これは僕だけではないと思うのだが、目が覚めても辛くて全然起き上がれないという日々が続いていた事があった(特に寒い日が厳しい)

 

もちろんまだ眠いだとか、何となく仕事が嫌だとか、そういう理由もあるにはあったとは思うのだが、それにしても目が覚めてから30分ぐらいは布団から這い上がるのがどうにも辛い。

あーでもない、こーでもないと、色々とやっていて、ようやく起き上がれるようになるはなるのだが、それにしても何でこんなに起き上がるのが辛いんだろう?と、ずっと疑問であった。

 

最初はうつ病かとも思ったのだが、そういう感じともちょっと違う。純粋に、寝起きだけが辛いのであって、寝て起き上がれさえすれば、そこまで辛くはないのである。

どうしてこんな現象が起きるのか理由が全然わからなかったのだが、つい最近になってやっとこさ「ああ…起きたてって意外と疲れているのだな」というのを理解した。

 

今回は休むことやリラックスの難しさについて書いていこうかと思う。

 

アルコールを飲むと、逆に熟眠できてるような気がする……

超優秀な医者がアルコール依存症の既存の治療ルートを全て網羅した上で脱落し続け……

その上で最後の最後にバクロフェンという筋弛緩薬を飲んで、自分の飲酒衝動が筋肉の過緊張からやってくるものだった事を自覚し、依存症から普通の飲酒者に戻ったという手記がある。

 

この本を読むと、恐らくなのだけどこの著者は、何らかの原因で強い筋硬直が全身に生じており、それを緩和させるのにアルコールの常飲が役立っていたのではないか?というメカニズムが想定される。

 

これを読んだ後に、改めて自分自身のアルコール摂取ならびにその後の睡眠を思い返してみるとである。

確かに…アルコールでもって脳の睡眠自体は若干浅くはなっているのかもしれないが…何故か飲酒後の睡眠で、身体が随分と休まったように感じられる事が多いという事にふと気がついた。

これは多分、アルコールを飲む事で、全身に力が入りにくくなり、その結果として全身がいい意味で筋緊張がときほぐれた、リラックスしたような状態で睡眠につけたというのが大きいのではないか?

 

一応いっておくが、アルコールを飲んでの睡眠は、医学的な一般常識からいえば全く推奨される行いではない。

単純に寝付きの問題だけでいうのなら、睡眠剤を飲んだほうが、よっぽどマシだと忠告する医師が圧倒的大多数だとは思うし、アルコールを飲んでの睡眠を継続し続けていたら、依存症まっしぐらだろう。

 

しかし、アルコールの異常なまでの緊張感の解きほぐし作用は、改めて思うが凄いものがあると思う。

人と話していても、つい気が緩んで口が軽くなる傾向があるが、あれは脳が脱抑制されているというだけにとどまらず、肉体の緊張も随分と緩んでいるように思う。実際、飲んだ人の目って、結構トロっとしているし。

 

緊張を解きほぐすのは、本当に難しい

「肩に力が入りすぎだ。もっとリラックスしろ」

かつて運動系の部活動に所属していた時、よくこんな事を言われたが、そもそも力んだり緊張するのはそこまで難しくはないが、逆にリラックスするのは物凄く難しい。

 

リラックスするのは何もしないという事とも、またちょっと違う。

例えば、どこにも出かけずに家にずっといるのは、やってみるとわかるけど意外と結構大変である。

 

かつて「なんで専業主婦が大変だっていう人が多いんですか?」との質問に「やってみるとわかるけど、意外と家にずっといるのって、疲れるんですよ」と回答している人をみたことがあった。

確かに休日とかで何処かに出かけると、家にいるよりも相当にリフレッシュができる印象があるが、これもまた何もしない≠リラックスのわかりやすい例ではないだろうか?

 

全く運動しないより、軽く運動する方が逆に楽

実は軽い運動も、思っている以上に肉体がリラックスする。

マラソン界隈では疲労抜きのジョギングという概念があるのだが、疲れている時にゆっくりと低刺激なジョギングをすると、不思議な事に疲労が逆に抜けるのである。

 

これも肉体はむしろ酷使されているはずだから疲れが抜けるのは脳が何かを誤解しているのだろと思っていたのだが、いま思うと恐らく実際に運動する事で、逆に筋肉がときほぐれてリラックス状態になり、それで身体も実際に休まるのだろう。

冒頭に書いた「起きてしばらくしないと、起き上がれない」というのも、恐らくこの疲労抜きのジョグみたいなものなのだと思う。

 

布団の中でウダウダしているうちに、いい感じに身体の筋緊張がときほぐれ、リラックスできたから、やっとこさ起き上がれるのだろう。睡眠は何もしないから、意外と疲れているのである。

 

過集中していると、気がついたら身体がバキバキによくなっている

集中する事はよい事だと世間一般的には認知されているように思うのだが、最近よく何か物事に夢中になって集中すると、その集中がほぐれた時にビックリするぐらいに身体がバキバキになっていて驚く事が増えた。

僕の場合は執筆している時によくこれを実感しやすく、集中して原稿を書き終わった後で、腰回りとか肩周りが強烈にガチガチになって凝り固まっているのを、終わった後になって物凄く実感する。

 

そう考えると、実は睡眠も良くも悪くも意外と集中して寝てたりするからこそ、逆に身体がバキバキになってたりもするのかもしれない。なんていうか、集中できるという事ですら、必ずしもよい事ばかりではないのである。

ユダヤ教・キリスト教では安息日という概念がある。これは一切合切まったく働いてはいけないという曜日概念で、僕は昔、この概念がある理由がサッパリ理解できなかった。

 

しかしこの歳になってみてやっとこさわかったのだが、自由というのは…本当に…人間にはあまりにも重すぎる概念なのだ。

凡人は自由を与えられると、ついよかれと思って自分自身を窮地に陥れてしまう。

 

そういう時、不自由というのは、意外と思っている以上にいい効果を発揮する。例えば将棋において、もし不正を咎めるルールが無いとしたら、普通に相手を殴ったりすれば、ゲームの実力が無い人間でも安易に勝ててしまう。

しかしそんなのは不正なのは言うまでもないし、むしろ将棋の能力を高める措置を著しく破壊するだけでしかない。

そういう易きに流れないように、厳密に不正を罰するような形での”不自由”は、何でもありな場外乱闘OKの”自由”なんかよりも、遥かに建設的で優しい仕組みとなる。

 

手かせ足かせがあるから、逆に自由というのもありえる

家庭持ちになり、子供を抱えて日々生活するようになり、ぶっちゃけた事をいうと忙しいなと実感する日は多い。

こうなると「ああ、もっと時間があれば、あんな事やこんな事ができるのに」と思う事は正直ある。

 

しかし本当に時間があったら、何か生産的な事をするのかというと…実際にはそんなに話は簡単ではない。

以前にも大学受験の際、「受験が終わったら、コレがやりたいアレがやりたい」と色々思っていたのだが、実際に受験が終わってみると何故か何がやりたいのかサッパリ思い浮かべられずに困惑した事があった。

 

何故なのかはよくわからないが、人間は不自由な環境下に置かれると、謎に「これがやりたい」という願望が湧きやすくなるようになる性質があるように思う。逆に暇な環境に置かれると、何故か「これがやりたい」という思いが湧き出るのが阻害されてしまう。

 

不自由は逆に自由

手かせ足かせというのが、逆に人間に羽を生えさせる謎の現象があるように思う。

 

自炊なんかでも「なにか食べたいものある?」と希望の献立を聞かれて「なんでもいいよ」と答えられると逆に困るという話はよく聞くが、こういう時に逆に

「今からサラダと豚汁と焼き魚を作ろうと思うんだけど、それでいい?」と聞かれたら「んじゃあ明日はカレーが食べたいな」とか、具体的な希望が生まれやすいというのは何故かある。

なんていうか、そういう適度な不自由というのが、逆に創造性や自由を生むというのは、とても不思議だけど面白い現象だなと思う。

 

あえて放置する勇気

頑張ったり、あるいは頑張らせてしまうというのは、実はそこまで難しいことではない。

例えば子供をみていると、大人の僕から見ると、物凄く無駄な事をしているなと思う事も多い。

 

例えば最近だと小学生の子供に、スイッチのどうぶつの森を渡してみたところ、子供は色々と楽しんでやっているのだが、たぬきちへの借金返済を一切せずに、ストーリーを全く進めないのである。

これをみて、最初は善意から「アイテムを売って、借金返済した方がいいんじゃない?」と言おうかと随分と悩んだのだが、物凄く楽しそうにどうぶつの森に熱中している子供の姿をみて、「あ、これは余計な善意だな」と考えを改め、勇気をもって放置する事にした。

 

この選択が本当に正しい事なのかは、正直にいうとよくわからない。ただ、もし仮に自分自身が自分の親にゲームの進展速度管理をされたとしたら、絶対にゲームを楽しめなかったであろう事だけは断言できる。

 

自由が完全なる悪というものではないが、不自由が必ずしも悪いというわけでもない。なんていうか、無駄な事や嫌な経験も含めて、色々な体験が、複雑な学びとして最終的には結実するのが人生だと思う。

そういうネガティブがポジティブに変換される瞬間というのを学べると、人生をもうちょっと面白く眺められるようになるのではないかな、と思う。

 

 

【お知らせ】
ティネクト(Books&Apps運営会社)提供オンラインラジオ第6回目のお知らせ。


<本音オンラインラジオ MASSYS’S BAR>

第6回 地方創生×事業再生

再生現場のリアルから見えた、“経営企画”の本質とは

【日時】 2025年7月30日(水曜日)19:00–21:00
【ご視聴方法】
ティネクト本音オンラインラジオ会員登録ページよりご登録ください。ご登録後に視聴リンクをお送りいたします。
当日はzoomによる動画視聴もしくは音声のみでも楽しめる内容となっております。

【今回のトーク概要】
  • 0. オープニング(5分)
    自己紹介とテーマ提示:「地方創生 × 事業再生」=「実行できる経営企画」
  • 1. 事業再生の現場から(20分)
    保育事業再生のリアル/行政交渉/人材難/資金繰り/制度整備の具体例
  • 2. 地方創生と事業再生(10分)
    再生支援は地方創生の基礎。経営の“仕組み”の欠如が疲弊を生む
  • 3. 一般論としての「経営企画」とは(5分)
    経営戦略・KPI設計・IRなど中小企業とのギャップを解説
  • 4. 中小企業における経営企画の翻訳(10分)
    「当たり前を実行可能な形に翻訳する」方法論
  • 5. 経営企画の三原則(5分)
    数字を見える化/仕組みで回す/翻訳して実行する
  • 6. まとめ(5分)
    経営企画は中小企業の“未来をつくる技術”

【ゲスト】
鍵政 達也(かぎまさ たつや)氏
ExePro Partner代表 経営コンサルタント
兵庫県神戸市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。3児の父。
高校三年生まで「理系」として過ごすも、自身の理系としての将来に魅力を感じなくなり、好きだった数学で受験が可能な経済学部に進学。大学生活では飲食業のアルバイトで「商売」の面白さに気付き調理師免許を取得するまでのめり込む。
卒業後、株式会社船井総合研究所にて中小企業の経営コンサルティング業務(メインクライアントは飲食業、保育サービス業など)に従事。日本全国への出張や上海子会社でのプロジェクトマネジメントなど1年で休みが数日という日々を過ごす。
株式会社日本総合研究所(三井住友FG)に転職し、スタートアップ支援、新規事業開発支援、業務改革支援、ビジネスデューデリジェンスなどの中堅~大企業向けコンサルティング業務に従事。
その後、事業承継・再生案件において保育所運営会社の代表取締役に就任し、事業再生を行う。賞与未払いの倒産寸前の状況から4年で売上2倍・黒字化を達成。
現在は、再建企業の取締役として経営企画業務を担当する傍ら、経営コンサルタント×経営者の経験を活かして、経営の「見える化」と「やるべきごとの言語化」と実行の伴走支援を行うコンサルタントとして活動している。

【パーソナリティ】
倉増 京平(くらまし きょうへい)
ティネクト株式会社 取締役 / 株式会社ライフ&ワーク 代表取締役 / 一般社団法人インディペンデント・プロデューサーズ・ギルド 代表理事
顧客企業のデジタル領域におけるマーケティングサポートを長く手掛ける。新たなビジネスモデルの創出と事業展開に注力し、コンテンツマーケティングの分野で深い知見と経験を積む。
コロナ以降、地方企業のマーケティング支援を数多く手掛け、デジタル・トランスフォーメーションを促進する役割を果たす。2023年以降、生成AIをマーケティングの現場で実践的に活用する機会を増やし、AIとマーケティングの融合による新たな価値創造に挑戦している。
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(2025/7/14更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます

Photo by:Alexey Demidov