所を切り盛りするZ(匿名)……。

法曹の夢は破れても、各自が自分で決めた道を、生き生きと、前向きに歩んでいる姿に触れると、不思議と力が湧いてくる。

 

余談だが、ハズレ世代の先輩を差し置いて、司法試験に現役合格した後輩P(匿名)は、関東近郊のターミナル駅前に事務所を構え、弁護士として活動。

趣味の競馬、競輪、投資での実体験を生かす格好で、詐欺案件や破産、債務整理などを多く取り扱う弁護士として活躍している。

 

学生時代から女性にだまされやすいタイプだったPは、ロマンス詐欺など恋愛につけ込んだ犯罪に、特に力を入れていると聞いた。これも実体験の影響か。

情けない話だが、司法試験を1回で断念し、ギャンブル記者として借金生活を歩んできた私は、3度目の債務整理で、弁護士の後輩Pに世話になった。頭が上がらない。

 

とりとめのない話になったが、要は人生いろいろで、常識や世間一般に流されない生き方もある、ということをお伝えしたかったまでだ。

 

人はいつか必ず死ぬ。これは唯一の不滅の真理ならば、どうせ一度の人生、石塚の放浪人生ではないが、自分の思うがままに生きてみるのも、ありではないだろうか。

「なせば成る なさねば成らぬ 何事も」。

 

 

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【著者プロフィール】

小鉄

某媒体で30年、社会、スポーツ、音楽、芸能、公営競技などを取材。
現在はフリーの執筆家として、全国を周遊しつつ、取材・執筆活動を行っている。
趣味は全国ぶらり旅、史跡巡り、夜の街の散策、ギャンブル。

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