最近、「あなたの話は、浅くてつまらない」と言われ、悩んでいる人の話を聞いた。

 

面と向かって「話がつまらない」と言われるのはなかなかこたえるだろう。

だが、「うまく話ができない」という悩みを持っている人は、たしかにと多いのだと、出版社のかたからも聞いたことがある。

 

実際、「人は話し方が9割」という、話し方に関する本は、150万部も売れている。

 

いったい何が書いてあるのか。

面白いことに、この本は冒頭から

・話し方は、聞き方が9割

・相手を観察せよ

・相手に喋らせろ

・相手のいう事を反復し、共感し、賞賛して質問せよ

・相手の求めている話をする

 

と、まずは話を聞くことを勧めており、

そのうえで、

・「食べ物」「出身地」「ペット」の話をして共通点をみつけよう

・失敗談を話せ

・余計な一言や正論をストレートに言わない

・可愛がられる話し方をする

・悪口を言わない

 

と、タイトル通りに話の中身よりも話し方に気を付けろというアドバイスを展開している。

 

また、明治大教授の斎藤孝による、「雑談力が上がる話し方」も53万部とかなり売れているが、こちらの本も

・雑談は中身が無いことに意味がある

・相手を褒めて肯定せよ

・相手に話させよ

・お互いに「困ったな」の話をする

・悪口は笑い話にすり替えよ

と、「中身よりも話し方」と、同じ主張をしている。

 

つまり、雑談や他愛もない会話、ムダ話にたいして、どのような態度を取るべきなのかについては、ほぼ答えが出ていると言ってよいだろう。

本を読んで、練習して、そのまま実践すれば、「中身のない話をする」ことについて、心配することはない。

 

 

でも「薄い」「話の中身がない」と言われてしまう

しかしこれはあくまでも、雑談などの「真剣に話をしなくてよいとき」のことである。

冒頭の「話がつまらない」と言われてしまう事に対しては十分な回答を与えていないかもしれない。

 

雑談はある程度できる。

が、「この人の話は面白い、魅力的である」と思ってもらうような話が苦手、という人も少なからずいるのだろう。

冒頭の知人のように。

 

そして確かに、これは仕事でも、不利益がある。

例えば、知人の投資家の一人は、「話の中身がない人」には投資しないと言っている。

 

この人は付き合う価値があるのか、お金を出す価値があるのか、優秀なのか、阿呆なのか。面白い人間か、中身がない人間か。

そうして話の中身から『付き合うべき人』を選別している。

 

「人を値踏みするような人とは付き合わなきゃいい」

という意見もあるだろうが、しかし、人生は有限で、あらゆる人と均等に付き合うことはできない以上、つきあう相手の「値踏み」は誰もがしている

社員、取引先、友人、恋人、結婚相手…… 数え上げればきりがない。

 

相手にわかるようにあからさまに値踏みしたり、見下したりするのは失礼だが、値踏みそれ自体は、批判される行為ではない。

世知辛いといえば、そうなのだが。

 

ただ、現実に面と向かって「値踏み」されることが多い以上、

「あの人の話は、スッカスカだよ」という噂をたてられることは防ぎたい、という気持ちはわかる。

 

「優秀だと思ってもらえる」

「面白い人だと思ってもらえる」

そういう「話し方」はあるのだろうか。

 

 

「面白い話」「中身のある話」とは一体何なのか

そういう考えていくと、結局「面白い話」や「中身がある話」とは一体何なのか、という事が疑問になる。

ただ、これは明白で、

 

芸人のように人を面白がらせたい。

有名な研究者のように、知的能力で人を唸らせたい。

思想家のように、大勢の人に対して影響力を持つ発言をしたい。

 

といった、「オリジナリティ」や「洞察」について、与えられる評価だということがわかる。

 

したがってこれは、「話し方」とは全く異なり、「知的産物」の次元の話だ。

だから、「話し方」をいくら学んでも、その悩みはなくならない。

 

「洞察」というのは、即興ではできず、「面白いコメント」は、周りからは即興に見えたとしても、実は即興ではないことがほとんどだ。

 

芸人が苦心して編み出した「笑い」。

研究者が日々の研究の中で発見した「法則」。

多くの思索の果てにたどり着いた「思想」。

 

これらはすべて、インスタントに「話し方」を習ったらできる、という性質のものではない。

これらはすべて、「思考の結果」だ

 

 

「普段から時間をとって考えておく」以外の道はない。

だから、社会で「値踏み」をされても良いようにしておくには

ちゃんとした洞察を得るように、様々な事象について、普段から時間をとって考えておく

以外の道はない。

 

17世紀のフランスの文学者、フランソワ・ド・ラ・ロシュフコーは、著書「箴言(しんげん)集」の中で、

「切れ者らしく見せようという色気が邪魔して切れ者になれないことがよくある」

と述べている。

「切れ者らしく見せる」のではなく、実際に「切れ者」にならなければ、面白い話はできないということなのだろう。

 

では「普段から考えておく」にはどうすればよいか。

 

これは非常に簡単だ。端的に言えば、

暇なときに

「スマホに触れない」

「テレビを見ない」

である。

要は、「インプットをやめて、思索にふけるヒマな時間を作れ」ということ。

 

現代人は、暇な時間があればすぐに、「スマホ」や「テレビ」にかじりついて、何もしない時間を持たなくなっている。

スマホやテレビが悪いとは言わないが、「インプット」が多すぎて、「アウトプット」の時間が少ないと、結局「スッカスカの話をする人」、あるいは「聞きかじった話しかできない人」が出来上がってしまう。

 

人は、やることがなければ自然に「思索にふける」ことになるのだから、元からそれを断てば、自然に「考える」ようになる。

 

私のコンサルティング会社時代の同僚や上司には、デスクで「じっと考えている」人が、結構いた。

何もしていないようにも見えたが、あれはクリエイティブな仕事をするためには必要だったのだろう。

 

そんなシーンを、「話がつまらない」と言われた知人の話を聞いて、ふと思いだした。

 

 

 

 

 

【著者プロフィール】

安達裕哉

生成AI活用支援のワークワンダースCEO(https://workwonders.jp)|元Deloitteのコンサルタント|オウンドメディア支援のティネクト代表(http://tinect.jp)|著書「頭のいい人が話す前に考えていること」88万部(https://amzn.to/49Tivyi)|

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◯note:(生成AI時代の「ライターとマーケティング」の、実践的教科書

Photo:Peter Miranda