メディアクリエイターの佐藤雅彦さんが、『新しい分かり方』という著書のなかで、民放のクイズ番組に出演していたNHKの気象予報士の女性と司会者とのこんなやりとりを紹介しています。

(佐藤さんは、派手なセットのなかで清楚な佇まいのその人に、痛々しささえ感じた、と仰っています)

その番組の進行役の芸人が、普段は出演するはずもないそのきちんとした人をいじりだした。

NHKとかに出ていると、言ってはいけないことも、たくさん、あるんじゃないですか?」

「そうですねぇ……」

その進行役は、それを聞いて、しめたと思ったのだろう。畳み掛けて、質問を投げかける。

「どんなことが、NHKでは言えないんですか?』

普段は扱えないNHKの内情を、面白おかしく聞き出してやろうという魂胆が感じられた。

「実は、私、天気予報のコーナーを担当させていただいているのですが、例えば、いい天気になります、とは言えないんですね」

「えー、なんでですか。いい天気、みんなうれしいじゃないですか」

「そうですねぇ、確かに、晴れれば、旅行はいい天気かもしれませんが、雨を望んでいる、農業をやっている方たちには、一概に、晴れはいい天気とは言えないんですね。だから、私たちは、明日はいい天気になるでしょうとは、言わないんです」

私は、そのスタジオが一瞬、静まったように感じた。その予報士の回答は、出演者や制作者たちの背筋まで一瞬伸ばしたようであった。

佐藤さんは、多くの人は「受け手に自分と同じ解釈基準を期待して、情報を送っている」と述べています。

でも、受け手の立場や解釈の基準は、必ずしも自分と同じとはかぎらない。

 

相手が「わかってくれない」のは、頭が悪いからとか、理解力に欠けるからではなく、置かれている状況や解釈の基準そのものが違うことが原因なことが少なからずあるのです。

その前提を意識せずに、相手を「話がわからない人」だと決めつけてしまっては、いつまでたっても、コミュニケーションはうまくいきませんよね。

自分をバカにしている人に心を開こうとは、なかなか思わないものだし。

 

この話を読んで、僕は以前、台風の日に外来をやっていたときのことを思い出しました。

その時間帯は、かなりひどい風雨で、こんな日に病院を受診してくるのは、重症の急患か、事故による外傷くらいだろうな、と、外来で電子カルテのディスプレイをぼんやり眺めていたのです。

 

そんななか、看護師さんが「先生、健康診断の精密検査希望の患者さんが来られました」と知らせてきたのです。

「なんでこんな日にわざわざ……せっかく今日はのんびりできるな、と思っていたのに……」と、少しがっかりしつつ、その患者さんを診察しました。

診察中の世間話として、「今、外は雨と風がすごいでしょう。来るのは大変じゃなかったですか?」と訊ねたんですよ。

すると、その60歳くらいの男性は「いやあ、ワシは漁師だから、今日は悪天候で漁に出られなくなったので、ちょうど良かったんですよ」と話してくれました。

 

ああ、なるほど、と。

病院で仕事をしている僕の側からみれば「なんでこんな酷い天気の日に、いつでも良いような健康診断の精密検査?」なのですが、相手からすれば「こういう悪天候だからこそ、空き時間ができた」のですね。

 

病院というのは、いろんな人が、いろんな状況でやってくるのですが、良くも悪くも、自分の常識みたいなものが、いかに狭い世界のものだったか、ということを思い知らされます。

正直、それはけっして「新しい世界が広がる」という明るさを伴ったものばかりではなく、「なんでこんなこともわかってくれないんだ……」というストレスを感じることのほうが多いのですけど。

 

コミュニケーションというのは、同じ解釈基準を共有している人どうしのほうが、スムースにいきやすいのは間違いありません。

天気の話ひとつとっても、「万人に不快感を与えないように」という前提だと、「いい天気」とさえ、言いづらくなるのです。

 

それが、宗教的な禁忌だとか、思想信条の違いとかになると、自分の正しさを押しつけるだけでは相互理解が進むわけがありません。

結局のところ、歩み寄るというか、お互いの立場を理解したうえで、妥協点を見いだすしかないんですよね。

 

それは、お互いに「落としどころを探ろう」という気持ちがないと難しい。

「正しさや常識で『説得』しよう」というのは、コミュニケーションを成立させることとは、もっとも遠い態度なのかもしれません。

 

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【著者プロフィール】

著者;fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

ブログ;琥珀色の戯言 / いつか電池がきれるまで

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(Photo:haru__q)