最近、仮想通貨バブルを目の当たりにしてお金の事を真剣に考えるようになった。
もともと人を狂わせる要素を持つこの物資に対して、並々ならぬ興味はあった。
何でもかんでも買えてしまうこの紙切れは、時に人の命よりも価値を持つ。実態は硬貨だったり紙だったりと大したことがないものなのにも関わらず、誰もがその価値を疑わない。凄いとは思わないだろうか。
そしてついにこの世は実態すら存在しないものに価値が付くようになった。言うまでもない、仮想通貨だ。
初めは胡散臭いものとしてオタクの中でしか熱狂的に受け入れられなかった仮想通貨だけど、今やオランダのチューリップ・バブルの再来なのではないかと言われるような勢いで10倍、100倍と高騰し続けている。
この脅威の事態を目の当たりにして、僕はお金というモノの本質により一層惹きつけられるようになった。
僕がかつて途上国を旅していた時に、何度も何度も『No money、No life』という言葉を聞かされた事がある。
自分なりにこれを意訳するとその地で話されるその言葉は『お金が無いと、人としての生活なんて手にする事が出来ない』という感じの意味合いで使われていたと思う。
確かに先進国日本でも、お金がない人間の生活は悲惨だ。
社会保障のしっかりした我が国ではお金がなくても死ぬことはないけど、やっぱりお金が無さすぎる人生には誰しもが虚無感を感じてしまうのは事実だろう。
このように誰もが欲しがる物資・お金。まさに現代社会の聖杯ともいえる最強の存在だけど、僕はそう遠くない将来この物資は人類には無用の長物に成り下がるんじゃないかと思っている。
何もこれは馬鹿げた主張ではない。我々人類は、同じような経験を既に何度もしている。
同じ事がお金におきれば、お金が原因による貧富の差が生じるだなんて現象は完全に消失するだろう。『No money、No life』なんて言葉は、未来の人達からみれば、古臭すぎて全く理解されない言葉となるだろう。
そんなわけで今回はお金と科学技術についての話をしようと思う。
お金は神と同じく、人類の頭の中で生み出された幻想の産物
そもそもお金とは何か。これは現代貨幣論では”信用”だというのが通説となっている。
お金は物々交換が進化していった結果生じたものだと思っている人も多いだろう。様々なものを物々交換する際にあたって、コインや手形のような持ち運びが便利な仲介物が考え出され、その試行錯誤の結果として貨幣が産まれたと習った人もいるかもしれない。
けどこの説は現代では非常に疑わしいものだとされている。この貨幣≒物々交換の進化説を否定する根拠となったのが、ヤップ島で使われているフェイという通貨だ。
ヤップ島で用いられている通貨フェイは世界最大の大きさを誇る貨幣だ。
その形は円形で中心に穴が空いたもので、よくアニメや漫画などで描かれる原始時代の石のお金とよく似た形をしている。大きさは最大で直径で4m、重さも2.3トンほどにもなるという。
当然と言うか、こんなに大きな貨幣は持ち運びに不便である。ヤップ島ではこのフェイは贈答や不動産の売買に用いられるそうだが、大きなものは動かせないので庭や道ばたに放置されている。
あなたは『そんな適当な管理で大丈夫なのか。簡単に盗まれちゃうじゃん』と思うかもしれないけど、これで全部が万事、うまくいくのである。
ヤップ島のような閉鎖環境においては、一度取引が成立すれば島民全員が誰がどのフェイの本当の所有者なのかを認識できる。そのためフェイ自体を盗む事ができないのである。
どういう事かわからない人もいるだろうから具体的に解説しよう。
例えばだけど、道端に転がっているフェイを自分の家に運んだとしよう。こんな事をしてもこのフェイの所有権は自分には移行しない。
島民全員がそのフェイの本当の所有者が誰かがわかっているから『このフェイは自分の家にあるのだから自分のものだ』と言った所で、『はぁ?それはあなたのものじゃなくて○○さんのものでしょ?』といわれて一蹴されてしまう。
つまりヤップ島という閉鎖環境では、全てのフェイの所有者が完全に皆に知れ渡っているが故に”フェイを盗む”という現象が成立しえないのだ。
このようにヤップ島においては、フェイは資産のシンボルとしてのみ機能しており、それ自体にはほとんど意味がない。
突きつめて考えていくと、フェイに宿された幻想としかいいようがない”信用”が価値に相当しているのである。
フェイそのものに価値がない事を裏付ける事を理解するのに役立つヤップ島に伝わる興味深い逸話がある。
昔々、非常に大きなフェイが船でヤップ島に運ばれようとしたことがあったそうだ。けど残念ながらこのフェイは嵐により輸送途中で海底に深く沈んでしまったのだという。
現代人の感覚からすると海底に沈んじゃったんだから、まあ現物は存在しないわけだし価値はゼロだよねって感じだろう。
けど驚くべき事に、ヤップ島ではこの海底に沈んだフェイは所有権が認められており、しかも現在も通貨として使用されているのだという。
つまりヤップ島では、現物が本当にあるかどうかすらわからない、伝説上の通貨が現役で活動しているのだ。
海底に沈んだフェイの持ち主の子孫は、何の現物もないのにヤップ島でも指折りの資産家なのである。脅威としかいいようがない現象である。
我々からすれば『モノがないんだから存在しないのと同じだろう。あるかどうかもわからない徳川埋蔵金のようなものに、誰が価値を見いだせるのだ』という感じだが、ヤップ島ではこの理屈は通用しない。
なぜなら全員がそのフェイを”絶対にあるもの”と認識しているからだ。”ある”んだから価値はあるのである。現代に生きる私達からすれば脅威としかいいようがない理屈ではあるが、そういうものなのだ。
こんな現象は物々交換が価値の基盤にあるとしたら、絶対に生じ得ない。
そうした事を突き詰めていくと、その巨大なフェイは伝説が”信用”されているから成立しているのであり、マネーはリアルな現物ではなく、私達の頭の中にある信用という幻想がベースになっているという事実に行き着くことになる。
実は私達もヤップ島に住む人達の事を馬鹿にはできない。
前出した仮想通貨なんてヤップ島に済む人達からすれば何の価値も見出しようがない謎としか言いようがない概念だろうし、考えてみれば1万円札だって、何の偏見もなく眺めればその実態はただの紙である。
私達は1万円札に1万円分の価値を感じとる事ができるけど、それは私達が1万円に1万円分の価値があるという、ファンタジーを共有できているからに他ならない。
繰り返すが1万円札は紙なのだ。日本政府が崩壊してその信用を一気に失ってしまったら、これはただの人の顔が書かれた紙屑に成り果てる。やはり『お金≒人々の幻想の上に成り立った信用』なのである。
このように、皆の中で共通した幻想が抱かれて、お金に信用が生まれれば、お金は価値が保証される。
けど人々の中で幻想が共有されなくなり、その信用が消失すればお金に価値はなくなる。マネーとは、私達の頭の中にできたバーチャール現象なのである。
この『お金≒信用』であるという認識を一旦認めた上で議論を先にすすめてみよう。お金が人類の幻想の上に成立しているのだとして、じゃあなんで所得による貧富の差なんてモノが生じてしまうのだろう?
マネーが人々の幻の上に成立しているのだとしたら、それこそ日本政府が一万円札を無茶苦茶に生産すれば、全ての貧困問題は即座に解決する。
それこそ日銀がちょっと頑張れば、日本の借金なんて一瞬で完済可能だし、世界は富であふれる事になる。めでたし、めでたし・・・とは当然ならない。
残念ながら事はそう単純ではない。それをやったところで猛烈なインフレが起きるだけである。
かつてジンバブエドルという通貨があったけど、最終的には300000000000000ドル=1円という猛烈なインフレを起こして破綻した。記憶にある人もいるかもしれない。お金を沢山刷ったところで、ハイパーインフレが生じるだけで世界は何も変わらないのだ。
なぜお札を沢山刷るとインフレは起きてしまうのか?それは札束がいくらあったところで、資源には限りがあるからである。
例えばロマネ・コンティは今は100万円ぐらいだけど、札束の流通数が10倍になれば1000万円になる。みんなが持ってるお金の数が10倍になるんだから、価値も10倍になる。当然の話だ。
つまりこの世に存在する貧富の差というものは、突き詰めていくと人類の必要とする物資が限られている事が原因なのである。
地球上に資源が限られているが故に、需要と供給曲線に従ってモノに価値がつけられる。では全ての資源の供給量が無限大になったらどうなるだろうか?そうなると理論上、モノには価値がつかなくなる。
だから究極的な事をいえば、全ての物資が好きなだけ無限大に手に入るような環境があったとしたら、お金なんていうものはこの世に必要なくなるのだ!ロマネ・コンティがドラえもんのポケットから好きなだけ出てくるようになれば、誰もそれをお金を出して買おうだなって思わないだろう。
実はこれと似たような事が既に人類史上で生じている。
ではここで問題だ。人類史で、かつて驚くほど価値を有し通貨にも使われていた事があるほどのものがあったけど、現代ではゴミ箱に投げ捨てられているものがある。さて何の事だろう。正解は食料である。
かつて日本でも、米は一万石というような形で大名の年俸の単位になっていた時代がある。
現代人からすれば米が通貨として通用するだなんて信じられないけど、かつては米にはそれほどまでに価値があった。これは間違いない事実である。
私達からみれば江戸時代の金銭感覚は奇異そのものだが、江戸時代の人からみれば、仮想通貨のような訳の分からないモノに価値が付く現代が奇異にみえるだろう。
時代が移り変り人々の中で価値に対する信用の形が変化すれば、マネーの形はここまで変化するのだ。実に興味深いことである。
ではなぜ米の価値は現代では大暴落してしまったのだろう?
それは米を含む食料品の入手が、かつてと比較して非常に容易となったからにほかならない。何がそうさせたのかというと、それは科学技術の発達だ。
続いて食料品の価値を暴落させ、地球の人口が大爆発する原因となった世紀の発見についてみていこう。
人口大爆発のキッカケとなった発見、ハーバー・ボッシュ法
今現在、地球の人口は74億人近くにもなる。
なんでこんなに人間の数が増えたかというと、それは当然のことながら科学技術の発展があったからだ。
人類発達のブレイクスルーはいくつかあるけども、恐らくその中でも最大の発見の1つといえるものがハーバー・ボッシュ法だ。
高校の無機化学の授業でこれを習った人もいるだろう。この発見は一見すると地味なのだけど、実はとんでもないパンドラの箱である。
1906年に発見されたこの技術により、人類は空気中の窒素を物質として取り出す事ができるようになった。
これだけ書かれても一体何が凄いのかわからない人も多いかもしれないけど、これぞまさに現代の魔法そのものである。この技術は何もない空気中から、食事の元をほぼ無限に生み出す事に成功した人類史上初の大ブレイクスルーなのだ。
農耕社会において農作物の収穫量は限られたものであった。何故か?それは土地が痩せてしまうからだ。土の中に含まれている窒素が肥料となるから農作物は育つのであり、窒素が作物に吸い上げられてしまったら、しばらくその土地は使えなくなる。昔の人たちはこれを”土地が痩せる”と表現していた。聞いたことがある人もいるかもしれない。
この現象があるがゆえに昔の人たちは動物の糞便を肥料として土に撒いていたのである。
こうする事で、糞便の中に含まれている窒素が微生物を媒介して土地に還り、また土地が肥えて使えるようになる。
本来ならば、この種の面倒くさい手立てを踏まなければ人類は作物が収穫できるような豊かな土地を獲得することができなかった。
けどハーバー・ボッシュ法が見つけ出された事により、土地を肥えさせる事のコストが激減した。
この技術の発見により、大気中から窒素を取り出して化学肥料を作るすべを見出した人類は、常に肥沃な大地を使う事ができるようになったのである。
こうして空気中の窒素を自由に取り出す事ができるようになった事により、人類の作物の収穫量が激増した。
もはや土地が痩せるという事なんて昔の事であり、人類は以前とは比較にもならないレベルで安定して多量の作物を収穫できるようになった。
ハーバー・ボッシュ法は何故かあまり注目されていない事が多いけど、科学がもたらした人類最大のイノベーションの1つといっても過言ではない。
その後、様々な栽培技術を発達させた事で飢饉から抜け出すことに成功した人類は、その数を更に増やすことに成功した。
と、同時に食べ物の総量がかなり増えた為、食べ物は全然貴重なものではなくなってしまい、一般庶民でも普通に買えるようになった。
先程書いたように、かつて日本ではお米は年収の単位であった。
それほどまでに重宝されていたお米だけど、現代ではありふれた物資の1つでしかない。
歴史の教科書ではあんなにも飢饉で餓死した人間がいるというのに、現代日本では餓死なんてする人間の方がむしろ珍しい。それどころか肥満が問題になるぐらいなんだから、隔世の感である。
銀シャリを腹いっぱい食べたいだなんて言葉は今は昔。今では米なんて糖質制限で倦厭される事すらある。科学技術の発達は本当に凄い。まさに現代の錬金術である。
このようにテクノロジーが発達すると、物資が増える。
物資が増えると、生存可能な人が増える。
これを繰り返していった結果、現在では地球の人口は70億人にも到達してしまった。
こんな事は縄文時代では絶対に考えられなかっただろう。科学の発達はそれまでの常識をいとも簡単に打ち砕くのだ。
飢饉なんて単語が先進国ではほぼ消失したように、貧乏なんて単語も将来消失するかもしれない
人口が増えれば、必要な物資の数は当然増える。地球に貧富の差がなくならないのは、結局のところ科学技術の発展に伴って、人口が増え続けるからだ。
人口が増え続ければ、土地やエネルギーといった現代ではまだ手にする事が限られた資源は当然の事ながら必要数が増大していく。
けど逆に言えばだ。科学技術が更に発展を続けていけば、この世から土地問題は解決しエネルギー危機なんかも全て消え去ってしまう。
地球を飛び出して火星にテラフォーミングができるようになれば、民族問題なんて過去の馬鹿馬鹿しい歴史上の伝説になるかもしれない。
いつか科学技術が極限まで発達し、全ての物資を芳醇に手にする事ができるようになったとき、多分お金という幻想は私達の頭の中から消失する。
それこそ日本に住む私達が飢饉だなんて概念を忘れてしまったように、お金というヴァーチャルな存在も、いつか私達の頭から伝説上の存在になりえる日が来るかもしれない。
そうしてお金という幻想から全ての化粧が剥げ落とされた後、最後に残るものは一体何かを考えると非常に興味深い真実がみえてくる。
僕の答えはここでは書かない。各自で色々と考えてみて欲しい。
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(Photo:Hamza Butt)