今、「人手不足なのに賃金が上がらないのはおかしい!」という人が多い。

そして、確かにそれはおかしい……というより、原則的にはあり得ない話だ。

だから、この現象は間違っている。

ただし、「あってはいけない」というより、その前提条件である「人手不足」か「賃金が上がらない」のどちらかが、そもそも誤りであることの可能性が大きい。

 

となると、大多数の人は「賃金が上がらない」の方が誤っている——と言うだろう。

「本当はもっと賃金を上げられるはずなのに、経営者が出し渋っているから上がらないのだ」と解釈する。

 

しかし、本当にそうだろうか?

今のこの社会状況の中で、賃金を出し渋ったらとたんに従業員は転職してしまうだろう。そうして、人手不足に陥ってしまう。そうなると会社は立ちゆかなくなり、すぐに潰れてしまうではないか。

 

しかしこういうと、多くの人は鬼の首を取ったように「だから今、人手不足で多くの会社が潰れているのだ!」という。実際、アンケートなどでも人手不足で倒産する企業が増えているという。

しかしながら、もし従業員に賃金を出し渋った末に倒産してしまったのだとしたら、それはあまりにも本末転倒ではないだろうか? それで、誰よりも経営者自身が大損するのだ。本当にそんなバカな経営者がいるのだろうか?

 

これは、どう考えても「いない」としか答えようがない。

だとするなら、誤っているのはむしろ「人手不足」の方なのだ。

実は今、人手は全然不足していない。むしろ余っている。余っているからこそ、賃金が上がらないのだ。

 

では、なぜ「人手不足」という状況が起きているのか?

なぜ、多くの職場で人材が確保できずにいるのか?

それは、足りていないのは「人」ではないからだ。足りていないのは「奴隷」である。安い賃金で働いてくれる「奴隷」がいないから、多くの企業が潰れているのだ。

 

アンケートで「人手不足で倒産した」と答えていても、実は売上げ不振で倒産している

この現象を、架空の町工場を例に説明してみよう。

 

今、その町工場は産業構造の大きな変化の中で、経営に行き詰まっている。

諸外国でもっと安い値段で同じクオリティの製品が作られたり、AIやロボットを駆使した合理的な企業との競争に勝てなくなったりしているからだ。

 

おかげでその町工場では今、取引先から値下げを求められている。

値下げに応じないと、取引を打ち切られてしまう。

取引を打ち切られては倒産してしまうから、町工場の経営者はその値下げを承諾する。

しかし、その値下げした価格の製品をこれまでのやり方で卸すとなると赤字が目に見えているので、どこかで経費を削減する必要が出てくる。

 

そして、その町工場の経費のうちで最も大きいのは人件費だから、経営者は自然の成り行きで「人件費を削る」という判断をくだす。

しかし人手は必要だから、必然的に従業員の賃金を下げるということになる。

 

しかし賃金を下げられた従業員は、会社に嫌気が差して辞めていってしまう。

経営者は仕方なく代わりの従業員を探すけれども、その安い賃金では誰も来てくれない。そうして経営が行き詰まり、結局倒産することとなるのだ。

 

ただしこのとき、経営者は倒産の理由を何と説明するか?

彼らはけっして「経営に行き詰まったから」とは言わない。それだと、自分の能力を疑われてしまうからだ。

その代わりに「人手不足で倒産した」と言うのである。そうすれば、自分のせいではない感じが演出できる。

 

アンケートで「人手不足で倒産した」と答える経営者のうち、ほぼ100%が実は売上げ不振で倒産しているのだ。そして、その町工場で働いていた人たちの仕事もなくなるから、失業者はむしろ増えている。

 

ただ、その町工場で働いていた人たちも仕事がないと生きていけないので、たとえ奴隷のような環境でもお金がないよりはましと、他の安い賃金の会社に入り直している。

そうして、社会全体の賃金がどんどん下がっていっているのだ。

 

これが、人手不足(といわれている)にもかかわらず、賃金が上がらないことの本当の理由である。

 

世の中から仕事がどんどん減っている

そして、そのことが分かるとこの問題の本質は、「賃金が上がらない」ということにではなく、むしろ「世の中から仕事がどんどんと減っている」ということにあるということが分かる。

世の中から仕事がなくなっているから、人々の賃金も下がっているのだ。

 

ではなぜ、世の中から仕事が減っているのか?

それはやっぱり、AIやロボットが進化して、人々の仕事を奪っているからだ。

 

例えば今、コンビニは人手不足といわれているにもかかわらず、従業員の賃金がなかなか上がらない。

なぜか?

それは、やがてその仕事がAIやロボットに奪われると、誰もが分かっているからだ。

 

コンビニの経営者は、今の時点ですぐにでも大規模なリストラに踏み切れる。

店を大幅に改造し、省人化、あるいは無人化を実現できる。そうして、多くの従業員を雇い止めできる。

 

ただ、まだそれを始めていない。なぜかとえいば、今の時点ではまだ大きな予算がかかるので、安い賃金で人を雇っていた方が儲かるからだ。

コンビニの経営者は今、AIやロボットの値段が安くなるのを待っている。AIやロボットは、時間が経てば安くなるのは分かっているから、タイミングを見計らっているのだ。

 

では、そのタイミングはいつか?それは、従業員の賃金を極限まで下げ、彼らが逃げ出したときである。そうして本当の人手不足になったときにこそ、導入しようと決めている。

だからコンビニは、労働者の賃金をギリギリまで下げている。そうして、いつAIやロボットを導入するか、そのときを待っているのだ。

 

その意味で、コンビニの人手不足は今の時点で、すでに解決済みだ。

ただ、そういう身も蓋もない現実が明らかになるとコンビニで働く人たちやそこに来るお客さんの人心がすさみ、社会が荒廃するので、「臭いものに蓋」で、頭のいい経営者たちはそれを隠している。

隠しているというより、本人すらも自己暗示をかけ、気づかない振りをしているのだ。

 

おかげで、社会では「人手不足なのに賃金が上がらない」という、どう考えてもおかしな状況が一見成立したかのように見えている。

しかしそれは表面的にそう見えているだけで、実際は人余りが進行し、賃金が下がっているのだ。

 

この状況は、今後も続くどころか、ますます加速するだろう。これからの10年で、世の中からは多くの仕事が失われる。そうして、より多くの人が余る。

 

それを考えると、今我々が問わなければならないのは、「どうやって人々の賃金を上げるか?」ではなく、「どうやって人余りを解消するか?」つまり「どうやって人々の仕事を増やすか?」ということにある。

 

今「臭いものに蓋」でそのことに向かい合わなければ、この問題は先送りされ、解決はますます困難になるだろう。その意味で、たとえ痛みを伴っても、今は現実を直視しなければならない状況に来ているのだ。

 

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【著者プロフィール】

岩崎夏海

作家。

1968年生まれ。東京都日野市出身。東京芸術大学建築科卒。 大学卒業後、作詞家の秋元康氏に師事。

放送作家として『とんねるずのみなさんのおかげです』『ダウンタウンのごっつええ感じ』等、テレビ番組の制作に参加。 その後、アイドルグループAKB48のプロデュースにも携わる。

2009年、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』を著す。

2015年、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『イノベーションと企業家精神』を読んだら』 。

2018年、『ぼくは泣かないー甲子園だけが高校野球ではない』他、著作多数。

現在は、有料メルマガ「ハックルベリーに会いに行く」(http://ch.nicovideo.jp/channel/huckleberry)にてコラムを連載中。

(Photo:Shingo Yoshida