最近、「ケア」を巡って暖かい言葉や冷たい言葉がSNS上を飛び回っている。たとえば「女性同士ではケアが行われるが、男性同士ではケアが行われない」、といった風にである。

 

私には、巷で語られている「ケア」なるものがよくわからない。「ケア」という言葉からは、なんとなくポジティブな、善きものといったイメージが沸く。しかし、イメージばかり先行して具体的な輪郭がわからない。医療や福祉の専門家が狭い意味で用いている「ケア」と、世間で流通している「ケア」の意味が乖離しているようにもみえる。

 

それと、もうひとつ。

「ケア」という言葉に該当する状況や状態が、私にはそんなに平穏には見えないのだ。少なくとも「ケア」と人々の呼ぶ状況が完全なる善、完全なる平和、完全なる助け合いになっているとは私にはなかなか信じられない。

 

「ケア」という言葉にポジティブで善いイメージがついて回ること、それ自体に異存はない。しかし手放しで肯定できるほど「ケア」が真っ白かと言われたら、そうじゃないこともあるんじゃないですか? と私は言いたくなる。そのあたりについて、ごちゃごちゃしたことを書いてみたい。

 

そもそもケアとは何か? 女性同士しかしていないものか?

そもそも、ケアとはいったいなんだろうか。

医学書院のウェブサイトにある、広井良典京都大学名誉教授のテキストによれば、ケアとは、

1.最も広義には「配慮」「気遣い」といった意味。他人や対象を気にかけること全般が「ケア」と呼ばれる。ヘアケアやスキンケアといった具合に、人以外のものが対象になることもある。

2.もう少し狭義には「世話」という言葉に相当する意味。

3.医療や福祉分野において提供されるサービスとしての「ケア」。または職業的な意味内容を含むレベルの「ケア」。

と記されている。

 

私は医療職なので、「ケア」という言葉を三番目の意味で解釈したくなる。

すなわち、この場合の「ケア」とは介護保険のような福祉制度や福祉体制に根ざしていて、「ケア」の専門家によって提供される「サービス」である。金銭を支払って「サービス」が購入されることもあれば、福祉制度に基づいて現物支給されることもあろう、社会契約的かつゲゼルシャフト的な性質を持ち、権利を持つ人には分け隔てなく提供され得る「ケア」だとも言える。

 

他方、昨今のSNSで意味されている「ケア」はこれではない。

たとえば、ときどきSNSで見かける「女性同士ではケアが行われるが、男性同士ではケアが行われない」といったフレーズが指す「ケア」は、三番目の意味ではなく、二番目の意味と思われる。

性別による有無はさておいて、「世話」に該当するなら「ケア」と呼べ、該当しなければ「ケアがない」ことになるだろう。

 

この二番目の意味の「ケア」を考える際に注意しなければならないのは、これが多かれ少なかれ縁故主義的であること、不特定多数が分け隔てなく「ケア」を授受できるとは考えにくいことだ。

友達同士であれ、クラスメート同士であれ、家族同士であれ、先輩と後輩であれ、「世話」に相当する「ケア」は顔見知り同士で贈与されるのが原則だ。

 

災害発生時など、見知らぬ者同士が「ケア」を授受する状況もあり得るが、あくまで例外だ。なんらかの縁故に基づいているという点において、この「ケア」は非-社会契約的かつゲマインシャフト的であり、授受されるかどうかは当事者間の関係性に依存している。

このことを意識しながら、くだんの「女性同士ではケアが行われているが、男性同士ではケアが行われていない」というフレーズが指す「ケア」を振り返ってみよう。

 

女性同士でケアが行われていると言っても、それは無尽蔵ではないし、権利意識に基づいて分け隔てなく授受されているわけでもない。

世話する者同士、世話される者同士は、なんらかの縁故に基づいて選択・選別されている。自助・共助・公助という言葉で分類するなら、これは共助のたぐいだ。

 

私は男性だから、ここでいう「世話」に相当する「ケア」が男性同士の間にも存在すると感じている。

そうした男性ならではの「世話」や「ケア」が一部の人々には見えない形式だったり、認めがたい形式だから、「男性同士ではケアが行われない」といった物言いが出てくるのだろう。

 

たとえば飲み会に誘う、釣りに出かける、身体をぶつけあう、等々といった男性同士の「世話」や「ケア」は実在する。

女性同士がランチを共にしたりプレゼントを交換しあう、あのあたりまで「ケア」の範疇に入れて構わないなら、同じぐらいの蓋然性で男性同士の「世話」はあるだろう。

 

だが、この男性同士の「ケア」にしても、分け隔てなく授受されるわけではない。女性同様、男性ならではの「世話」も共助的なものであって、縁故や選り好みに基づいて「ケア」の授受が形成される。

だからもし、二番目の意味で「ケア」という言葉を良いものとし、その不足や不能を嘆くとしたら、この共助的で縁故的でゲマインシャフト的な「世話」を良いものとして認め、それを励行する含意があるのだと思う。

というより、そうした含意ぬきに二番目の意味の「ケア」を推奨する向きがあるとしたら、正直、おかしいと思う。

 

二番目の意味の「ケア」には縁故や選り好みによる選択・選別が含まれ、すべての人に平等に「ケア」行き渡るとは期待できない。

私はある程度保守的な考え方の持ち主だから、二番目の意味の「ケア」にそうした含意が含まれていることには驚きはなく、「仕方ないけど、『世話』ってそういうものだよね」といったあきらめがつく。

しかし、もう少し進歩的に物事を考える人々にとって、「ケア」とはなかなか厄介で、近代社会の理念にそぐわないニュアンスを含んでいるようにみえる。少なくとも、三番目の意味の「ケア」にあたらず、二番目の意味にあたる「ケア」には、カマトトぶっていられない意味合いが含まれているんじゃないだろうか。

 

「ケアする/される」と、影響力や権力も移動する

それからもうひとつ。

「ケア」の授受が誰かと誰かの間で行われる時、、人と人との関係性はどのように変わるだろうか。

 

「ケア」は、身体的問題や精神的問題の軽減に寄与する。生活困難な人を「ケア」が支えることもあるだろう。

のみならず、「ケア」の恩恵は「ケア」される側だけでなく、ときには「ケア」する側の問題を軽減させる。それらは、まあいいだろう。

 

だが、そうして「ケア」の授受が起こる時、ましてや繰り返し起こる時、人と人との間柄や関係性、ひいては力関係は次第に変わっていく。

間柄や関係性になんら影響を与えない、この方面で完全にニュートラルな「ケア」を想像するのは難しい。二番目の意味の「ケア」なら、とりわけそうである。

 

「ケア」が授受され、繰り返される時、一方が一方に恩義を感じたり負い目を感じたりすることがある。「ケア」はコミュニケーションの性質を併せ持つから、やりとりをとおしてどちらかが大きな影響力や権力を獲得し、間柄や関係性が思わぬ影響を受けることがある。

 

かと思えば、はじめから影響力や権力の不均衡があったために、「ケア」という体裁のもと、一方的な状況が生まれてしまう場合もある。

本来、「ケア」をさせられるのが不適当と思われる人が、延々と「ケア」を続けざるを得ない場合には、事前に影響力や権力に大きなギャップがあり、一方が一方に服従、または隷属せざるを得ない状況ができあがっていることがよくある。

 

では、「ケア」の授受のバランスが均衡していて、恩義や負い目が偏らなければ問題ないか?

そうとも限らない。「ケア」の授受がおおむねイーブンでも、相互依存が強くなりすぎて、双方が「ケア」の輪に囚われてしまう場合もある。共依存などが良い例だが、お互いがお互いを必要とし、双方が貢献し合っているからといって、「ケア」必ず好ましい転帰を迎えるとは限らない。

 

つまり、ここで私が指摘したいのは「『ケア』って影響力や権力の強い重力を生み出すんじゃないの?」ってことだ。

「ケア」は人と人の間で起こる決して小さくないコミットメントだ。なおかつそれは、しばしばそれは繰り返される。そうした繰り返しは、しばしば「ケア」を授受する者の間になんらかの影響力や権力の勾配を生じさせる。

それが健全な程度であれば別に構わない。「いつも○○さんには世話になっている」程度に恩義を感じるぐらいなら、よくあることだし、それでいいじゃないか、と私などは思う。

 

しかし、そうした恩義が「○○さんに『ケア』されているから逆らえない」とか「○○さんがしてくれることに比べて、私が○○さんにできることは知れている」ぐらいになると「ケア」が生み出す権力勾配、影響力のギャップは無視できないレベルになる。

それも、なかなか難しい現象ではないだろうか。

 

あるいは逆に、既存の権力勾配や影響力のギャップに基づいて「ケア」が強制され、まかり通ってしまう状況もあるだろう。

捉えようによっては、ヤングケアラーもそうした状況の一種かもしれない。これはこれでのっぴきならない現象だ。さらに共依存のようなかたちで「ケア」にお互いが囚われてしまう場合もある。

 

影響力や権力といった時、少なくない人が大文字の政治権力、マスメディアの宣伝力などを連想するかもしれない。

それらに比べれば、ここで論じている影響力や権力は局地的なものに過ぎないし、社会全体に影響するものでもない。

だが、局地的だとしても人と人との関係性が変わること、ひいては誰が誰の言うことをどれだけ聞いてくれるのか・聞かなければならないのかを変更してしまうのも、立派な影響力や権力である。

且つまた、局地的であること、私的な間柄での出来事であることは、大文字の政治権力やマスメディアの宣伝力とは違ったかたちで深刻になり得る。

 

「ケア」を予断してはいけない

冒頭で紹介した、医学書院のウェブサイトの文章は、以下のように締めくくられている。

人は、案外「他人のために」と言いながら、実は「自分(の存在の確認)のために」行動している、ということがあるかもしれない。

だれかの「ために」役立つことを何かしたい、ということが、自分自身の存在理由を確認できる何かを求めている、という動機による部分が大きい場合があるかもしれないし、もちろんそれがただちに「よくない」ということでもない。

しかしそれが独善的なものとなるのを避ける意味でも、ケアを「与える-与えられる」といった一方向的な関係としてとらえるのではなく、むしろ人間という存在が「ケア」への欲求をもっており、それが実現する場として様々な関わりのかたちがある、と考えるべきではないだろうか。

「情けは人の為ならず」ということわざがあるが、同様に、「ケア」も人の為とは限らない。自分の承認欲求や所属欲求をみたすための「ケア」、対象をからめとり、支配するための「ケア」もあり得るだろう。

文中にあるように、それがただちに良くないというわけでもない。とはいえ「ケア」が抜き差しならない事態をもたらし得る点には注意が必要だ。

 

コミュニケーションとしての「ケア」が好ましい転帰をもたらすのか、悪しき転帰をもたらすのかは事前にはわからないことが多い。

コミュニケーション全般にも言えることだが、「ケア」が人を救う舞台裏には、こうした影響力や権力を巡る諸問題がべったりとこびりついている。だからといって「ケア」するなとか、「ケア」はいけないというつもりはない。

しかし、影響力や権力を巡る諸問題がこびりついている以上、「ケア」ならばきれいだとか、「ケア」ならば正しいといった予断はすべきではない、とも思う。

 

「ケア」の面構えをした支配、「ケア」の体裁をとった統治といった出来事は十分に起こり得るものだし、また実際、起こっている。

そのあたりも十分に視野にいれたかたちで「ケア」が語られて欲しい。

頭ごなしに「ケア」を否定するのはいけないが、頭ごなしに「ケア」を肯定するのも、たぶん良くない。

 

 

 

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(2026/3/10更新)

 

 

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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