世の中には、いろんな巡り合わせ、というものがあるようです。
仮想通貨取引所大手「コインチェック」から580億円相当の仮想通貨「NEM(ネム)」が不正流出したのが判明し、経営陣による記者会見が行われたのが2018年1月26日の夜、もうすぐ日付が替わる、という時間帯でした。
仮想通貨をもっていない僕にとっては、正直、「興味深くて実害はないニュース」で、これまで「仮想通貨万歳!」と煽っていた拝金ブロガーたちの凋落を目の当たりにできるのではないかという黒い期待を呼び覚ます出来事ではあったのです。
それと同時に、僕は心底、ホッとしました。
自分は運が悪い人間だと思いながら、ずっと生きてきたけれど、今回に関しては、幸運だったとしか言いようがありません。
最近、なんとなく生活に飽きてきたような気がする僕は、仮想通貨をやってみよう、と思い立っていたのです。
なにをいまさら、と思えるのは、ああいう出来事が起こってからであり、仮想通貨についてあれこれ学んでみると(主にビットコインの話なのですが)、ビットコイン(仮想通貨)が「未来の通貨」であり、さまざまな取引や海外送金のコストが劇的に安くなることや「ブロックチェーン」と呼ばれるセキュリティ技術が画期的なものであること、発行数に上限が定められていて、どんどん希少性が高まっていくことが紹介されていて、「うさんくさい人たちが薦めているのはひっかかるけれど、これはまだまだ値上がりするのではないか?」と思ったんですよ。
仮想通貨の代表格であるビットコインの相場をみていると、すごい右肩上がりのあと、昨年後半に大きく値を下げ、その後は一進一退、という情勢です。
とはいえ、時代は、現金からカード社会の次は、ブロックチェーン技術を使った通貨に流れていくのではないか、とも思われ、初期に買った人ほどの大儲けはできなくても、いまくらい下がっているときに買って、少しでも上がったタイミングで売れば、小金にはなるのでは……とか考えてもいたのです。
初期に買った人のように、1年間で20倍とかいうビッグドリームはつかめなくても、こまめに相場をチェックして、100万円で買って120万円くらいで売れば、それなりに「儲かる」のではないか、と。
で、あの「コインチェック」のアプリをインストールしたのが1月24日のことで、なんだ、身元確認とかやらないと取引できないのか……と思いつつ、とりあえずチャートの変化を眺めていたら、いきなりこの事件。
仮想通貨を買っていた人たちを「金の亡者が金融知識もなしに参入するからだ、ざまーみろ!」と罵る気分にはなれませんでした。起こるのがあと1週間遅ければ、僕も当事者になっていたかもしれないのです。
あの事件が起こる直前に買ってしまった、という人も存在するはずで、そういうタイミングって、運とか巡り合わせだとしか言いようがない。
真面目な話、今の日本では、普通のやりかたで、劇的にお金を増やす、というのはけっこう難しいですよね。
宝くじを当てる、とか、万馬券に大きな金額を賭けて仕留める、というのは可能性としてゼロではないけれど、期待値が乏しすぎます。
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少し前に、生活保護を受けていながらパチンコなどのギャンブルをしている人に取材した記事を読みました。
ただでさえお金がないのに、生活保護まで受けているのに、ギャンブルでさらにお金を失うリスクをおかすなんて言語道断!地道に働いて(働けないとしても節約して)、生活の基盤をつくって、少額ずつでも貯金して生きろよ、と僕は思っていたのです。
しかしながら、彼らは、「普通の方法では、いまのギリギリの生活からは抜け出させないし、自分には特別な技術も能力もない。このつまらない人生で一発逆転を狙うには、ギャンブルしかないんだ」と言うのです。
それは、わからなくもない。
いまの日本で「お金がない」というのは、「登っていくための梯子がない」というのに近いのだと思う。
ただし、ギャンブルの場合、(まず現実的にはありえないけれど)パチンコ台で100連チャンを成し遂げても、100万円にもなりません。パチスロでは「万枚(1万枚)」というのが「ものすごく出た」象徴になっているのですが、それでも20万円くらいです。
このくらいの金額というのは、とりあえず、ちょっとした贅沢はできるけれど、人生を変えるには少なすぎる。
「なぜ、貧乏なのにギャンブルなんかするんだ?」というのは、守るべきものを持っている人間の発想でしかなくて、彼らのなかには「少しくらい節約しても、どうせ貧乏なんだから、ギャンブルでもやるしかない」と考えている人がたくさんいる、ということなんですよね。
生活保護を受けるほど困窮していなくても、こういう将来への絶望感というのは、多くの人がもっているのではなかろうか。
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長々と脱線してしまったのですが、仮想通貨の話に戻ります。
仮想通貨の代表格であるビットコインは、2017年12月中旬には1BTCが210万円をこえていたのですが、2018年1月29日のお昼の時点では、1BTCが125万円になっています。
すごい下がり具合ではあるのですが、2017年1月の時点では、1BTCが10万円くらいだったので、1年前に買った人は、現時点でもかなり儲かっている、ということになります。
ビットコインを薦める人たちの多くは「仮想通貨の先進性やコスト面での魅力」を語りたがるのだけれど、彼ら自身は、「通貨」として使ってみて、その便利さを実感しているわけではなく、それを「投資商品」にしているだけなのです。
今後どんどん値上がりすると思っていれば、そりゃ、誰も今、使おうとはしませんよね。
通貨として使われないのであれば「通貨としての現実的なメリット」はなく、期待感だけで今後の業績も未知数なのに値上がりしつづけている株の一銘柄と同じです。
仮想通貨の思想とブロックチェーンという技術は画期的なのだけれど、この「どんどん値上がりしてしまうことによって、塩漬けになり、誰も実際に使わなくなっている」という状況は、「人間の生活を豊かにするための道具」としては、きわめて不都合なんですよね。
いま起こりつつあることは、「投資家」(というか「投機家」というべきかもしれません)にとっては、仮想通貨のバブル崩壊なのかもしれないけれど、実際は「仮想通貨の価値の適正化」ではないかと僕は考えているのです。
オランダのチューリップバブルで、人々が「これは、花の球根でしかない」、日本の土地バブルで、「誰も利用しない土地は、単なる空き地でしかない」ことに人々が気づいたように。
だからといって、チューリップの球根が絶滅したわけでもないし、土地は、それなりの資産として評価されつづけています。
歴史は、繰り返す。
僕はブロックチェーン等の技術を使った暗号通貨の時代が近い将来に来るであろう、と予想しているのですが、だからといって、現行の仮想通貨が覇権を握り続けるとも思えないのです。
暗号通貨の技術も日進月歩(いや、秒進分歩くらいか)でしょうし。
いまの暗号通貨を過信すると、「将来の娯楽の王様は家庭用テレビゲームになるはずだ!」と、ファミコンが出る前にカセットビジョンを買ってしまう可能性もあります。
カセットビジョンも、悪くはないんですけどね。『ギャラクシアン』は面白かった。
すでに仮想通貨をもっている人たち、自分で持つだけではなく、アフィリエイトなどで「とにかく儲けたい人」に売りつけてきた人たちの今回の「コインチェック騒動」への反応は、「ああ、いままで日本で行われてきた巨大詐欺事件って、こんな感じで多くの人からお金を集めてきたのだなあ」ということが可視化されていて、暗い笑いを禁じえません。
いわく、「『コインチェック』の事件は、『コインチェック』のセキュリティが甘かった、というだけで、暗号通貨のシステムの問題ではない(だから、暗号通貨そのものに問題はない)。仮想通貨は、まだまだこれからだよ!」
ああ、原子力発電所の「安全神話」みたいだな。
事故が起こるたびに、「あれは古いタイプのもので、新型ならだいじょうぶ」「運用する人間の問題であって、原発そのものが悪かったわけではない」「危機管理が甘かった」
と言う人々が出てくるわけです。
それは、個々の事例については、事実でもあります。
でもね、忘れてはいけないのは、結局のところ、今の世のなかでは、いくら先進的で素晴らしいシステムがあっても、それを実際に動かしているのは「人間」なのだ、ということだと思うんですよ。
1999年9月に起こった東海村JCO臨界事故では、2名の死者が出ています。
以下、Wikipediaからの引用です。
この事故の原因は、本事故の原因は、JCOのずさんな作業工程管理にありました。
JCOは、燃料加工の工程において、臨界事故防止(臨界安全)を重視した正規のマニュアルではなく、「裏マニュアル」に沿って作業をしていたのです。
一例を挙げると、原料であるウラン化合物の粉末を溶解する工程では、正規マニュアルでは「溶解塔」という装置を使用すると定められていたが、裏マニュアルではステンレス製のバケツを用いるという手順に改変されていた。
しかも事故前日の9月29日からは、作業の効率化をはかるため、この裏マニュアルとも異なる手順で作業がなされていた。具体的には、濃度の異なる硝酸ウラニル溶液を混合して均一濃度の製品に仕上げる均質化工程において、「貯塔」という容器を使用するべきところを「沈殿槽」という別の容器を使用していた。
貯塔は臨界に至りづらい形状(背が高く、内径が狭い)だったが、使用目的が異なる沈殿槽は非常に臨界に至りやすい構造(背が低く、内径が広く、冷却水ジャケットに包まれている)であった。
「そんなバカなこと」を、「めんどくさいから」と、やっちゃうのが人間なんですよ。
暗号通貨のシステムの問題ではなくて、取引所の問題だというけれど、現状、暗号通貨を一般の人が売買するためには、取引所を介さざるをえないわけです。
それを切り離して考えるのは、あまりにも御都合主義だと言わざるをえません。
どんなに安全性の高い、よくできたシステムでも、それを運用するのが人であるかぎり、ミスや手抜き、不正が起こってくる可能性はあるのです。
悪意の有無はあるにせよ、人のやることに、「絶対安全・安心」は存在しない。
もちろん、それは原発や仮想通貨に限った話ではなくて、火力発電所でもそうだし、既存の通貨や銀行にもあてはまります。
あとはもう、そのリスクとメリット・デメリットを総合して考えるしかない。
原発は、基本的にはかなり安全性が高いけれど、何か起こったときのリスクが極めて高いので、このまま運用していくのは不安だし、火力発電所については、絶対に安全ではないし、もしものときはかなりの被害が出ることも予想されるけれど、原発に比べると限定的であり、電気の必要性を考えるとなくすわけにはいかない、というところでしょう。
現在の仮想通貨に関しては、個人的には、あまりにも幻想が肥大化している状態で、高くなりすぎていると思っています。
「仮想通貨がこれから普及していく」ということと、「投資商品としての仮想通貨がどんどん値上がりしていく」ことは、イコールではない。
むしろ、投機的な商品として「終わって」しまうことが、実際に使いやすい状況を生み出すし、そうなれば、国や大手金融機関が保証した暗号通貨が、優位に立つことになるはずです。
相場を読んで、うまく売り抜けることが目的の「投機」なら、なくしても困らない金額で自己責任でやればいい。
でも、そういう割り切りもなく、いまさら「仮想通貨の理想」とか「便利さ・優位性」に賭けても、すでにもっている人たちの「養分」にされてしまうだけでしょう。
この状況で、リスクを語らずにポジティブな話ばかりしている「億り人」がこんなにあふれている時点で「ヤバい」としか言いようがないのです。
あんな事件が起こった直後に、既存の仮想通貨を薦め続けている人って、「何もわかっていない」か、「わざと他人を巻き添えにしようとしている」としか、僕には思えないのです。
それでも、「今の閉塞した状況から、なんとか逃れたい」という人は、これからも買ってしまうんだろうな、仮想通貨を。
ここから先は、地獄だよ。
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【著者プロフィール】
著者:fujipon
読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。
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