私に仕事を教えてくれた方の一人に、とにかく「知らないふり」をする人がいた。
彼はマーケティングの専門家であった。
どれくらい知識を持っていたかといえば、マーケティングに関して本を書き、お客さんへ具体的なアドバイスができ、講演もこなすといった具合だ。
しかし、である。彼がプロである「マーケティング」の領域について、彼はほとんど常に「知らないふり」をした。近くで見ている私は、いつも「何を白々しい……」と思った。
だが、面白いことに彼はほとんど常に、相手の信頼を獲得した。
例えばある会社のマーケティング責任者との会話は、次のような感じだった。
「マーケティングに詳しいとお聞きして、ぜひ一度ご相談したいと思ったのですが」
「ありがとうございます。」
「先日プレスリリースを出し、webサイトも用意したのですが、これがサッパリ反響がなくて。webから少し問い合わせがあったくらいです」
「ほうほう、反響がなかった」
「かなり練ったんですが」
「私も不勉強で申し訳ないのですが、この「3つの特長」という部分は、やっぱり貴社の売りの部分なんですかね?」
「そうです、そうです。強調したんですよ。」
「んー、なるほどー。なるほどー。難しいですね…。」
「何か気になる点はありましたか?」
「いや、見当もつきません。差し支えなければ、お考えの原因などを教えていただけないでしょうかね?」
私は「マーケティングに詳しい」といって彼をお客さんに紹介しているので、ハラハラしっぱなしである。「見当もつかない」などと言われたら私の立場がない。
経験的には彼はどこがマズかったのか、ひと目でわかっているはずである。
だが、彼は何も言わず、お客さんは彼の言うとおりに考えていることを伝える。
「あ、はい。今、社内で原因と見られているのが、差別化の失敗です。競合のページがこれなのですが。」
「ふーむ。この部分もわからないのですが、どのような意図ですか?」
「これは、問い合わせへの導線をはっきりさせようという意図です。」
「ほうほう……これは?……あとリリースの配信先は…?、それと事前に記者たちにどんな話を……?」
「あ……、ここは……、んー?私もちょっとわからないですね……。おーい、ちょっと担当者呼んできてくれ」
そして、担当者が呼ばれた。
「ここは、どういう意図ですか?」
「ここはあまりレビューしてないですね。」
「なるほど、教えていただきたいのですが、さきほどお聞きした話と、ちょっと食い違っていないかと……。ここです。」
「ああ、そうですね。」
「あと、差し支えなければ、このランディングページに関する皆さんの考え方を、教えていただけないですかね、いや、本当に勉強になります。」
「もちろんです。」
担当者と上司が二人で熱心に話している。
だが、彼はほとんど何も言わない。たまに質問を投げかけるくらいだ。
30分ほど彼らは話し合い、最後にこっちに言った。
「貴重なアドバイスを、ありがとうございます」
「いえいえ。じゃ、これで。」
−−−−−−−−−−−
私は彼に言った。
「ちょっと、お客さんに何もアドバイスしてないじゃないですか。リリースを見た瞬間に、どこが悪いか分かったんじゃないですか?」
「ちゃんとアドバイスしたさ。」
「……?」
「キミはアドバイスを、「知識をひけらかすこと」と思ってないか?そんなものは、誰も聞いちゃくれない。」
「は、はい…。」
「自分より物知りな人と会えて、嬉しい……そんなわけないよ。みんな、自分の知ってることを喋りたい、知識を示したい。そうだろう?」
「ま、まあ。」
「そうなんだよ。だから知識を無駄に見せない。すこし疑問を投げかけるだけでいいんだ。知っていることを話すことよりも、知らないふりをしたほうが良いんだよ。」
「でも……」
「でも?」
「相手が「なんにも知らない人だ」って思ってしまったらまずくないですか?」
「今日はそうなった?」
「いえ。」
「だろう。知らないふりをして困ることなんか一切ない。知ったかぶりよりも知らないふり。知っていても簡単に話さない。これが対人系の仕事の鉄則なんだよ。」
私はそこで初めて「知っている」と「知っていることを聞いてもらえる」の溝の深さについて、教えられたのだった。
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