「あの時、あの場所でしか存在しなかった体験」の話をする。

まず、ゲームセンターの話から始めさせて欲しい。

時期としては、私がお小遣いとか勉強時間とか睡眠時間とか栄養とか、色んなものを削りに削って、ゲーセン通いにリソースを全振りしていた頃。もう少し正確に言えば、大体1992年~1998年くらいまでの期間になる。

 

かつて、ゲーセンに通っている人たちの間では、「ホームどこ?」という言葉が「相手の身元確認の手段」として成立していた。

ホームというのは、要は「自分が普段通っていて、主な居場所にしているゲームセンター」のことだ。「色んなゲーセンがあって、ゲーセンごとに遊べるゲームに偏りがあったので、みんなあちこちのゲーセンを巡っていた」という前提知識がないと、そもそも意味不明な言葉だ。

 

当時は、ゲーセンでも「強い人/上手い人がたくさんいるゲーセン」と「そうでないゲーセン」の間にはかなり明確なヒエラルキーがあって、前者を「ホーム」にしている人たちは、それだけで「こいつ、なかなかやりそうだな……」と一目おかれたりしていた。

私のホームは、名古屋の端っこの方にある、「キャビン」という小さなゲーセンだった。家から出て、角を二回曲がって、しばらく坂道を転がり落ちていくと、道の左側にキャビンがあった。今はもう、ないのだけれど。

 

あの光景は、今でも目を閉じるだけで鮮明に思い出せる。匂いも覚えている。ふっと何かの匂いを嗅いだ時、「あ、キャビンの匂いだ」といきなり記憶が蘇ることがあるくらいだ。

主にタバコと駄菓子とおっさんの体臭が主成分で、いい香りとは言い難かったが。

 

キャビンは小さな体育館のような作りになっていて、天井は鉄骨が剥き出しになっていて、鉄骨から飛行機の模型がいくつもぶら下がっていた。

入り口の方にUFOキャッチャーが三台。真ん中のあたりには格ゲーの対戦台が大きな顔をしていて、ゲーセンの一番奥には(当時基準の)レトロゲームと脱衣麻雀が何台か置いてあった。そして、格ゲーの周辺、対戦台エリアを囲むように、壁際に何台ものアクションゲーム、シューティングゲームが並んでいた。

 

私はキャビンで色んなゲームを遊んだが、特に色濃く残っているのはシューティングゲームの記憶だ。

つま先から頭まで沼に浸かっていた横シューの最高傑作、「ダライアス外伝」。

最終盤、強大な敵と相対するプレイヤーを鼓舞するように1面のBGMが流れる演出の珠玉、「ガンフロンティア」。

R-TYPE。バトルガレッガ。ソニックウィングス、19XX、ゲーム天国、雷電II、アクウギャレット、BATSUGUN、ウルフファング、ギガウィング、プロギアの嵐、中華大仙、疾風魔法大作戦、蒼穹紅蓮隊、ストライカーズ1945。

 

無理だ。私があの頃キャビンで遊んだゲームのタイトルは、とてもじゃないが挙げ切れない。

「やり込んだ」と胸を張って言えるゲームもあれば、1コインクリアすらできなかったゲームもたくさんあるが、とにかく思春期の時間の何割かを、私はキャビンに捧げている。

 

キャビンの唯一の店員であるおっさんには毛髪も愛想もなかったが、脱衣麻雀をスタッフクレジットでプレイしている時以外は割と親切にしてくれて、年少だった私が他の客に絡まれたら声をかけてくれたし、店で売っているキャベツ太郎をおごってくれることもあった。

人生の中に「頭が上がらない人」というのは何人かいるが、「あの場を提供してくれていた」というそれだけで、キャビンの親父も私にとっての「頭が上がらない人」の1人だ。

 

ということで、キャビンはとても良いゲーセンだったのだが、今から考えると1つだけ、大きな問題があった。

「とにかくうるさかった」のだ。

 

当時のゲーセンなんて大体そんなものだったかも知れないが、キャビンのゲームはどれも音量設定がデカく、デモの間も音が鳴りっぱなしで、一つ一つのゲームの音なんてろくに聞こえなかった。

格ゲーの対戦台は特にそうで、ゲーム中のキャラの声もデカければ、遊んでいるプレイヤーの奇声もだいぶデカかったので、自分が遊んでいるゲームのBGMをじっくり聴くことなんてとてもできなかった。当時、一部のゲームではヘッドホン端子がついている筐体もあったらしいが、キャビンにはそんな気の利いた台は一台もなかった。

 

これはだいぶ後になってから分かることなのだが、私はどうも「複数の音が鳴っている中から、一つの音を聴き取る」ということがかなり苦手な性質であるらしく、それも「聴こえない」に拍車をかけていた。

当時、「ゲームのBGMにもいい曲がたくさんある」と認識し始めていた私には、ここだけはなんとももどかしい点だった。

 

***

 

次に、レイストームというゲームの話をしたい。

レイストームは、1996年、タイトーから発売された、3Dポリゴンを使った縦スクロールシューティングゲームの大傑作だ。その最大の特徴は、「「高さ」「深さ」という側面から、プレイヤーの視点を完璧にコントロールする」という、圧倒的なゲーム演出にあると思う。

レイストームには、前作「レイフォース」から引き続く、「ロックオンレーザー」というシステムがある。

眼下の敵にカーソルを合わせることで敵を「ロックオン」することができ、そこでロックオンレーザーを放つと画面上のどこにいてもレーザーが敵を襲い、撃破する。

 

ロックオンレーザーは敵を倒すためにも重要だが、得点を稼ぐためにも非常に重要で、「敵をどういう順番でロックオンして、どう倒すか」というのがゲームを遊ぶ上での重要な要素になる。

縦スクロールシューティングというものは、自然と「自機を上から見下ろす」という視点になるものだが、レイストームというゲームにおいては、ロックオンレーザーと3Dポリゴンによる当たり判定の関係で、それが直接的にプレイフィールに影響する。

 

その顕著な例が4面の対艦隊戦だ。レイストームでは、「高さ」が合わなければ敵にも敵弾にも接触しないため、下の方の敵はすりぬけられる一方、「遥か下方から撃ってきたレーザーが、自機と同じ高さまで来て襲いかかってくる」なんて場面もある。

 

さらに、ロックオンレーザーも撃ってから着弾までにタイムラグがあるため、特に自機がR-GRAY2の場合、「遥か下方に見える敵艦にロックオンレーザーを撃ち込んだ場合、戻ってくるまでしばらく時間がかかる」という現象が発生するわけだ。

この感覚が、「宇宙空間での艦隊戦」というAREA4で特に顕著になり、「2Dの縦シューなのに、自分がちゃんと宇宙空間で戦っている」という絶妙な臨場感をもたらしてくれた。

 

これに限らず、ロックオンレーザーのパターンを構築する時は、「敵の高さと位置」の意識がかなり重要になる。

結果、プレイヤーは「自機の高さと、敵の相対的位置」を自然と意識することになり、結果レイストームが「縦シューとしても他に類を見ない程「見下ろす」という視点を強く意識する」ゲームになっていると考えるわけだが、とはいえ本記事では、レイストームの視覚的演出は本題ではない。

 

ここで特筆したいのは、レイストームのBGMの演出だ。

レイストームにおいて、自機が託された使命は「惑星間戦争で敗北直前まで追い詰められた人類による反撃」だ。

敵勢力である「セシリア連合」、衛星セシリア自体が元々は地球からの植民衛星であり、セシリアを圧政で支配した地球政府の自業自得的な面もあるのが業が深いのだが、それはそうと自機である「R-GRAY」を駆るプレイヤーは、地球圏から衛星セシリアへと攻め上がっていく。

 

で、レイストームのBGMは、このストーリー展開と明確に、見事にシンクロしている。

具体的に言うと、序盤、地球圏でのBGM(AREA1~4)は比較的明朗で軽快な曲が多いのに対して、地球圏を離れて衛星セシリアに戦いの場が移って行く(AREA5~8)につれて、BGMの構成がどんどん重く、無機質に、陰鬱に、しかし荘厳になっていくのだ。

 

その最たる例が、最終面(AREA8)の「HEART LAND」および「INTOLERANCE」だろう。

最終ボスである「ユグドラシル」についにたどり着く自機R-GRAY。

 

当初は、ユグドラシルは複数のパーツを破壊しないと全容をあらわすことがなく、プレイヤーは激しい攻撃を凌ぎながら、緑色のシールドに覆われたユグドラシルを「見下ろして」ひたすらロックオンレーザーを撃ち下ろしていくことになる。

この時BGMとして流れているのが、心臓の拍動のように静かに重々しくドラムの音が響く、「HEART LAND」。

 

そして、全てのパーツを破壊すると、旋回するR-GRAYに合わせて視点がぐるっと動き、自機の前についに「ユグドラシル」の本体が姿を現す。

同時に、まるで滅び行く種族への鎮魂歌のように、静かに、ゆっくりと、「HEART LAND」からスネアの音を経てシームレスに繋がる、「INTOLERANCE」の荘厳なメロディが響き始める。

 

サントラのライナーノーツやエンディングの文章を読むと分かることだが、実はレイストームというゲームでは、エンディング後に衛星セシリアの住民数十億が命を落とすことになる(※PS版のエクストラモードだともっとひどいことになる)。

そのため、まさにプレイヤーが作戦を成し遂げようとしているその瞬間、流れる曲が鎮魂歌となるのはある意味で正しい。

 

しかし、この「INTOLERANCE」という曲、とにかく静かで、荘厳で、そしてかっこいいのだ。

STGのラスボスという最高に盛り上がるシーンで静謐な曲が流れるというのは、例えばダライアス外伝やガンフロンティアとも通じるところがあるが、レイストームの「INTOLERANCE」の素晴らしさはダラ外の「SELF」にも全く劣らない。聴いたことがない人は聴いてみて欲しい。

 

ところで、ここでひとつ問題があった。それは、「レイストームのBGM演出は、ゲーセンで味わうにはあまりに繊細過ぎた」ということだ。

しんざきが通っていたキャビンなどは特にそうだが、音がうるさいゲーセンでは、演出を味わうどころか、メロディを聴き取ることすら殆どできやしなかった。「なんとなくかっこいいメロディが聴こえる……」と歯がみするのがせいぜいだった。

 

***

 

そんな私を何が救済したかというと、それは当然サントラ、ではなくPS版「レイストーム」だった。

 

アーケードゲームの家庭用移植というものには、遥か「ゼビウス」の昔から様々な性能上の問題がつきものだったが、PS版レイストームについて言うと、元々のアーケード版がPS互換システムを使っていたこともあり、これが間違いなく超絶良移植だった。

SS版の「バトルガレッガ」(STG移植のひとつの到達点である)に並ぶのではないか、とすら個人的には思っている。

 

もちろん、画質や処理落ちを始め、アラが全くないというわけではない、ないのだが、自室という静かな空間で、初めて「ユグドラシル」を背景にした「HEART LAND」と「INTOLERANCE」を耳にした時には、「これが本当のレイストームだったのか……!!」と思うほどの衝撃を受けたものだ。

 

PS版のエクストラモードで聴けるアレンジ版BGM、「ノイ・タンツ・ミックス」がこれまた素晴らしいアレンジ揃いで、一面の「GEOMETRIC CITY」のアレンジで響きわたる笛の音を聴いた時には、これを吹くだけのために管楽器を始めることを決意してしまうほど感動した(それでケーナを始めた)。

 

サントラはそれはそれで素晴らしく、今でもレイストームは(オリジナル版もアレンジ版も)Spotifyのお気に入りリストに入っているが、それでもやはりゲームBGMの味は、ゲームとセットで体験した時にこそ最大化するものだ、と私は思う。

ゲーセンで散々「音が聴きとれない」という辛酸をなめた後だっただけに、感動もひとしおだったのかも知れない。

 

***

 

上でも書いたが、レイストームが発売されたのは1996年。今からちょうど30年前、PS版で考えても29年前になる。

あれから、ゲームを取り巻く環境は激変した。

 

「個人経営の街のゲーセン」というのは残念ながらその多くが姿を消し、私がかつて通い詰めたキャビンも、今では建物すら残っていない。

その一方で、ゲームを遊べる環境は恐ろしく進歩し、今ではオンラインで何の問題もなく通信対戦ができるし、SteamやSwitch、PS5を始め、様々なプラットフォームでもの凄い数のゲームを遊ぶことができる。過去の名作も遊べるし、現在の大作も、インディーズの新機軸のゲームもDL販売で手軽に遊べる。

 

これは、疑いなくゲーマーにとっては素晴らしい時代であると思う一方、ほんのちょっとだけ、奇妙な寂しさも感じる。

それは、インターネット時代にパソコン通信のモデムの接続速度の遅さを懐かしむような、たいした意味はない、ほろ苦いノスタルジアとでも言うべきものだ。

そう、ちょうどキャビンのタバコ臭い匂いのように。

 

「ゲーセンで聴こえなかった音を、家庭用移植版で初めて聴けて感動する」というあの時の体験も、おそらくは「あの日、あの時」しか存在しなかった体験なのだろう。

とすると、それをどこかに書き残しておくのも、全くの無駄ではないのかも知れない。そう思ってこの記事を書いた。

 

誰かの「あの日、あの時」をほんのちょっと思い出す、そのきっかけにでもなれば、幸いなことこの上ない。

今日書きたいことはそれくらい。

 

 

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城