おれと日本文学の主流
おれは平均的な日本人より本を読んでいるような気はするが、主流とされる日本文学を読んでいない。ほとんど読んでいない。夏目漱石も芥川龍之介も太宰治も読んでこなかった。星新一もよんでこなかった。
たいへんな欠落だと考えている。その分なにを読んでいるかといえば澁澤龍彦とか、稲垣足穂とか、高橋源一郎である。高橋源一郎が宮沢賢治について小説を書いても、「元ネタしらねえ」ということになる。
太宰治。太宰治のことが頭に浮かんだのは『異世界失格』という深夜アニメを見たからだ。見たといっても三話くらいだ。
おれはアニメが見られなくなっている。とはいえ、すぐにカルモチンで自殺しようとする「先生」と、なぜか異世界でもちやほやされてしまう主人公。それよりも、情婦と心中しようとしてトラックに轢かれるのが少し印象に残った。
その印象があったのか、図書館の棚で『人間失格』を見つけたとき、ふと手にとってしまった。「はしがき」の次に「第一の手記」がはじまる。そこに有名な言葉があった。
恥の多い人生を送って来ました。
おお、これか、と、思った。「自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです」。なあ、そうよな。そう思って読み始めた。
めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分に不安と恐怖を与えました。人間はめしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べねばならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋で、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。
最初の方にあるこんな告白など、辻潤が大好きなおれにとってはたいへんいい言葉で、太宰、わかっているじゃないか、上から目線で言いたくもなった。おれは『人間失格』をすぐに読み終えた。
「世間じゃない、あなたがゆるさないのでしょう」メソッド
太宰治といえば、「世間じゃない、あなたがゆるさないのでしょう?」も有名だ。これも『人間失格』にある。「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は世間が、ゆるさないからな」という言葉に対し、主人公が内心思う言葉だ。
「ゆるさないでしょう」は引っ込めた言葉だ。そのあたりも初めて知った。
けれども、それ以来、自分は(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたものを持つようになったのです。
と、なる。が、そのあと、いろいろ酒でだめになって、若い女の子に傾倒するにいたってこんなことを言う。
自分にとって、「世の中」は、やはり底知れず、おそろしいところでした。決して、そんな一本勝負などで、何から何まできまってしまうような、なまやさしいところでも無かったのでした。
というわけで、「世間」=「あなた」の一本勝負はある意味で否定されているのであった。太宰メソッドは有効な言い回しかもしれないが、実人生のある部分では生きないのかもしれない。
世の中に対するときは「世の中」の虚妄を想像するべきかもしれないが、かといって一対一の一本勝負で済むものではないのかもしれない。そんなことを思った。
「人間失格」じゃないか病
『人間失格』を読み終えたおれは、おれが「人間失格」の主人公に似ているのではないかという、「人間失格」病にかかってしまった。そんな病気があるのかどうかしらない。
主人公はだらしのない男だ。金持ちの名家の出ながら東京で身を持ち崩して、心中未遂はするし、女の人に頼り切って生きて、やがて酒とモルヒネのやりすぎによって「脳病院」行きになって、地方に帰り引きこもる。しょうもないやつ、というところだ。
おれは、中高生などの若い人が『人間失格』を読んでどのような思いを抱くのか、正直想像がつかない。
「おれはこのような人間になろう」と思うのか、「おれはこのような人間にはなるまい」と思うのか、「世の中にはこのような人間もいるのだろうな」と思うのか。絶対にいないとは言い切れないけれど、中高生などの若い人が『人間失格』を読んで、主人公に自らを重ねるということはないのではないか。女性となるとなおさらよくわからない。
して、中年男性のおれが読んでどう思ったか。ああ、おれは、『人間失格』の主人公みたいなやつだ、と。
……あなたを見ていると、たいていの女のひとは、何かしてあげたくて、たまらなくなる。……いつも、おどおどしていて、滑稽家なんだもの。……時たま、ひとりで、ひどく沈んでいるけれども、そのさまが、いっそう女の人の心を、かゆがらせる。
これである。「これである」と当人が言い切っていいものかわからないが、おれがこの箇所を見せたところ、女の人は声を出して笑った。おれの本質はこういうところにあるのかもしれない。そう思い込んでしまった。中二病もいいところかもしれない。
というわけで、おれは「人間失格」じゃないかしら症候群にかかってしまったようである。思えば、心中未遂こそしたことないが、どうも女の人にちやほやされて生きてきたような気がする。男の人にもちやほやされているような気がする。
全体的に、自らの力で何かを切り開いて得るものを得る、というより、没落していく人生のなかで、なにかしらちやほやされているような気がする。それでいいのかどうかわからない。わからないが、ちやほやされている。
どう、ちやほやされているかというと、具体的な証言は拒む。拒むが、年上の女の人にも、年下の女の人にもちやほやされている。なんならそこに母親なんてものを含めていいかもしれない。おれの人生はどうも女の人にちやほやされているようだ。
思えば小学校のころだ。おれはものを片付けるのがめっぽう苦手で、机はプリントとかでいっぱいだった。それを、同級生の女の子たちが片付けてくれた。「どうもおれは女の人にちやほやされているのではないか」と思った、最初の経験だ。
その女の子たちはおれも好意を持っている子たちだった。「背さえ高ければ恋愛対象なんだからね」と言われたこともある。そう言われたからといって背は伸びない。おれはおれの低身長を呪った。
しかし、ちやほやされていたのは確かだろう。悪意を持った男子の机を整頓してやろうとは思わないだろう。小学生のおれはたしかにちやほやされていた。そうに違いない。そう思わせてくれ。どうせ中学と高校は一貫の男子校に進んで、女の人からちやほやされることはなくなったのだから。
モテたいっすね
それにしてもおれは四十代の半ばを過ぎて「モテたいっすね」と思っている。つまびらかにはしないが、おれは女の人にちやほやされている。女の人に限らず、おれが経済的に弱っていることを書いて公開すると、Amazonのほしいものリストからたくさんの、それはたくさんの食料が贈られてくる。ありがたく思う。思っているのに、「もっとモテたいっすね」と思っている。
いかにもあさましい。あさましいが、もっとモテたいと思う。もっとちやほやされたいと思う。なかなかここまでちやほやされている人間も少ないとは思うが、もっとモテたいっすねと思う。人間の欲望にはきりがない。
……と、思うほどに、おれはちやほやされているように思う。思わなかったら恩知らずすぎるかもしれない。
それはどこから生じているのだろうか。「何かしてあげたくて、たまらなくなる」のだろうか。おれにはそうであると断言する資格はない。だが、ちょっとだけそういうところがあるのかもしれない。そう想像しても、欲望はつきない。もっとちやほやされたい。モテたい。
……と、書くことで、もうちやほやされないかもしれないし、モテなくなる可能性は高い。
でも、おれは『人間失格』を読んだのだし、そう告白しなくてはいけないような気になった。それだけのことである。
ちやほやされるにはどうしたらいいか?
こうしたちやほやされるノウハウはあるのか。困ったとネットに書いたら食料が贈られてくる、現金が贈られてくる。だれもがそうはいかないだろう。でも、おれはそういうことになる。なにがそうさせているのか?
正直、おれにはわからない。これは、もう、生まれ持ったなにかによるのではないかと思う。
太宰治がどうだったのかわからない。太宰治が書いた主人公がどうだったのかわからない。でも、それを得ようとして得られるものではないのではないか。生まれ持って、なにか人を「かゆがらせる」ところがあるのではないか。
自分で書いていてかゆくなるが、そういうものなのではないか。弱まっていて同情される、どうにかしてやらなければならないと思う、そういうところ。
それは努力によって得られる「感じ」でもないし、取り繕って得られる「感じ」でもない。どうもおれには生まれ持った「感じ」があるのではない。そう思わないでもいたら説明がつかない。
……と、ここまで自覚している人間が、これ以上ちやほやされるのか、モテるのか。おれには自信がない。「なんだこいつは、ちやほやされている自覚があるのではないか」といって、もうちやほやされなくなる。
しかし、『人間失格』を読んだおれは、このようなタイプの人間がこの世にいると知ってしまったし、おれももっとちやほやされないかと思ってしまった。深刻な『人間失格』病である。
とはいえ、おれも「脳病院」に通う身である。そのくらいの妄想は許してほしい。せめて自分が「ちやほやされているのでは?」とくらい想像することを許してほしい。
……とんでもねえ、あれなやつだな、おれは。
でも、ちゃんとしたお方であろう
とはいえ、おれもとんでもなくあれなやつだとしても、意外と普通であるような気もしている。
会えばたぶん、「意外に普通だな」と思われるような気もしている。そのあたりのことは、太宰治自身が書いている。「富嶽百景」という作品で、自分を主人公にして書いている。富士山がよく見える茶屋に逗留しているときのこと、新田というファンの若い青年が訪ねてくる。
二階の私の部屋で、しばらく話をして、ようやく馴れて来たころ、新田は笑いながら、実は、もう二、三人、僕の仲間がありまして、皆で一緒にお邪魔にあがるつもりだったのですが、いざとなると、どうも皆、しりごみしまして、太宰さんは、ひどいデカダンで、それに、性格破産者だ、と佐藤春夫先生の小説に書いてございましたし、まさか、こんなまじめな、ちゃんとしたお方だとは、思いませんでしたから、僕も、無理に皆を連れて来るわけには、いきませんでした。
「ひどいデカダンで、それに、性格破産者」とは、おれもそう思われているのではないだろうか。わからん。わからんが、たぶんそうかそうじゃないかで分類すると、そうである方であろう。
でも、会うと意外に「まじめな、ちゃんとしたお方」なのかもしれませんよ。いや、会う必要はない。ただ、意外と「まじめな、ちゃんとしたお方」だから、書くことが人に伝わっているのかもしれないと思う。
というわけで、人間、まじめで、ちゃんとした方がいいということになる。そのうえで……、なんかいい感じにものを書けばいい。そうすれば、ちやほやはおまえのものだ。そうに違いない。
……などと、こんなこと素面で書けるだろうか。むちゃくちゃだ。恥ずかしすぎる。こんなこと、書けるはずがない。酒だ、酒をもってこい。今夜も酒が足りない。おれに酒を飲ませろ。酒を……。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした。」
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(文責-ティネクト株式会社 取締役 倉増京平)
【著者プロフィール】
黄金頭
横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。
趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。
双極性障害II型。
ブログ:関内関外日記
Twitter:黄金頭
Photo by :Annie Spratt