人はどうすれば幸福になれるでしょう?

私は、人の幸福を左右する要素として「大きな要素」と「ささやかな要素」があるといつも思っています。

 

幸福を左右する「大きな要素」とは、その人の人生、その人の運命を決定的に変えてしまうほど重要な要素たちです。

たとえば、結婚するかしないのか。するとしたらどんな人がパートナーか。何を仕事とし、どこでどのように働くのか。

 

「大きな要素」には生まれつきのものも含まれます。

生まれた家庭や自分自身の生物学的性質などは選択不可能な「大きな要素」として幸福を左右します。

そうした与件は選びようがありませんから、幸福を追求する際にはそれらの与件をどう生かすのか(またはどうかわすのか)を中心に組み立てるのが幸福追求の定石となるでしょう。

 

趣味も忘れてはなりません。その人が選び、アイデンティティのよすがとし、十年単位で愛顧する趣味も、幸福を左右する大きめの要素ですから、軽視し過ぎるのも考えものです。

自分の身の丈に合った趣味を、自分の感性や暮らしに合ったかたちで・自分の幸福にうまく寄与するようなかたちでやっていけると、趣味は人生の幸福を彩るでしょう。

 

でも、今日はそういう幸福を10%単位で決めてしまうような、幸福の主幹をなすような要素の話がしたいわけではありません。

本当は、私たちの幸不幸はもっとささやかな幸福のシードたちによっても支えられているし、それを大切に拾い集めて、人生の庭の下草として育てていくといいよねって感じの話がしたいのです。

 

私たちの人生をささやかに支える、ささやかな幸福のシードたち

さきに挙げた幸福の主幹をなすような要素たちに比べると、これから話す幸福のシードたちはささやか過ぎて、貧弱過ぎて、正直、あまり頼りにはなりません。

言い換えると、これらは「すがりつく」「もたれかかる」には弱すぎる要素だと思うのです。

 

仕事や結婚にはすがりつくことももたれかかることもできるでしょう。趣味に対してそうする人もいるかもしれません。それらはひとりひとりの人生の主戦場、そして晴れ舞台でもあります。でも、たとえば以下のような要素はそうもいかないですよね?

たとえば近所にあるこうした小さなおやしろの、小さなお地蔵様やお稲荷様。

ほとんどの人にとって、こうした地元の小さなおやしろは人生に占める割合がごく僅かしかないでしょう。

 

しかし、こうしたおやしろの前を通るたびに手を合わせる人は案外いらっしゃるものです。

それは、キリスト教圏の人が考えるような大文字の信仰ではなく、信仰の観点からみても非常にささやかなものでしょう。

 

ですが、そんなおやしろが暮らしのなかに存在すること、どんな時でもそこに立っていて願いを聞いてくれたり非日常の空気を吹き込んでくれたりことは、まさにささやかな幸福のシードではないでしょうか。

 

こういうおやしろって、そこまで熱心にお参りしないぐらいがいいんですよね。

時間がない時は通り過ぎて構わないし、お賽銭だって自己都合で入れたり入れなかったりで構わないんです。

そういうささやかな関わり方でも別に祟るわけでもなし、ただそこにあって、私たちを見ていてくれて、お参りを受け入れてくれて、いつでも気持ちの入れ替えに役立つことが大事だと思うんです。

 

行きつけの食堂とかカフェもいいですね。

その店に行けば「いつものやつ」が飲めたり食べたりできる安心感。

 

別に、美味くて仕方がないものじゃなくてもいいのです。食べ物や飲み物がよく馴染み、身体に馴染み、空間としても一息つける場所であることが大切なのだと思います。

お店の人に顔を覚えられるのが平気な人の場合、お店の人とかわすささやかな言葉も重要ですね。

 

そういうお店やお店の人に「すがりつく」ことも「もたれかかる」ことも勿論できませんが、きつい仕事を終えた後の夕食や遺失物が出てしまった後の、仕切り直しの一杯を侮ることはできません。

20歳以上でアルコールとちゃんと付き合える人なら、居酒屋やショットバーなども良いかもしれませんね。

それらはまさに「人生の止まり木」と呼ぶにふさわしい何かで、止まり木以上のものを求めてはいけない場所でもあると思います。

まして、酔いつぶれるまで飲むような場所でもない。

 

ただ、そこがときどきもたらしてくれる小さな幸福感、それから不幸感のわずかな緩和効果は、長い目でみればけっこう効いていると思うんです。

逆に言うと、「人生の止まり木」ってのは小さな幸福感を運んできてくれたり不幸感をわずかに緩和してくれたりするものでなければイマイチなんじゃないでしょうか。

 

ささやかな幸福のシードを自宅にも埋め込んでいく

ここまでは家の外で探し出すささやかな幸福のシードの話でした。

転居や転勤の後には、勤め先や自宅の近くにこういう場所を見つけ、自分自身をそこに紐付けられるといいですね。

そういう行為は人生の幸福感を底上げし、不幸感をはびこらせにくくするうえでおまじないよりは役に立つと私は考えています。

 

自宅にも、そういう「ささやかな要素」があったほうが良いでしょう。

使い勝手の良い椅子、使い勝手の良い台所空間、使い勝手の良いデスク、等々は幸福感をあげてくれます。

居心地の良さ、肌触りの良さ、使い勝手の良さは幸福感を底上げしてくれます。それだけでは幸福になれなくても、幸福の与件を下支えしてくれる点がここでは重要です。

 

というより、それらが遺失物の発生や、肩こりや腰痛などの体調不良の発生確率などを下げてくれることで、不幸なイベントの発生確率を下げてくれる点のほうが重要かもしれません。

自宅の環境を整備すれば幸福になれる……とは思えませんが、疲労を減らし、余計な不幸イベントの発生を防ぐことで一か月あたりや一年あたりの不幸感を減らしてくれると考えてみると、それらの効果は馬鹿にできません。

 

このあたりは「ていねいな暮らし」と呼ばれる領域とも接続しています。

私自身は「ていねいな暮らし」のうちに経済資本や文化資本のにおいをかぎ取ってしまうので、万人に「ていねいな暮らし」を勧めるのは誰を利することなのか、つい、考えてしまいます。

 

しかし、逆に経済資本や文化資本のにおいが感じられるからこそ「ていねいな暮らし」は現代人の社会適応を下支えするささやかな幸福のシードたり得るようにも思われるのです。

つまり、「ていねいな暮らし」に属する要素群は、その人の暮らしの改善をとおして生産性や(文化的)卓越性を向上させるわけですから。

 

でもって個人における生産性や(文化的)卓越性は基本的には不幸を増やすよりも幸福を増やすほうに作用するでしょう。

なんなら人生の選択肢の数や人生の手数にまで影響するかもしれません。

 

家庭生活を彩る「ささやかな要素」は他にもたくさんあります。家庭菜園やプランターにハーブや花卉を植えるのもいいですね。

手間がかかるし、自己増殖するし、虫がついたりするので誰にでもお勧めできるものではありませんが、土に触れ、植物の成長と共に生きることでしか得られないエッセンスはやはりあるように思います。

四季が感じられればなお良いでしょう。凝ると趣味になってしまうので、ときどき花屋さんで買うとか、ハーブを一種類だけプランターでつくるとか、そういうのでもいいように思います。

 

あとは「お気に入りのマシン」でしょうか。

挙動が速やかでなんでもこなせるPC・高性能のスマホ・優れた音響設備。こうしたもののひとつひとつも、幸福をつくるには非力ですが、日常を底堅く支えてくれます。

 

地方で暮らしている人の場合は、クルマやバイクという手もあります。自分の運転技術や道路事情にも左右されますが、いいクルマ、いいバイクに乗っていると日常の質はさまざまに変わります。

良い腕時計にもそういう一面があるのかもしれません。この手のマシンの良いところは、たんなる自慢の一品には終わらず、乗り心地や使い心地をとおしてダイレクトに疲労を抑制してくれる点です。

 

ただまあ、それだけに大事に使わなければなりませんね。ですが大事に使う・大事に乗るという心構えじたいも、事故を避ける、ひいては不慮の不幸を避けるうえで重要なので、そういった品々にも生活を改善させる力があると私などは計算してしまいます。

 

人間関係までカバーできれば最高

それから人間関係。

人間は世間をかたちづくって生きているわけですから、人間関係が平穏無事であるか否かが幸福体感度、ひいては不幸体感度のかなりの部分を作っている、と言っても過言ではありません。

人間関係のうち、生まれた家庭、パートナーといった領域は人生の幸福度の主幹をなす部分ですから、ここでは踏み込みません。友人関係もそれに準じるものとみなします。

 

でも、そうした大きな人間関係だけが人間関係じゃないですよね。

さきほど挙げたようなささやかな幸福のシード、たとえば「人生の止まり木」とみなされるような社交の場では、多かれ少なかれ人との関わりが含まれます。

 

そこで小さな交友関係が生まれることもあれば、交友関係未満なんだけど顔見知りであるような間柄が生まれることもあるでしょう。

そうしたミニマムな人間関係といえども、こじれれば幸福に小さなほころびが生じるし、あまりにもほころびが大きければその場に居づらくなってしまうかもしれませんから、ないがしろにしすぎるのは考えものでしょう。

では、何が必要?

さて、ここまでささやかな幸福のシードたり得るものを色々と挙げてきましたが、これらを獲得するには何が必要でしょうか。

まことに残念な事柄ではあるのですが、これらに必要な条件としてかなり上位に来るのは「余裕」だと思います。

 

ここでいう「余裕」とは、心の余裕、経済の余裕、体力や精神力の余裕、そして時間の余裕を含みます。

これらのどれかが乏しくなると、自宅の環境をきれいにするのも、「人生の止まり木」になるようなお店を見つけて通うのも急激に難しくなります。

いくら素敵な家庭菜園を作っても、身体疾患や精神疾患にかかってしまえば維持できなくなり、重荷にさえなるでしょう。ミニマムな人間関係についても、それらを維持・向上させるには人並みの礼儀作法が欠かせませんが、余裕がなくなればそれも難しくなってしまいます。

 

ここから連想されなければならないのは、今回挙げたようなささやかな幸福のシードは「余裕」の福利、「余裕」の利息のような側面があるということです。

逆に、ささやかな幸福のシードを暮らしのなかでたくさん育てておけば、それらは福利や利息となって人生のさまざまな局面でわずかながらでもプラスの影響を与え続け、マイナスの影響を遠ざけてくれる、とも言えます。

この観点から考えるなら、なるほど、「ていねいな暮らし」というのもプラグマティックな技術なのかもしれません。

 

それからもうひとつ、バランス感覚とそれに基づくアップデートでしょうか。

お気に入りのお店を見つけるにも、いいクルマに乗るのも、それ自体はささやかな幸福のシードたり得るでしょうけど、ひとつの事柄にあまりにもリソースを集中させすぎるとバランスが崩れ、他の要素に手が回らなくなり、結果的にささやかな幸福のシードの獲得総量が少なくなってしまうかもしれません。

 

たとえば平凡な給料の人がフェラーリを買って乗り回す場合を考えてみてください。

確かにフェラーリは彼/彼女のささやかな幸福のシードのひとつとして輝くでしょう。というより、これは趣味と言ってもいいレベルですね。

 

けれども身の丈にあわない経済的負担は、生活の他の領域を圧迫してしまうに違いありません。

心の余裕、経済の余裕、体力や精神力の余裕、時間の余裕といったものをいつも勘案し、現在の状況、ひいては近未来の状況も意識しながらことを進めていかなければ、結局「余裕」のほうが破壊されてしまい、元の木阿弥になってしまうおそれがあります。

 

また、それらの余裕の度合いは人生の進行やライフステージによって絶えず変わってくるので、ひとところに固執するのはうまくありません。

ときどき見直したり、今後の自分自身に即してアップデートしたりしていく必要があるでしょう。たとえば生活習慣病に罹患した人は、今までどおりの生活を続けるわけにはいかないはずで、そうなれば多かれ少なかれ暮らしの実態を変えていかなければならないはずです。

 

人生全体の幸福に占める割合としてはささやかな事柄かもしれませんが、こういうところも手抜かりしないようにしていきたいものですね。

 

 

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(2026/8/3更新)

 

 

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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Photo:Catalin Pop