日本に愛想をつかした…わけではないと思うけれど、イギリスに移住したママ友の智代さんが、クリスマスと元旦を日本にいる子供達と過ごすために帰ってきた。
クリスマスと元旦を過ごすためと言っても、12月初旬から1月末まで2ヶ月近くも帰るのだから、クリスマス休暇にしてはずいぶん長い。フライトチケットの価格の都合で、そういうスケジュールになったらしい。
チケット価格はホリデーシーズンに入る12月中旬から上がり始め、1月後半まで高止まりするため、その期間を避けたそうだ。
「いくら円が安くなったと言っても、為替の問題ではないと思うんです。ユキさんがイギリス留学していた頃だって、ポンドは高かったでしょう?」
「あの頃(1990年代後半)はめちゃくちゃポンド高でしたからねぇ。当時はだいたい250円で1ポンドだったかな」
2024年12月現在のレートでは196円で1ポンドなので、昔よりも今の方がポンドは安い。けれど、現在のイギリスは当時と比較にならないほど物価が上がっており、カフェでランチを食べるにも1人あたり4,000円はかかるのだと、ママ友はため息をついた。
「イギリスの物価が高いと言うより、日本の物価が安過ぎるんですよね。なんでこんなに安い国になっちゃったんでしょうか? 他の国は経済成長して、賃金も物価も上昇を続けてきたのに、日本だけが取り残されてしまって…。
考えてみたら、外食が高いのなんて当たり前じゃないですか?人の手で料理されたものを、サービスを受けながら食べるんですから」
そんなお喋りをしながら私たちが食べているホテルのランチは、2,500円である。
イギリスに比べたら格安なのだろうが、以前の価格を考えるとやっぱり高いと感じてしまう。ホテルのレストランといえど、コロナ前なら1,500円で十分なランチセットが食べられたのだから。
今年に入ってから、どこの飲食店でも遂に値上げを始めた。値段を上げていない店は、ランチセットからサラダが消えたり、品数やごはんの量が減ったり、食後のお茶が別料金になったりしている。
食材の仕入れ値が上がり、人件費も上がっているので、さすがに価格転嫁しなければやっていけなくなったのだろう。
地方ではまだ最低賃金が時給1,000円を下回っているものの、さすがに時給1,000円以下の求人には応募がない。地方には仕事がないと言われてきたけれど、もはや労働人口が減りすぎたことで、低スキルの労働者でも仕事を選べるようになってきたのだ。
「嫌なら辞めていいんだぞ。お前の代わりはいくらでもいる」
と経営者や上司に脅されて、働き手がブラック労働に耐えるしかなかったのも、今や昔の話である。
今どきの若者は、ちょっとでも職場や仕事に不満を覚えると、
「嫌なので辞めます。代わりの仕事はいくらでもあるので」
と言わんばかりに、スタコラサッサと逃げていく。辞表を出したり、辞意を伝えてくれるならマシな方で、何も言わないまま急に来なくなるという話はあちこちで聞く。
「実は、息子が会社を辞めることになってしまって。ボーナスをもらったら、辞表を出して帰ってくるんです」
「え? 今年の春に就職したばっかりなのに?」
「そうなんですよ。仕事も嫌なら、県外での暮らしも嫌だったみたいで、地元に帰りたいって言うんです。だから、処分を考えていた家は売れなくなってしまいました」
「えー…。12月まで我慢したんだったら、あと3ヶ月だけ我慢すればいいのに。そしたら丸1年は働いたことになるんだから、職歴として履歴書にも書けるのに」
「私もそう言いましたけど、『同期入社の女の子は1ヶ月で来なくなって、そのまま辞めちゃったんだから、これでも僕は長続きした』って言うんですよ。本当に、あの子は今どきの子っていうか…」
「う〜ん。じゃあ、仕方ないですね。まあ、住む家さえあるなら、仕事は何をしたって暮らしは何とかなりますよ」
べつに他人の子供だからといって、適当なことを言ったわけではない。例え、ろくな学歴や職歴がなかろうと、ひとまず若ささえあれば何とかなるだろう。地方は若い労働力に飢えているのだから。
私が働いている職場でも、アラフィフの私が若者扱いされるほど高齢化が進んでいるが、周りを見渡しても似たり寄ったりの状況なのだ。20代以下は存在しておらず、30代が若者で、40代〜50代でもまだ若手。60代〜70代は立派な現役である。
そんな話をしていたら、ママ友が心配そうに眉根を寄せた。
「もう、この県が大丈夫なのかしらって、心配になりますね。子供たちが小さかった頃と比べても、ずいぶん景色が変わっちゃったような気がします。あの頃はまだ、人手不足や高齢化もそこまで目立ってなかった気がするんですけど」
「そりゃ、人口の多い私たち世代が、あの頃は30代で若かったからですよ。
私たち世代と、その親である団塊の世代が現役で社会を支えているうちは、地域のインフラも各種サービスも維持できていたんです」
「これからどうなるんでしょうか?」
「そうですね。まず、県庁所在地以外の自治体はインフラや住民サービスが維持できなくなって、消滅します。だって、ここまできたらお金の問題じゃないですから。
お金なんていくらあったって、働いてくれる人がいなけりゃ医療も介護も受けられないし、日常の買い物だってままならない。だったら、住民は県庁所在地の中心部に集まって暮らすしかないんじゃないですか?」
「まあ、ちょっとずつ自然に集まってますよね。最近は繁華街や駅前にマンションがどんどん建ってますけど、市外や郊外に住んでた人たちが住み替えてるって話ですし」
「街中の風景も変わりますよ。まず、百貨店がなくなります。紙の本の衰退と共に地元の顔だった老舗書店も消えるでしょう。地元民だけを相手にしている小売店と飲食店は、消費者不足で閉店が相次いで、そこらじゅうが空き店舗だらけになります。
地元の中小企業も後継者と従業員の確保ができなくなって、倒産と廃業が相次ぐんでしょうね」
「怖いけど、そうですよね」
「分かってたことじゃないですか。ずっと前から、いつかこうなるって分かってた。必ず起こると予想されていたことが、今ようやく現実になり始めただけですよ」
「そうなんですよ。分かってました。分かっていたけれど、実際に景色が変わり始めるまでは、実感が持てなかったんですよね」
そんな話をしているうちに、時計が2時を回ってしまった。ランチタイムが終わる時間だ。店を出なければならない。
「会計して、1階のティーサロンに行きましょうよ。そこでお茶を飲みながら、お喋りの続きをしましょう。ケーキが美味しそうだったら、デザートに食べてもいいし」
「そうですね。お茶だけなら、ラウンジのソファーでも飲めたはずですよ。とりあえず移動いたしましょう」
今日は、久しぶりに帰国してきた智代さんと、夕方までゆっくりお喋りをするつもりだった。だからランチはホテルのレストランにしたのだ。ホテルであれば、レストランを出てすぐにお茶を飲めるティーサロンに移動ができる。
しかし…、
「閉まってますね」
「おかしいですね。このティーサロンに定休日なんてあったかしら? ひょっとして閉店してしまったとか?」
「あっ、何か書いてあります。あー…そっか。もう平日の営業はしてないみたいですよ」
「えー、困りましたね。平日に営業しても、お客さんが来ないということでしょうか?」
「あるいは従業員不足で、営業できなくなってるのかもしれませんね」
「あっちのラウンジはどうでしょう?」
「ラウンジは…..無くなってます…。ラウンジだった場所が、喫煙所になっていますよ。Barカウンターも無くなってる」
「ええー…。ここのホテル、いつの間にそんなことになっていたのでしょうか?」
「ラウンジに人を配置できなくなったのかもしれません」
「さっきの話じゃないですけど、もうこのホテルにも綻びが見えてますね」
かつてシャンデリアが燦然と輝いて煌びやかだったホテルは、今は営業している店もまばらなせいか、全体に薄暗かった。昭和の時代からあるシティーホテルだが、ここもそう遠くない将来に役目を終えるのかもしれない。
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(2024/12/6更新)
【著者プロフィール】
マダムユキ
最高月間PV40万のブログ「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。
Twitter:@flat9_yuki
Photo by :Katelyn Greer