ビジネスマンは忙しい。
朝出社して、前日に残した仕事の続きをしていると、メールや電話がかかってきて、次々と小さなタスクが積み上げられる。
なんとかそれらをこなしていると昼休みだ。急いで昼ごはんを掻きこんでいると、あれもこれもやらなければ、と気づく。
席に戻った彼は、頭の中でタスクを整理して、優先順位を決め、処理していく。
この調子だと、今日も残業かもしれない。そういえば有休もしばらくとっていない。
ふと窓辺にいる課長を見ると、緩慢な動作で書類に目を通したり、思いついたようにどこかに電話をかけて、どうでもいい話題で盛り上がったりしている。
どう見ても暇そうである。
それなのに、給料はこちらのほうが安いときている。自分に対する評価は正当なのだろうか?
このような光景を会社の中で見かけることは珍しくない。
かわいそうな話だと思う。自分もそうだ、と忙しい彼に感情移入できる人もいるかもしれない。
しかし、彼にそれほど同情の余地はないかもしれない。というのが今回の話である。
忙しさと属人性
私はプログラマなので、プログラミングという仕事を例に出すが、システムを作っていると、必ず「属人性」というものが生まれる。
そのシステムのプログラムの詳細は自分しか知らないので、誰かに引き継ぐことが難しいという状況である。つまり「仕事」が特定の人物に強く結びついてしまう。
もちろんこの業界でも「属人性」は良い事ではない、とされている。
よって、出来る限り、プログラムにコメント(解説)を残し、ドキュメントを作成する、ということが推奨されている。
しかし、当人の感覚で言わせてもらうと、気の進まない行為である。そもそも誰に引き継ぐというのか、どうせ自分はこの仕事から解放されないし、プロジェクトが終わった後も、システムに何かある毎に呼び戻されるに違いないのだ。
なので、往々にして、コメントはほとんどなくなるか、深く考えずに書かれて、解説になっていないどうでもいい内容になり、ドキュメントは体裁だけは整っているが、システムの理解にはほとんど役に立たない代物になりがちである。
しかしこのように自分に紐付いた仕事を増やしていくと、こなしたプロジェクトが多くなればなるほど、加速度的に自分は忙しくなっていく。
結果として、冒頭の「彼」のように日々仕事に追われる人間になってしまうのだ。
なぜこのような事が起こるのだろうか?
自分にしかできない仕事の魅力
人には才能を発揮して誰かの役にたてる時に、充実感が得られるという性質がある。
それが、他ならぬ自分だけが出来る、という状況であれば、さらにそこに自尊心(プライド)も生まれる。
この仕事は自分にしかできないのだから、自分はこの会社という集団の中で必要不可欠な存在なのだ、という認識は、気持ちを安定させるし、毎日の長い通勤時間をかけて会社に向かう原動力になるほどの、蠱惑的な魅力があるのだ。
この仕事は自分にしかできない、という状況はビジネスマンとしてのアイデンティティを強化し、仕事に対するモチベーションを上げる面があると言えるだろう。
しかし、これをそのままモチベーションとして生かすだけならいいのだが、次に彼が思うことは
「何故、これほど重要な自分が、会社の中でそれほど評価されないのだろうか?」
という不満である。どう考えても空き時間にソリティアに興じている上司より、自分のほうが会社にとって必要な筈だ。なのに、会社は昇格どころか昇給すらしないのである。
これは余談だが、たまにネットの掲示板などに、業務を劇的に改善した人物が、正当に評価されないので辞めた結果、会社が大いに困ったり、潰れてしまったりするという話が書かれていることがある。
真偽の程はわからないが、これらの話がネット上でそれなりに人気を呼ぶのは、読者の中にも「自分にしかできない仕事をしているのに、会社がちっとも評価してくれない」という思いが少なからずあって、このような「退職による復讐譚」がある種のカタルシスをもたらすからだろう。
彼にしか出来ない仕事は実は存在しない
さて、忙しい彼が辞めてしまえば、本当に会社は困ったり倒産したりするだろうか?
彼の退職の可能性は会社にとってどれほどのリスクになっているだろうか?
残念ながら、大したリスクにはなっていない、というのがほとんどの場合の答えである。
仮に彼が退職したとする。
当然、彼が日々忙しくしていた「仕事」は誰かが代わりにすることになる。
彼が何らかの資料を残していようといまいと、残された者はやらなければならないことを実行するだけである。
おそらく苦労はするだろうが、ほとんどの場合、実行できてしまうだろう。
何故なら、引き継いだ社員は、彼と同じやり方はしないからである。
そのやり方は辞めた彼から見れば不十分で、安全でなく、クライアントへの配慮にも欠けたやり方に見えることだろう。
しかし、これは代役なのだ。ある程度のアラは、会社からもクライアントからも大目に見てもらえる。
最悪の場合でも、会社は彼のやっていた「仕事」を経営上の判断でやらないことにしてしまうということすらできるのである。
つまり、大まかに言って彼の代役はほとんど成立してしまう。
日々忙しくしている社員の給料が上がったり、昇格したり、ということがないのであれば、上層部は彼を会社にとって「無くてはならない人材」と見なしていない、と言うこともできる。
皮肉にも彼がせっせと作っていた「自分にしかできない仕事」は、会社側から「あいつ以外でもできる」と考えられているから、許容されているのである。
もっとひどい事を言うと、勝手に自分にしかできない仕事を沢山抱えている社員は、会社にとって、単に都合の良い存在になっている場合が多い。
なぜなら、彼らは「自分にしかできない」という思いから、必要とあれば残業してくれ、有休もとらずに働き、自分が辞めたら迷惑がかかると勝手に思ってくれて、退職もしづらいからである。
例えば会社にとって「危険な人材」になる
「自分にしかできない仕事」を安易に増やしても、忙しくなるだけで、大したメリットはない。
という話を長々と書いてきた。つまりは努力の方向が間違っているのだ。
会社が給料を上げたり、昇格させたりして、その社員が退職しないように必死に配慮する人材というのは、「真にその人間にしか出来ない仕事」を持っている人である。
例えば、クライアントの担当者の言うとおりに動く人間ではなく、その上司である上層部と通じている人物であるとか、ずば抜けたスキルを持っているとか、人を動かして、多くの仕事をさせて、必要に応じて部下を教育して生産性を高められる人材などが考えられる。
このような人の進退は会社の業績に大きな影響を与える。会社にとって「危険」な人材だ
だからこそ、会社はこのような人材を必死に引き止め、さらには仕事を取り上げてリスクを軽減させようとする。
もしあなたに「自分にしかできない仕事」が沢山あるのなら、そしてその状況を会社が許容しているのであれば、あなたは、会社にとって重要な存在とは見なされていない。
手を一度止めて、業務を見る視点を高くして、会社にとって真に重要な存在になるために、「危険」な人物になるにはどうすればいいか、考えてみるのも良いかもしれない。
【安達が東京都主催のイベントに登壇します】
ティネクト代表・安達裕哉が、“成長企業がなぜ投資を避けないのか”をテーマに東京都中小企業サイバーセキュリティ啓発事業のイベントに登壇します。借金=仕入れという視点、そしてセキュリティやDXを“利益を生む投資”とする考え方が学べます。

こんな方におすすめ
・無借金経営を続けているが、事業成長が鈍化している
・DXやサイバーセキュリティに本腰を入れたい経営者
・「投資」が経営にどう役立つかを体系的に学びたい
<2025年7月14日実施予定>
投資と会社の成長を考えよう|成長企業が“投資”を避けない理由とは
借金はコストではなく、未来への仕入れ—— 「直接利益を生まない」とされがちな分野にも、真の成長要素が潜んでいます。【セミナー内容】
1. 投資しなければ成長できない
・借金(金利)は無意味なコストではなく、仕入れである
2. 無借金経営は安全ではなく危険 機会損失と同義
・商売の基本は、「見返りのある経営資源に投資」すること
・1%の金利でお金を仕入れ、5%の利益を上げるのが成長戦略の基本
・金利を無意味なコストと考えるのは「直接利益を生まない」と誤解されているため
・同様の理由で、DXやサイバーセキュリティは後回しにされる
3. サイバーセキュリティは「利益を生む投資」である
・直接利益を生まないと誤解されがちだが、売上に貢献する要素は多数(例:広告、ブランディング)
・大企業・行政との取引には「セキュリティ対策」が必須
・リスク管理の観点からも、「保険」よりも遥かにコストパフォーマンスが良い
・経営者のマインドセットとして、投資=成長のための手段
・サイバーセキュリティ対策は攻守ともに利益を生む手段と考えよう
【登壇者紹介】
安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
2025/7/14(月) 16:30-18:00
参加費:無料
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。
お申込み・詳細
お申し込みはこちら東京都令和7年度中小企業サイバーセキュリティ啓発事業「経営者向け特別セミナー兼事業説明会フォーム」よりお申込みください
(2025/6/2更新)
【プロフィール】
著者名:megamouth
文学、音楽活動、大学中退を経て、流れ流れてWeb業界に至った流浪のプログラマ。
ブログ:megamouthの葬列
(Photo:Bousure)